♪バルボット成江のフランス便り♪

パリより100km、ボーヴェより、今日は急に夏が近づいたような天気です。

留学してから

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ある夏の講習の思い出

留学してからのことでもう相当前のことに(10年以上前かしら・・)になる。
南仏アヴィニョンのそばで20世紀の音楽をテーマに2週間ほどの講習があり,ジェイ先生も講師陣だったので参加した。

今にして思えば、おもしろいメンバーだった。
クロード・エルフェ氏(ドビュッシーの校訂、現代曲の解釈で知られる)や、故クセナキス氏がいた。
作曲の講義もあったので作曲家の卵たちが来ていた。
イヴォンヌ・ロリオ女史が一生懸命に夫君のオリヴィエ・メシアンの曲解釈を中心に公開レッスンを行った。もちろんコンサートも。この方は大変鳥のような?高いお声でとてもぴしぴしと厳しい方だ。
主張ははっきりしている。ジェイも師事していた事がある。基本がまずなっていないとそれだけで一時間費やすかもしれない。

ジェイはアメリカ音楽の講義をする。ちっとも気取らないオープンな人柄で彼には本当にオアシスのような印象を受けた。コンサートも良かった。大変生徒としてうれしかった。
ピエール・ロラン・エマールは期間中通しで自分の生徒(ドイツから来ていた)を中心に公開レッスンを行った。非常に主張をはっきり持っていて断固としている。
しかも自分の生徒でない私や、日本人留学生にはある種の硬い態度を見せた。なぜかわからなかったこの一種非友好的な態度に戸惑ったが、レッスンではまず演奏は人に伝えるものという姿勢が大変よく伝わって、またひとつの矜持のようなものが大変感じられた。

マーシャル・ソラル(ジャズピアノの鬼才)がいた。唯一ジャズのアトリエを持っていたので受講。
全くの初心として入り、大変楽しく過ごした。レッスンはスリリングだし誰がと言うより何が起こるかにいつも注目していた。とても謙虚な方で生徒みんなから尊敬を集めていた。スウェーデンからプロのピアニストも講習を受けに来ていた。

会場がすばらしく元の修道院を使って本当に尼僧か修行僧になった気分?であった。
最後の生徒のコンサートもそのオープンな修道院の屋根なしで星が降るようなところで、繰り広げられた。私はマーシャルソラルクラスより女性代表?でなぜかスタンダードをテーマに即興を3分。観客が大勢外部から来て、楽しい思い出だった。クラスのメンバーはそのあとも連絡先を教えあったりして友好的だった。他のクラスと全く雰囲気が違った。

終わってからみんなで乾杯。エルフェ先生とクセナキス氏が楽しげに乾杯する同席に、なぜか私たち日本人学生?4〜5人は一緒にいた。ジャズもどき演奏を褒められた私は可笑しかった。学生のみんなは若くて元気で、先生たちもくつろいで相好を崩していた。

それにしてもこの綺羅星のようなひとときは二度と来なく、エルフェ氏もクセナキス氏も故人となってしまった。彗星のように過ぎた輝くある夏の思い出。

合掌。

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Jay

きのうジェイに会いに行った。レッスンというよりもうトレーニング、コーチングの世界だ。

たくさん微細な修正(見直し)をした後でやはりいつも思うのは[終わりが無い]こと。

いつもさらによくなる可能性はあるし完全ということは無い。

お互いに進歩すると思う。

それがクラシックであれコンテンポラリーであれ、根っこの部分は同じ。

落ち込むことも多々あるがとことん突き詰めてくださる先生はありがたい。
あまりに要求が厳しかったので初めてつい本音で弱音を吐いてしまった私に、「でも舞台ではいつもそれを乗り越えているじゃないか。それだから君を教えるのは面白いんだよ。」とおっしゃった。ありがたいと思う。

先日ある学校の学年末試験の審査員をしたそうだ。また何年か前にパリ国立音楽院の3me cycle(大学院)の入学試験の審査員をした。そのときにいつもそれまで一等賞を取っていた生徒が演奏。一見問題はなかった。が彼はその生徒をあとで呼んで、「君にとってピアノは何? 本当に一番したいことだろうか?」と問うた。なぜならその生徒の演奏には「これがしたい」というかピアノがしたいということが伝わってこなかったのだ、とジェイは言った。厳しいようだがその本質的な問いをいままで誰もその生徒に向けず、本人もなんとなくそこまで来てしまったということか。涙を流して「ありがとう。誰もそんなこと言ってくれなかった」といったそうだ。

自分流に走ってしまう(よい意味の個性は残すとして)のを防ぐ意味でも、私が本当に学んでいるのは学校を出てからである。

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ジェイ

ジェイ・ゴットリーヴ先生とは別の夏の講習で94年に知り合った。
比較的年齢層の高い講習陣の仲、彼はなんだか少し若く見えた。

毎晩講習の会場にあるホールでコンサートがあった。
ジェイのリサイタルはそのとき初めて聴いた。

冒頭から驚きの連続。チャールズ・アイヴスのコンコルド・ソナタがプログラムだった。
初めて聴いたその音の連なり、複雑に絡み合う糸の中にダイナミズム溢れ時には叙情的にアメリカの建国初期を思わせるようなリリズム。
時に暴力的に時に深い精神性を物語る。
感動で言葉を忘れた。

その後も機会あって彼のアイヴスを聴いたが、彼ほどアイヴスの精神を伝えるピアニストはおそらく世界でも稀だろう。モーリス・オハナを始め数多くの現代作曲家が彼に曲を捧げているが、ジェイの真骨頂はこのアイヴスにあると言っても過言ではない。

この時の出会いが私の人生を変えた。

その後10数年にわたって師事している。
今でも得ること学ぶことが沢山ある。

それはやはり彼が一線で演奏活動を行っている現役のプレーヤーだからであろう。
舞台に立つことが多いからこそ、何が大事か判る。
学校で教えているだけと全く異質な、プレーヤーにとって必要なこと。
本当の勉強は彼に師事してから始まったと感じている。

故国アメリカ生粋のフランクな人柄をして、ほとんど友人同士のように付き合っていただいているが、深い技術と知識、とても一生かかっても追いつけるものではない。

妥協のない性格からか手厳しい指摘も頂いてきた。
しかしユーモアのある彼なので決して深刻にならなかった。
また一人のアーティストとしてみてくれているのがありがたかった。
時に恩師ナディア・ブーランジェのこと、出会った作曲家のこと、友人のピアニストとコンクール審査で出合って話すこと、いろんなエピソードか聞けてとても楽しい。
迷いがあった時期も[自分で方向を決めるほうが良い]といってあえて何も言ってくださらなかった。
後で振り返るとこれは有難かった。

常に研究を怠らないから何時までも若々しいのだろう。
素晴らしいメンターに出会えたことに感謝したい。
10何年にわたる師弟関係を一言でいいつくすことはできない。
また追って描きたい。

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カトリーヌ・コラール先生

先生にはマスタークラスに自ら申し込んでお目にかかった。1991年の夏だったろうか。ギャップというすごい自然の山奥で、スキー場の施設などが宿泊所に当てられた。

たまたまテレビで彼女のモーツァルトの演奏を聴き、その素晴らしさに驚いて講習があるのを知りすぐに申し込んだ。
先生はへヴィースモーカーでいらした。
「なぜ私のクラスに?」
「テレビで拝見しまして素晴らしいと思ったからです]
一瞬驚いた表情をされたがなんだか嬉しそうでいらした。

私はフランスに来てまだ何もかも新しく、生徒たちが夜バーなどでピアノの連弾を繰り広げるのを面白く見たり、一番弟子のような女の子が仲間の子達と人の練習をひそかに偵察するのを面白く感じた。

私より一回り以上も若い子たちが来ていた。みんな青春していてひそかに恋人の名を打ち明けてくれたり打ち上げの夜なんかはとても騒いで午前様の子達もいた。

先生はシューマンと、モーツァルトを聞いてくださった。シューマンはおすきだったらしくレッスン中とおして大変好機嫌でいらした。別の日にモーツァルトの唯一の短調のソナタを持っていった。顔色は厳しく雰囲気は緊張感に満ちた。
すべてのフレーズを一からやり直させられた。3楽章のアーティキュレーションは、クラリネットやオーボエを意識しなければいけないとおっしゃった。

大変上手な弟子が期間中オーディションであるフランスの現代曲を弾いた。
不思議なことに演奏中に先生は廊下に出てタバコを吸い出した。顔つきが尋常ではなかった。大変苦悩に満ちた表情でいらした。

私にはなんだか優しく[フランスに住んでるの。そう、良かったね]とうれしそうに声をかけてくださったりした。

その後一度パリでチェロとのデュオのコンサートに聴きに行ったが、終了後彼女に挨拶する人の列は途切れなかった。なんだか急いでいてすべての人に会おうとしていたみたいだった。

何ヶ月か後にご他界されたことを知った。癌だったという。あのときのタバコを吸っている暗い表情が目に浮かんだ。

合掌。もういちど先生の演奏をお聴きしたかった。

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音楽史

音楽史は相当な高齢の女性の先生だった。

いつもサル・コルトーという学校のホールが教室に使われていたので、なるべく前過ぎず目立たないところに座ってじっと聞き入った。

日本人は独りもいない。香港出身の女の子と知り合った。彼女が良くフランス語を聞き取ってノートをとっていたおかげで、試験まで何とか乗り切ることができた。

はとの鳴き声が天井高く聞こえる木目の壁の素晴らしいホールで、その先生は時に俳優のように舞台で一人一人の作曲家へのオマージュを捧げた。
毎週一人ずつ作曲家に焦点があたった。

細かいエピソードを交えながら、生き生きと人物およびその音楽を蘇らせて下さる。
時にはレコードプレーヤーに自分で針を落として、生徒と共に聞かれた。
真摯に授業をなさるその姿に大変共感を覚えた。

いつも頭を上げて前をキッと見つつ言っていらした言葉が「学生は職業なのですよ。れっきとした職業です。」
仕事を辞めて、結婚して留学している身にはこの言葉が身にしみた。
ピアノを毎日何時間かさらい、フランス語のまだ足りないまま仏人と肩を並べて授業に出るのは楽ではなかった。時に家事等と両立しずらく、なかなかこの地に馴染めなかった私は、この言葉を聞くと勇気が出た。

一年目の口頭試問では緊張して見事失敗したが、次の年には質問にしっかり備えていったおかげで、良い点をとることができた。

ある朝の授業でしめくくりにベートーヴェンのピアノ協奏曲[皇帝]の第二楽章のレコードに針を落とされた。
終わり第3楽章に入るところまでかけてから、先生は目を細めて遠くを見ながら作曲家に対する愛と共感を示された。すべてが調和に感じられた。

彼女の授業の真髄がその瞬間にあったと思う。

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