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開高健のいる風景

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  けっこう前に読んだ本なので細かな処までは憶えていないのだけど、作家開高健の素顔を知る

  上でなかなか面白い本だった。

  著者は若い頃から開高健と親交があり、身近に開高健がいたために自分が小説家になる夢を

  諦めた。きっぱりと諦めて読者として小説作品とつき合っていこうと決心した。

  確かに、自分の近くにこれほど才能豊かな書き手がいたなら、自分で書くことなどおこがま

  しくて爽やかに降参してしまうだろう。

  小説作品というものの基準を開高健に据えたなら、小説家を目指す人など殆どいなくなって

  しまうのではないだろうか。それ程彼の書き残した作品全てが渾身の出来であると思うのは

  僕だけだろうか?

  
  現在、小説家を目指す若者は数多くいるし、その夢を叶えるチャンスも数多くある。

  「底辺ばかりが限りなく拡がっている・・・・」と言った批評家がいる。

  「マンガを描く才能も、映画を創る才覚もない人が最期の手段として純文学を志す」

  と言う意味の文章を読んだことがある。確かに、そういう傾向は感じる。

  基準が低くなった分、底が際限なく拡がってしまっている懸念も確かにあるのだが、

  新たな才能の出現も期待している。小説が好きだから。本を読むのが好きだから。

  開高健のような才能が現れることを待ち望んでいる。


  この本の最期に「夏の闇」に出てきた女の正体が明かされていたように思う。

  「夏の闇」を書くことによって、作家開高は私生活の面で、妻である牧洋子との間に

  修復困難な深い傷が生ずることは知っていただろう。それでも書かずにおれない作家

  の業を感じた。

  光の射さぬ闇の中で、掌の感触のみで何かを組立る。そしてそれが完成したとき、それが

  白日のもとに晒されて、衆目の視線を浴びたとき、小説家は眩しげに後ろを振り返り、作品

  に注がれる視線たちを凝視する・・・・小説とは、創作とは、そういうものなのだ、と思う。

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