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小豆島拾遺(十三)

「一日一日が遍路の旅です。この貴重ないっときいっときを常に精進しなければなりません。日常生活が遊び半分の気持ちでは過ごせないと同様に、遍路の旅も観光旅行ではない。大師が示された戒律を守ることがまず大切です。社会のルールを無視しては生活できないように、遍路も戒律を犯し朝から酒を飲み、あたかもレクリエーションのごとき巡拝では、何十回めぐっても無意味でしょう。特に遍路となった以上きびしく自己を制し、大師の導きに従うことです。・・・そう、皆さん高校生もまだお若い先生も、青春を楽しむとともに、自らに戒律を課して、日々精進なさいますよう」
 少し固い話だと思うものの、さすがは仏の道に仕える人のことばだと、皆ありがたく承るのだった。
「精進ね、怠け者の僕にはよくこたえたね。しかし、今一番大事なことはそのことかもしれんな。あれこれ悩んでも、結局何もしていない僕たちには何も与えられんのだから」
「牧君、今日はえらい神妙ね」
 栄美は先生にも気を使いながら、付け足す。
「牧君ね、自堕落みたいなけど、けっこう自分に厳しいんですよ」
「私には優しいと言うんでしょう」
「先生、それは言い過ぎでしょう。でも、そうかもしれない。それがうれしくって、今日もこうしているのかもしれない。島の男の子って皆こうあってほしいとは思わないけれど、銭勘定なしに人のために尽くせるようであってもらいたいな。案外せせっこましい男の子が多いので・・・」
「そうかね。まだ先生はこの島に来て年月もそう経たないけれど、野放図なところがいいじゃない。筒抜けに楽天的で・・・」
「そうなんです。先生はよく見とります。僕たちは何にもこだわっていません。もちろん勉強にも・・・」
「もっとこだわってほしいけれど、ね」
「言われますね、先生」
「いやもう、止めておこう、勉強のことは。いつも先生風を吹かしていてはいけないな。もともと僕は先生タイプじゃないものな。楽しく絵を描いておればいいものな。その絵も厳しく精進して、名品を作り上げようとする野心もあったものじゃないし、売って生活の足しにするんじゃないし、人に上げて自己満足している、そんなおめでたい人間だものな」
「先生、そう自分をいじめんでええのと違う。先生はずいぶん皆に絵を上げて、喜ばせている。と言うよりありきたりの先生生徒の域を脱して心と心がつながって、すごーくいい雰囲気作ってると思う。それに誰かれの区別せず絵を上げてると思う。もらえない人はいらついているけど、きっといつかはもらえると思ってる。ね、先生、皆に万遍なく上げられる」
「そのこと、一番悩んでる。しかし、ほしいと言わない限り上げない。ほしい人には上げる」
「先生は慈善事業をしているのかもしれない」
 さっきから黙っていた寺娘千代は一大発見をしたかのごとく、目を輝かせて言う。
「僕のはね、遊びですよ」
 樋本先生は呵々大笑する。
 小豆島は大きな島と小さな島からなる。その間に海峡がある。あたかも川のようだが、この水は塩からい海水だ。その中ほどに永代橋という橋が一つ架けられている。高校もそのたもとにある。島の東に位置する高校の方が進学校として実績を挙げており、こちらの方はもともと商業高校であったこともあり、のんびりしている。生徒の気質もおおらかで、こせつかない。悪く言えば生まれたまま、よく言えば天真爛漫。人を蹴落としてものし上がる意欲はない。
 島に渡ってくる新任教師に対して、人なつっこく寄りついてくるのも、この高校の校風のようなものである。いつも若い独身先生が十人を越える。樋本先生もその一人にすぎない。それぞれの島生活に悲喜こもごもの体験をし、そして多くの先生がこの島を去って行く。
 この物語もただそのような一人の先生の島体験の一部を点描しているにすぎない。
 たとえどのように描こうとしても、師弟の織りなしたシンフォニーの全貌を再現することはできないであろう。すべては過ぎ去り幻に消えたかのごとくでありながら、それぞれの胸奥には思い出の風景が焼きついて忘じ難いであろう。ここに点描されたものも、その回想風景を縦糸にしながらも、かくあらましかばという幻想風景を横糸にして、青春の風景を紡いだものである。
 樋本先生もそろそろ教員生活に別れを告げる着陸態勢に入っている。それでいて、決して若さを失わない万年青年を自称している。
   島に輝く無数の星よ、一つ一つの星を大切にしてきたはずなのに、その一つにだってすがることなく、遠くに眺めているばかり。
 一枚の絵は四時間精神集中して描いたものだった。その数六百枚。数百人のかつての教え子たちを中心に散らばっている。その絵は三十数年後の今どうなっているか。知りたい、たずねたいと思う。
 夢想に耽っている彼に一冊の冊子が届いた。「小豆島企業ガイドブック」である。県外から送られてくる多くの求人書類の中に交じっていたものである。彼は学校で就職を担当しているのだから、仕事の上で自然に目にするものである。表紙には斜体で「羽ばたけ青春!明日に向かって」と夕陽を受けた海のカラー写真に重ねて印刷されている。海水着の若い男女が海の中で今にも接吻しようとするシルエットが中央に写されている。彼は年甲斐もなく、その姿に魅入られてしまった。いつまでも机の上に置いて眺めている。生徒が来るのを一番恐れている。同僚ならば笑ってすませるが、子供以上に歳の隔たりのある生徒に対しては顔向けできない。それならば見えない抽出しの奥にしまっておけばいいようなものの、その風景が、その男女の姿態がすばらしいだけに、しまってはおけないのである。

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