【戦艦武蔵沈没】
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1944年 - 10月24日 「戦艦武蔵」 比、シブヤン海にて沈没。 65年前の今日10月24日は戦艦武蔵が沈没した日です' 武蔵の沈没に伴う戦死者は猪口敏平艦長以下1021名、生存者は1376名。 生存者の半数以上はフィリピン守備隊に残され、陸戦隊としてマニラ市街戦 に参加させられたりしたが、その多くは戦死したそうです。 やはり助かった、と思っていてもまた戦地に向かわされているのが、過酷な 戦いであった事を物語っています。 やはり武蔵生存者の手記に、胸が詰まりました。 合掌 当日の戦闘経緯時間順 1944年10月24日 9:30 大和の見張員がアメリカ陸軍偵察機を発見 10:00頃 能代のレーダーが100キロの彼方に敵機の大編隊を発見。 10:25 敵機約40機 を見張員が発見。しかし乱積雲の中に見失う。 10:25〜10:27 第一次空襲(44機。うち武蔵への来襲機数17機) 見失った敵編隊が右舷の雲間より急襲。被弾1、被雷1、至近弾4。 衝撃により前部主砲射撃方位盤故障。右舷に5.5度傾斜するも注排水 により傾斜角右1度まで回復。 ]浸水により今度は左舷に5度傾斜するも排水により傾斜角左1度まで回復。 艦首が戦闘開始前に比べ約2m沈下。第2機械室使用不能に陥る。 これにより3軸運転、最大速力22ktに低下。 測程儀室・測深儀室破壊。前部戦時治療室がガス充満の為使用不能。 傾斜するも排水により傾斜角右1度まで回復。艦首、更に3m沈下したためトリム 修正の為の注水を行う。最大速力16ノット。艦隊輪型陣から落伍。 13:15 第五次空襲(来襲機数0機)。艦隊輪型陣から離脱していたため攻撃を受けず 。大和、長門に攻撃集中。なお武蔵は大和への援護射撃で敵機5機を撃墜と報告している。 魚雷11発以上、至近弾6発以上を受け大火災を起こす。またしても左舷に10度傾斜 取舵と注排水により左6度まで回復。艦首更に4m以上沈下し一番砲塔左舷側まで波で 洗われる状態となる。 前部艦橋にも直撃弾、航海長・高射長など准士官以上11名を含む57名戦死。 猪口艦長も右肩に重傷を負うも指揮続行。 した駆逐艦島風に移乗。[1]司令部から「全力をあげ、島沿岸に座礁し陸上砲台となれ」 との命令が下る。1軸のみ使用可能で、6ノットにて微速航行。 19:15 傾斜角暫時増大し左舷12度となり傾斜復旧の見込み無し。総員退去用意下命。軍艦旗降下。 19:30 傾斜角30度。総員退艦命令。 wikiより転載 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5_(%E6%88%A6%E8%89%A6) 軍艦旗 wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E8%89%A6%E6%97%97 マニラの戦い wiki http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84_(1945%E5%B9%B4) ★yaahoo 戦艦武蔵関連記事 http://search.blogs.yahoo.co.jp/SEARCH/index.html?pt=c&p=%C0%EF%B4%CF%C9%F0%C2%A2&page=1&so=gd&tflg= 日本のブログ村戦艦武蔵記事 http://search.blogmura.com/?sch=1&ok=1&keyword=%C0%EF%B4%CF%C9%F0%C2%A2 人気ブログランキング戦艦武蔵記事 http://blog.with2.net/search/?m=item&q=%C0%EF%B4%CF%C9%F0%C2%A2&s=0&fc=1 ★海外サイトhistory.navy.mil
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菊の御紋章の軍艦を沈めたから
日本に返さなかったと言うのも大きいな要因のようです。
ガダルカナル島の戦いでの生存者も、
日本の土を踏むことなく、
第77師団に配属され、終戦後の8月17日、
占守島でソビエト軍と戦いました。
陸士、海士の成績優秀者以外は、
そういう形で死に場所を与える軍隊でした。
2009/10/24(土) 午後 9:20 [ こころが立派になればいい ]
つくば眞學會 様
コメントありがとう御座います。
この戦い以外にも、似た様な過酷な作戦が次から次と発せられ
ていたのですね。
戦争当時の生の証言などは、もう二度と得られないので貴重
なんだと思いました。捕虜になるのは生き恥を晒す事になる
と教えていたので、生きているのが異様に思える心境だった
のかも知れません。
戦史もあまり詳しく有りませんが、動画で貴重な映像が簡単
に見れるのは、ありがたいです。
2009/10/25(日) 午前 4:51
おはようございます。
第77師団ではなく第91師団でした。
捕虜になるなと言うのは、
中国戦線で、日中の正規軍同士の戦いでは、
終戦まで一度も負けたことのない日本軍でしたが、
ゲリラ戦で捕虜になった日本兵へのその残忍な殺され方は
古今東西の最悪のものだったそうです。
そこから、捕虜になると大変だという意識が軍上層部に現れ、
あのような悲劇的結末が、あちらこちらで生まれ、
究極の「玉砕」や「特攻」までいってしまいました。
中国はハーグ条約に加盟していたはずです。
国際法は日本は守りますが、
外国は守らない。
日本以外は野蛮だとなってしまったのです。
本当に悲劇です。
2009/10/25(日) 午前 7:46 [ こころが立派になればいい ]
つくば眞學會 さま
ハーグ陸戦条約に付いてもあまり詳しく無いのですが
戦争で、互いに命を掛けて戦っても捕虜になったら命は
保障されるべきとの精神なのでしょうね。
戦争はルールが仮にあったとしても、どちらか一方が守ら
なければまったく意味が無くなってしまいますよね。
玉砕思想は美化され正当な理由になリがちですが、命を守る
為の戦いが命を粗末にしてしまいました。
二度とこの戦争が起こされない為にも、正しい戦争か正しく
無い戦争かも重要ですが、戦争に至る経緯しっかりと教育が
担っていく必要がある、と考えます。
2009/10/25(日) 午後 9:38