戦後も60年を越えてしまった。戦没者を悼むと共に現在の危険な兆候に目を光らせなければならない。
敢えて私は「終戦記念日」とは言わず「敗戦記念日」と呼んでいる。史実だけ言えば、日本においては盧溝橋事件以来の対中戦争及びそれに付随しておこった東南アジア各地域での戦争、太平洋戦争(当時は大東亜戦争と呼称)の終結した8月15日を総称するのだと思う。
私が「敗戦」に拘るのは、この呼び名を、負け惜しみ、または、数々の言い換えて戦争の本質から国民の目を逸らさせた大本営発表と同じ様に感じられることから嫌い、このように呼んでいる。
1945年8月15日正午より、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」(終戦の詔書)を、昭和天皇が朗読したものがラジオ放送され(いわゆる玉音放送)、国民及び陸海軍にポツダム宣言の受諾と軍の降伏の決定が伝えられた。
詔の発布及び玉音放送はかならずしも法制上の必要があって行われたものではないらしいが、天皇が初めて肉声をラジオで公開し、敗戦と降伏を発表したという意味で、このラジオ放送は国民にとって敗戦の象徴ともいうべき存在となり、大きな衝撃を与えた。この日を持って、アメリカとの戦争が事実上終了した(ソビエトとは9月4日まで戦闘が続く)。
勘違いし易いのだが、と言うよりは殆どの日本人が思い込まされていることだが、休戦文書は
・「日本軍の無条件降伏を規定している」ものであり
・『日本の政府や国家の降伏は規定してはおらず』、また占領対象も「指定する諸地点」とされている 領土全体を占領するとは規定されてはいません。
占領軍が「日本の無条件降伏」という表現を好んで用いた事と、更に日本政府が完全に占領軍の統制下に置かれたこともあり、「日本は無条件降伏したのだ」という認識が日本内外に広まったようです。この認識は現在でも続いていると言わざるを得ないでしょう。
勝者のみが多くを語るのではなく、敗者でも殊に非戦闘員である国民はより多くの戦争体験を語り伝えていくべきだと思っています。勝者にも敗者にも多数の犠牲者が出るのが戦争です。愚かな人類は未だに武器を放棄しようとしません。愚かな日本人もまた軍隊をと..ならないように政事に目を向けましょう
以下に玉音放送の本文を記載しておきます
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ
茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ
米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ
領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ
朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス
戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス
延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ
皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且
戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所
堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ
信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ
任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ
世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
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