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一年経って

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2月29日、横浜でも積雪しました。写真は自宅の玄関に置いているベンチです。
 
 
3月になりました。昨年の震災から1年が経とうとしています。私にはこの1年間はとても長く感じられましたが、皆さんはいかがですか?
 
一年前は、我が家にもテレビが1台ありました。3月11日の地震の情報を得ようとテレビのスイッチを入れた私と息子は、東北地方を襲う津波の映像をライブ放送で見てしまいました。船を陸に運び、道路を走っている車を襲い、ひとが住んでいるかも知れない民家をさらい、丹精こめて耕された田畑を沈め、そこで暮らす人々の命や暮らしを一瞬にして奪っていく抗いようのない自然の力を、ただ黙って目を見開いて見つめることしかできませんでした。
 
テレビを見ている私たちの足元も、何度も何度も揺れました。
そして、福島第一原発の第1原子炉と第3原子炉の爆発も、たぶんライブかそれに近い形でテレビで見ました。
 
教科書で歴史として習ってきた史上まれに見るような天変地異が目の前で起こり、足元を揺らし、空から降り注いできました。
あっという間にポンペイを死の町に変えたヴェスヴィオ火山の噴火、死者30万人を出した中国唐山地震、M9.5を記録したチリ地震とM9.4 のアラスカ地震、スマトラ沖地震による津波、チェルノブイリ・・・。それは遠い世界のことでも過去のことでもなく、今、自分の身に起きている現実になったのです。
 
4年くらい前に自宅で瞑想をしていた時に、放射能で汚染されたために、ある場所では若者たちが地下の核シェルターで暮らすことを余儀なくされるというヴィジョンを見たことがあります。その隣県の福島で原発の爆発がありましたが、いまだにそこでは普通に人が暮らしているようです。ヴィジョンで見たよりも起きた事故が軽かったからではないと思います。そこは人が安全に暮らすにには危険なほどに汚染されいるのだと思いますが、そういう対策を国が取っていないだけなのです。
 
そのころ、私はそういうヴィジョンをいくつか見ました。大地震と火災、人口の大幅な減少、都市の崩壊。何が起ころうと、人がそれにどう向き合うかでまったく違うことが起きているかのような錯覚を覚えます。今回のように、起こったことはヴィジョンと同じでも、避難するか、とどまるか、危険を回避する暮らしをするか、何もなかったかのように暮らすかで、まるで人によって別々の体験をしたのかと思うほど違うのです。
だけど、社会全体に影響を及ぼすような事故は、一人ひとりの認識によって別々に起こるということはないのです。同一のことが起きているのに、それを受け入れるか拒否するかなのです。
 
私は子供の学校のPTAの活動で、月に1〜2回、生徒の保護者たちに会うのですが、彼女たちの中で、放射能への危険性を認識している人がいるとは思えないのです。相変わらず毎日にぎわっている学食ですが、そこで毎日昼食を食べさせている親がいます。率先して娘たちに子宮頚癌ワクチンを打たせるくらい危機管理ができていると自負している親が、放射能の危険性については全く無視しているようです。
 
大学受験シーズンの今、どこの大学に受かったという話が最近頻繁に聞かれるのですが、東京にある名門大学に子供が合格して、本当に嬉しそうにしている親たちを見ていると、私の頭は混乱してくるのです。そういう家庭の母親たちも大体優秀な学校を出ています。教養があるとされる家庭の母親たちですが、その教養とはいったい何だろうと思うのです。子供たちを難関大学に入れること、それが素晴らしいことなのでしょうか?それよりもただ単純に、子供の命を、健康を守ることの方が大切だとは考えないのでしょうか?政府が言うようにここは本当に安心できるのか調べ、少しでも疑いがあるのなら東京の大学には進ませない、それが教養ではないのでしょうか。
 
この1年、普通に暮らす都会の人々の中にいて、幾度も私の頭は混乱してきました。私がおかしいのか?もしかしたら、東北の地震も福島の原発事故も本当は起きていないで、私だけが見た悪い夢だったのではないかと思ってしまうほど、周りはみんな今まで通りの暮らしを普通に続けているのです。
 
そんな中、スーパーの生鮮食品売り場で商品の裏側に貼ってあるラベルを注意深く読んだり、いったん手に取った野菜の産地を確認して慌てて売り場に戻す人をみかけると、ほっとする思いがします。ああ、私だけが見た白昼夢ではなかった。そして、やっぱりこんな風に現実を受け入れているまともな人がいること、彼らが守ろうとしているたぶん幼い子供たちの未来に、心が安堵するのです。
 
昨年の3月に実家のある福岡に子供たちと犬を連れて避難し、再びこの横浜に戻って来たとき、あと1年以上ここに住むことはないだろうと思いました。それは今思うと、私の中の静かな決意表明のようなものでした。どう頑張ってもここに住むのは1年間が限界だろうと、根拠はなかったのですが、そう思ったのです。とにかく2012年の3月末には西日本へ移動しようと思いました。
 
ところが、これは予想以上に難しいことだと、だんだんわかってきました。
まず夫の理解がなかなか得られなかったこと。夫にしてみれば、3月の私たちの避難でさえ、単に私のヒステリーのようなものだと思っていることはわかっていました。ですから、一家そろって西へ避難するなど考えられなかったのです。とにかく自分だけは、仕事があるからここに残るとずっと言っていました。
避難の必要性を感じていないのですから、そのために発生する金銭的な負担を敢えてしようと彼が思うはずもなく、そのための努力なども期待できそうにありませんでした。引っ越しにかかる費用と、2世帯にわかれる家計、つまり新居の家賃や生活費をどうやって捻出するか、それは夫婦双方の合意がなければ難しいと思いました。
 
次に、子供の学校の問題です。
大学受験を控えた娘は志望校が東京の国立大学でした。行きたい学部とそこでやりたいことがはっきりして、志望校をほかに変えさせることはかわいそうな気がしました。そして私立高校に上がったばかりの長男は転校を拒絶しつづけました。
 
さらに犬の問題がありました。新居を公団や市営住宅に定めると、家賃が安く入居費用も抑えられるのですが、こういうところはペット不可なのです。一般の不動産会社でも賃貸物件を探したとしても、室内犬を許可してくれる家がほとんどないことを知りました。(仮にペット可物件が見つかっても、家賃や敷金が高くなる)
 
どう考えても移住は無理という結論が出てくる状況でしたが、私の心はもう決まっていたので、1年かけて家族に話し続けました。なぜ、移り住む必要があるのかを。
子どもたちは、すぐに放射能の危険性を理解し、マスクを欠かさず、外食もしないなど、自己防衛がだんだん身につきました。そしてそんな生活を一生送ることがどれほど大変かが少しずつ理解できてきたと思います。
夫は土日に一人で買い物に行くのが好きでいろいろ買って来てくれるのですが、不機嫌になるのを承知で、一つ一つチェックしては、これは使える、これは危険、これは食べられる、これは無理と言い続けました。不愉快にさせてしまっても、夫には何がどうして危険なのかを少しずつ理解してもらいたかったのです。私や子供たちの為にも、夫には健康で長生きしてもらいたい、その為に自己防衛をしてもらいたいと訴え続けました。最初は放射能の危険性を実感していなかった夫ですが、今ではカルシウム錠剤を自分で飲んだり、マスクをして外出するようになってくれました。
 
いち早く放射能の危険性を理解し、関東での生活を続けることは大変なストレスになると感じた長女は、志望校を県外の大学に変えたいと自ら言い出しました。
 
私は引っ越し費用のめどが立たないまま、家族には3月に引っ越す宣言をして覚悟を促しました。後は祈るばかりでした。今回ばかりは、私一人の力では、子供3人と犬を連れて引っ越すことなど不可能に思われたからです。
 
そしてとうとう2月の半ばになって、奇跡がおきました。
国内での転勤などないはずの夫が、この歳にして初めて国内転勤になったのです。
私は夫に、今回は西日本に転勤するだろうと言っていました。根拠はありませんが、神が動くだろうと信じていたのです。ですから転勤の辞令を受けた夫は素直に神に従おうと思ったそうです。
 
私は私にできることをこの1年してきたつもりです。家族へのブーメランを投げ続け、神経質だとか過剰反応だと笑われながらも、周りに訴え続けてきました。そして神に祈り続けました。あとは信じて待つだけでした。
 
神が用意してくれた場所へならどこへでも行くつもりでした。
それが関西だと知って、本当に神はぬかりないと思いました。大阪でなら仕事の内容が現在と変わらないので、夫は負担なく仕事を続けることができますし、転校に強硬に反対した長男も関西ならとしぶしぶですが受け入れてくれました。ずいぶん抵抗されたし、泣きも入りましたが、親としては絶対にぶれないことです。「今は理解できないかもしれないけど、いつか必ず、あの時引っ越してよかったと思える」と話し続けてきました。この引っ越しは子供たちの命を守るためなのです。子供の命より大切なものなどないのですから、学校や環境の変化や友人関係の大切さを子供は訴えてきますが、だからと言って、放射能が降り注ぐ場所に子供を戻す親などいるでしょうか。
 
引っ越し費用も新居の入居費用も、夫の会社が負担してくれることになり、私たちはほとんど費用の負担をすることなく関西に移りすむことができることになりました。会社が家賃の半分以上を負担してくれるそうなので、室内犬OKでピアノを置けるような家もすぐに見つかりました。
 
私に起こったことは特別なのでしょうか?
たまたま転勤になったからラッキーなのでしょうか?
確かに特別だしラッキーかもしれません。
ですが、こういうことは実は誰にでも起こることだと思います。
 
まず決めること。ぶれないこと。ブーメランを飛ばし続けること。
祈りつづけること。信じて待つこと。
 
とはいえ、私もさすがにあせって、ほんの数か月前、神(天界の夫)に、なぜこうも時間がかかるのか、スムーズにいかないのかと訊いたことがありますけど・・・。
その時、「君一人ではないから」といわれました。
つまり、家族全員(うちは5人家族)のそれぞれを守っている神々と協議して、たぶんですが、これからどうしたらいいのか、どこに移せばいいのか、どこまで手を貸すかなどを話し合って決めているのだろうと推測しました。住む家が変われば、学校、職場、交友関係などが変わり、その人の人生に大きな影響を与えることになります。そういう将来のことまで見据えて様々なことを調整して、決めているようなのです。家族が多いゆえ、調整に時間がかかっている、ということだったようです。
 
そういうことを垣間見れたことは、驚きとともに新たな感謝が生まれてきました。私たちは一人で生きているわけでは決してない。私たちの人生を見守り、導き、気がつかないけれど、背後で様々な調整をしてくださっている神々がそれぞれについているのです。この一体感があれば、ひとは孤独ではないし、生きる勇気が湧いてくるのではないでしょうか。
 
関西に引っ越した後、その後、私や家族がどう暮らすのか?
いつまでそこにいるかは、まだわかりません。
ですが、私にはまだやることがあるので、そこへ行く過程の途中だと考えています。それが神の目に適うことであれば、いつか本当の目的地にたどり着き、やるべきことができる日が来ると信じています。
 
今、なかなか現状を抜け出せない、変えられないと考えている人たちの焦りと不安を私は理解できます。何が一番大切か、それを守る強い信念を持って行動し、祈り続けてください。そして決してあきらめることなく、あなたとあなたの家族を守るために、今できるだけのことをしてください。愛と勇気と根気と信念、これがキーワードです(笑)
 
あなたに笑顔と安らぎが戻る日を祈っています。
 
                                            せれな
 

転載元 転載元: 光の海から

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