子供の感性・創造性
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その昔、私の家には、ゼンマイ仕掛けの「振り子時計」がありました。 一日に一回ねじを巻かないと、あくる日には止まってしまいました。 文字盤の右下部分、時計の数字の「4」のあたりに、ねじ巻きの残り具合を示すパネルがあり、 それが緑色であれば、十分に巻いてあることを指し、 それが赤くなると、そろそろねじを、巻かねばならないことを指していました。 ねじを巻くのは、いつも大人の役目でした。 なかなか正確な時間を保つのが難しい時計でした。 毎日ねじを巻くだけで、時間調節をほっておくと、 数日で3分程度進んでしまいました。 また、ちょっとした地震に合うと、すぐに止まってしまいました。 出先で地震に合い、家に戻ると、地震の起きた時刻を指したまま、時計が止まっていました。 それでも、小さいボディで、ちょっとびっこに動く振り子を振らせ、 愛着のある「ボンボン」という音を鳴らして、時を知らせてくれました。 しかし、ある日を境に、滅茶苦茶に進んだり止まったりする日が来て、 遂に「電池仕掛け」の、振り子のない、文字盤のみの時計にバトンタッチしました。 それ以来、振り子付の時計を、家に置くことはなくなりました。 自分の耳には、振り子が右へ振れる時と、左へ振れる時とでは、 若干音が違って聞こえたことを覚えています。 目を瞑って、カチコチという音に耳を澄まし、 「右、左、右、左」と心で刻みながら、目を開くと、 振り子が本当に、その通りに揺れ動いていました。 自分が歩いていても、「右足の音」と「左足の音」に違いがあるという認識もありました。 どちらかが重く、どちらかが軽い。 歩みを進めるとき、自然に「いちに、いちに」と重・軽を感じ取っていました。 自分にとっては、それは「左、右」というリズムで、決して「右、左」ではありませんでした。 子供というものは、思わぬところで敏感な感覚を持っているものです。 机の傷を見ていても、「この点々が目みたいで、こっちの線が口みたい。ほら、顔みたい」 と言ったりするものです。 自分の身の回りで、思い思いの物語を創作していきます。 それを見た大人が、「うわ、本当だ、すごいね〜これどんな人?」と続けてあげると、 子供の創作の世界が広がり、また大人の理解という喜びを得て、幸せになります。 もし、大人が、そんなことにいちいちつきあってられない、という態度、言動を見せると、 子供は、大人に自分の思いを伝えることに喜びを感じなくなり、いずれは億劫になっていきます。 ピアノのレッスンで、幼児を相手にした時、そんな風に何回も脱線しましたが、 そんな子が小学生も中学年になり、今になっても、言葉を尽くしていろいろ話してくれるのは、 幼き頃の体験がモノを言っているのでは、と思います。 その内容が稚拙であっても、「あのね、あのね」と話す様子を見るのは嬉しいです。 そんな能動的な態度が、ピアノに必ず繋がるのですから。 その技術が驚くほど稚拙なものでも、長調と短調の違いがしっかり聞き分けられ、 楽しい音楽を本当に楽しく、哀しい音楽を本当に哀しく感じとり、 「ねえねえ、こうだよ」と言わんばかりに表現できる。 この調子では、私は音楽家を沢山輩出することは出来ません。 でも、音楽好きを沢山育てたい。そう思います。 時計の振り子に始まったお話ですが、
後日、これを別の話題に続けたいと思います。 考えることが多すぎましたので、今回はここで止めておきます。 |






年に一度あるかないかですが、幼稚園年長さんから、小学生から中学生まで一同に集めて不肖私めが歌を教える機会があります。中学生クラスは去年に何の歌を教わったか忘れていますが、『小さい時、小学校低学年ぐらいのとき』に何の歌を教わったかは鮮明に覚えています。小さい時の経験ってかようにインパクトが強いものなのですね。受ける側の感受性も鋭いのかもしれません。
2006/9/4(月) 午後 2:00 [ 仙人修行中 ]
まゆゆさんは、良い先生です。おけいこも大事ですけど、子供の「ねえねえ、あのね」は、とっても大事ですよね。
2006/9/4(月) 午後 8:29
おいらの家には今でも振り子時計が現役です。ボンボン♪と夜中でもうるさいです。。。でも心地よい音ですけどね。ぜひ自分も"能動的に”音を楽しみたいです!音楽家でなくておおいに結構ですよ^^楽しまないとね!1000コメいただきです^^☆
2006/9/4(月) 午後 10:07 [ pwe**eit*n ]
KM様、以前ゲストブックにご記帳くださいました内容を思い出しました。幼少の時は、自分が中心の世界なので、自分に関係のあることは覚えやすく、記憶に残りやすいようですね。次第に年齢を経て、情報量が多くなると、自分以外のことにも気を向けざるを得なくなって、覚えが鈍くなることもあり、また私の年代になれば老化現象がそれに拍車をかけてきます。KM様の歌の指導は、もちろんボーイスカウトですよね。
2006/9/5(火) 午前 1:03
すてさん、それ褒めすぎかも。私が子供相手にやっていることは、なかなかおけいこの内容に発展しなくて。その本人に一番欠けているところをチェックして、すばやくそこを突っ込むようにしているのですが、近頃では突っ込むも何も、「家で叱られ足りなく、褒められ足りない」子が多くて、ピアノの注意は「馬耳念仏」状態なのですよ。それが分かってから、この記事のようなレッスンをするようになったのです。でもやはり「きちんとしたピアノのレッスンがしたい」と思うのも事実なんですよぅ。
2006/9/5(火) 午前 1:09
たっくんには、どうも時計の話題がついてまわるようですね。ひょっとしてその振り子時計も高価なのですか。地震で止まったりしませんか。そういえば現在の多くの時計の振り子は全くの飾りですが、ちょっと味気ない、いえ不自然に感じませんか。ところでもうコメントが4桁になっていたのですね。1000コメント目のたっくんに祝杯!
2006/9/5(火) 午前 1:17
振り子時計ですか、昔うちにもありました。家を建て替えたときに古い物は根こそぎ(?)古美術商の方が買い取って行きましたので、あの古時計どうなったんだろうってこの記事を読んで思い出しました。私も小さい時は創造や空想ばかりする子で、よく父親に話を聞かせてあげていましたね。 でも、まゆゆさんの音楽に対する姿勢、素敵ですね。弟子にしてください(笑)。
2006/9/6(水) 午後 3:44 [ nob ]
nobさん、古美術商の方が買い上げる品々があったのですか。それは凄いですよ。そんな品のひとつである時計、今でも時を刻んでいるかもしれません。ところで子供の創る世界に耳を傾けてくれる人がいるかいないかで、その後の人生が随分と違うと思います。nobさんの空想好きという話、そちらのブログからすごく理解できます。弟子?私がマウスピースだけでドレミを奏でられるように指導してくださったらピアノを教えましょう(爆笑)。
2006/9/7(木) 午前 1:55
うなずきながら、読ませていただきました。音楽性と、感性を育てたいですよね。
2006/9/8(金) 午後 7:13
Miyako先生、有難うございます。効率よいレッスンがなかなか出来ません。でも効率よくレッスンを進めて良い生徒も少ないです。腹をくくって、彼らの家庭内での会話より、会話を多くするかのように、時間を費やしています。
2006/9/9(土) 午前 1:32
子供達が関心を示すものへの気遣いは、大人にとっては必要なものかもしれませんね。おっしゃられる通り、彼らはこれからたくさんのことを学んでいかなければならないのですから。思うに年を重ねるごとに人は、知識だけは積み重ねていけるのだと思います。
2006/9/16(土) 午後 3:57 [ tac*u*090* ]
その知識が生きて行く場面場面で生かされればいいのですが、実際には上手くそれを記憶の奥底から引き出すことが出来ず思考錯誤を重ね、挙句に思ったような成果も上げられない。子供の言動は自分の記憶の奥に眠るものを呼び起こしてくれるから、大人たちの中に驚きや慈しみの心を生んでくれるんだと思います。
2006/9/16(土) 午後 3:58 [ tac*u*090* ]
ジジさん、書きながら結論の出ない内容になっている記事に、深いコメントをくださり、有難うございます。御意です。大人の言っていることが分からない時期に、それでも多くの言葉をかけてもらったり、自分との意思疎通を骨折ってくれたり、という体験が、実はすごく大事なのですね。その時点で分からずとも「記憶の奥に眠ってくれる」はずですから。この時期に「どうせまだ分からないから」と大人が放ってしまうと、この子供は取り返しのつかないことになります。
2006/9/16(土) 午後 10:25
現在日本では、そこから派生する子供の問題がクローズアップされていますが、子供が「キレやすく」なるのはストレスでも何でもなく、私達親世代が、子供よりも「自分を中心」に考え、暮していることのツケで、子供たちの思考回路に大きな穴があいているからですね。
2006/9/16(土) 午後 10:26