林正樹のブログ

思いついたことなど適当に書いてます。 HP: http://hayashimasaki.net/

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すっかり月一回ぐらいの更新になってしまったが、このブログをなくすのも、もったいないのでそれなりに続けることにしよう。

思えば何年かまえ、憧れの兼行法師の徒然草のようなエッセイを書いてみたく、でも、一気に書き上げる根気もないので、それならばブログを立ち上げてそこで書く内容を徒然草風にして、後でそれらをまとめればいいんじゃないか、と始めたのがこれだった。じっさい、自分のホームページで、このブログの過去の文を抜き出して「ツレヅレグサツー」と称して公開している。ときどき自分でぱらぱら再読することもあるが、いくらかは面白いことも書いてある。文を書く、というのはつくづく自分にって大切なことだ。

あ、そうだ、いま、急に思い出したが、「父と子のエッセイバトル」という企画があったんだ。この企画の発想はかなり昔にさかのぼる。たしか十年以上前だったはず。僕の親父が死んだのはずいぶん前だ。今調べてみたら1988年の2月だ。なーんて、自分の親父の命日もロクに覚えていないオレなのだが、なんと、もう、22年もたっているんだな、少し驚きだ。そうすると当時の自分は30歳少しまえぐらいだったわけだ。

ところで自分は親父からかなりの影響を受けて育った。昔ながらの怖い親父だったので、僕にべたべたくっついてあれこれ教えたということは皆無なのだけど、要所要所でいくつかの事をかなり厳しく仕込まれた覚えがある。親父の言葉で今でもよく覚えているのが、お前は士族の嫡男だ、ということだった。つまり、士族の恥になるようなことをするな、というのが多かった気がする。どうやら林家は本当に武士の家系だったらしい。いつだったかずいぶん昔、ルーツ探しがブームだったころ、うちの親父もあれこれ家系を調べはじめ、故郷の鳥取に帰った折だかに家系図らしいものを入手して、それをわれわれ家族に見せていたような記憶がある。もちろん、そのころ、自分はそんなものには毛ほども興味がなかったので親父がそれについて何て言ったかまったく覚えてもいない。しかし家系図を入手した後も士族だ何だと言っていたところを見ると、そのとき事実として立証されたのだろう。

その親父も、結局、社会では、大田区のとある会社の重役で終わったのだったが、ゆくゆくはもっと大きな志を抱いていたようだ。僕が大学生だったころ、親父と何やら話す機会があり、そのとき、政治家というのが結局は男の職業として最も立派な道だ、みたいなことを言ったのを聞いて、自分は強く反発したのを覚えている。まあ、当時学生だったころ、そういう厳しい感じの父と子の常としてあまり多くしゃべったりはしなかったので、反発しても議論になるわけでもなく、そのまま放置だったのだが。どちらにしても親父には、社会で身を立てる、ということがもっとも大事なことだ、という強い意志があった。自分は反発はしたものの、そういう意志というのは遺伝するのか伝染するのか分からないが、自分にも頑固に付きまとい、いまだに振り落とせないでいる。ときどき、それが非常に邪魔になることがあるのだが、なかなか無視できないのである。

さて、社会的成功とは別の、もう一つの親父の性向は、文学であった。かなり若い、もう中学生ぐらいのころから文学に傾倒し、かなりハイレベルの文章を自ら書いていた。親父は自分と違ってえらく几帳面で、中学生のころから高校を卒業してしばらくたつぐらいまでの間に、学校で書いた作文、冊子への寄稿文、大学ノートに書き溜めた私的な日記などなど、ほぼすべての自らの文章を大事に取ってあったのである。これは僕が全部引き取ってうちに持っているが、段ボール一箱分ぐらいある。それで、また、これら十代に書かれた文章がけっこう立派な早熟な秀才の文章で、いま読んでもびっくりする。親父としては、できれば将来、文筆家として生きたかったようだ。しかし、親父が幼少のころに祖父は早世し、ほとんど一家離散状態で放り出された親父には余裕はまったくなかったようで、望みはかなわず作家にはならなかった。しかし、それでも文章を書くことを止めることはなく、その後も量は少ないものの、ずっと書き続けていた。

もし、僕に何らかの文才らしきものがあるならば、それは確実に親父譲りである。三人兄弟の中で、どうやら僕だけが文学的気質のようなものをはっきり受け継いだらしい。

親父は最後は56歳でガンで死んだが、やはり二年間ぐらいは一進一退のいわゆる闘病生活をしていた。それで、親父が死ぬおそらく半年ぐらいまえから病室で書き始めた一冊の大学ノートがある。病状に応じて時には震える字で書かれたこのノートは今、僕が持っている。内容は、さまざまだけれど、簡潔にまとめた自らの人生観だったり、遠い昔の思い出話だったり、病室でのちょっとした出来事の描写だったり、いくつかの俳句だったり、まさに、エッセイといった感じで、いま読んでみても、身内として悲しく辛い部分もあるものの、純粋な文章としてかなりいい感じでなかなかに面白い。

実は、親父の外見はけっこう貫禄のある感じで、口ぶりも何となく重く、わりととっつきにくいタイプだったのである。どっちかというと、重くてシリアスで晦渋な風だったのだけど、親父の書く文章はその外見の印象からずいぶん異なったものだった。たしかに十代の若いころに書いた文章は早熟らしく難解な美文調が多かったが、最後に残したこの一冊のノートに書き付けられた文章は、簡潔で、正確で、洒脱な感じの、なかなか素晴らしいものだったのである。こんな軽快な文体で書く人間が、なぜ現実ではあんな風に取り付く島のないような空気を醸し出しているんだろう、と当時は不可解に思ったほどだった。もっとも、これは、今思うと、息子の僕に対してはそういう態度しか取れなかったというだけかもしれない。そういえば、病床からもらった手紙に、士族の父は猛烈にシャイだ、という言い訳が書いてあったっけ。きっと僕以外の他の人たちには違う顔を見せていたんだろう。

さて、まあ、というわけで、父と子のエッセイバトルであるが、それは、この親父の残した文章を取捨選択して抜き出して、僕がその文に対して批判的エッセイ文を書いて、それらを並べて発表する、という企画なのである。しかも単に並べることからもう一歩進めて、親父の文と僕の文をうまく交互に配置して、それらがちょうど父と子の文章上での対決になるように按配しようという魂胆なのである。親父の書いた文に対して僕が批判文を書くのは簡単だが、逆に、親父は死んでしまっているので僕の文章に対する駁論は書けない道理だが、そこは僕がうまいこと親父の残した文から選んで抜粋することで、まるで父と子が知性を傾けて文章対決しているように作れるんじゃないかと思ったのである。

親父は、僕が大学に進んで、それなりに実社会というものに関わり始めたころから、もう息子を一人前の人間と扱って、あまり進んで交渉することもなかった。なんとなく関わりが薄かったせいもあり、僕自身、たとえば親父になんらか親孝行した、という覚えがほとんど無い。病気になったときも見舞いにもロクに行かない薄情な息子だった。今思うと、自分が三十代のころではなく、四十代になってもし親父が生きていてくれれば、相談したいことは山ほどあったのに、と切に思うが、もう、とっくにいないので仕方がない。

先にも書いたように、社会的成功を志す親父のもう一つの面は、文筆家として生活したい、というものだった。であれば、親父の残した文章を僕がうまいこと発表する、というのも悪いことではないんじゃないかとも思える。もっとも、文章にこだわる人であるなら、自分で推敲もできない文章が公開されるなど許さないかもしれない。

しかし、そこは、もう、親父が生きていた社会から今はずっとずっと進んでしまっている。大学ノートにボールペンでぎっしりと文字を並べていた時代はもう過ぎた。現に僕は今、こうやってブログに文章を書き飛ばし、他のメディアでも短文を書き散らし、写真や自分の演奏や、自分のしゃべり声も含めてあれこればらまきながら生活している。仮に、自分がここでばったり死んだとすると、僕の文をはじめそういったものは、すでに皆がアクセスできる場所に存在したままになるわけだ。それを誰かが勝手に抜粋してコラージュして林正樹はこんなヤツ、って仮にやったとしても何の文句も言えないわけだ。特に、僕は自分の文章をはじめ、ほとんどあらゆる自分の作ったものにコピーライト宣言をつけていないので、逆に、自分は自分のネタはどんな風に使っても構わないよ、と宣言しているようなものだ。

親父の残した文章も、もちろんコピーライト表示はない。そんな面倒臭いものが表面化するより前の時代だったし、そりゃあ私的な文章に著作権表示もコピーライト表示もへったくれも、ない。もし、死んだ親父が、俺の文章を勝手に発表するな、とあの世で言ったとしても、死んだ後も自分の文章をこうやって僕の元に残した親父の方が迂闊ではないか。僕としては、親父の残した文章を、コピーライトをつけずに書き飛ばしている自分の文章と、同列に置いてしまって差し支えない、という理屈だ。というわけで親父の残したものを20年の歳月を経ていまよみがえらせてみる、というのも面白そうな企画に思えるし、密かに、自分は、親父への恩返しのつもりもあるのである。いや、そういう風になるように、きっと自分は作品の全体を按配してみせる。

はてさて、今日は8月15日でお盆のど真ん中。実は、さっきまで、親父の墓参りをしに、鎌倉の七里が浜へ行ってきたのである。それで、こうしてブログを書きながら「父と子のエッセイバトル」構想を思い出したという訳であるが、しかし、待て。海が見える江ノ電の脇、洗った墓石と、飾ったお花、お線香の盛大な煙の中で、手を合わせて死んだ親父にお祈りはしたが、そっか「親父の文を勝手に使わせてもらうぜ」、ってお祈りしなかったっけ、しまったな。

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こんばんわ。
ブログ閉鎖の危機と感じ、書き込みさせて頂きました。
Twitter自体があまり好きじゃない自分ですので、
ブログを通じて、お父様譲りの長文をこれからも読みたいですね。
気が向いた時にでも、更新続けていただければ・・・と思います。

2010/8/31(火) 午後 8:18 [ タッチ ] 返信する

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ballparksumさん
スパムだらけになっていた自分のブログに今ごろ気付きました。コメントありがとうございます、心に染みます。さいきん、どうも心の調子がよくなくてこちらのブログが滞っています。ホームページ(http://hayashimasaki.net/)の方では、それなりの短文集などを作って公開したりしてるんですが、このブログのような長めのものはあまりないかもしれません。
このブログ止めてませんので、せめて、一ヶ月に1,2回はまとまった文章を書こうと思います。ありがとうございました!

2010/9/9(木) 午後 10:58 [ 林正樹 ] 返信する

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