戸田 忠恕
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第5代目藩主戸田忠明の弟にあたり幼名は「綏之助」!号は葵城で官位は従五位下・越前守w 安政3年(1856年)兄第5代目藩主忠明の死で後を継ぎ従五位下越前守に任官しますw 幼少(9歳)だったんで家老間瀬和三郎(後の戸田忠至)や県勇記の補佐を受けるんです!! 家老間瀬(戸田忠至)の活躍もあって歴代天皇陵修理を建議し山陵奉行に任ぜられ任にあたってます!主に家老間瀬や県らが中心となって京都・大和・河内・近江各地の山陵を調査し修理にあたったんですよ!忠恕は尊王の志に篤く元治元年(1864年)水戸天狗党の乱が起きた時は諸藩皆これにあたるべきところを出兵遅延はおろか藩内に藩主一門の戸田次郎をはじめとする宇都宮天狗なる天狗党同調勢力を抱えており宇都宮藩は幕府の嫌疑を受けるに至っちゃうんです…これによって領国7万7千石のうち2万7千石を減封され5万石となり忠恕は隠居謹慎を命ぜられ養嗣子戸田忠友(画像)に第7代目(最後)藩主の座を譲りさらに陸奥国棚倉藩に転封される事となっちゃうんですよ…この時まだ15歳ですよ!慶応元年(1865年)12月山陵竣工により朝廷幕府より賞せられ第7代目藩主忠友は 旧知旧領(宇都宮藩7万7千石)を回復するんですよ!! さらに家老間瀬和三郎は戸田家一門の出自と朝廷幕府への功労から田原戸田家一門として 分家を命ぜられ戸田に復姓し宇都宮藩の支藩として下野国高徳藩1万石に封ぜられるんです!! 慶応3年(1868年)戊辰戦争時は緒戦の激戦地となり新政府軍につくも新撰組副長土方歳三率いる旧幕府軍に攻められ城下共々焼き払われ落城するけど宇都宮藩は激戦の末宇都宮城を再び奪回するんです!!
慶応4年(1868年)前藩主忠恕は朝廷より召し出しを蒙るけど… 重い病にて果たせず明治元年5月28日(1868年7月17日)22歳の若さで病死…没後に朝廷より従三位を贈位され墓は田原戸田家菩提寺である宇都宮の英厳寺にあります…戒名は『霊光院殿神岳忠烈大居士』 明治4年(1871年)7月廃藩置県で免官されて東京へ引越しますw 明治17年(1884年)の華族令施行により子爵に叙されます! 忠友の寄付により浅草諏訪町4番地にできた第五中学第八番小学に夏目漱石は入学します!! 夏目漱石はその第一期生だったんです!後の精華小学校です!! この小学校は明治21年(1888年)北富坂町の戸田家跡に移転してます… 本多正純の釣り天井事件で有名な宇都宮城だけど…明治元年(1868年)戊辰戦争の激戦地となり官軍方についた宇都宮城は旧幕府軍との戦闘で城下町とともに旧幕府軍に放火され建造物はことごとく焼失しちゃいます…その後宇都宮城址は市街地開発によりその大半が崩され僅かに土塁が残ってるだけなんですよ…現在は城の復興計画が市民の手で進められて本丸跡は御本丸公園となっており宇都宮城の復元工事が始まってます!!工事36億円かけて土塁と堀を作り清明台(二階櫓)・富士見櫓・土塀を復元するらしいです…平成19年(2007年)3月の完成予定なんですよ!!
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TBありがとうございます。戸田忠友の詳しい記事、勉強になりました。
2006/7/17(月) 午後 11:43
関連記事から来ました。
記念に足跡残していきます。
ペタリ。
2011/12/31(土) 午前 1:00 [ haruyama_arch ]