市橋長和は幕末の近江国仁正寺藩(西大路藩)の第10代目(最後)の藩主
出羽国庄内藩第8代目主酒井忠器の子で第11代目藩主酒井忠篤の叔父に当たるんです!
官位は従五位下⇒正五位⇒正四位で壱岐守⇒下総守となります!!
文政4年(1821年)生れで幼名は鋼三郎ですw
はじめ長和と名乗ってたけど後に長義と改名します!
先代藩主市橋長富に嗣子が無かったんで養嗣子となるんですよ!
1844年10月7日養父長富の隠居により23歳で後を継ぎ第10代目藩主となりますw
1853年ペリー来航から国内が政情不安に陥ると藩軍備の増強の必要性を感じ取って国防のために火薬の自藩製造を行なってるんですよ!それに藩軍の近代化も推し進めます!!武芸奨励等にも尽力します!
1862年4月28日には“仁正寺藩”を“西大路藩”と改名しちゃいます…
長和は初めは実家の手前『佐幕派』だったけど次第に『倒幕派』に傾いてっちゃうんですよ!
1868年の東京遷都では明治天皇の守護と京都警備に務めてますw
1869年4月22日版籍奉還により藩知事となり1871年廃藩置県で免官され東京へ移ります!
西大路藩は廃藩となってその後西大路県⇒大津県を経て滋賀県に編入されました!
明治天皇守護の功績から華族令施行前から華族に列せられてたんです!子爵ですw
明治15年(1882年)1月17日に享年62歳で死去しました…
市橋家は元々美濃国の豪族で藩祖市橋長勝は織田信長⇒豊臣秀吉と仕え九州征伐や小田原征伐・朝鮮出兵に参戦し活躍してます!!1600年関ヶ原の戦いでは東軍に与して1614年からの大坂の陣でも活躍します!1616年徳川家康が亡くなる直前に堀直寄や松倉重政らと共に枕元に呼ばれ後事を託されてるんですよ!!家康からの覚えがめでたく外様ながら譜代同様に扱われたんですよw
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市橋長勝は戦国時代を上手く立ち回っていますね〜!データによると越後藩主であったそうですね。いつから近江へ移封されたのでしょう?藩祖の血を受け継いでいるのか、市橋 長和も時代を読むのが上手いです。
2006/4/26(水) 午前 2:32 [ ゆーくんままま ]
1614年からの大坂の陣で功を挙げその功績で1616年市橋長勝が越後三条藩5万石与えられたんですよwその後1620年市橋長勝の養嗣子市橋長政が近江国蒲生と野洲両郡と河内国内に合わせて2万石を与えられたんで仁正寺藩が立藩したんですよw
2006/4/26(水) 午後 11:15