勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり

「ヌーハラ」とは何か?

「ヌーハラ」とは「ヌードル+ハラスメント」。麺(ヌードル)を食べるときに他の客に迷惑(ハラスメント)になることを意味する造語。で,今回は文化人類学的に「ヌーハラ」を定義してみた。


1.日本全土の場合


定義:ラーメン・蕎麦・うどんを音を「たてずに」すすること。

日本では麺は音をたてて食べるのが正しい、そしておいしい(パスタ除く)。これがわからないヤツは麺屋に入ってはいけない。つまり音をたてないようなヤツは麺屋の暖簾をくぐる資格はない。それこそ他の客にとってはヌーハラである。かくして店内はズルズルズル〜ッ!とうるさい音が響く。落語家・柳家小三治は「時蕎麦」で扇子を箸に見立てて蕎麦をすすってみせたが、もちろん「エアー」。これが名人芸だった(あたりまえの話だが小三治の「時蕎麦」を聞いた後,客の多くが蕎麦屋へ直行した)。で、客はさっさと食べてさっさと出ていくので、滞在時間が短い。店の回転が速いので麺料理の料金は概して割安になる(一部、神田や長野では、ごく少量の蕎麦で馬鹿高い値段を設定している、けしからん「強者そば屋」もあるが。これも別の意味でヌーハラだろう。ある意味「麺文化」をナメている)。


2.アメリカの大都会(ロスのダウンタウンやマンハッタン)の場合


定義:なし(ヌーハラの定義は存在しない)

異文化融合、つまりメルティング・ポットなので「音をたてるのを不快に思う人」は「音をたてる人」がいてもをガマンするし、「音をたてないのを不快に思う人」は「音をたてない人」がいてもをガマンする。相互尊重、文化相対主義的視点。いわゆる”happy medium”。麺の音は互いに「聞く」「聞かない」フリをするのがマナー(あるいは”don’t care”。こっちがホントかも?)。日本の麺のことについてはそれなりに認識している(日本では麺を食べるとき,音をたてる、つまり「麺をすする」ことを知っている)。かくして店内は「ズル、ヌル、ピチャ」と中途半端な音がこだまする。で、滞在時間がやや長い(音をたてない客は食べるスピードが遅い)ので客の回転がやや遅く、麺料理の料金はやや高になる。ちなみにアメリカ人はカップラーメンを音を「たてずに」モグモグとすする。カップヌードルの場合だと麺がスープをすってしまい,途中からスープが見えなくなる。スタジアムでアメフト観戦しながらこれ食べていた客は(スタジアム内で販売されているところがある)、試合に集中しすぎてずっと食べなかったので、カップから麺が膨れあがっていた。で、その後「べったら焼き?」「カップ焼きそば?」化したカップヌードルを完食していたが……。


3.アメリカ・ミズーリの田舎(ラーメン屋があったとすればだが)の場合


定義:音を「たてて」すすること

絶対にダメ。ラーメンだか蕎麦だかなんだか知らないが,麺を食べるのに音を立てるなんてのはもってのほか。音を立てるようなヤツは麺屋(あったとすればだが)に入ってはいけない。かくして,音は全くしない。カップラーメンの存在はよく知っているが、これはラーメン屋のラーメン、蕎麦、うどんとは別のカテゴリー。これら麺類とカップ麺を同一線上で考えることはできない。っていうか,存在自体をよくわかっていない。あったとしても恐らくマズい(こういう場合、韓国人経営が多いので,味も二重三重にキテレツなものになることが間々ある。昔の海外での日本料理店を知っている輩すれば「なつかしい味(笑)」)。アメリカで日本の麺類は原則、「都会の食べ物」(カップラーメンを除く。アメリカ中にある大手スーパー・ウォルマートではマルちゃんのカップラーメンが一個¢30以下で売られている)。


4.パリ、オペラ座の前のラーメン屋の場合


定義:音を「たてて」すすること。絶対にダメ。

ラーメンはすこしづつ箸でレンゲに乗せ,箸で回転させながら(つまりスパゲティを食べるときのスプーンとフォークの使い方に同じ)二十分以上かけてすこしづつ口に運んでいく。ラーメンは美味しいから受け入れるが,自分流儀、つまりパリ風に必ずカスタマイズする。で、そういったものだけが受け入れられる。伸びて,ぬるいラーメンや蕎麦、うどんがここでは「グルメな味」。これが解らないヤツは麺屋に入ってはいけない。で、とにかくダラダラと話し続ける。必然的に滞在時間が長いので麺料理の料金はバカ高になる。かくして,音は全くしない。カップ麺も全く同様の流儀で食す。日本人が「ヌーハラ」の典型とするような食べ方。


かくして日本を代表する食文化(この場合はラーメンを軸とする麺文化)は世界を制覇したのである。食され方もいろいろ。ここ以外でも、まあいろいろあるだろう。タイだと麺をグチャグチャにして食べるなんてやり方もある。現在、滞在しているロスの隣のトーランスのラーメン屋では,子供にラーメンを食べさせようと親が丼からラーメンをテーブルにぶちまけ、これを子供が手で掬って食べていた(冷ましてたのね(^0^;))。ラーメンはグローバル化。当然、食べ方もグローバル化、ヌーハラの定義もグローバル化しているわけで……嗚呼、安藤百福に感謝!!

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