勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり

RIO閉会式で日本文化を知らしめたのは安倍ではなくMARIO

アメリカもびっくり

リオ・オリンピックの閉会式は、ご存じの通り日本のショーが全部持っていってしまった感がある。まあ、日本のメディアは騒ぐのはいつものことだから(過剰に「世界に通用した」的な煽りをやるのが常。どんだけ欧米コンプレックスがあるんだろうか。おもわず「欧米か?」と死語でツッコミを入れたくなってしまう(笑))相手にしないが、この騒ぎは現在、僕が滞在しているアメリカのテレビ実況でも同じ。アナウンサーと解説者が思わず叫んでしまうという状態だったのだ。日本語の解説が入らない分、逆にこのアナウンスの叫びと、スタジアムの熱狂がしっかりとこちらに伝わってきた。

そこで、今回はこの東京オリンピック紹介の海外へのインパクトがどのように考えられるかについてメディア論的に考えてみたい。インパクトを与えた先=対象は二つ。一つは国外=世界。目的は「日本文化の認知」、もう一つは日本国内。安っぽく表現すれば「日本人が、自分が日本国民であることの認知」といったところだろうか。それぞれについて、この企画がどのような効果をもたらしたかについて考えてみたい。

最も知られていて、最も知られていないマンガ・アニメ・ゲーム文化

先ず日本文化の認知について。日本文化を海外に認知させるにあたって、このショーでは概ね三つの日本的要素が組み込まれていた。

一つ目は「ベタな、そしてオリエンタリズムでエキゾチックな日本」。これは神社仏閣、和服、伝統芸といった「和風」を強調するもので、いわゆる「ゲイシャ、フジヤマ、スシ、ニンジャ、ゼン、ブシドー」といったカテゴリーに属する要素を並べられた。おそらく、ある意味で対外的には最もイメージしやすいベタなステレオタイプの日本の姿だろう。

二つ目はテクノロジー。最初に日の丸とともにロボット(モドキ)が登場。さらに東京のテクノポリス=技術に彩られたメトロポリスのイメージが強調されていた。都心の林立する高層ビルの真上からの俯瞰、渋谷のスクランブル交差点、そして最後に模型で登場したスカイツリー。オマケに新幹線。このイメージ=ステレオタイプも80年代には成立していたもので(たとえばアメリカのロックバンド・Stixは曲”Mr.Robot”(1983)で、このロボットがメイド・イン・ジャパンであること、ドイツ・Kraftwerkはアルバム”Computer World”(1981)の中で”Dentaku”という曲を挿入し、日本語で歌うなど)、対外的には解りやすい。

ただし、ここでの主役はやはり三つ目のマンガ・アニメ・ゲームキャラだ。そして、これは実質的には最も知られていていながら、日本文化としては最も知られていないものだろう。登場したのはキャプテン翼、ドラえもん、ハローキティ、マリオ、パックマン(オマケを加えればセーラー服)。ここで注目して欲しいのはアンパンマンやジブリ、NARUTO、ワンピース、ドラゴンボールなどが登場しないこと。このチョイス、日本文化の認知を狙う点では正解だろう(ポケモンが登場しなかったのは企画が間に合わなかったということらしい。企画は今年の一月頃には決定していたらしいので。もし、ポケモンGOが2015年中にリリースされていたら、おそらく間違いなくポケモンが登場しただろう。現在、世界中が熱狂している状態。アメリカ人も狂ったようにやってます)。

で、なぜこんなことが言えるのか。登場させた四つのキャラは、ようするに他のキャラよりもはるかに認知度が高いからだ(マニア・オタクレベルではなく、一般にという意味で。言い換えれば一般人もよく知っているという意味で)。キャプテン翼はサッカーが盛んな国ではもはや定番中の定番マンガとして知られている。ブラジルのネイマール、フランスのジダン、アルゼンチンのメッシが子ども時代、これを読んでモチベーションを高めていたなんてエピソードがこれを裏付ける。開催地がリオでブラジルでは大人気であったことも選ばれた理由の一つだろう。ドラえもんは東南アジア中心にもう二十年以上も親しまれている。そしてハローキティやマリオ、パックマンはもはや世界中で知られている。ただし、この「知られている」というのが問題。知られているのはそのキャラクターのことであって、これがメイド・イン・ジャパンであることは案外知られていないのだ。だって、フツーにそこにあるんだから。あまりに知られすぎているのだ。だから、三つの日本的要素のうち、最も日本とつながりが薄い、でも最も知られた存在なのだ。(ジブリなど他のキャラクターは、これらのキャラに比べると世界的に認知度が低いので(マニアは多い!)、出したところであんまりパッとはしないだろう)。

オタク文化というメディアを通して日本文化というメッセージを伝える

これをひとまとめて日本、東京オリンピック、そして日本文化を伝えるメディアにしてしまったのが今回の企画の最も優れたところだろう。

表向きの主役はこのマンガ・アニメ・ゲームキャラだ。前二つの要素は、はっきり言ってこれを際立たせるための道具=脇役でしかない。つまり、ゲイシャ、フジヤマのベタな日本と、テクノロジー国・日本というよく知られているステレオタイプは、まず日本を想起させるための道具=メディア、導線だ(よく知られているので、そこから日本文化を想起するのは容易)。そしてその延長線上にアニメ・ゲーム文化という、前者二つよりもはるかによく知られているけれど、あまりに日常的すぎて、これが日本のものであることはあまり知られていない隠れた日本文化、マンガ・アニメ・ゲームキャラを登場させる。

当然、「あ、これ日本の文化だったのね」となるわけだ。

そして、ここで主役は交代する。表向きの主役である「マンガ・アニメ・ゲームの認知」がメディアとなって、「日本文化」というメッセージが伝達されるのだ。ダメ押し(というか、これが思いつきの発端だったらしいが)はMARIOとRIOの語呂合わせ。リオと東京(正確には日本)のつながりを音で示している。だが、肝心なのはここから。この応用として、おしまいに登場する文字「RI」がミソなのだ。ここでは「RIO」と「感謝」を意味するOb「RI」gado(オブリガード)、そしてこれを日本語に訳したA「RI」gato(ありがとう)とMA「RI」O(マリオ)を含めて四つのRIが出現し、その連続性、つまりマリオ(アニメ・ゲーム文化)ーリオデジャネイローありがとう(日本文化)を一直線上に結びつける(ブラジル、ポルトガル人にとって最も覚えやすい日本語は「ありがとう」(アリガート。「ガ」にアクセントがある)だ。音がほとんど「オブリガード」(こちらもアクセントは「ガ」)と同じだからだ。ここでも音の語呂合わせがある)。前二つの日本文化のステレオタイプ(ベタなオリエンタリズムとテクノロジー)はキャラクターを際立たせるためのメディアになっている。だが、そのキャラクターが、今度は日本文化を際立たせるためのメディアになっているという「入れ子構造」を成しているのだ。

アベマリオの対外訴求力は「安倍」でなく「首相」にある。

これをオーソライズするのが首相・安倍晋三をマリオにしてしまうことに他ならない。「みなさんご存じの日本のキャラクターたちを、よろしくね」と国家の首相がそれに扮してやってしまえば、それこそ、「この文化はお墨付き」ということになる。そして、こうやって日本を紹介することで、東京オリンピックが「本気である」というメッセージを十分に伝えることができる(ここで、本当に本気であるかどうかは問わない。メディアの効果として、少なくとも受け手にはそう映るとご理解いただきたい)。安倍が登場したことに批判を加える論客たちのモノノイイは「安倍はオリンピックを利用して自己顕示を行っている」的なものが多いが、これは的を射ていない(仮に本人がそのつもりであったとしても、実は自己顕示としての効果は薄い)。聴衆(スタジアム、テレビ視聴者)が見ているのは「首相安倍晋三」のうちの「首相」の方であって「安倍晋三」ではないからだ。「僕らのヒーローを生んだのが日本という国の文化で、今、それを日本の『首相という権威』が認めている」。こうなると、これらキャラで育ってきた世界中の人間たちが日本という国・文化にインティマシーを感じることになる。「日本って、すごいじゃん!オレたちのこと、よくわかってるじゃん」となるのだ。その一方で「アベ」の名前なんかすぐに忘れるはずだ(まあ本来の効果を考えれば、それで十分なんだけれど)。

そして、この目論見は見事に成功した。スタジアムは熱狂し、たかが10分程度の日本紹介が閉会式のメインどころを持って行ってしまったのだから。アニメ・ゲームキャラ=日本文化として認知させた点で、日本文化の世界へのアピールは絶大だったといえるだろう。

日本人のアイデンティティをくすぐる?

今回の企画、サブカルチャーと呼ばれていたマンガ・アニメ・ゲームがもはや日本文化の本丸になったことを印象づけたことは確かだろう。かつて、消費文化の権化、典型的なくだらない低レベルな存在と蔑まれ、しばし排斥されてきたマンガ・アニメ・ゲーム。つまり「文化でも何でもない」と一蹴されていた。一方、これまで戦後日本は著しい経済復興を遂げ、世界レベルに達することができたが、「経済やテクノロジーはよいけれど文化発信力に欠けている」と常々指摘されてきた。そこで音楽や芸術の側面で世界に匹敵しようといろいろ努力したけれど、まあことごとくダメだった。その傍らで政府がテコ入れしたわけでもないマンガ・アニメ・ゲームが「日本の文化」として認められることもなく世界にジワジワと定着していった。それが、今や国家を支える重要な文化的なコンテンツとして認められることになったのだ。「世界に誇る日本文化がここにある。だから胸を張ってよい」というふうに、多くの日本人(60歳以下)には映ったはずだ。それが日本国内に向けての効果,つまり「日本人が、自分が日本国民であることの認知」だろう。これもマンガ・アニメ・ゲーム文化をメディア=媒介にして日本文化を国内に認知させたということになる。(もっとも、これがそのまま国威発揚に繋がると短絡するのはあまりに脳天気すぎるが。事はそう単純には行かないだろう。これを見て安倍がヒトラー的と懸念するメディアもあったが(恐らくベルリン・オリンピックをイメージしているのだろう)、ちょっと軽率すぎる解釈。時代も状況も全然違うんだから)。

たしかにそうだ。もはやマンガ・アニメ・ゲームは世界中を席巻している。先月初旬、ロサンゼルスでアニメEXPO2016が開催されたが、四日間の開催中の入場者は26万人に達している。そこにはキャラクターはもちろん、日本語もあちこちに見ることができた。日本の文化の勝利といっても過言ではないほどに。

しかし、これもまたちょっと違うのである。アメリカのこういった日本発のオタク文化はクレオール化、ローカライズ化され、もう日本のとはちょっと違ったものになっている。アメリカ人がピザやパスタ、寿司を日常としているのと同じだ。これらはいずれもオリジナルとはちょっと違っている。だからこそ、それが生まれたところなどには関心がないということになるわけで。こっちはこっちで勝手に普及する。だから、まあ日本の文化が広がったことをうれしく思うのはよろしいけれど、メディアが執拗に喧伝するような、さながら「日本の文化が世界を制覇した(笑)」的なモノノイイは無視した方がいいだろう。

いずれにしても、このショーが日本文化を内外に知らしめることについては大いに貢献したということは認めるべきだ。ちなみに、それがよいことなのか悪いことなのかについてはここでは議論しない。そして、オリンピックは国家ではなく都市が開催するのが原則。でもどこでも国策みたいにやっているということも念頭に置いておいた方がよいだろう。

この演出は、メディアの効果としては傑作なのである!

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