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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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山下 奉文(やました ともゆき)陸軍大将



皇紀2675年正月、畏くも今上天皇陛下におかせられましては、叡慮を発せられました。叡慮の中で陛下におかせられましては、


本年は終戦から七十年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。

と日本国民に提言あそばされた。
なぜ陛下がここまで踏み込んで国民に提言されたか本ブログをご覧いただいている皆様に一考願いたい次第です。
戦後生まれの人口が一億人を越えた昨今、大東亜戦争を知る世代も少なくなり、300万人の同胞が亡くなった昭和の国難も風化しつつあるのが実情です。
しかし、
天皇、皇后両陛下は今年、戦没者慰霊のためにパラオ共和国を行幸啓あそばされる。
我々臣民も、言われなき罪状にて処刑された方々、戦禍に斃れた先人を顕彰しその汚名を雪がねばなりません。
先人の汚名を雪ぐことなくして、途絶えた世代間の魂の継承はありえません。

冒頭の画像、山下 奉文(やました ともゆき)陸軍大将も誤った情報、誤った歴史に埋もれたその一人です。

大東亜戦争緒戦のシンガポール攻略時に「イエスかノーか」と強圧的に降伏交渉を行ったと言われるが、実際は「降伏する意思があるかどうかをまず伝えて欲しい」という趣旨を、日本語が拙劣な台湾人通訳に対して苛立って放った言葉であり、これが新聞等で脚色されたというのが真相です。話が一人歩きしていることに対し山下大将は気にされ、「敗戦の将を恫喝するようなことができるか」と否定されていました。

 昭和19年、第14方面軍司令官として起用され、日本軍が占領していたフィリピンの防衛戦を指揮、善戦するも昭和20年9月3日フィリピンのバギオにて降伏、降伏時は捕虜として扱われたが、すぐに戦犯としてフィリピンのマニラにて報復(恩讐)裁判にかけられ昭和21年2月23日絞首刑によって殺されました。
山下大将は、処刑寸前に教誨師の森田正覚氏に日本人へ向けた遺言をされました。将軍が最後に伝えたかったことは、戦時中の彼の行いに対する自責の念と自由を尊び平和を追求する新しい新日本建設に対する理想でした。

中部大学教授、武田邦彦氏が、武田氏のブログ上において「山下大将の遺訓」をテーマにシリーズ「最後の一撃」(http://takedanet.com/)題し、動画、評論されています。

山下奉文大将の口述遺言


山下大将は、1946年2月23日、Los Baños, Laguna米軍刑務所キャンプ(マニラ市の南方)で絞首刑に処せられた。以下の文は教戒師の森田正覚氏が、処刑実行40分前に、将軍の言葉を記録したものである。


「私の不注意と天性が閑曼であった為、全軍の指揮統率を誤り何事にも代え難い御子息或は夢にも忘れ得ない御夫君を多数殺しました事は誠に申訳の無い次第であります。激しい苦悩の為心転倒せる私には衷心より御詫び申上げる言葉を見出し得ないのであります。

かって、皆さん方の最愛の将兵諸君の指揮官であった「山下奉文」は峻厳なる法の裁を受けて死刑台上に上がらんとしているものであります。アメリカ初代大統領ジョウジワシントンの誕生祝賀記念日に独房を出て刑の執行を受けるということは偶然の一致ではありますが誠に奇しき因縁と云わねばなりません。

謝罪の言葉を知らない私は今や私の死によって、私の背負された一切の罪を購う時が参ったのであります。もとより私は単なる私一個の死によってすべての罪悪が精算されるであらうというような安易な気持ちを持っているものではありません。

全人類の歴史の上に拭うべからざる数々の汚点を残した私は、私の命が断たれるという機械的な死について抹殺されることとは思わないのであります。絶えず死と直面していた私にとりましては死ということは極めて造作のない事であります。

私は大命によって降伏した時、日本武士道の精神によるなれば当然自刃すべきでありました。事実私はキャンガンで或はバギオでかってのシンガポールの敵将パーシバルの列席の下に降伏調印をした時に自刃しようと決意しました。然し其の度に私の利己主義を思い止まらせましたのは、まだ終戦を知らないかっての部下達でありました。

私が死を否定することによって桜町(キャンガン)を中心として玉砕を決意していた部下達を無益な死から解放し祖国に帰すことが出来たのであります(私が何故自決をしなかったかということは、ついている森田教誡師に質問され詳しく説明致した所であります。)

私 は武士は死すべき時に死所を得ないで恥を忍んで生きなければならないということが如何に苦しいものであるかと云う事をしみじみと体験致しました。此の事よ り■して、生きて日本を再建しなければならない皆様の方が戦犯で処刑されるものよりどれだけ苦しいかということが私にはよく分るのであります。

若し私が戦犯でなかったなら皆さんからたとえ如何なる恥辱を受けませうとも自然の死が訪れて参りますまで生きて贖罪する苦難の道を歩んだでありませう。

兵は国の大事にして死生の地、存亡の道なり、察せざるべからず、と孫子もいったように兵はまさしく凶器であり、大きな罪悪でありました。この戦争を防止するため私はあらゆる努力を払いました。然し悲しいかな私の微力よく之を阻止することが出来なかったことはまことに慙愧に耐えない次第であります。

マレー侵略、シンガポール攻略、国民の血を湧かした丈に恐らく皆さんは私を生粋の侵略主義者、軍国主義者の最たるものであると目して居られるでしょうがそれは当然であります。一身を軍職に捧げた職業軍人であります。今更何をか之に加えましょうか。然し私も軍人であると共に一■日本国人民としての意識も又相当強く動いて居りました。亡国と死者とは永久に再生はないのであります。

兵事は古えより明君賢将の深く慎み警むる所でありました。一部の■者がひとの事を断じて国民大衆を多く殺傷し残れる者を今日の如く塗炭の苦しみに落入れたことは等しく軍部の専断であり国民諸君の怨嗟悉く我等に集中するを思う時私は正に断腸の思がするのであります。

ポツダム宣言によって日本が賢明ならざる目論見によって日本帝国を滅亡に導いた軍閥指導者は一掃され、民意によって選ばれた指導者によって平和国家としての再建が急がれるでしょうが、前途益々多事多難んることが想像されます。建設への道に安易なる道はありません。軍部よりの圧力によったものとは云えあらゆる困苦と欠乏に堪えたあの戦争十箇年の体験は必ず諸君に何物かを与えるに違いないと思います。新日本建設には、私達のような過去の遺物に過ぎない職業軍人或は阿諛追従せる無節操なる政治家、侵略戦争に合理的基礎を与えんとした御用学者等を断じて参加させてはなりません。

恐らく占領軍の政策として何等かの方法が取られるでありましょうが将に死に就かんとする私は日本の前途を思うの余り一言申し添えたいと思うのであります。踏まれても、焼かれても強い繁殖力を持った雑草は春が来れば芽を吹きます。国悉く破れて山河のみとなった日本にも旺盛なる発展の意志を持った日本の皆様は、再び文化の香り高い日本をあの1863年丁独戦争によって豊沃なるヌレスリッヒ、ホルスタイン両州を奪はれたデンマークが再び武を用いる事を断念し不毛の国土を世界に冠たる欧州随一の文化国家に作り上げたように建設されるであろう事を信じて疑いません。私共亡国の徒は衷心からの懺悔と共に異国の地下から日本復興を祈念いたします。新に軍国主義者共を追放し自ら主体的立場に代られた日本国民諸君、荒された戦禍の中から雄々しく立上がって頂き度い。それが又私の念願であります。私は朴訥なる軍人であります。

今や死の関頭に立って萬感交々至り謝罪と共に言語の形式を以って申し述べたいのでありますが、武将の常として従来多くを語らず寡言実行の習癖と加うる語句又豊富でありませんので之を表現することが出来ないことを残念におもいます。

私の刑の執行は刻々に迫って参りました。もう40分しかありません。この40分が如何に貴重なものであるか、死刑因以外には恐らくこの気持の解る人はないでしょう。私は森田教誡師と語ることによって、何時かは伝はるであろう時を思い、皆さんに伝えて頂くことに致します。

聞いて頂きたい・・・・

其の第一は義務の履行ということであります。
この言葉は古代から幾千の賢哲により言い古された言葉であります。そして又此の事程実践に困難を伴うことはないのであります。又此事なくしては民主主義的 共同社会は成り立たないのであります。他から制約され強制される所のものでなく自己立法的内心より湧き出づる所のものでなくてはなりません。束縛の鉄鎖か ら急に解放されるであろう皆さんがこの徳目を行使される時に思ひを致す時聊か危惧の念が起こって来るのであり、私は何回此言葉を部下将兵に語ったことで しょうか。峻厳なる上下服従の関係に在り抵抗干犯を許されなかった軍隊に於いてさえこの事を言はざるを得なかった程道義は著しく頽廃していたのでありま す。甚だ遺憾な事でありますが今度の戦争におきましては私の麾下部隊将兵が悉く自己の果たすべき義務を完全に遂行したとは云い難いのであります。他律的な ■務に於いてさえ此の通りでありますから一切■絆を脱した国民諸君の■に為すべき自律的義務の遂行にあたっては聊か難色があるのではないかと懸念されるの であります。旧軍人と同じ教育を受けた国民諸君の一部にあっては突如開顕された大いなる自由に幻惑された余り他人との関聯ある人間としての義務の履行に怠 慢でありはしないかと云うことを恐れるのであります。

自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人と しての高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。此の倫理性の欠除という事が信を世界に失ひ■を萬世に残すに至った戦犯 容疑者を多数出だすに至った根本的原因であると思うのであります。

此の人類共通の道義的判断力を養成し、自己の責任に於て義務を履行すると云う国民になって頂き度いのであります。

諸君は、今他の地に依存することなく自らの道を切り開いて行かなければならない運命を背負はされているのであります。何人と雖も此の責任を回避し自ら一人安易な方法を選ぶ事は許されないのであります。こゝに於いてこそ世界永遠の平和が可能になるのであります。

第二に、科学教育の振興に重点をおいて頂きた度いのであります。
現代に於ける日本科学の水準は極く一部のものを除いては世界の水準から相去る事極めて遠いものがあるということは何人も否定することの出来ない厳然たる事実であります。一度海外に出た人なら第一に気のつく事は日本人全体の非科学的生活ということであります。

合理性を持たない排他的な日本精神で真理を探究しようと企てることは、宛も水によって魚を求めんとするが如きものであります。我々は資材と科学の欠除を補ふ為に汲々としたのであります。

我々 は優秀なる米軍を喰い止める為百萬金にても贖い得ない国民の肉体を肉弾としてぶっつける事によって勝利を得ようとしたのであります。必殺肉弾攻撃体当り等 の戦慄すべき凡ゆる方法が生れました。僅かに飛行機の機動性を得んが為には、防衛装置の殆どを無視して飛行士を生命の危険にさらさざるを得なかったのであ ります。
我々は資材と科学の貧困を人間の肉体を以って補わんとする前古未曾有の過失を犯したのであります。この一事を以ってしても我々職業軍人は罪萬死に価するものがあるのであります。 今の心境と、降伏当 時との心境には大なる変化があるのでありますが、ニュービリヒット収容所に向ふ途中、ヤングの記者スパートマクミラン君が「日本敗戦の根本的な理由は何 か」と質問された時、重要かつ根本的な理由を述べんとするに先達って今迄骨身にこたえた憤懣と■■な要求が終戦と共に他の要求に置き換えられ漸く潜在意識の なかに押込められていたものが突如意識の中に浮び上がり、思はず知らず飛び出した言葉は「サイエンス」でありました。敗因はこれのみではありませんが重大 要因の中の一つであったことは紛れもない事実であります。 若し将来不吉な事でありますが戦争が起こったと仮定するならば、恐らく日本の取った愚かしい戦争手段等は廃人の夢の昔語りと化し短時間内に戦争の終結を見 る恐るべき科学兵器が使用されるであろうことが想像されるのであります。戦争の惨禍をしみじみと骨髄に■して味うた日本人は否全世界の人類は、この恐るべ き戦争回避に心■を打込むに違ひありません。又このことが人間に課せられた重大な義務であります。

あの広島、長崎に投下された原子爆弾は恐怖にみちたものであり、それは長い人間虐殺の歴史に於てかって斯くも多数の人間が生命を大規模に然も一瞬の中に奪われたことはなかったのであります。獄中にあって研究の余地はありませんのでしたが、恐らくこの原子爆弾を防御し得る兵器は、この物質界に於て発見されないであろうと思うのであります。

過去に於ては、如何なる攻撃手段に対してもそれに対する防御は可能であるといわれて参りました。実際このことは未だに真実であります。過去の戦争を全く時代遅れの戦争に化し去ったこの恐るべき原子爆弾を防御し得る唯一の方法が若し有るとするならば世界の人類をして原子爆弾を 落としてやろうといふような遺志を起こさせないような国家を創造する以外には、手はないのでであります。敗戦の将の胸をぞくぞくと打つ悲しい思い出は我に 優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、たとへ破れたりとはいへ斯くも多数の将兵を殺さずに平和の光輝く祖国へ再建の礎石として送還することが 出来たであらうといふ事であります。私がこの期に臨んで申し上げる科学とは人類を破壊に導く為の科学ではなく未利用資源の開発或は生存を豊富にすることが 平和的な意味に於て人類をあらゆる不幸と困窮から解放するための手段としての科学であります。

第三に申し上げたい事は・・・特に女子の教育であります・・・
伝うる所によれば日本女性は従来の封建的桎梏から開放され参政権の大いなる特典が与えられた様でありますが現代日本婦人は西欧諸国の婦人に比べると聊か遜色があるように思うのですが、これは私の長い間の交際見聞に基く経験的事実であります。

日本婦人の自由は、自ら戦い取ったものではなく占領軍の厚意ある贈与でしかないという所に危惧の念を生ずるのであります。

贈与といふものは往々にして送り主の意を尊重するの余り直ちに実用化されないで観賞化され易いのであります。

従順と貞節、これは日本婦人の最高道徳であり、日本軍人 のそれと何等変る所のものではありませんでした。この虚勢された徳を具現して自己を主張しない人を貞女と呼び忠勇なる軍人と讃美してきました。そこには何 等行動の自由或は自律性を持ったものではありませんでした。皆さんは旧殻を速かに脱し、より高い教養を身に付け従来の婦徳の一部を内に含んで、然も自ら行 動し得る新しい日本婦人となって頂き度いと思うのであります。平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新に獲得されました自由を有効適切 に発揮して下さい。 自由は誰からも犯され奪はれるものではありません。皆さんがそれを捨てようとする時にのみ消滅するのであります。皆さんは自由なる婦人として、世界の婦人 と手を繋いで婦人独自の能力を発揮して下さい。もしそうでないならば与えられたすべての特権は無意味なものと化するに違いありません。

最後にもう一つ婦人に申し上げ度い事は、
皆さんは既に母であり又は羽となるべき方々であります。母としての責任の中に次代の人間教育という重大な本務の存することを切実に認識して頂き度いのであります。私は常に現代教育が学校から始まっていたという事実に対して大きな不満を覚えていたのであります。

幼 児に於ける教育の最も適当なる場所は家庭であり、最も適当なる教師は母であります。真の意味の教育は皆さんによって適切な素地が培われるのであります。若 し皆さんがつまらない女であるとの謗りを望まれないならば、皆さんの全精力を傾けて子女の教育に当って頂き度いのであります。然も私のいう教育は幼稚園或 は小学校入学時をもって始まるのではありません。可愛い赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始の時を以て始められなければならないのであります。愛児を しっかりと抱きしめ乳房を哺ませた時何者も味う事の出来ない感情は母親のみの味いうる特権であります。愛児の生命の泉としてこの母親はすべての愛情を惜し みなく与えなければなりません。単なる乳房は他の女でも与えられようし又動物でも与えられようし代用品を以ってしても代えられます。然し、母の愛に代わる ものは無いのであります。

母は子供の生命を保持することを考へるだけでは十分ではないのであります。

■が大人となった時自己の生命を保持しあらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、強調を愛し人類に寄与する強い意志を持った人間に育成しなければならないのであります。

皆さんが子供に乳房を哺ませた時の幸福の恍惚感を単なる動物的感情に止めることなく、更に知的な高貴な感情にまで高めなければなりません。母親の体内を駆け巡る愛情は乳房からこんこんと乳児の体内に移入されるでせう。

将来の教育の■分化は、母親の中に未分化の状態として溶解存在しなければなりません。
幼児に対する細心の注意は悉く教育の本源でなければなりません。功まざる母の技巧は教育的技術にまで進展するでせう。

こんな言葉が適当か、どうか、専門家でない私には分りませんが、私はこれを「乳房教育」とでも云い度いのです。

どうかこの解り切った単純にして平凡な言葉を皆さんの心の中に止めて下さいますよう。これ が皆さんの子供を奪った私の最後の言葉であります。」

(終わり)

■部分は、口述筆記原本での文字の判読不能、欠落等を指します。


最期の一撃 第四話 山下大将の第四遺訓で武田氏は次のように結ばれています。

マレーの虎と呼ばれ、勇猛果敢な陸軍大将として名を馳せた山下大将の胸中には、道徳的判断力、軍隊のいらない技術力、貞節で自律的な女性、そして無限の愛で優れた子供を育てる母親、それこそが戦争で傷んだ日本を立て直す大切なことして浮かんだ。
現代の日本は一時、山下大将の遺訓通りに進んだが、途中で愚劣な輩に掻き回され、また逆の道を歩いていこうとしているように見える。白人と苦闘した日本、やむを得ない戦争で多くの犠牲を出した日本、その渦中にあって「正しい人、山下奉文」の遺訓は日本の宝である。

そして、続く評論、日本軍人と右翼思想で、日本国民が日本国民を非難するのは辛いので、誰かに責任を転嫁したい・・・その気持ちはわかりますが、やはり今後の平和のことを考え、子供の未来を心配するなら、安易に軍部を非難せず、なぜ戦争に至ったのかを冷静沈着、大人として親としての勇気と覚悟を持つ見る必要があるでしょう。

と述べられています。
大東亜戦争を検証し、顕彰し、間違ったものは正していくことが大事であり、後世に繋ぐ正しい歴史でもあると筆者は思うのです。

陛下の叡慮、
満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。

これこそ我々臣民(国民)が直ちに取り組まねばならぬことだと思うのです。先人の名誉回復と誇りの為に・・・


天皇 彌榮(すめらぎいやさか)

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    賀正
    本年も宜しくお願い申し上げます。
    今年初の転載です。ナイスです。
    猛将山下奉文大将の印象が変わりました。
    矢張り、非常に立派な軍人だったのですね。
    我々はその遺訓を心に留め皇国日本の弥栄
    を益々確かなものにする可く、奮励努力を
    せねば成りません。極めて秀逸な記事を
    転載・拡散致したく存知ます。ナイス。

    bug*nno*e

    2015/1/2(金) 午後 5:44

    返信する
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    真珠湾攻撃の1時間49分前、第25軍司令官山下奉文中将のマレー攻略とシンガポール陥落始め、フィリピン、インドネシア、香港、ビルマ・・と、まさに大東亜侵略していた白人の支配がここに終焉したのです。

    ナイス

    ナイス

    さくらの花びら

    2015/1/2(金) 午後 9:36

    返信する
  • 山下大将の取り巻き達全ての行動を親分に尻拭いさせたみたいに感じます。ナイス

    アナリスト杢兵衛

    2015/1/3(土) 午前 1:28

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    陛下のご感想の受け取り方全く同感です。無位無官の一臣民ながら皇国復興のためできる限り、研究、実践します。カマちゃん様今後も一層ご活躍ください。

    [ yahootoru ]

    2015/1/3(土) 午前 10:05

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    マレーの虎といわれた名将ですね



    ナイス

    [ 博多の鷹 ]

    2015/1/3(土) 午後 0:35

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    ご来訪くださり、記事をごらんいただき、コメントをいただき、ナイス、シェア、ツイートをいただきました方々に御礼申し上げます。
    ありがとうごいざいました。
    まとめコメントで失礼いたします。

    釜坂信幸

    2015/1/18(日) 午後 7:37

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    山下陸軍大将
    やはり、江戸幕府の崩壊と佩刀礼の改正法は、サムライの活き場を失い、文明開花と軍部隊へサムライの活き場所を求めたのでしょうか? 負けると分かり切った戦いに、何故に挑んだ事?
    東条英機は、零戦闘機を日本軍事産業開発として、海外へ売り込むセールス戦争だったのです。 日本は辞めるべき第二次世界大戦の敗北者と為った! 残念に想う。
    陸軍飛行隊発足は日本海軍に頭を下げる事は辞めると陸軍将は言った事で陸軍飛行隊が日本国に生まれた! 削除

    [ 匿名 ]

    2016/5/31(火) 午前 1:37

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