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両陛下、山口行幸啓・・・・皇尊(すめらみこと) 彌榮 彌榮 彌榮

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天皇、皇后両陛下 御尊影= 第63回全国植樹祭式典(山口市)






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天皇陛下 御尊影= 第63回全国植樹祭式典(山口市)







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天皇、皇后両陛下 御尊影=山口行幸啓



(27日)

 (宮内庁発表分)

 【午前】

両陛下 時間調整のため、山口きらら博記念公園多目的ドームお立ち寄り(山口市)

 両陛下 第63回全国植樹祭式典ご臨席(同市・山口きらら博記念公園スポーツ広場)

 両陛下 時間調整のため、同ドームお立ち寄り

 【午後】

 両陛下 植樹祭大会会長、農林水産相ら大会関係者、地元関係者および警衛関

係者との昼食会ご主催(同市阿知須地域交流センター)

 両陛下 特別養護老人ホーム・サンライフ山陽ご訪問(山口県山陽小野田市)

 【夜】

 両陛下 提灯奉迎にお応えになられる(同県下関市・下関グランドホテル)


(28日)

(宮内庁発表分)

 【午前】

 両陛下 安徳天皇陵(阿弥陀寺陵)・赤間神宮ご参拝(山口県下関市)

 両陛下 同市立しものせき水族館海響館ご視察

 【午後】

 両陛下 山口県知事、県議会議長、下関市長、市議会議長および警衛関係者と

 の昼食会ご主催(同市・海峡メッセ下関)

 両陛下 時間調整のため山陽小野田市文化会館お立ち寄り

 両陛下 知事、県議会議長、県警本部長からあいさつ、少時ご歓談(同県宇部市・

 山口宇部空港)

 両陛下 還幸啓







謹んでお伝えいたします。


第63回全国植樹祭が27日午前、畏くも天皇、皇后両陛下ご親覧の下(もと)、山口市の「山口きらら博記念公園」で開かれました。
畏くも天皇陛下におかせられましては、山口県の木であるアカマツなど、皇后陛下におかせられましては、県花の夏ミカンなどの苗木を植樹し、種もまかれた。
式典では、東日本大震災の津波で流失した海岸林の早期再生を支援するため、山口県内で育てられた松の木1000本ずつが、岩手、宮城、福島の3県にそれぞれ贈られました。

畏くも両陛下におかせられましては、健やかに芽を出すべしと直々に数々の種を地に施され、立派に育ち枝を伸ばすべしと幾多の苗木をお手植えあそばされました。
被災地の復興を願われ、万民の幸せと、安寧、彌榮を願われる両陛下の御意そのままと拝し、拙き両目にも、心の汗溢れ来る思いを禁じえないのです。

植樹祭をうけて、秋には全国育樹祭がおこなわれます。
「親が植え、子どもたちが育て、利用し、また植える」という森林持続性理念の下、全国植樹祭において天皇陛下及び皇后陛下が植えた樹木を皇族(皇太子親王殿下及び皇太子親王妃殿下)が手入れするものです。
森林持続性だけでなく、人類普遍のありかた、伝統の継承を理念とされているように感じます。

すべての日本人が、天皇陛下の大御心の下(もと)に結集する時、敷島の國は息を吹き返し、世界に冠たる道義国家として復活するでありましょう。



天皇皇后両陛下が「全国植樹祭」に 山口市(12/05/27)





君が代が千代に八千代に続くことを願ってやみません。


天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかであられるよう祈念いたします。


尊 彌榮 彌榮 彌榮

日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・


天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳





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神前結婚式の始まりと由来

右より伊弉諾神(いざなぎのかみ)伊邪那美神(いざなみのかみ)
 
 
 
昨年10月8日にエントリーさせていただいた拙記事の再投稿です。
くにしおもほゆ様の能へのお誘い (第4回:高砂や〜♪) を拝読させていただき、近年少なくなった神前結婚の素晴らしさを少しでも多くの方々に知っていただきたい次第です。

我国の結婚は神代の昔に遡ります。
日本の神話の中で、天地開闢において神世七代の最後に性別を持って生まれた
男神を、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)女神を伊邪那美命(いざなみのみこと)といいます。二柱の神は、別天津神(ことあまつがみ)たちに漂っていた大地を完成させることを命じられました。
別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えられ、伊邪那岐・伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立って、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜられ、このとき、矛から滴り落ちたものが積もって島となった。この島を淤能碁呂島(おのごろじま)といい、兵庫県の淡路島であると言われています。
二神は淤能碁呂島に降立たたれ、天之御柱を建てられ、伊邪那岐命が「私と貴方と、この天之御柱を廻って結婚しましょう。貴方は右から廻り、私は左から廻り逢いましょう」という約束をし、出会ったところで「なんとまあ、かわいい娘だろう。」「ほんとにまあ、いとしい方ですこと」と呼び合って結ばれたという記述が『古事記』、『日本書紀』一書第一などにみられます。これが結婚式の起源ともいわれています。
 
平安時代には、源氏物語にも見られるように、男性が女性の元に、あるいは女性が男性の元に通う通い婚の時代でした。夫が妻の元に通う場合は妻問婚(つまどいこん)ともいいます。
通い婚の時代での天皇陛下においては、女御(にょうご)と家族が入った宮中の殿舎に、天皇陛下が三夜しのんだ後発見されたという「露顕(露見)」(ところあらわし)という宴を行いました。これが現在の披露宴に該当します。
現在、露見とは、秘密や悪事など隠していたことが表に現れること。ばれることなどを意味しますが、当時の日本女性は結婚する相手以外の男性には顔を見せないという習慣があったことから、「露顕(露見)」(ところあらわし)に至ったのです。
女御とは、天皇陛下の後宮の身位の一つで、天皇陛下の寝所に侍し、位は、皇后・中宮に次ます。桓武天皇陛下のとき紀乙魚(き の おとな)・百済王教法などを女御としたのに始まり、はじめこそ位は低かったが、その位は次第に高まり、平安時代中期以降、皇后陛下は女御から昇進する慣例となりました。最後の女御は孝明天皇陛下の女御である九条夙子(英照皇太后陛下)。
民間においても、平安期の結婚は男性が女性の下に三夜続けて通う形式であるが、女性の家ではその間訪れる男性と従者を接待し、3日目には露顕(ところあらわし)という披露宴が行われ、新郎新婦が披露される。列席者は妻側の関係者のみに限られていました。
 
平安時代の半ば以来、武士の間で女性が男性の家に入る嫁迎え婚が行なわれるようになりました。
元来武士の生活は素朴・質素を信条として武士は同格の相手を求めるのですが、結婚したからといって自分の土地を離れる訳にはいかないので、自然と女性が男の家に入るようになりました。
しかし公家では伝統的に婿取り婚であるので、公家と武士の間での結婚では問題が生じたが、武家が台等し、力を占めるようになると、公武からなる嫁入りが行われるようになっったのです。
 
(永禄6年)に来日し、安土桃山時代の日本の記録を残したルイス・フロイスの書簡によれば、「日本では結婚式をおこなわない」と記述されていましたが、しかし、 この時代も有力な武家の婚礼は盛大に行われた。また、高台寺では当時、下級武士だった木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)とねねの結婚について、「土間に藁を引き、その上に薄い敷物を敷いただけのささやかな祝言」を挙げたという記録が残るなど、当然この時代においても身分によらず婚姻に際しての儀式、すなわち結婚式は行われていました。
 
婚席に神々が臨在するという考えは中世の床飾りから見られ、江戸中期の貞丈雑記に明文化された。新郎の自宅に身内の者が集まり、高砂の尉と姥の掛け軸を床の間に掛け、鶴亀の置物を飾った島台を置き、その前で盃事をして結婚式をする、いわゆる祝言が行われていました。
家の床の間は神様が居るとされる神聖な場所で、掛け軸や島台も神さまの拠り所でもあるとされ、当時から結婚式は神道と密接な関係がありました。
民俗学者の柳田國男著の『明治大正史』及び『婚姻の話・定本柳田國男集15』によると、少なくとも幕末から明治初期までの庶民による結婚式は、明治以降に確定した神前式の形式とは同じではなく、自宅を中心とし、婿が嫁方の実家でしばらくの間生活するという「婿入り婚」と呼ばれる形式であった。
この際、新婚生活の初日に嫁方の家で祝いの席がもうけられることがあったが、夜の五つ(午後9時頃)から行われることが多く、同じく柳田氏によると、江戸時代であっても、同じ村内の者同士が結婚する場合には祝言が行われないか、あるいは簡素なものであったが、村外の者と結婚する例が増えてくるに従って形式が複雑化し、神前式に近いかたちになっていた、と述べる。また、庶民の結婚式の場合は、神職が吟ずる祝詞より、郷土歌や民謡、俗謡を歌うことが多かったとされる。祝詞であっても、現代の神前式のように「天津祝詞」が吟ずられるようになったのは明治以降のことです。
 
現在のような神社における結婚式の形は明治三十三年五月十日、皇室婚嫁令により皇太子であった大正天皇陛下と九条節子姫(貞明皇后陛下)が宮中賢所大前において執り行われたご婚儀が、大きな影響を与えました。
これを大々的にマスコミが報じたのを受けて、日比谷大神宮(東京大神宮)が神前結婚式を挙げ、話題になった。しかし神前結婚式が民間に普及したのは、大東亜戦争後でした。
神社での結婚式だと、披露宴の場は他に設けなくてはならない。いち早く帝国ホテルは、大正12年関東大震災で焼失した日比谷大神宮を分祀し、ホテル内に祀り、美容室と写真館も取り入れて、挙式と披露宴を一体化させました。ホテル・ウエディングのはしりです。
現在広く行われている神前結婚式は、日比谷大神宮の創始によるものであり、それらを踏襲しています。
 
納采の儀 (のうさいのぎ)とは皇室の儀式のひとつですが、その淵源は、古く仁徳天皇の時代に遡ります。皇族が結婚するにあたって行われるもので、結納の起源となりました。
神前結婚式に見られる固めの儀式のひとつ、三三九度(さんさんくど)は、三献の儀ともいい、男女が同じ酒を飲み交わすというもので、初めに女性が三度、次に男性が三度、最後に女性が三度の合計九度飲む儀式で、陽の数である三や九が用いられた。
お神酒を一つの器で共飲することにより一生苦労を共にするという誓いを意味しています。古代の婚礼には、嫁になる人が婿になる人に対して、盃を捧げるということが重要な儀式の中心になっていたようです。三々九度の起源とも言われている応神天皇の物語があります。応神天皇が山城の国であった美女に、その名を尋ね彼女は矢河枝比売と答えたため、(名前を答えるというのは求婚に応じる意)天皇が翌日その家へ行ってみると、彼女の父は娘に天皇に仕えるように諭し、彼女はご馳走を用意し応神天皇に御盃を捧げ、天皇は歌を歌われたと言われています。つまり、これが後の三々九度の杯のはじまりと言われています。
三三九度は、我国固有の共食信仰で、同じように飲み同じように楽しみ、同じものを食べ合ったということが神を媒体にして魂を共通に持ち合ったという同族意識の確認行為であります。
現在でも、「同じ釜の飯を食う」というのは、共食信仰の由縁です。

冒頭の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神様のように、深く結ばれ、また新たな命を生み、育み、次世代へ受け継がれていく、結婚式にはそんな願いが込められています。

最近では、結婚式さえも簡素化し、結婚式さえも挙げないという若者が増えています。神前結婚とは、神々に祈り、誓い、神代の時代から連綿と続いてきた、営み、文化を継承し、お国柄を受継いでいくことです。
習わし、仕来りは、面倒くさい古臭いと思いがちですが、受 ­継がれているからこそ、日本人なのです。
畏くも天皇陛下、皇室は日本の灯が消えないように代々日本の魂 ­を受け継いでおられるのです。日本人は努々(ゆめゆめ)それを忘れてはなりません 。
 
 
 
 

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‘ネトウヨ’だって?? 馬鹿言え、我々は「愛国ボランティア」!

最近ある方のブログに‘ネトウヨ’ だと言ってからんできた左翼的な書き込みを見ました。
「ネトウヨだなんて今は死語で、むしろ昔懐かしい言葉だ」 とのコメントも来ていました。
また別の方のブログにも「ネトウヨが」 と乱暴に書き込まれているのを見かけました。
これも発信者を全くたどれない書き込みでした。
 
もしかして、この言葉・・ ゾンビのように復活してきたのだろうか・・・
ブログ検索をかけてみました。
あるわ、あるわ、また涌いてきたようです。
他者を否定する尊大でイージーな言葉。思考を停止した言葉です。
 
そもそも1945年に日本の知らないうちに勝手に行われたヤルタ 会談と、その流れを継いで作られたポツダム宣言。
この時点で今日に至るまでの日本の苦難の道のりが既にセットされ ていました。
広島と長崎への一般市民の大量殺戮及び不可侵の条約を一方的に破 棄したソビエトの卑怯な参戦。
昭和天皇は「耐え難きを堪え、忍び難きを忍んで」 太平を開かれた。
そして占領軍の施策も巧妙であったが、 その意を汲んだ小鬼どもが世に踊り、
唾棄すべき米軍制の憲法をあがめ、教育を支配し。報道を支配し、 諸制度を歪めてきた。
これを我が国の戦後レジーム(体制)と呼ぶ。
 
悲しいことに国民は長年目隠しをされた状態だったために、 多くが新聞の報道記事を信じてしまい、 教師の言う価値観を受け容れてしまった。
日本の為政者は悪意に満ちて、 歴史は周辺諸国への侵略の繰り返しだったとか、
社会主義・共産主義を指向する左翼は「革新」だとか、 正しいとか、勇気があるとか、公平だとか、
中国や韓国はとてもいい国だとか、いろいろ他にも限りがない。
既に深く染まってしまって、これらの呪縛から逃れられない者や、 さらにその者の影響に甘んじる者も少なくない。
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(侵略者ではない!現在の我々のために生命を捧げてくれた若者の優しい笑顔だ)
 
 
しかしインターネットの普及により、 徐々にではあるが着実に状況が変化してきた。
「新聞やテレビの言ってることは何だかおかしい」とか、
「何で中国や韓国の喜ぶような報道ばかりするの?」 とかの素朴な疑問を感じる人が多くなった。
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           報道されなかったビクトリー・スケーティング
 
 
 
 
 
                                                                     
そしてインターネットで自ら情報を求める人は、 真実に初めて接することができる。
自ら目隠しを取り去る勇気さえあれば、 眼前に広がる真実の海を見ることができる。
これまでずっと嘘を報道され、教えられ、 信じ込まされてきた驚きを知る。
「このままでいいのだろうか。 まだ真実の海を知らない人に少しでも教えてあげたい。」
こういう方々がどんどん増えてゆく。
 
それがどうしてネット右翼、「ネトウヨ」 と蔑まされなければならないのでしょうか。
 
いまだに「ネトウヨ」などという言葉を使いたい人達。
それは真実を見る勇気を持たない人達、 自分の過去の価値観を否定するのが怖い人達、真実を話すよりも戦後レジームにどっぷり浸っている方が都合が良 い人達、
そういう人達にも呼びかけたい。
目隠しの隙間からうっすらと真実を見てみませんか?
 
我々は情報を発信します。知ったことを互いに教えあいます。
キーボードを打つ指から、ときに叫び、ときにささやき、 ときに共感が生まれます。
真実は閉じ込められても不死鳥の翼を持っています。
もはやマスコミと反日教師らの思ようにはさせません。
 
自分だけではなく、家族や恋人や友人の住む日本のためです。
子供たちや赤ん坊や次の世代に生まれてくる日本人のためです。
歴史や文化や価値観、そしてふるさとを守るためです。
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ある者は勤め帰りのまだ疲れた体で、
ある者は家事や勉強の時間をやりくりして、
ある者は趣味や見たいテレビを我慢して、
またある者は無理に体に鞭打ってキーボードに向かいます。
自分には一銭の利益にもならないのに、またまた続けます
だからわれわれは
「愛国ボランティア」です。
私はこう名乗ります。
みんなでこう名乗りませんか?
共に誇りを持って進みましょう

転載元 転載元: くにしおもほゆ

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カジノ法案に民主党議員「ギャンブル依存が増える」・「ギャンブルが助長され、善良な風俗が破壊されかねない」・賭博罪に「例外」をつくる、パチンコのことだ、今年こそ全国のパチンコホールは営業自粛して節電しろ

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良識ある日本国民の皆様には、カジノ法案について民主党議員が「ギャンブル依存が増える」と反論したのはご存知だと考えます。
 
 
カジノ法案、民主まとまらず 「ギャンブル依存増える」
 
カジノを日本でも合法化する法案をめぐり、民主、自民両党がそれぞれ24日、党内で関係会議を開いた。自民党は早々に了承したのに対し、民主党は「ギャンブル依存が増える」との反論が出ており、まとまっていない。超党派で今国会での提出をめざすが、見通しは立っていない。

 法案は、国が自治体の申請に基づきカジノを認める区域を指定することなどを定めている。昨年8月に、民主、自民、公明など超党派の議連で取りまとめた。

 民主党が24日に開いた内閣、法務、国土交通各部門会議の合同会議では、弁護士ら専門家からの意見を聞いたが、法案への賛否が割れた。経済成長を重視する内閣部門の所属議員はすでに「カジノ周辺にはホテルや商業施設もでき、雇用や消費のアップも期待できる」と賛成を表明。これに対し、法務部門の議員は「ギャンブルが助長され、善良な風俗が破壊されかねない」と指摘している。刑法に定められた賭博罪に「例外」をつくることへの抵抗感もある。
 一方、自民党は24日にあった内閣、国交両部会の合同会議で、とくに異論もなく法案を了承した。
朝日新聞
http://www.asahi.com/politics/update/0524/TKY201205240500.html
 
 
>カジノを日本でも合法化する法案
 
公営ギャンブルの競馬・競輪・競艇は、大きなトラブルもなく運営されています。
 
私は10年以上前から、東京・沖縄はハブ空港にして「カジノ」を創設すべきだと主張していますし、東日本大震災の被災地にも創設すべきです。
 
カジノを創設することは、安定した雇用や税収の問題だけではありません。
 
訪日外国人から、「駅前カジノ?」などと驚かれるパチンコ屋を全廃することにも繋がります。
 
>民主党は「ギャンブル依存が増える」との反論
 
>「ギャンブルが助長され、善良な風俗が破壊されかねない」と指摘
 
>刑法に定められた賭博罪に「例外」をつくることへの抵抗感
 
パチンコはどうなんだ!
 
パチンコは違法ギャンブルで、パチンコの依存症も増加していますし、自殺・事件・生活破綻者なども増加しています。
 
「パチンコ依存症」は、医学的にも立証されています。
 
パチンコ代欲しさからの強盗・負けた腹いせでの放火・借金苦での自殺・子供が車内で蒸し焼きになり死亡するなど、事件が全国で多発しています。
 
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2010年に厚労省が発表した統計によると、女性のギャンブル依存患者は推計75万人まで増加をしています。
 
主婦などが、パチンコ代欲しさから借金をして性風俗店で働いたり、パチンコ依存症が原因で一家離散になったりと、多くのトラブルが起きています。
 
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競馬などの公営ギャンブルは、法律により「現金の払い戻し」が認められて、宝くじやサッカーくじも「賞金の受取り」が認められています。
 
パチンコ業界は、特殊景品を使った三店方式を採用していますが、公然と行われている「パチンコの換金」は違法ギャンブルです。
 
三店方式とは、「ホールで出玉と特殊景品を交換」→「景品交換所が特殊景品を現金で買い取る」→「景品問屋が交換所から特殊商品を買い取り、ホールに卸す」という換金システムです。
 
警察庁は、「パチンコ店が直接現金に換えているわけではないから、直ちに違法にはならない」としています。
 
しかし、新宿でカジノ業者が同じ三店方式を採ったことがありましたが、賭博罪で摘発しました。
 
つまり、パチンコの換金(三店方式)とは、刑法185条・風営法第23条により違法行為なのです。
 
しかし、取り締まる立場の警察は、天下りなどでパチンコ業界と癒着しているからパチンコは摘発しません。
 
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日本の政界、特に民主党には、パチンコ業界と関係があり、パチンコの合法化を目指すパチンコ議員が多いです。
 
一般社団法人「パチンコ・チェーンストア協会」の政治分野アドバイザーには、民主党など与野党の国会議員43人(2012年5月21日)がいます。

 
パチンコ・チェーンストア協会
 
 
パチンコ業界が掲げる換金の合法化や、株式公開を支援するアドバイザーですから、違法ギャンブルの合法化に加担しているパチンコ議員です。
 
民主党には、1999年8月に、民主党の国会議員が発足した議員連盟「民主党娯楽産業健全育成研究会」があります。
 
この議連は、パチンコ業界の風営法適用範囲からの除外と、換金行為の完全な合法化を柱とする「遊技場営業の規制及び業務の適正化等に関する法律案大綱」などを公表しています。
 
民主党本部に対して、パチンコ大手の三共・ダイナム・ニラクなどが、2005〜08年の4年間だけでも544万円のパーティー券を購入していました。
 
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民主党は国会議員だけではなくて、外務大臣までもが、パチンコ献金を受けています。
 
前原誠司は、在日韓国人が株の大半を保有している 京都市 内のパチンコ店運営会社から、前原の資金管理団体「新緑会」に53万円、前原が代表の民主党支部に48万円、計101万円の献金を受けていました。
 
「AERA」(2006年2月13日号)では、全国のパチンコ店経営者の出自の内訳は、韓国籍50%・朝鮮籍30〜40%・日本国籍と華僑が各5%にしていました。
 
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大手パチンコグループ「マルハン」の韓昌祐会長は、「戦後のどさくさにまぎれて、日本に密航して来て永住権資格を得た」ことを自身で認めていますが、2002年に帰化した韓国系日本人です。
 
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また、本ブログ3月19日の記事で取り上げた、ワンアジア財団の理事長で、大手パチンコホール「ダイナム」を経営する、株式会社ダイナムの佐藤洋治代表執行役も韓国系日本人です。
 
 
「AERA」の発売後に、日本へ帰化した親の後を継いだ、韓国系日本人経営者も増えているでしょうが、パチンコは韓国・北朝鮮系の利権産業に変わりはありません。
 
    表1:パチンコ業界規模
 
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年間売上高19兆3800億とは、23兆9000億の外食産業に匹敵する巨大市場であり、GDPの4%に当たる規模であります。
もっとも外食産業は442万人の雇用を生み出していますが、賭博場であるパチンコホールは雇用創出は32万にとどまり1670万のギャンブラーを生み出しています。
 
ここ数年、パチンコ業界の売上は不況の影響もあり下がってきていますが、レンジを20年、40年と長く取れば、パチンコ業界の売上は「異常に膨張」してきたといってもいいでしょう。
 
この20兆円市場であるパチンコ業界が、日本のギャンブル市場で警察利権などによりいかに保護され「異常な成長」を遂げてきたのか、数値で検証しましょう。
 
1975年から2010年に掛けて日本におけるギャンブル市場は5兆3670億円から24兆8408億円と4.63倍に成長してきました。
 
■表2:日本におけるギャンブル市場の推移(1975年、2010年対比)(単位:億円)
ギャンブル        1975      2010      伸び高
パチンコ            13040   193800  180760
宝くじ         350     9200      8850
サッカーくじ       0           968       968
中央競馬            9080      24280    15200
競艇           11750    8970     -2780
競輪           10940    6790      -4150
地方競馬            6860      3480      -3380
オートレース    1650       920        -730
合計           53670    248408  194738
 
伸び高19兆4738億のうち、実にパチンコ市場で18兆760億を占めています。
 
■図1:日本におけるギャンブル市場の推移(1975年、2010年対比)(単位:億円)
 
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結果、1975年には24.3%だったパチンコのシェアは2012年には78.0%にまで膨張しています。
 
    図2:ギャンブル市場で膨張するパチンコ業界の推移(1975年、2010年対比)
 
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75年には日本のギャンブルの売上の四分の一弱だったパチンコ業界ですが、ギャンブル市場が4.63倍と膨張するこの35年間に、そのシェアは8割にも及んでいます。現在ではギャンブルといえばパチンコホールを指すと言ってもウソではない独占状態になっているのです。
(木走日記)抜粋
 
人の不幸を考えられないのがパチンコです。
 
東日本大震災で「巨大津波」が多くの人命を奪ってから11日しか経っていない3月22日に、鹿児島県のパチンコ屋はサイトに日本人では信じられない宣伝をしていました。
 
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3月22日海ドォーン 歓喜の大津波来た 桁違いの威力は圧巻 全海域プレミアム! でっかくドォーン! LET’S ENJOY 記憶に残る海EVENT 「海ドォーン」

 
マスコミは、韓国がパチンコを禁止している事実、パチンコ依存症による犯罪や自殺などの危険性、警察とパチンコ業界との癒着、換金の違法性を追及しません。
 
マスコミは、在日利権のパチンコ業界の広告費に依存しているからです。
 
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パチンコ屋と結婚した際、ピアスとペアでデザインした1個4円のパチンコ玉指輪を披露した「神田うの」
 
昨年は福島原発事故で東電管内は計画停電など、節電が求められましたが、今年は全国各地で夏のピーク時に節電が求められます。
 
東電管内のパチンコ屋の1日あたりの電力消費量は、東京ドームの野球100試合以上、東京ディズニーリゾート(ディズニーランドとディズニーシー)の1週間分以上、一般家庭の43万世帯分です。
 
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昨年、節電が求められた際に、東京都遊技業協同組合は、「東京電力管内の約4000のパチンコ屋での、最大使用電力は約84万Kw」だと説明をしました。
 
しかし、この説明は「ピーク時」での電力消費ですから、東京ディズニーリゾートよりも多くて、一般家庭の約10万世帯分にもなります。
 
カジノ法案に民主党議員が「ギャンブル依存が増える」などと言っていますが、これらはパチンコのことで、今年こそ全国のパチンコホールは営業自粛をして節電すべきです。
 
良識ある日本国民の皆様、パチンコについてご考慮下さい。
 
 
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転載元 転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘

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独立心を持て、独立心は愛国心から

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福澤諭吉翁



我が国で初めて文明論を説き、文明という観点から国是・国策を論じたのが、福沢諭吉翁です。
本ブログでも、昨年7月、
一身独立して一国独立す
、で福澤翁をご紹介させていただきました。
福沢翁は、幕末から明治の時代に、西洋に渡航して実情を視察し、日本人に西洋の新知識を伝えられ、これからの日本人はどうあるべきかを訴えられました。その要点は、日本の国柄を踏まえ、独立を守るために、西洋近代文明を摂取すべきとする文明論でした。
 
若き福澤翁は安政2年より、緒方洪庵の適塾でオランダ語を学び、西洋の医学や科学・技術を学びました。これが彼の知識の基礎となりました。その後、いち早く英語の重要性を見抜かれ、独力で英語を習得し、欧米の政治や経済、社会思想なども貪欲に吸収されたのです。その旺盛な好奇心と鋭い理解力は、驚く程です。
福澤翁は、万延元年、咸臨丸に乗ってアメリカに行かれ、その後、ヨーロッパにも訪れ、西洋近代文明をつぶさに見聞されました。その経験をもとに書かれたのが、『西洋事情』です。幕末の知識人でこの本を読んでない人はいないというくらいに、当時のベストセラーとなりました。徳川慶喜公も西郷南洲翁もみな『西洋事情』を通じて西洋諸国のことを知られたのです。
 
 維新後、福澤翁が、広範な知識と深い洞察力をもって、これから日本人は何をすべきかを説かれたのが、『学問のすすめ』です。
『学問のすすめ』の第1篇は、明治5年に発表されました。これは日本はじまって以来の大ベストセラーとなりました。
 『学問のすすめ』の冒頭は、周知のとおりです。

天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」という一節はあまりに有名である。 誤解される事が多いが、この「云ヘリ」は、現代における「云われている」ということで、この一文のみで完結しているわけではなく、しかも、この言葉は福沢翁の言葉ではありません、アメリカ合衆国の独立宣言からの引用文です。
この引用文に対応する下の句とも言える一文は、
「サレドモ今広クコノ人間世界ヲ見渡スニ、カシコキ人アリ、オロカナル人アリ、貧シキモアリ、富メルモアリ、貴人モアリ、下人モアリテ、ソノ有様雲ト泥トノ相違アルニ似タルハ何ゾヤ」
です。即ち、
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている__人は生まれながら貴賎上下の差別ない。けれども今広くこの人間世界を見渡すと、賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。その違いは何だろう?。それは甚だ明らかだ。賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。人は生まれながらにして貴賎上下の別はないけれどただ学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるのだ。」
という事です。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」。この一句を、人間は平等でなければならないという意味だと思っている人が少なくないようです。確かに福澤翁は、人間は生まれながらに平等だと言っています。しかし、その本来平等たるべき人に違いが生じるのは、ひとえに学問をするか、しないかによると、結論しているのです。機会は平等でも結果は努力によって異なるのです。それが、彼が『学問のすすめ』を書いた理由です。
ここで福澤翁が勧めた学問は、旧来の儒学ではなく、新しい「実学」でした。「実学」とは、科学です。科学といっても、自然科学のことだけではなく、政治学や経済学や倫理学など人文科学も含めた、近代西洋生まれの実際的な学問のことを意味します。そして、福沢翁は日本が文明化すること、言い換えれば西洋にならって近代化することを唱導されたのです。
 
 しかし、福澤翁が説かれたのは、日本を西洋化することだったのでしょうか。話はそう単純ではなく、問題は、なぜ福澤翁は、西洋文明の摂取、西洋科学の習得を力説されたのでしょう?それは、わが国の独立を維持するためだっでした。
『学問のすすめ』で福澤翁は、無批判な西洋賛美をいましめられています。そして全巻の結論において、日本にとって文明が必要なのは、国の独立を守る手段であると述べ られています。すなわち、「国の独立は目的なり、国民の文明は此目的に達するの術なり」と、福澤翁は明言されています。列強がアジアに進出し、インドやシナが蹂躙(じゅうりん)されていた当時のアジア情勢において、独立を守ることは、至上命題でした。
 
 福澤翁は『学問のすすめ』を中断して、明治8年に刊行した『文明論之概略』でも、同じ主旨のことを説かれています。
 「目的を定めて文明に進むの一事あるのみ。その目的とは何ぞや。内外の区別を明らかにして、我本国の独立を保つことなり。而してこの独立を保つの法は、文明の外に求むべからず。今の日本国人を文明に進むるは、この国の独立を保たんがためのみ」
 そして、福沢翁は国の独立を保つために必要なのは、個人個人の独立心だと訴えました。
昨今、生活保護など不正受給等が問題になっていますが、福澤翁は遠い今日を見据えておられたのでしょうか?


 「貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず、人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。古今その例少なからず。我日本国人も今より学問に志し、気力のたしかにして先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこの事なり」
 この最後にある「一身独立して一国独立する」ということこそ、福澤翁が日本人に最も訴えたかったことでしょう。
 
独立心とは、愛国心に裏付けられてこそ、もち得るものです。福澤翁自身、強い愛国心をもたれ、わが国の国柄を尊び、皇室を敬う日本人でした。この点を理解して初めて、福澤翁の言われる「独立心」の意味も明らかになります。
 
 『文明論之概略』で福澤翁は書かれています。
 「日本にては開闢(かいびゃく)の初より国体を改(あらため)たることなし。国君の血統もまた連続として絶たることなし。ただ政統に至てはしばしば大いに変革あり。…政統の変革かくの如きに至て、なお国体を失わざりしは何ぞや。言語風俗を共にする日本人にて日本の政を行い、外国の人へ秋毫(しゅうごう)の政権をも仮(か)したることなければなり」
 つまり、わが国は国の初めから、国体つまり国柄の根本が変わることがなかった。天皇の系統も連続して絶えることがなかった。政権はしばしば変わったが、国体が失われることはなかった。それは外国の支配を受けることがなかったからだ、と福澤翁は自らの歴史観を述べられています。これは、幕末・明治の日本人の共通認識であり、国民の常識でした。また、こうした自国の歴史に対する歴史観が、福澤翁の愛国心の根っこになっています。
 
 福澤翁は書かれています。
 「この時に当て日本人の義務は、ただこの国体を保つの一箇条のみ。国体を保つとは、自国の政権を失わざることなり」
 この時つまり明治8年当時において、日本人の義務は、国体を保つという一事にある。国体を保つというのは、自国の政権を失わないことです。つまり、外国の支配を受けることなく、日本人が自らの民族による政権を守ることだ。福澤翁は説かれているのです。


 「政権を失わざらんとするには、人民の智力を進めざるべからず。その条目は甚だ多しといえども、智力発生の道において第一着の急須は、古習の惑溺を一掃して西洋に行わるる文明の精神を取るにあり」
日本人自らによる独立政権を失わないためには、国民の知力を向上させなければならない。知力を発達させるために、しなければならないことはたくさんあるが、第一の急務は、古い慣習への惑溺を一掃して、西洋近代文明の精神を採り入れることだ、と。
福 澤翁の主張の背景には、幕末から明治にかけて、わが国が欧米列強の脅威にさらされていたという現実があります。
今日、シナ、南北朝鮮の両国、ロシアなどの隣国の驚異に晒されている状況は驚くほど酷似しています。
そして、福澤翁は、この厳しい国際環境において、日本人は白人の支配に屈するものかという強い気概をもつべきだと、国民同胞に訴えていたのです。これこそ、福澤翁の独立心が、強い愛国心に裏付けられていることを示されたものです。
 
福澤翁は、後年、皇室に対する敬愛の念を強めていきました。帝国議会開設に先立つ明治15年、福澤翁は『帝室論』を著し、日本皇室を論じています。「帝室」とは、皇室のことです。

本ブログでも、福沢諭吉翁「尊皇論」を五分割して紹介させていただいております。

 「今日、国会の将に開かんとするに当たって、特に帝室の独立を祈り、遥かに政治の上に立ちて下界に降臨し、偏りなく党なく以て其の尊厳神聖を無窮に伝えんことを願う」
 つまり福澤翁は、皇室は政治の上に立ち、不偏不党の立場にあるべきだとし、皇室の尊厳と神聖を未来永遠に伝えることを願われたのです。同書で福澤翁はこう書かれています。
 「我帝室は日本人民の精神を収攬するの中心なり、其功徳至大なりと云ふ可し」
つまり皇室は日本国民の精神を統合する中心である。その功徳は極めて大きいと福沢は考えていました。続けて彼は述べます。
 「国会の政府はニ様の政党相争ふて火の如く水の如く盛夏の如く厳冬の如くならんと雖(いえ)ども、帝室は独り万年の春にして、人民これを仰げば悠然として和気を催ふす可し。国会の政府より頒布する法令は其冷たること水の如く。其情の薄きこと紙の如くなりと雖ども、帝室の恩徳は其甘きこと飴の如くして、人民これを仰げば以て其慍(いかり)を解く可し、何れも皆政治社外に在るに非ざれば行はる可らざる事なり」
 福澤翁は、皇室は、政治の外にあって、その徳によって国民に和をもたらすような存在であるべきだと説かれました。
 
 福澤翁は、単なる文明開化論者ではなく、日本の独立維持を訴え、愛国心と尊皇心を持つ日本人でした。その言説には、維新の志士たちに連なる、日本人の精神が脈打っています。
この点を理解する時、「独立心をもて」という福澤翁の訴えは、私たちの心に、一段と強く響きます。
 
 福澤翁は明治34年に亡くなりました。その40年後、日本は米国と戦い、敗れました。戦後の日本は、敗戦国として米国の占領を受け、現在も米国の強い影響下にあります。物質的には福澤翁が想像できなかったほどの豊かさを享受していますが、、国の独立ということに関しては、逆に大きく後退し、国民の多くは独立心を失い、政府は外交や国防を他国に依存しています。さらに金融による経済戦争にも敗れ、シナの台頭、悪しき教育者の偏向教育、捻じ曲がった教科書等、日本人の多くは日本人としての誇りや自信をも失っているようです。
私たちは、福澤翁が文明化の目的とした、国の独立ということをしっかり考えていかねばなりません。そして、独立心を持て、独立心は愛国心からだ、という福澤翁の渾身のメッセージを受け止めなくてはなりません。

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