司馬遼太郎「坂の上の雲」と再会して思ったこと〜mepo、台所掃除嫌いだった!?
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司馬遼太郎「坂の上の雲」は、実は3年前に途中で挫折していた。 秋山実之が経済的事情から文学を捨てて、海軍を志し、 正岡子規が病気で死んでしまうところで、 頁を捲る手はぴったりと止まってしまっていた。 彼らの青春時代は終わってしまったのだ。 これ以上、何を読むことがあろう?(これから本番だよ?) 日露戦争へ向けて緊迫感が高まる――ってところで、 すっかり興味を失ってしまい(笑)、未読になっていたのだ。 なぜそこで興味を失ったのか?そして、今どうして読了できたのか? 司馬遼太郎氏は、「坂の上の雲(五)」(文芸春秋)のあとがきで、 その答えを用意してくれていた。 子規の下宿を去ってゆく真之の背中というのは、
そしてそのくだりまでは私の心象の中の真之の像が大きいのだが、 そのあと真之は海軍という一種の人格性をもった組織の中に 入ってしまってからは小さな粒子にすぎなくなる。 陸軍にいる好古においてもおなじ情景である。 その粒子になりはてた者たちをえがくには、 むしろかれらそのものをとらえるよりも彼等の属した組織を 人格的な部分でとらえざるをえず、 さらにはかれらを埋没させたその組織がもっとも人格的な側面を 過熱させたのは、時期的にはロシアとの対決であった。 結局は同心円をえがいているつもりではあっても、 その円の中に日露戦争が入らざるをえなくなった。 むしろ日露戦争そのものを大円周の中でとらえることによって、 同心円の中心をたしかめようとした。 (司馬遼太郎「坂の上の雲(五)」文芸春秋あとがきP362) やはり、司馬氏の中でも実之が海軍に入る時点くらいから、 彼らの心象風景は小さくなっていたのだ。 基本的に個人にしか共感できないタイプである私は(笑)、 個人の心象風景が小さくなると、物語に入り込めなくなる。 そこで興味を失ったのだ。 では、どうして今また手にとる気になったか? 司馬氏の幕末を描いた作品を中心に読み始めて、 少しずつ個人の枠を超えた流れとか、出来事に共感できるようになってくる。 今まで無意味に思えていた年代や時間だとか、無名の人の名前の羅列だとか、 取るに足らないエピソードのようなものがひとつの渦となって、 「時代」という形を作っている。 それは個人よりももっと肉厚で、個人に共感する上で欠かせない。 そして、その影響は私の生活にもあらわれる。 結構、細かいことを記録するようになった。 娘の体調の数値、仕事の件数と記録と日付・時間、掃除や整理の場所の記録、 お米は10キロ家族三人で何日もつのか?(爆) 1週間で車は何回使ったか? 疲れてる時は、献立はマーボー豆腐が多いとか(なぜ?)。 嘘みたいだけど、記録ってあまりつけたことがなかった。 (家計簿だってつけたことないんだから!←自慢するな) ひとつひとつは断片だけど、それらをじーっと眺めていると、 何か傾向のようなものが見えてくる。 私ってどうやら台所掃除が嫌いらしいとか(え?)、 スケジュールを詰めすぎてる日は結構車を使ってるとか、 仕事は月の中旬に立て込んでくるんだなーとか、 米、結構なくなるの早いぜ…誰がこんなに食べてんだよ!?とか(←おい!)………。 数字や歴史の年代が嫌いだった。 あんな無味乾燥な記号に操られてたまるか!?って思ってた。 要するに、科学的思考や客観的思考がゼロだったのだ。 何でもぼんやりと雰囲気でとらえていた。 ぼんやりしてても生きてこれたってことは、 今までよっぽど色んな人に守られてきたんだなー。 でも、ぼんやりには限界があるんですな。 日露戦争も結局は「ぼんやりさ加減」で勝敗が決まったんじゃなかろうか?! (飛躍しすぎ) 今、「坂の上の雲」を改めて読了して、
教科書で習った「1904年日露戦争」の分厚さの前に、 何も感想が出てこない状態である。 ちょうどNHKドラマも併せて放送していたことだし、 モックンの美しい身体をうっとりと眺めながら(変態)、 ゆっくり感想を書きたいと思う。 |




ご無沙汰いたしました〜〜!
娘さんのおかげんはいかがですか?先日久し振りに訪問させていただいてビックリでした。お大事になさってくださいね。
物語の主人公が個人から国家へ移っていくとき、やはり興味がそれることってありますね。私も「坂の上の雲」は途中で挫折組です^^;;
でも今回はきちっと読了されたようで、感想をUPされるのを楽しみに待ってます。(やはりモックンの美しい身体を眺めながら(笑))
2010/2/11(木) 午前 2:04
組織の枠が固まってしまうと、どうしても人間のフリーハンドが小さくなりますから、明治国家が完成する前後はまさにそういう瞬間だったのではないかと思います。維新の元勲たちが魅力的に見えるのも当たり前なんですよね。日露戦争後にも偉い政治家や軍人はいたんですけど、イメージとして元勲レベルまでいかないですもんね。
2010/2/11(木) 午前 7:06
しろねこさん、ご無沙汰しておりました〜!お元気でしたか?娘は、親の心配をよそに、毎日元気に幼稚園に通っています!こんな時、親なんてたいして役に立ちませんね〜(笑)。
あ、しろねこさんも「坂の上〜」は、途中でしたか?はい、やっぱりモックンの身体を目の保養に(←すっかりオバサンになっちゃったなあ…笑)頑張りませんか?(笑)3年ほど前は、子規が亡くなるところでパタンと閉じてしまったんですよ。要するに面白くなくなっちゃって。今回は、日本にとっての日露戦争の重要性を改めて感じました。その後の物語も読みたいです。
すっかりご無沙汰していたにもかかわらず、忘れずにコメントをいただき、ありがとうございます。またよろしくお願いしますね♪
2010/2/11(木) 午前 11:41
大三元さん、「組織の枠が固まると、人間のフリーハンドが小さくなる」って、その通りですね!大きい絵を描くには、一人一人が全体の部分になって働かなくちゃならないですから、個人はどうしても埋没してしまいますね。ある程度成熟した組織ってその後はどうなるんでしょうね。司馬氏によれば、徐々に何かが狂っていって、太平洋戦争へって流れなのでしょうけど…。絵を描きあげてしまった組織の方向性に興味があります。
日露戦争後の歴史にも興味が湧いてきて、以前大三元さんのブログでみた五百旗頭真「日米戦争と戦後日本」とか、入江昭「日本の外交」などを読んでいます。また大三元さんのブログを参考にさせてもらいますね!
2010/2/11(木) 午前 11:52
私はむしろ歴史の大きなうねりの中で埋没していく個人の輝き、という作品に引かれているんじゃないかと思います。記録、という点でブログのタイトルをリストで眺めていると結構自分の流れが見えますね。
2010/2/11(木) 午後 1:13 [ kohrya ]
kohryaさん、お久しぶりです。
「歴史のうねりに埋没してゆく個人の輝き」ですか…。kohryaさんとお会いしたことはなく、ブログだけの印象なのに失礼ですが、なんだかkohryaさんらしくて渋いです。
そうですね、ブログも元々日記ですものね。読書記録としてとっても役に立っていますけど、その時々の気持ちが思い出せるのがいいですね!すっかりさぼちゃってるのになんですが(笑)。
2010/2/12(金) 午後 7:28
NHKは何故あんなにモックンを脱がせたがるのか、…一度問いただしてみたいと思っております(笑)
司馬先生は人間そのものより人間の果たす役割というものに興味があるのでしょうね。こればかりは個人の好みの問題でしょうけれど^^
2010/2/13(土) 午後 3:15
あんごさん、あははは!!やはり、男子の肉体美は欠かせない要素ではないでしょうか!?福山龍馬も脱いだらすごかったですね(笑)。
「人間の果たす役割」ですか。ほんとにそうですね。司馬氏は、結構無口で職人気質というか、渋い役どころの人が好きだったんですかね〜。ど派手な演出家はあんまり好きじゃなかったのかな。私も職人気質の人には目がないんです(笑)。
2010/2/16(火) 午後 9:37
こんばんは、mepoさん
昨年末は、坂の上の雲もクライマックスを迎えて...終わりましたね
この小説、私は学生時代に読みました...30年も前のことです
その頃の印象でしかなかったので、テレビ放映を観て、こんなドラマだったのか、と改めて思いました
原作で一番印象に残っており、今でもそれを引きずっているのが、「獺祭書屋」です
子規を見舞いに訪れた真之が、部屋の書物の乱雑さを指摘した際、子規が言う言葉「相変わらずのダッサイ(獺祭)じゃが」と
私もその精神に憧れて...不精にかこつけて、ですが...自分の部屋を「獺祭書屋」と命名しています
私は、真之より、好古に好感を抱いていました
悠然と敵陣に馬を進めるその姿に、いいなぁ、と
今回初めて映像で観ると、大変な修羅場なんですけどね
この作品、やはり青春群像ではなく、幼い日本と言う国の懸命な闘いを描いたものなのですね...大人になろうとして、認められようとして...
2012/2/13(月) 午後 11:31 [ neige9 ]
neige9さん、こんにちは。
ドラマ「坂の上の雲」は、録画したまままだ見てないんですよ〜。こういう小説は、学生時代に読みたかったですね。
子規のエピソードは、いちいち面白かったです。国語で習った子規ではなく、ひとりの若者として好感がもてました。子規が死ぬまでは、青春群像でしたよね。以前はそこでストップしてしまったんです。「組織を人格的にとらえる」という司馬氏の言葉にとても納得しました。
司馬氏が描く好古はかっこいいですよね!個人の枠を超えた時間の流れを面白く感じさせてくれたのは、司馬遼太郎のおかげです。
2012/2/15(水) 午前 9:21
こんばんは、mepoさん
司馬遼太郎つながりで、この場を借りて申し訳ありませんが
「尻喰らえ孫市」の雑賀孫市も、素敵な人物像でしたよ
歴史物は、歴史をどう捉えるかだけではなく、どんな人物を描くか
作家の心が描きたがる人物...それが魅力ですよね
司馬遼太郎は、たんに歴史作家というだけではなく
歴史に関わった「人」を描き出す優れた作家だと思います
2012/2/16(木) 午前 0:46 [ neige9 ]
neige9さん、お返事が遅れて申し訳ありません。
司馬遼太郎の未読本は、たくさんあるので、まだまだ楽しめそうですね。
司馬遼太郎さんが描く人物は、みな魅力的ですね〜。「竜馬がゆく」などは本当にその時代に生きている気持ちになって、龍馬が亡くなった場面では、レクイエムを流したくらいでした。やはり司馬氏自身がその人物に惚れ込んでいるのでしょうね。
2012/2/28(火) 午後 9:24
こんばんは、mepoさん
お忙しい中、ご返答までいただき、感謝しています
ありがとうございました
私も、随分と涙もろいところがあります
龍馬の死で、レクイエムを流されたとか...
素敵な感性ですね
...モーツァルトのレクイエム、聴きたくなりました
聴きながら、今夜も読書で過ごします
2012/3/3(土) 午後 9:42 [ neige9 ]
neige9さん、こんばんは。またまたお返事遅れました。すみません。
レクイエムの意味ってあまりわからなかったんです。でも、龍馬が小説の中で死んで、レクイエムは亡くなった人を送るというより、生き残った人のためにあるのかな〜とぼんやりと思いました。確実に慰められたんですよね。小説なんですけど(笑)。
2012/3/22(木) 午後 11:34