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平将門の首塚は魔都東京一のパワースポット(中) 【ファイルET64】2012.05.25 

【ファイルET64】2012.05.25 平将門の首塚は魔都東京一のパワースポット(中)

将門さんは江戸の守護神になったんだねえ。

(上)からの続きです。
(上)の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53268939.html

 まず平将門(たいらのまさかど)さんの首塚の写真(再掲)から。

イメージ 1



 将門さんの肖像画。

イメージ 2



 馬上で戦う獅子奮迅(ししふんじん)の活躍の将門さん。

イメージ 3



 鬼の形相だねえ。

 京都で晒(さら)された将門さんの首

イメージ 4



 首だけになっても、いたって元気もりもり、意気軒昂(いきけんこう)です。

 こんな首が江戸まで飛んでくるなんて、恐ろしいねえ。

 武芸に優れているばかりでなく、その壮絶な死によって、不遇をかこつ東国の人達の英雄となった将門さんは、その壮絶で悲劇的な死とも相まって、その関東を中心に時代を超えた伝説として後世の人々に語り継がれることになります。

 そりゃそうでしょう。首と胴体が生き別れになっても戦意を喪失しない不死身なのですから。

 その影響の大きさから、平将門の乱をもって、武士が発生したと評価する人もいるそうです。

 嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が流行し、これは将門さんの祟(たた)りだという噂が巷間に広がりました。

 それで祟りを鎮めるために、時宗(じしゅう)の遊行僧(ゆぎょうそう)の他阿真教上人(たあしんきょうしょうにん)によって将門さんは神として祀られ、延慶2年(1309年)には神田明神に合祀されることとなりました。

 その後、神田明神は戦国時代に江戸城を築城した太田道灌や北条氏綱(ほうじょううじつな)等の東国武将が武運祈願を行うところとなり、ついには関ヶ原の戦いに際して徳川家康が戦勝祈祷を行うなど、関東武士の大きな崇敬を集めることになります。

 将門さんは関東武士のヒーローだったんだねえ。

このようなことから、ついには江戸時代になって徳川幕府により、平将門さんを祀る神田明神が『江戸総鎮守』として重視されることになりました。


 つまり将門さんは江戸を守護する神様に祀りあげられたのですね。

 この圧倒的な信仰を背景に、朝敵とされていたはずの将門さんは、江戸幕府三代将軍徳川家光の時代に、勅使(ちょくし)として江戸に下向した折に幕府より将門の事績について聞かされた大納言烏丸光広(だいなごんからすまみつひろ)が「将門は朝敵に非ず」との奏上(そうじょう)をしたため名誉回復を果たしました。

 そういう将門さんを祀る神田明神は、幕府の守護のため江戸城の鬼門(東北)にあたる現在地に遷座(せんざ)されました。

 そして、この首塚も江戸城の鬼門に建っていますね。

 江戸城と神田明神、首塚の位置関係。

イメージ 5



 ところが明治維新後は、政府により将門さんが朝廷に反逆した朝敵であることが再び蒸し返され、逆賊として扱われます。

 にっくき江戸徳川家が守護神として崇敬する人物ですからね。

 そして明治7年(1874年)に明治天皇が行幸するにあたって、『陛下が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこと』とされて、教部省の指示によって平将門が祭神から外され、代わりに少彦名命が茨城県の大洗磯前神社(おおあらい いそさき じんじゃ)から勧請(かんじょう)されました。

 その時、江戸っ子、特に神田明神の氏子(うじこ)さんたちの怒ったこと!

 神田明神は神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108町会の総氏神(そううじがみ)で、余所者の田舎者が集まった明治政府が勝手に江戸っ子の誇りの将門さんを祭神から外すなんて、それこそ神を恐れぬ不届きなことです。

 その抗議は拡大し、宮司を辞めさせるなどの騒ぎに発展し、困り果てた神社は、将門さんの神霊を境内摂社に別宮の『将門神社』として遷座しました。

 ところが将門さんは大東亜戦争敗戦後に皇室を否定し、廃絶しようとする左翼勢力によって『朝廷に刃向かい、新皇に即位して新たな時代を切り開いた英雄』と祀り上げられ、再評価されることが多くなりました。

 そして、昭和51(1976)年には将門を主人公とした反日・反皇室放送局のNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』が放映されるに及んで、将門の祭神復帰への機運が高まり、ついに昭和59(1984)年になって、将門さんは本社祭神に復帰し、神田明神に合祀されることになったのです。

 反日・反皇室放送局のNHKは、現在も反日が国是の朝鮮人を喜ばすために『韓流ブーム』を捏造(ねつぞう)し、大河ドラマ『平清盛』で清盛のことを執拗に『王家の犬』と呼ばせ、『皇室』を誹謗中傷するという売国行為を行っています。

 聖徳太子以来、日本の天皇家は『皇室』あって、決して『王家』ではありません。

 日本がその支配(柵封:さくほう)から脱した支那の価値観では、秦の始皇帝以来、『皇帝』こそが世界の中心として全世界を統治し、朝鮮の李王朝のような『王家』は辺境の野蛮人の酋長だったのです。

 だから、日本の皇室が『王家』ではなく『皇室』であることが死ぬほど悔しい朝鮮の人達は、日本の天皇陛下のことを『日王』と蔑み、日本を誹謗中傷しているのです。

 こんな連中のために進んで売国をするNHKスタッフは即刻故郷の朝鮮半島へ帰るべきです。

 他方、売国NHKは、史実を全く無視した、荒唐無稽な『ナンチャッテ韓流歴史ドラマ』をタレ流し放映するに当たって、吹き替えで李王朝王宮のことを『朝廷』と呼ばせています。

 『朝廷』とは『天子』の下、官僚組織をともなった政府および政権のことや、『天子』が政治執務を行う場所や建物の事を指します。

 朝鮮半島は『王』はいても『天子』なんていません。

 つまりNHKは、勝手に日本の『天皇=天子』を『王』と格下げし、朝鮮の『王』を『天子』に格上げしているのです。

 この不敬売国『平清盛』は視聴率低迷が続いていて、このままでは“大河史上最低”の人気なんだって。ざまあだねえ。

 そもそも日本を貶めることがアイデンティティーの、こんな異常国家と国交を結んでいるというのは異常なのですけれどね。

 朝鮮半島や支那共産党の手先となって自虐史観で日本人を洗脳しようとしているのが、NHKや朝日新聞を中心としたメディアなのです。

 江戸っ子の働きかけもあったとはいえ、こういう経緯で将門さんの名誉回復がなされたというのは、私としてはちょっと複雑なのですけれど、江戸東京の守護神として平将門さんが祀られているこの首塚や神田明神は、強力なパワースポットとして訪れる値打ちは大だと思います。

 首塚の周辺にはカエルさんが置かれています。

イメージ 6



 可愛いねえ。

 これは、将門さんの三女 『五月姫』が父の復讐を果すため祈願し、妖術を得て『滝夜叉』と改名し蝦蟇(ガマガエル)となったという伝承によるものだとか、将門の首が京から飛んで帰ったことから、必ず「帰る(カエル)」にひっかけたものとか言われているそうです。

 蝦蟇といえば、児雷也(じらいや)という古い映画で、どろんどろんと蝦蟇が登場するシーンも出てきますし、四六のガマの油もよく利くそうですから、霊力のあるカエルさんなのかもしれませんね。


 なお『神田明神の氏子(うじこ)は成田山(なりたさん)にお詣りするな』

 と言われているそうです。

 それは、朝廷が叛乱を起し『新皇』を名乗った平将門さんを討伐するため、僧・寛朝を神護寺護摩堂の空海作といわれる不動明王像と供に、現在の成田山【なりたさん:真言宗智山派大本山成田山新勝寺】へ派遣し、乱の鎮圧のため不動護摩の儀式(火渡り荒修行)を行わせ、将門さんを調伏(ちょうぶく:まじないによって人をのろい殺すこと)したからなのです。


 また、将門さんを討伐した藤原秀郷=俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)の子孫である佐野家では、下人までも神田明神に参詣してはならないのは言うまでもなく、社前を通ることさえ禁じているそうです。

 通るとたちまち災いに遭うからです。

 神田祭りの日などはさらに大事(おおごと)で、路上で神輿(みこし)に行き会うといけないので登城することさえ辞し、小川町にあった屋敷前を祭礼の列が通るときには固く両門を閉じ、人の出入りを禁じました。

 見物に出ようものなら必ずケガをするというのです。

 佐野家にはこういう話が伝わっているそうです【「伝説探訪 東京妖怪地図 荒俣宏監修 田中聡著」P34より】。

※  ※  ※

 あるときこの家筋の佐野五右衛門という人が神田織部という旗本の屋敷で酒のもてなしを受けた後、一緒に赤城明神の社地内にある茶屋へ遊びに行くことになった。

 五右衛門が羽織がなくては格好がつかないので貸してほしいと頼むと、それはもっともと、つなぎ馬の紋のついた綿入羽織を貸してくれた。

 つなぎ馬といえば、将門の紋所。じつは神田氏は将門の末裔(まつえい)だったのである。

 茶屋の楼に上がってしばらくは遊女と戯(たわむれ)れていたが、突然五右衛門が全身発熱して滝のような汗をかき真青になって気絶した。医者だ駕籠(かご)だと大騒ぎして、五右衛門の屋敷まで送りとどけた。

 翌朝織部が心配して訪ねると、五右衛門はケロリとしている。前後不覚になるほど辛かったのが、羽織を脱いだらすぐに治ってしまったという。神田明神の祟りを受けたのである。

※  ※  ※

 凄いねえ。

 将門さんの祟りは恐ろしいねえ。

 ということで、(下)に続きますね。










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金環日食(日蝕)を観たよ 【ファイルSI 04】 2012.05.21

【ファイルSI 04】2012.05.21金環日食(日蝕)を観たよ

雲があったから心配だったねえ。

 今朝7時台、2012年最大の天文イベント、金環日食(日蝕)を観ることができました。

 金環日食(日蝕)は、月が太陽をかくした『太陽のリング』です。

 金環日食もしくは皆既日食を同じ地点で見られるのは400年に1度といわれ、今回のように金環日食が、京都・大阪・東京を含む日本の広い範囲で見られるのは1080年12月14日以来なんだって。

 白河天皇が天皇位を退いて上皇となり、院政を敷き始めたのが1086年ですから、日本では随分と久しぶりの広域日食なのですね。

 今回の様な金環日食と皆既日食は、どちらも月が太陽を隠す現象です。

 金環日食と皆既日食のどちらになるかは、月と太陽の見かけの大きさによります。

 小さい月から太陽が“はみだす”場合は『金環日食』に,大きい月が太陽を完全に“かくす”場合は『皆既日食』になるのです。

 月と太陽の見かけ上の大きさは,地球との距離によるものです。

 月は地球のまわりを、だ円を描くようにまわっています。

 そのため地球から月までの距離は日によってかわり、私たちが見る月の大きさも約27.6日周期で変化しています。

 今回は地球から遠いので月の見かけの大きさが小さいため,金環日食となったのです。
 

 それで、朝起きたらば、曇っていたので、金環日食が観られるか心配でした。

 今回は日食撮影専用のフィルターも用意したし、日食の時の太陽の高度が低いので、ビルや電線が邪魔しない場所をロケハンしたりしたので、観られなかったら大損です。

 撮影場所に着いて三脚とカメラをセットした時点では空を厚い雲が覆っていて、太陽が見えませんでした。不安が脳裏をよぎります。

 やっと見えた時の写真がこちら。

イメージ 1



 あとはひたすら雲がかからないように念じ続けます。

 うへえ、また雲が出てきたよ。

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 更に念力を強めるとともに、雲に向かって息をふうふうしました。


 そのお陰で、あと少しで金環日食というところで、雲が切れてくれました。わーい!

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 念力が効いたのかな?息ふうふうが効いたのかな?

 もう一息!がんばれ!

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 このように、写真右下の光のビーズがつらなったように見える状態を『ベイリー・ビーズ』と呼びます。

 『ベイリー・ビーズ』の拡大写真。

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 この『ベイリー・ビーズ』は太陽と月の輪郭が重なる瞬間、月表面の凹凸のすき間から光がもれ、ビーズがつながったように見える現象なのです。

 つまりお月様の山岳地帯の谷間から漏れてきた光なんだねえ。すごいねえ。

 ベイリー・ビーズが現れる時間を厳密に計測することで、正確には分かっていない太陽の直径を知る手がかりになることから、21日は天文学者などが全国22か所で観測プロジェクトを行ったそうです。

 

金環日食が完成しました。


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 わーい!やったね。

 太陽が完全にかくれない金環日食では,皆既日食で見える『ダイヤモンドリング』(月から太陽が出る瞬間におきる)や『プロミネンス』(太陽から立ちのぼるガス)を見ることはできません。

 それから、皆既日食のように暗くならず、日食メガネやファインダー越しにしか観察することができないので、今ひとつ、日食を体感したという実感には欠けます。


 しかしながら、荘厳な天体ショーであることには変わりありません。

 『ベイリー・ビーズ』も観られたことだし。


 日本は日の本(ひのもと)ですから、お日様の国です。

 天照大神(アマテラスオオミカミ)は太陽神ですし、天照大神は宇宙神である大日如来(だいにちにょらい)と習合していますからね。

 大日如来は別名:毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)と呼ばれ、おなじみの奈良の大仏さんも毘盧遮那仏です。

 卑弥呼(ひみこ)様の時代にも日食があったようですし。

 だから日本の信仰の中心=太陽の珍しい現象である金環日食を拝めたのはとても有難いことなのです。

 そういえば、前回大阪ツタンカーメン展で身近に感じたエジプトも、太陽神ラーの信仰があったんだねえ。

 ツタンカーメン王のお父さんの古代エジプト第18王朝アメンホテプ4世(アクエンアテン)さんは、伝統的な太陽神アメンを中心とした多神崇拝を廃止し、古の太陽神アテンの一神崇拝を行ったくらいです。

 お日様は地球上のすべての生命の源ですからね。

 ツタンカーメン展と金環日食を観た以上、きっと御利益があるねえ。

 人間の存在なんて、月と太陽のスケールから観たら本当に小っぽけなものです。


 金環日食が終わって、光の輪っかが途切れます。

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 名残惜しいねえ。

 カチューシャみたいな形です。

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 この時点で雲の状態はこんな感じでした。

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 雲があったのに、金環日食を観ることができてよかったよ!


 それから、

 2012年の天文イベントはこれだけじゃないんだよ!

今回の金環日食の他、今年はさらに6月は金星の日面通過,8月は金星食が観られます。


 6月6日朝7時頃には、太陽の前を金星が通過し、太陽表面を黒い点(金星)が移動するように見える『金星の日面通過』がおきます。

 『金星の日面通過』もとても珍しい現象で、日本どころか全地球上で次に見られるのは2117年。今回を見のがすと100年以上も見られないのです。

 通過のようすを観測すると、地球から金星や太陽までの距離をおおまかに計算できるため、19世紀ごろまで『金星の日面通過』は天文学者の間でも注目の現象だっんだよ。
 
 だから、日食メガネをお持ちの方は、6月6日まで大事にとっておいてね。


 また、8月14日午前3時前後頃には,23年ぶりに金星が月にかくれる『金星食』を観ることができます。
 
  月の縁にかがやく金星が美しい金星食のようすはトルコなどの国旗にもえがかれ(トルコの国旗は三日月と水星の説あり)、これまでも世界中の人々を魅了してきました。


 ということで、今回は神秘的な金環日食でした。









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ツタンカーメン展大阪会場に行ってきたよ(下) 【ファイルA17】2012.05.19 

【ファイルA17】2012.05.19 ツタンカーメン展大阪会場に行ってきたよ(下)

金だけでなく、白も青も綺麗だねえ。

 (上)からの続きです。


 

有翼スカラベ付き胸飾り。


イメージ 1


 ツタンーメン王墓の宝庫で発見された胸飾りのひとつです。

 月の船とそれを支えるスカラベ(聖甲虫)が表されていて船上には月を象徴するホルス神の左眼があり、その両側には日輪を頭上に戴く2匹のコブラが配されています。

 その上には、三日月と満月が乗っており、満月の中には月神トトと王、太陽神ラーが描かれています。

 太陽神を表すスカラベは、ハヤブサの神ホルスの翼と脚を持つ姿で表現され、そのかぎ爪で永遠の象徴「シェンの輪」と上下エジプトを象徴する植物ロータスおよびパピルスを掴んでいます。

 なお、この緑色の美しいスカラベの体は、エジプト西部の砂漠に隕石が落ちて出来た天然ガラス(リビア砂漠ガラス)で作られています。

 スカラベというのは、要はフンコロガシさんです。

 古代エジプトでは、スカラベが動物の糞を丸めて自分の巣に転がす姿を、天空を通って太陽を転がす太陽神ケペリと同一視していました。

 また、ナイル川の氾濫が収まり、肥沃になった土地に、最初に顔を出す習性から、再生、復活の象徴とされています。

 ミイラを作るための墓の中にスカラベを一緒に埋葬することも多かったようです。


 

ツタンカーメンの半身像。


イメージ 2



 少年王の面影を伝えるこの等身大の彫像は、ツタンカーメンの肖像の中で最も美しいもののひとつとされています。肌は赤茶色、眼と眉は黒く塗られており、体は亜麻布のシャツを表すために淡黄色で彩色されています。

 丈の低い円筒形の冠は金を模した明るい黄色に塗られ、その額には神々や王を守護する聖蛇ウラエウスが付けられています。

 発掘者ハワード・カーターは、この腕のない像を、王の衣装掛けあるいは衣服の仕立て用のマネキンと考えましたが、王が来世で永遠の生命を獲得した魂「アク」であることを示す儀式用の彫像であった可能性もあるそうです。


下エジプト王の冠を被ったツタンカーメン王


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 現在のカイロ南部からアスワンあたりまで(南部)が上エジプトで、カイロ以北のナイルデルタ(北)が下エジプトです。

 木造金箔張りの像は王権の象徴である殻竿と杖を手に持ち、サンダルを履いています。

 像にはツタンカーメンの名が刻まれていますが、アマルナ時代風の特徴的な体型から、ツタンカーメンの父アクエンアテンではないか、またはその晩年の共同統治者スメンクカラー王のための彫像だったのではないか、あるいは、これらの像がネフェルティティ王妃のものであった可能性もあると考えられています。

 ツタンカーメン王は上下両エジプトの王を兼ねていたので、上エジプト王の冠を被ったツタンカーメン王の像も並べて展示されていたよ。


ライオン飾りのついた化粧容器。


イメージ 4



 たてがみのない雌ライオンさんだねえ。

 普段オスは昼寝ばかりしていて、実際にハンティングをするのは主に雌ライオンさんだから、エジプトの人は雌ライオンさんを神格化しているのかな?

 これは玄室の第1の厨子と第2の厨子の間で発見された方解石製の化粧容器です。

 中には、動物性油脂と樹脂でできた化粧品の痕跡が残っていました。

 壺の両側には円柱があり、「あっかんべー」と舌を出したベス神がロータスの花形の柱頭から顔を出しています。

 ベス神は出産の守り神であると同時に、快楽の神でもあったのです。

 壺の胴部には、犬とライオンが獲物を襲う砂漠の狩りの場面が刻まれ、壺の底にはエジプトの敵である異国の民、ヌビア人とアジア人の顔の形をした脚が付けられています。

 蓋の上には口を開け舌を出したライオンが横たわり、この容器のデザイン全体が、混沌の力を打ち負かす強いライオンとしての王の姿を象徴しているのだそうです。

 この方解石の白がとても綺麗だったのです。
 
 

アンク形祭具です。


イメージ 5



 儀式のための『♀』の形の祭具なのですが、その石英などを主原料にし、ナトロンなどの溶剤 を加え青釉をかけた焼き物『ファイアンス』の青の鮮やかさといったら、それはもうびっくりします。

 今回の展示で目をひくのは、キンキラキンの黄金はもちろんなのですが、白や鮮やかな青もとても印象的でした。


 このように主立った展示だけでも見応え充分なのですが、外にも美しい品がたくさんありました。

 ということで、とても楽しゅうございました。人あたりがして少々疲れたねえ。

 観覧を終えて会場を出たらば、入場制限がかかっていて何時に入場して下さいという入場整理券を配布していました。

 大阪の平日一番で行ってこれだから、上野の森美術館での開催時はさぞかし混むだろうねえ。

 大阪会場を利用して正解だったよ。

 出口にあったおみやげ屋さんで、『ツタンカーメンメン』というインスタント袋ラーメンが売っていましたが、315円もしたので買いませんでした。せいぜい200円でしょ?

 他の人も「安けりゃ話のタネに買うのにねえ」って言っていました。


 私は2500円の図録を買ったので、お土産はこれで充分です。この図録、写真が大きくて細かいディテールを見ることができて、解説も豊富なので、なかなかの優れものでした。

 実物の雰囲気を思い出すにはとても良い図録だねえ。

 ということで、大人気のツタンカーメン展でした。

 入場料は高いし、混むし、写真で観たらいいかなと思って、行くのを躊躇していたのですが、実際に行ってみた感想は、「やはり本物を観て良かった」というものです。

 東京会場の会期は、2012年8月4日(土)〜12月9日(日)です。

 関東(東日本)の人は、前売り券を買って、楽しみに待っててくださいね。









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ツタンカーメン展大阪会場に行ってきたよ(上) 【ファイルA16】2012.05.19 

【ファイルA16】2012.05.19 ツタンカーメン展大阪会場に行ってきたよ(上)

さすがは古代エジプト文明だねえ。

 今回は今話題の『3300年の時を超えよみがえる古代エジプト黄金の秘宝』、
 
 『KINGTUT ツタンカーメン展 〜黄金の秘宝と少年王の真実』の記事です。

イメージ 1



 日本人はエジプトが好きだからねえ。そして、私もエジプトがとても好きです。

 それで、エジプト政府は、今後遺物の海外展示を控えるらしいので、今回が日本最後のツタンカーメン展などとマスコミも煽ります。

 それで、私が行ったのは東京開催より一足早い大阪会場です。

 ツタンカーメン展のHPはこちら。混雑状況等も分かります。
http://www.fujitv.co.jp/events/kingtut/top.html

 大阪では海遊館のお隣の大阪天保山特設ギャラリー (旧・サントリーミュージアム)で開催されていました。

 当初、大阪での展示は確か6月3日までということだったのですが、絶賛好評につき7月16日まで会期延長することになったんだって。

 大阪会場新会期:2012年3月17日(土)〜7月16日(月・祝)

 関西(西日本)地方の人は、この機会に是非お越しくださいね。

 大阪で一月半も会期延長と言うことは、次の東京会場(上野の森美術館)は、2012年8月4日から開催なので、東京への移動展示の準備期間が1月半縮まったのですね。

 今回のエジプト店は、貴重な展示品を傷めないために、搬入・展示には万全を期し、とてもシビアな配慮が成されているので、こんなに大阪で会期延長して、東京会場の準備は大丈夫かな?

 それで、ゴールデンウイークのほとぼりも醒めた会期後半の大阪会場の平日朝一番なら、まだ混み具合もマシだろうと思って、行きました。

 東京は異常に混みそうだからねえ。

 前売り券は買っておらず、前の日にセブンイレブンで平日入場券を買っておきました。土日祝より平日の方が300円安くて2500円(東京会場の平日の当日チケットは2700円)でした。

 会場には9:10くらいに到着したのですが、すでにロープを張った蛇腹の行列ができています。

 この日は9:30分の開場なのですが、開場前にも拘わらず何故か列は少しずつ進んでいきます。行列が止まるとイライラするから、この配慮は嬉しいねえ。

 どういうわけか、周囲では名古屋弁が目立ちます。大阪のおばちゃんも声が大きいのですが、名古屋のおばちゃんも元気いっぱいなのです。


 列は少しずつ進み、開場時間の9:30をだいぶまわって館内入場すると、数分の短いビデオを見せられて、これで入場者の流れの調整をしているようです。

 とても混んでいますが、身動きが取れないほどではありません。

 ただ、音声ガイダンスを利用している人が、展示品の最前列正面でガイダンスを聞き入ったまま、全く動いてくれません(大部分がおばちゃん)。

 これが、展示に集中して多少立ち止まる分なら理解できるのですが、こういう人は、どちらかといえば、ガイダンスに集中しているようなのです。

 係の人が、ガイドを聞いている人も動くように指示しているのですが、ガイドを聞いている人にその指示が聞こえるはずがありません。中には展示品そっちのけで上の説明板を観て、ガイドを聞いているおばちゃんもいます。

 なんか電車の券売機の前でいざ切符を買う段になってから、ようやく料金表を見て財布を出してお金を捜すのと行動パターンが同じなのです。

 主催側としては、音声ガイダンスは貴重な収入源なのでしょうが、こんなんなら音声ガイダンスやめてよお!


 それで、肝心の展示内容です。

 もちろん、場内は撮影不可で、図録の写真も使用不可なので、パンフレット等の宣材から写真をピックアップしますね。

 ツタンカーメン(紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃)さんは、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位:紀元前1333年頃 - 紀元前1324年頃)です。より厳密な表記ではトゥト・アンク・アメン(Tut-ankh-amen)といいます。

 若くして亡くなった少年王ツタンカーメンさんは、これまで、大腿骨の骨折から数日で死亡したことだけが確認されていた事から、他殺説が最も有力な説とされていました。

 ところが、2010年のエジプト考古学研究グループによるCTスキャンを初めとしたDNAや放射線調査により、ツタンカーメンは近親交配で生まれた事による遺伝による先天的な疾患を多数患っていた可能性が非常に高いことが確認され、具体的には変形した背骨、欠損した足の指、臓器疾患の跡等が確認されたため、特に直接の死因は足および大腿骨の骨折と、マラリアの合併症による体調不良の悪化が原因であるという証拠が多数見つかったそうです。

 ツタンカーメンと言えば、例の黄金のマスクですが、
http://homepage1.nifty.com/ramesses/egypt/emuseum3.htm
 今回は黄金のマスクは展示されていません。これで黄金のマスクなんて来た日には、どれだけ混むのか想像がつきません。

それで、今回の展示の一番の目玉がツタンカーメン王の黄金のカノポスです。


イメージ 2



 ミイラにした遺体からは内蔵が抜き取られ、抜き取った内蔵は4つの壺に保存します。この壺をカノポスっていうんだねえ。

 カノポスは、結構小さいのです。でも金もピカピカで、彩色も鮮明さをとどめているので、写真以上に実物が美しいのです。これだけで、入場料の値打ちがあろうってものです。

 この棺形カノポス容器は、ツタンカーメン王墓から出土したものの中で最も素晴らしい作品のひとつです。

 厨子の中にあった方解石の箱は4つに仕切られ、中に納められた4個の同じく方解石の壺から半貴石とガラスを嵌めこんだ金製のカノポス型容器が発見されました。

 容器には、防腐処理された王の内臓が納められ、今回展示の容器には肝臓が入れられていました。

 容器に描かれた王は、先から紐が何本か垂れ下っている殻竿(からざお:ネケト)と、『?』の形をした笏杖(しゃくじょう:ヘカ)を持ち、上下エジプトを表わすハゲワシとコブラの付いたネメス頭巾を被る伝統的な姿で表わされています。

 先が丸い付け髭は王の神聖さを示しています。この容器に描かれた王の容貌は、ツタンカーメンのミイラを納めていた人型棺とは目鼻立ちが異なっていて、また容器にツタンカーメンの即位前に短期間統治した王の名が書かれていることから、本来は別人のために作られたものを少年王が使った可能性もあるそうです。


今回のもう一つの目玉が、ツタンカーメン王のひいおばあちゃん(曾祖母)のチュウヤさんの黄金の棺(ひつぎ)。


イメージ 3



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 チュウヤさんのミイラは二重の入れ子式の人型棺に安置され、夫イウヤの墓に合葬されていました。木材に彫られ、金箔を張ったこの外棺に描かれているのは、三分のかつらを被ったミイラ姿のチュウヤさんです。

 彼女の顔、首、そして手だけが、包布から出ています。色とりどりに象嵌された広い襟飾りが胸の部分を覆い、天の女神ヌウトが交差した腕の下で羽を広げて彼女を守護しています。

 このほかジャッカルの頭を持ったミイラ作りの神アヌビス、書と知恵の神トト、そしてホルスの四人の息子たちが描かれています。そして女神ネフティスが棺の頭の部分を、その姉妹イシスが足の部分を守っています。
 
 本当に大きくてキンキラキンです。


 今回は黄金のマスクが来ない代わりに、ツタンカーメン王の副葬品(襟飾り、黄金の儀式用短剣と鞘)が展示されています。

象嵌細工(ぞうがんざいく)の黄金の襟飾り(えりかざり)とおもりです。


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 ウセクと呼ばれるこの幅広い襟飾りは、金と半貴石を模した色ガラスを象嵌した11個の飾り板から作られています。

 両端にはハヤブサの頭があり、襟飾りの一番外側には幾何学模様風の花がデザインされています。

 このような襟飾りを古代エジプトの王や貴族たちは、通常儀式の場で着用していたのですが、この襟飾りはツタンカーメンのミイラの大腿部で発見されました。

 長くなったので、下に続きますね。











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八景島シーパラダイスのシロワニさんだよ 【ファイルC244】2012.05.15 

【ファイルC244】2012.05.15 八景島シーパラダイスのシロワニさんだよ

コワモテだけど大人しいんだねえ。

 以前、しながわ水族館のシロワニさんをご紹介しました。

 シロワニさんといっても、アリゲーターやクロコダイルのワニさんじゃなくて、サメさんの方です。

 しながわ水族館のシロワニさんの記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/46000198.html

 今回は八景島のシロワニさんです。

 生態等に関しては、葛西の時に記載したので今回は省きます。

 シロワニさんは体格が良くて強面(こわもて)のお顔なのですが、大人しくて人間を襲うことは滅多にありません。
 

 サメのエラは鰓孔(さいこう)といい、サメはエラによって、呼吸するのですが、水を口からとりこむと、エラで酸素を吸収し、エラから水だけを排出します。

 遊泳性のサメのは、つねに泳いでいないと、このえらエラで酸素を取りこむことはできません。したがって前進を止めてしまえば呼吸困難になって溺(おぼ)れ死んでしまいます。

 タレントの明石家さんまさんが、お喋りを止めてしまうと死んでしまうのと同じです。

 ですから、映画『ジョーズ』に出てくる人食いで有名なホホジロザメさんは、常に遊泳していないと呼吸ができず、かつ、動きが俊敏で神経質なので、水族館の飼育は非常に困難なのです。

 ちなみにホホジロザメ飼育の最長記録は、2008年にアメリカのモントレー水族館が記録した198日間なんだって。これじゃあ、とてもじゃないけど水族館じゃ飼えないねえ。


 ところが、シロワニさんの様な岩陰に隠れて餌を待ち伏せする生態をもったサメは、目と鰓孔(さいこう)の間にもうひとつ噴水孔(ふんすいこう)と呼ばれる穴が発達していているのです。

 しながわ水族館のシロワニさんの噴水孔。

 
イメージ 1



 噴水孔は名前とは逆に、より多くの海水をとりこみ、自発的にエラに海水が巡るように動かすことも出来ます。

 それで、ホホジロザメのように動き回らずにすみ、大きくて見応えがあり、しかも大人しくて水族館でも飼いやすいシロワニさんは、大人気なんだって。


 八景島のシロワニさんは、イワシさんの群れの中にお住まいです。

 
イメージ 2



 ちょっと肩身が狭いかも。

 とはいえ、イワシイリュージョンの餌やりの混乱の時以外はイワシさんを蹴散らして悠然と泳いでいます。

 巨大水槽だからゆったりしているねえ。

 
イメージ 3



 上層階ののぞき窓から見ていると、大サービスでこちらに近づいてきます。

 
イメージ 4



 こんにちは。

 
イメージ 5



 うへえ。凄い迫力!

 大人しいって分かっていても怖いねえ。

 コバンザメを従えて去ってゆく後ろ姿もカッコイイねえ。

 
イメージ 6



 旧ソ連のタイフーン型原子力潜水艦みたいだねえ。

 
イメージ 7



 さようなら、元気でね。

 
イメージ 8



 ということで、今回はコワモテだけど大人しい、八景島シーパラダイスのシロワニさんでした。









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