アトモス部屋

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2006年11月27日

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三菱の創始者、岩崎弥太郎さんって『くわまん』さん? 【ファイルH5】2006.11.27

【ファイルH5】2006.11.27 三菱の創始者、岩崎弥太郎さんって『くわまん』さん?

岩崎弥太郎の『くわまん』さん疑惑


 三菱の創始者泣く子も黙る岩崎弥太郎さんです。

 私は一目観るなり『くわまんさんの写真だ!』って思いました。

 うへえ〜!そっくりだよお!

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『くわまん』さんこと桑野信義さんは1957年4月4日生まれ東京都出身の☆ラッツ&スターのトランペッターです。私も大好きな、人気タレントさんです。

『くわまん』さんこと桑野信義さんのホームページはこちら


 一方、岩崎弥太郎(いわさき やたろう)さん、天保5年11月11日(1835年1月9日) - 明治18年(1885年)2月7日)は高知県安芸市の出身の日本の実業家で、三菱財閥の創業者です。


 波乱万丈、ビッグ・トゥモローの世界です。

 私は大金持ちのスジャータちゃんの話を書いていますので、『くわまん』さんの前世、日本を代表する実業家の生い立ちを参考までにご紹介しましょう。

 岩崎弥太郎(いわさき やたろう)さんは、土佐・安芸郡の地下浪人の家に生まれました。

 子供の頃から極貧の中で暮らしたんだけど。頭脳明敏で12歳で儒者・小牧米山に弟子入りし、14・5歳になると詩才を発揮するようになったといいます。

 まあ、立志伝中の人は、大概、若い頃苦労したことになっています。

 安政元年(1854年)藩士・奥宮周二郎の従者となって江戸へ出、安積艮斎(あさかごんさい)の門人になりました。

 1856年、父が投獄されたため、土佐に帰国。免罪の訴えがたたり自らも入牢しました。

 1859年 土佐藩参政吉田東洋の門下生になります。後藤象二郎とも親しく交わったそうです。それで、藩の命で長崎へ派遣されます。

 1860年 藩費を浪費し無断帰国、解職されます。とほほ・・・。司馬遼太郎の『竜馬が行く』では、実際に藩費を浪費したのは後藤象二郎だという話になっていたという記憶があります。

 そうでなけりゃ、また土佐藩に雇われるわけがありません。

 1866年 藩の開成館貨殖局に勤務し貿易に従事。同じころ、勝海舟が、薩摩藩の西郷隆盛に龍馬たちの世話を頼み、慶応元(1865)年、長崎に「亀山社中」を設立。龍馬たちに運営を任せました。

 慶応3(1867)年4月、「亀山社中」は、龍馬が脱藩罪を許されたため土佐藩が引継ぎ、場所も隊員もそのままで「海援隊」となりました。

 龍馬が隊長となりましたがその海援隊の会計を担当していたのが岩崎弥太郎です。

 1867年海援隊の船「いろは丸」=45馬力、160トンが伊予大洲藩から海援隊が借り受け初航海に出ましたが、瀬戸内海、讃岐・箱の岬近くで、紀州藩船明光丸(150馬力、887トン)と衝突して沈没しました。

 この時、後藤象二郎、龍馬、そして弥太郎が交渉にあたり、結果、紀州藩が7万両の賠償金を支払う事で事件(いろは丸事件)は決着しました。その交渉の攻防戦は激しいものがあったそうです。

 しかし、弥太郎が紀州藩より賠償金の支払いに応じた知らせを聞いた頃(7万両が届いた頃という説あり)、龍馬は近江屋で中岡慎太郎とともに暗殺されたとの知らせが入ったといいます。

 龍馬の暗殺は、この事を恨みに思った紀州藩士の犯行という説はこの前、ちらりと紹介しましたね。


 1868年 明治維新により土佐商会閉鎖。大阪土佐商会での仕事に専念。

 維新後の明治3年(1870年)10月から、土佐開成商社を九十九商会と改称。海運業を行う私商社の指揮者となります。

 同商会は1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の廃藩置県を受け。1873年に三菱商会と改名し、岩崎弥太郎個人の企業になりました。

 1874年 台湾出兵の際の軍事輸送を手がけます。

 1875年 台湾出兵の功により、政府から補助金を受けます。

 このように岩崎さんちの三菱は、新政府の軍需輸送を独占して巨利を得、全国汽船総トン数の73%を手中に収めました。これと並行して海運業からの多角化によって三菱財閥の基礎を築きます。

 三菱の「スリーダイヤのマーク」は、土佐藩藩主だった山内家の家紋「三つ葉柏」と岩崎家の家紋「三階菱」をあわせたものです。
 
 明治10年(1877年)に勃発した西南戦争時には、三菱の所有する汽船はほとんど軍用船として需要を独り占めにし、これによって得た運輸代金は1300万円という莫大な額にのぼりました。更に戦争終了後の軍需品の処分でも大きく儲けます。
 
 明治14年(1881年)、三菱の最大の保護者であった大隈重信が失脚し、弥太郎は三井家の背後にいる井上馨・渋沢栄一を敵に回し、共同運輸会社と死闘を繰り広げます。

 そのさなか、健康の衰えにより明治18(1885年)年2月7日50歳で亡くなりました。

 岩崎さんは、くわまんさんに似た単なる実業家ではなく、維新の歴史を生き抜いた志士でもあったのです。

※  ※  ※

 特別付録

 この前、クマちゃんが、南禅寺三門で『ぜっけいくま〜』ってやっていたときのノレン君デザイン特製ミトン。リバーシブルだよ!
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/24056221.html

 これであなたも『ぜっけいくま〜』

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