microcosmeの大和魂

言葉=人間が救われることを求める祈り

植物に依って生かされている

知人より五木寛之さんの「親鸞」を貸してもらったので読みました。けっこうフィクションの部分はあると思うのですが、奈良、鎌倉の様子をうかがえて面白かったです。
「?」もありました。親鸞が、殺生しないものを食べるほうが良いというなら、植物の命はどうなる、と考えるところがあるのですが、これは現代人である五木寛之さんの観点ではないかと思いました。
植物は、人間が「植物にも命がある」と同情する以上の存在だと思います。そもそも動物は、植物によって生み出されていると思います。昔の日本には、そのような智恵があったようです。
遺伝子学では、初めは皆が女性で、女性が男性を造ったことが分かっているそうです。植物と動物にも同じことが言えると思います。もともとひとつのもので、互いに引き付け合い養う関係にあり、、例えば木々が生きて行くうえで、鳥や昆虫の存在は欠かせません。植物が動物を造ったとしか思えません(笑)
そのことを忘れるとき、人間は植物より、男性は女性より、優れていると思ってしまい、利己的になってしまうものなのかも知れません。(環境破壊、男尊女卑など)
「植物にも命がある」のは当然で、昔の日本には、それ以上の理解があり、「草木が、動物を養ってくれている」という智恵が、殺生による肉食を敬遠し、日本において、菜食が習慣、風俗となる、遠因になっていると思います。
市井の人々にとっては、肉食の忌避は習慣、風俗の域を出なかったかも知れませんが、親鸞が、「肉食も菜食も同じ、植物にも命がある」という意識でしかなかったかどうかは、「?」です。もっと深く知っていても、不思議ではありません。
でも、小説にある姿のように、人々が、肉食や殺生などによって、地獄行きの烙印を押されたように盲信し、絶望して生きることは、止めさせたかっただろうと思います。
 
食は、深い大事なテーマで、現代の人は、昔の日本人の智恵に追いついていない気がします。(メディアを信じすぎて、かなり色眼鏡になってしまっている)

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災害対策のための虎の巻(上)

菜食以外の料理を、積極的に選ぶ、お金を払って手に入れる、という行いには、実に自分と周囲への、多大な悪影響、悪循環を含んでいます。
 
肉食をしなければ生きていけない、不健康である、単なるきれいごとである、といった固定観念によって、菜食への非難が反射的に飛び出し、最後には「肉食は世間の常識だ」となり、あとは思考停止になる、まだそういう日本人は、少なくないと思います。
 
しかし世界は肉食を常識とは考えてはいません。国連では、何年も前から、肉食の問題を強く認識し、警鐘を鳴らしています。2008年に、デブア気候変動枠組み条約事務局長は「最善の策は、全ての人がベジタリアンになること」とコメントしています。今年(20122月には、台湾の学校給食を定期的に菜食にするように働いた、同国の政治家を表彰しています。
先進国をはじめ、健康面、環境面、倫理面への反省から、菜食の推奨、移行が、社会をあげて取り組まれており、菜食者が増え続けています。(肉無し月曜日、肉食税の導入、菜食者の奨学金優遇など・・)
 
日本は元々菜食中心であったのを、近代に入り、肉食を手放しで崇めるという受け入れ方をしたために、今なお、肉食神話を信じている状態です。
 
日本における肉食は、文明開化によって、西洋文化を絶対視して真似た結果でした。当時、盲信、追従、思考停止に陥らなかった日本人は、非難されながらも、菜食=医食同源の智恵を守り続けました。その中に、今日、欧米で高く評価され、参考にされている「マクロビオティック料理」があります。
 
原発神話に関してはどうでしょうか。
福島原発事故後、スイス、ドイツ、イタリアは、原発への批判検討を活発にし、将来的な完全撤退を国に決定させました。日本は当事国であるにも拘らず、そこに名を連ねていません。
石原都知事は、「脱原発に署名した人はサルだ」と言ったそうです。都知事の表現を真似るならば、スイス、ドイツ、イタリアには、「サル」が溢れていたので、国は政権崩壊を防ぐために、大多数の「サル」の意見を切り捨てるわけにはいかず、将来的な完全撤退に舵をきったのでした。
日本は、まだまだ「サル」が少ないということになります。
 
原発を推進する国際金融資本家の圧力のもと、政治家とマスコミによる、原発を賛美する虚飾発言によって、日本の世論はイデオロギーに染まり、原発神話が信じられて行きました。
イデオロギーに染まることなく、犠牲の回避のために考え動く人々が、逆にイデオロギーであるように、奇怪視されたり、非難される空気もありました。
 
事故後は、日本のそうした空気も大分変わりました。犠牲を肌で感じることで、考えざるをえなくなったからだと思います。
ただし、犠牲は以前から未解決のままに犠牲としてあり、つねに、次なる犠牲をはらんでいました。「犠牲を肌で感じ、犠牲を容認しない」これはイデオロギーでもなんでもありません。生命を生かそうとする意志にほかなりません。
「犠牲があるのは仕方が無い」。このように、最終的に思い込ませるに至る喧伝こそ、屁理屈というイデオロギーにほかなりません。
 
地震、天災、人災(原発、放射能、戦争など)、被災者になれば、いかにそれらが、自分のすぐ隣で起きていた問題だったかを、誰しも痛感することと思います。福島の方々はとくに、自身と、日本人、世界の人々の、「脱原発」という声の大事さを、深く理解されていると思います。
 
老若男女、いつ何時、日々が大変なことになるか、知れません。
サプリメントや買いだめが、一時しのぎでしかないように、動物系の食事の習慣というのも、一時しのぎを積み重ねて、あとは体に無理に頑張らせているようなもので、(「もう頑張りたくない、無理に頑張って過保護にしていると、いつまでもこの人は、医食同源のもとに生きない、この人のためにも、病気になって気づかせよう」と体が考えて、病気症状がでる)、もし、なにかとんでもない災害に見舞われたとき、一時しのぎで繋いできた不利な心身の状態で被災すれば、病体にもなりやすく、飢えも感じやすく、状況の深刻さによっては、修羅場になりかねません。
大地震のあと、東京の商店からは食べ物が消えました。原発事故後、農作物の風評被害が続いています。 私は買いだめもしませんでしたし、産地は気にせずに野菜を買っています。怖いと思うからそうした現象が起こるのでしょうか。私は怖くないので、そうしたことが起こる理由が分かりません。
それよりも一日一日の食事、医食同源の食事を、大事にするほうが、一番、対策としても効果があると思います。不安のある方は、どうか実践されてみて下さい。「大は小を兼ねる」です。産地を怖れて食べなかったところで、重箱の隅の話ではないでしょうか?
一生懸命に育てられた野菜が、疑われて棄てられては、農家の方も辛いです。
 
菜食は、医食同源です。
植物のお陰である、呼吸を、思い詰めて行う人はいません。植物のお陰である菜食は、呼吸の延長上にありますが、肉食は、血や苦しみを作り出すことなくしては得られません。血と苦しみを作り出すことを可能にする興奮状態(麻痺状態)、攻撃が必要です。
 
戦場の兵士は、ある臨界を越えると、共通感覚を強く麻痺させてしまうのだろうと思います。
共通感覚の無い人は存在しませんが、一時的、部分的麻痺状態は、大なり小なり個々の人間にあり、その一人ひとりの共通感覚の麻痺状態を回復していくことが、人間の救い、浄化なのだろうと、私は思います。 
 
テレビ番組で、西田敏行さんが、映画のロケ地のそばにあった屠殺場の話をしていました。毎日、早朝の決まった時間に、豚が屠殺されるそうです。そのとき、豚がかなしみ、苦痛のなかであげる泣き声が、周辺に響きわたるそうです。すぐに、その向かいにあるロバの小屋からも、泣き声があがるのだそうです。豚の心、体に起こっていることを、感覚で理解しているロバの嘆きの声です。毎早朝、豚とロバの嘆きの声は、繰り返されているそうです。西田敏行さんが、ロバがどのような泣き声をあげるのか、その真似をしました。スタジオは大爆笑でした。西田敏行さんは、必ずしも笑いをとるために、この話をしようと思ったわけではない様子に見えました。
 
笑うばかりが能ではないと言ったら、きっと怒る人もいるでしょう。しかし、やはり、「仕方が無い」で済ませないことが、能であると思うし、真のユーモアは、悲惨を解決することを望んでいます。
 
ロバの共通感覚が、それが生命にとって受け入れがたい辛苦としてとらえ、生命を生かすことを願って、泣いたのです。かなしみとひらがなで表したのは、このロバのかなしみの泣き声は、命を大切に想う愛の泣き声、愛しみ(かなしみ)の嘆きでもあるからです。
共通感覚のはたらきが、悲惨の解決を願う動機、原動力になります。ですから、共通感覚を鈍らせることは、智恵から遠ざかることであり、危険であり、不幸なことです。
 
共通感覚を鈍らせて、暴力を肯定すればするほど、「暴力に使われる」状態になるので、発想の転換や、智恵を受け入れにくくなり、道を見失ってしまいます。
このような心境では、修羅場の紙一重に平和があるということに、気がつけません。

熊はパンダのことを、自分達とは全く違う生き物のように思っているかも知れません。しかし、そのパンダとは、昔ある地域で、多くの熊が、食べ物がなくて生き延びられないと思い込んで死んでいくなかで、捕食のために、日夜苦しみながら歩き回るのはやめて、周辺にある笹を食べ、笹が自分を生かすことに気づいた「熊」です。
もはや獲物が居なくても、シャドーボクシングをし続ける心境に、自分を閉じ込めなくても、天国に居るように、美味しいものを片手に寝転がりながら、平穏に一生を過ごせることを知った「熊」です。
彼らは、今より楽に生きるために、「動く生き物の血肉を、おいしいと思うことで生きる」と書いてある遺伝子を棄てました。パンダになることによって生き延び、苦しみを与えることもない、地上天国の生活者になることができました。現代人に発見されるまでは。
 
正当防衛と称する人間の攻撃力は、いつしか地球を何度も焦土にする破壊力となり果てました。このようにも大きな力を持つものが、小動物や、大人しく生存する草食動物の、小さい平和すらも、守ることが出来ず、それを侵害、破壊してしまう。(畜産、毛皮、実験動物、使役動物(今でも、仕事や見世物のために、暴力で調教されて、過酷な一生をおくる動物が存在する)、趣味のハンティングなど・・)このままでは、どこまで行っても、人間は暴力に使われる存在で居続けることになるのではないでしょうか。
 
((災害対策のための虎の巻 (下)に続く)
 

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災害対策のための虎の巻(下)

(災害対策のための虎の巻(上)より 続き) 
 
菜食とは、苦しい状況を、晴れて良い方へ克服することを可能にする、誰にでも実践可能な、虎の巻です。
菜食が習慣であればあるほど、日頃から呼吸の延長にある食事をたしなむことになるので、例えば肉を好んで食べるような気功家に比べれば、ずっと本質的に気功の鍛練をしていることになります。
疲れにくく、体力、持久力のある心身、「食べてない、死ぬ!」 という飢餓感に陥りにくい心身、食事だけに頼らなくても、気の働き、気の良い循環によって、体内に滋養を作り出していく心身を、日頃から築いていくことになります。
日々の食事が、一番肝心な、一時的ではない、根本からの災害対策になるという事実を、多くの方に心で理解して貰えれば…と願っています。それは自分自身の健康だけではなく、周囲の命あるものを守り、環境に責任を持つことにも繋がるからです。

原発、畜産を、「依存しなければならない常識」として、縛られ続けるままでは、現状の犠牲は、いっこうに解決せず、犠牲は増大して行く一方です。
「情けは人のためならず」と言います。周囲の身を思うことは、実は自分の身のためになる。真理だと思います。
もし、肉食に依存せずとも、食に困らない生活環境にある人々が、「情けは人のためならず」を実践できれば、食料不足による飢餓は世界には存在しなくなり、環境問題の深刻な状態にも、ブレーキをかけることが出来ます。
 
犠牲になっている命は、動物であろうと、人間であろうと、周囲になんの悪影響をもたらすこともない、か弱い命、持たざる命です。
 
殺すための動物を生ませるために、森林を伐採し、過放牧によって土地が砂漠化していく。世界人口を大きく上回る彼らに、飢餓人口をあっさりと解消することのできる莫大な量の穀類を与え続けている。世界の農地の半分が、家畜の飼料の生産のために占められています。
持たざる動物、持たざる人々の犠牲を、「仕方が無い」と大爆笑するのではなく、犠牲はかなしいから「回避したい」と望む。それはイデオロギーに情報操作されている社会と自分に気がつかず、大爆笑で済ませるより、自然な意志であると言えます。
   
かなしみに目をつむることの方が、よほど多くのかなしみを作り出すことになります。
自分ひとりかなしんでも・・・と思わないでください。いつか周囲が変わると思わないでください。周囲と同じほうがいいから笑っておこう、と思わないでください。
 
立川談志さんの追悼番組で、興味深いエピソードがありました。彼が亡くなる数年前に、落語を続けることに大きく意欲を失ってしまった出来事です。落語に登場する人物のかなしみを共有することで、話が伝わるところに、反対に爆笑が起きてしまったので、思わず「そんなにおかしいですか?」と漏らしながら、彼は最後まで話を続け、お客さんも満足した様子で、舞台は終わったのですが、彼はその後、不快さと疲労感にとらわれ、グッタリと横たわっていました。江戸の人情と心をひとつに、喜怒哀楽を共有することによって、落語の世界は成り立つのに、心をひとつにすることができない現代において、落語を続ける意味があるのかという、憂鬱そうな面持ちで。
それでも自分には落語しかないから・・・と、仕事を続けることは、彼にとって、引き裂かれるような思いだったようです。
 
かなしみを解さなければ、真のユーモアの世界に生きることは出来ないだろうと思います。
 
あらゆる面の犠牲を無くしたいという思いの集合があれば、それだけ私達の身のためになります。
 
海や川の生物をも毒に侵している農薬の悪影響は、自然農法にすることによって、生物や自然環境の回復を図れるだけでなく、人体の健康を損ねない豊かな作物を実らせることになり、海苔やワカメ、昆布など、海藻類も、安心していただくことが出来るようになります。
肉食による健康被害をおぼろげに理解している人はいても、刺身や寿司、ことにマグロなどの大型魚から、海洋汚染が原因による毒素を取り入れていること、その健康被害には、肉食に輪をかけて深刻な側面があることを知る人は、あまり多くないかもしれません。
自然農法も、原発や肉食と同様、イデオロギーによって、世間に誤解をされている面があります。
自然にとって不要な肥料を使うとき、虫が呼ばれます。その駆除のために農薬が使用されています。自然農法をされている方に聞いてみてください。正しい自然農法を行い続ければ、虫もつかなくなると言います。害虫と言われる虫は、土壌と作物にとって不要な要素の、いわば「掃除」をしに来るのであり、掃除が不要となれば、来る必要は無くなるのでしょう。
近所の庭先や、山の中の果実のなる木は、肥料も農薬も関係なく、毎年、果実をつけています。自然栽培の作物は、時間が経つと腐るというよりは枯れていきます。そうしたものを食べるほうが、体にとって自然であり、体に合うということは、想像できると思います。
 
飢餓に苦しむ人間と、動物の犠牲を直視し、菜食中心の世界にしていけば、病気も大幅になくなり、飢餓問題も解消できることから、「主に動物を殺して生きるほかに、手段が見当たらない」といった、貧しく、農業に適さない環境をも救うことが可能になります。その土地に生きる人々とて、動物を殺すことに対して、皆が皆「仕方が無い」と思っているわけではなく、中には、それを拒んで、共同体を離れる人もいるそうです。また、ある共同体では、動物が苦しみのなかで息をひきとるまで、傷つけ、苦しませ、生命を奪ったのは、人間の仕業ではないと思わせたい一心で、鳥の真似までして見せるそうです。
 
豊かになれば、生きるか死ぬかというような、殺伐とした状況は回避され、戦争を防ぎ、平和に繋がります。また、生活の手段として動物を殺すことを、当たり前だとする習慣を見直すことが、人を戦争に賛同させてしまう「自分たちのためならば、何者かの命を奪い、犠牲にすることがあっても仕方が無い」というイデオロギーを見直すことになるので、戦争の真の抑止力になるはずです。
 
菜食は、単なる趣向の問題ではなく、個人的にも、世界のためにも、永続的な平和を得るための切符であり、そのための礎石です。実にとっつきやすく、親しみやすい、それでいて(易行であるからこそ)、本物の虎の巻であるということを、一人でも多くの方々が理解されるよう、願っています。

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言おうと思っていた本のこと

 さんに会ったら、話そうと思ってた本があるんですよ。
「日月(ひつき)神示」ってご存知でしょうか?
私も、昨年末に知ったんですが、血が喜ぶ(笑)内容でした。
 
昭和初期の、岡本天明という画家の、自動書記によるメッセージです。
天明より前に、出口なお、という人物にも、同系のメッセージが伝えられていて、出口なおは、その後「大本教」を設立します。
大本教について少し解説すると…開祖、出口なおのお告げに導かれて、なおの娘婿である、出口王仁三郎(おにざぶろう)が、大本の教祖になりました。剛胆、型破りの教養人で、波瀾万丈の人生を送りました。
大本が発行する新聞は、「愛国」の内容として、世間とは逆(軍国主義の批判、体制の批判)をしていたため、大本の関係者は何度か監禁され、拷問にあわされたようです。
王仁三郎は、監禁されても、拷問は免れました。「老いた人物よりも若い芽を潰す」「中心人物には下手に手を出さない」という表向きの理由のほかに、大本教は有力者の支持もあつかったので、王仁三郎への暴力は控えるように、という大物の指示があったのかも知れません。
軍関係者のインテリの中にも、大本を信じる人物は、多からず少なからずいて、日本の戦争の行く末について、大本にお告げをうかがったことがあるそうです。お告げの結果は、勿論、敗戦で、その結果は内幕で知られていたそうです。
 
岡本天明がメッセージを受け取ったのは、王仁三郎の死後でした。
天明は、大本の新聞に挿絵を描いたりしていて、王仁三郎は、天明のことを信頼していたそうです。
王仁三郎は、自分の死後に「とどめのお告げ」があることを予言していたそうですが、天明の名前は出していませんでした。
天明が自動書記をしたメッセージは、記号の羅列だったので、天明には解読ができず、大本に相談したのですが、王仁三郎亡きあとの大本は、取り合いませんでした。
そのメッセージは、大本が関わらないところで、解読されることになりました。
今でも大本教はあるみたいですが、なおのお告げと、王仁三郎の言葉と書を、教義の中心に据えているそうで、天明のメッセージは、取り入れられていないそうです。
 
メッセージの内容なんですが…闇の権力についての予言や、食の崩壊によって、足元が崩れ、霊性を失うことを警告する予言など…真実の指摘に驚きます。
さらに、地球が新しいはじまりを迎える際の、終局についても、語られています。
地球が自らの生まれ変わりのために、次は不幸と無縁の世界にするために、自分の霊性に嘘をつく人間は(と言って良いと思いますが)、もう地球には居られなくなるので、その時までに、はやく気づくように…そうなってからでは、もう反省しても遅い、なぜなら、今までは「生まれ変わり」というシステムがあったけれど、もう、そのシステムは無くなるから…と、つよく諭しています。
つまり、「実際に天国になる」という意味ですよね。天国には、肉体とか生まれ変わりはないので…
「水爆、原爆でも死なない体になるんだぞ」と言ってます。日月神示の表現は、知的、簡素で、面白いです。
この体とは、つまり霊体のことなので、地球が霊体の世界、天国の仲間入りをする、と告げていると思います。
 
今まで、地球学園は、充分、生徒に寛容で、どんなことをされようと、様々な生徒が集い学べる場を提供してきた、しかし、そろそろ、るつぼ学園はやめないと、学園の建物自体が崩壊して、学べるどころではなくなってしまう。建物に落書きしたり、破壊しても平気な生徒、自分より弱い生徒を暴力で支配し、自分のために犠牲になることを強要する生徒、学園内の暴力沙汰を嫌い、内省をうながす生徒に対して、石を投げ、あいつの言ってることは嘘だと噂し、果てや殺してしまう生徒…
「楽しい学園生活の、足を引っ張る生徒は、もう、当学園には来られなくなるので、ご注意を」
という御触れが、今、様々に伝えられていると思います。
地球が終局を経て、良い方へ生まれ変わるという内容は、アセンション、と言われたり、いろんなスピリチュアル関係で、仏教やキリスト教でも、似たようなことが、言われていますよね。
これが本当だとしても、本当なら、それはいつかは分かりませんが、私は、地球に居られなくなるかもしれませんが(笑)私は地球がそうなることを、歓迎しています。
 
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人間が動物を物のように扱い、毎日、おびただしい数に、恐怖と悲痛のうめき声を上げさせ、殺している現実を想像すると(畜産、毛皮、実験動物など…)気がおかしくなります。しかし、いまの人間世界が、菜食を選ぶことで、その現実を変えることは、一朝一夕にはできません。周囲が変わらなければ、変わろうとしない人が、ほとんどだからです。
                
 
 
 
 
生後3日目の雌雄判別のあと、ゴミ袋に詰められ、窒息死、圧死、または生きたままミンチにされるオスのヒナ(菜食のススメ http://saisyoku.com/
 
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「動物だからいい」という考えがある以上、闇の権力は悪役となって、大衆を、動物と見なす。肉を食べなくても死なない人間が、食べるに困らない環境に居てさえ、弱いものを殺すことを何とも思わない。こうした想念では、人間同士の世界も平和になるとは思えません。因果応報、自業自得なのでしょう。
終局とは、人間世界自身が、一朝一夕に自分を変えることは出来ないので、人間ではない力で、一気に淘汰してしまおう、ということなのか。いずれにせよ、強いものが弱いものに与える、悲しみ、苦しみ、痛みが無くなる世になることを思えば、「一気」があるとしても、私は賛成です。              屠殺直前の牛の涙                                            (菜食のススメ http://saisyoku.com/)        
日月神示でも、地球にお金はなくなる、菜食になる、と言っていたので、私のような人間と同じことを思う存在がいることが良く分かり、安心しました。
ブログで、生きている動物を殺して食べるのと、生きている植物を食べるのとでは、同じではない、ということを言いたくて、「そもそもの計画は植物がたてた」と、表現しているんですが、読んだ人の多くはバカにしているに違いないと、我ながら自虐的に思っていました。共感しにくいことを書いているのは分かっているので。
すると、日月神示に「草木から動物が生まれるんだぞ」と言っているところがあって、これは嬉しかったです。「人間の食べ物は五穀、人間が動物の命を奪うな、共食いになる」などと言っています。
 あの(この)ブログは、将来お金は無くなる、菜食になる、などと、私が言う話に、強い関心を示した知り合いが、何かに書いて欲しい、ブログはすぐ作れるから、と言われて、始めたのでした。
ちなみに、出口王仁三郎は、若い頃は魚を食べることを奨励する内容を書いていますが、晩年は、「酷くて無理」と、菜食になったそうです。
 
日月神示の本ですが、中矢伸一という人が、日月神示の著名な解説者で、著作をたくさん出しています。日月神示を研究するうちに、菜食にならざるを得なくなったそうです。その中矢さんの著作を読んで菜食になった人も多いらしく、中矢さんも嬉しかったらしい。
「2012年の黙示録」という面白いサイトがあり、このサイトで、日月神示の抜粋をチョコチョコ読めます。このサイトは、色んな興味深い本をダイジェストで紹介していて、文章をそのまま掲載しているので、面白いです。サイトを作っている、なわ ふみひと さんの文も、面白いです。
日月神示関連の文章は、サイト内で何個か読めますが、こんなのとかあります。
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日月神示  神一厘のシナリオ (なわ ふみひとさんのサイト)
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/apocalypse-meat.htm
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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ごちそうさまでした

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昨日、美味しいもの食べました。錦糸町にある、リンリン菜館という、菜食の店です。身体に良くて、味が良い!
 
ローストチキン、ウインナー、白身魚のフライ(レモンだれ)、担々麺・・・
これらが菜食料理というだけでも驚きですが、このお店は、ニンニク、ネギなども使っていない、精進料理です。ソースやスープも、体に良く、余すところ無しです。
担々麺のスープに玄米を入れて完食すると、ゴマ味のスープが玄米と相性が良く、美味しい雑炊になります。
どれも、濃厚過ぎず、淡白過ぎない味付けで、心身が喜ぶ料理が食べられます。

六本木にも「野菜寿司」がありますが、肉魚もどき料理は、アートのようです。切実な祈りが形になっているからです。
 
一番の食の幸せは、パンダのように、植物を平和に食べられることだと思っています。
_____________________
 
国連のFAOでは2006年に、畜産によって生み出される温室効果ガスが、車や飛行機などの運送手段が生み出す温室効果ガスを上回っていることを指摘し、問題視しています。
 
人類の未来を視野に入れて、飢餓、環境問題といった、地球規模の問題に対処するために、欧米の菜食化が、目覚ましく進んでいます。そのための条例も、あちこちで発足しています。
 
  
私は、はじめは直観によって、菜食になりました。
痛み、悲しみを知りながら、それを仕方がないと思う、犠牲に慣れるという倒錯は、私には続けられませんでした。それに、犠牲に依存することなく生きられるほど、より健康な状態であると言えます。
 
それで、肉魚を買わなくなった結果、菜食になりましたが、畜産産業が、飢餓と環境問題に、密接に結びついているという事実までは、知りませんでした。
やはり、「情けは人(=他の存在という意味では、動物も同じ)のためならず」。結果的には自分、自分たちを豊かにすることに繋がるのだと思いました。
 
_________________________
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中国の田舎村で、コブタが青年に連れられて、行きたくない方へと、うつむき泣きながら、しかし抵抗せずに歩いている後ろ姿を、テレビで観ました。
番組的には、美しいBGMと自然讃歌のナレーションに彩られた、牧歌的なシーンの内の、たった3秒のカットでしたが…
 
それは、親と一心同体の幼児が、自らの危険を親(青年)に知らせるために、悲嘆の泣き声をあげている姿でした。
 
愛を疑うことを知らず、親の愛を求めて泣く心を裏切ることは、私には出来ません。
 
コブタの悲しみと、次に来る苦しみは、かつての奴隷や、死の行進をさせられたユダヤ人、すべての受難者のそれと、変わりがありません。
 
昔は、黒人が泣こうが、彼を物のように殺そうが、奴隷貿易はイギリスを貧窮させないために必要だと、本気で信じられていましたが、現代は、その様な狂気、倒錯から、一歩抜け出ることが出来ました。
 
 「人(白人)は、黒人よりも偉いので、黒人を暴力で支配しても構わない、人のために黒人を犠牲にしても構わない」という差別意識に基づいて、当たり前になっていた奴隷貿易。それ無しでは生きていけないという固定観念を壊したものは、黒人の悲しみ、苦しみを追体験する、想像力でした。
その悲痛を、一時的にではなく、鈍痛で受け止め続けた人々の想像力によって、倒錯、悪夢のような現実は、克服されました。
 
 イメージ 3
母ブタに、死の道を歩かせるためのコブタを、強制的、人工的につくらせることに、懐疑の余地をはさまない世情。コブタに自分の分身を与えるべく、コンビニで売れ残ったトンカツ弁当を粉々にする工場。悪意に汚染され、死神の鍬にかけられた、アメリカの広大なトウモロコシ畑。社会の共通感覚の未熟さが、その存在を強いている屠殺場・・・
 
コブタが殺されるまでに費やされる、すべての投資、手間、時間は、「犠牲はあるといえばあるが、生活のためには仕方がない、それ無しで生きる方法は無い」という思い込みのもと、原発を推進し、それに依存し続けてきた時間、そのための投資と、同質に思えます。
 
犠牲を仕方がないものとしながら、本当の幸せを求めることは、土台無理があります。
   
ドイツが原発を棄てることができたのは、国民の意識の力によるもので、政府自身は、そうした国民の声に推されなければ、原発から完全撤退する気は無かったそうです。大江健三郎さんら著名人が3月に、野田首相に、原発撤退1000万人署名を提出しますが、その集会に招かれていたドイツFoE(Friends of the Earth)代表、フーベルト・ヴァイガーさんの話です。
 
日本もそのようなドイツを見習わなければいけません。
そういえばドイツは、ヨーロッパの中でも、とくに菜食化が進んでいる様です。
結婚相手に求める条件の一番に、菜食であることを望む女性が増えているそうです。 ・・・
(10月21日)
 

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脱原発と菜食はイデオロギーではない

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★9月19日、明治公園(東京・千駄ヶ谷)に集まった6万人の民衆(さようなら原発1000万人アクション)
原発から完全撤退するドイツも、こういう民主活動があったからこそ、政府が決断に迫られたという経緯があります。国民を被災させた日本政府は、はやく完全撤退という政治的決断をすることによって、これからの時間を、それに向けての計画や政策を練る時間に、費やさなければなりません。


原発も、肉食も、受け売りに過ぎませんでした。


温室効果ガスの問題に関して、国連がすでに何年も前から、危機感を抱いているのは、畜産です。欧米が条例などで、菜食化を促している理由の、大きなひとつです。

日本はいつも受け売りである必要はありません。いままでの受け売りを棄てるだけでよい場合だってあるのです。それとも、菜食も、欧米が変わったころに、世界から遅れるまいと、受け売りするのでしょうか?

なぜ日本は海外から、リーダーシップをとることを求められたり、期待されることがあるのでしょうか。
それは日本人が受け売りをやめて、信念をもって歩き出す時を期待している、という眼差しなのかも知れません。

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生かすための働きかけ・・・菜食は医食同源

動物を苦しめたくないことを菜食の理由に上げると、よく「野菜だって生きている」という声を聞きます。だから、動物を苦しめることも仕方が無いのだ、という考えです。
 
野菜が生きていることは事実ですが、植物が二酸化炭素を取り入れて生きていることから分かるように、植物は動物の中の一種として生きている訳ではありません。
 
動物と植物の生は、相互依存の関係なのですが、そもそもの計画は、植物が立てた(!)と、私は思うのです。植物のみならず、自然の力は、気体や、固体、液体、さまざまな形状に姿を変えて、動物に生命力を与え、生かす場を作り出しています。
 
動物の体は、呼吸を通してエネルギーを生み出します。植物が動物の生を支えている事実は、動物が呼吸なしには生きられないという事実によって、再認識することが出来ます。
呼吸は、「生かすための働きかけ」とも言えます。誰しも、自分で息を止めて死ぬことは出来ません。
飲食なしに生き続けられる人は、固体、液体の形状を介さず、すべて呼吸によって必要なエネルギーを生み出すことの出来る、「呼吸の達人」と言って良いでしょう。「呼吸の達人」は、「生かすための働きかけ」について、その分理解している人、と言えると思います。
 
自然の香りは癒しを与えてくれます。自然の実りは五味によって、楽しみを与えてくれます。
水が運んでくれる自然の恵みは、私達を喜ばせるための、「生かすための働きかけ」の趣向であると思っています。喜びは、皆で共有されるべきものだと思います。
 
食糧危機などと言いますが、肉食が、動物を太らせる飼料として、大量の穀物を消費することは良く知られています。畜産の飼料を生産するための農地ではなく、それらが人間の食料のための農地となる場合、その生産量で飢餓を無くすことができると言われています。
 
過放牧が、土地の砂漠化をもたらしています。
 
自然の恵みを、飢えと砂漠とかなしみを造り出すための燃料にしてしまうべきではありません。
 
私達は、豚や牛や鶏、その他の大人しい動物たちと、闘っているわけではありません。かれらにしてみれば、襲われて殺されているのです。
 
人種差別、身分差別、あらゆる差別観によって、人間は恐ろしい虐殺や集団殺戮を、正義の名の下に正当化して来ました。
ナショナリズムは分裂と不和を引き起こす装置として、利用されてしまっています。ナショナリズムが本来描く未来とは、その逆である筈です。個人の道徳的自立、支配欲の克服、他の命と、その個性への、尊敬と尊重なくして、ナショナリズムであろうと、共産主義であろうと、その本義をまっとうすることはあり得ないでしょう。私たちの内部にあるイデオロギーに対処して行かなければなりません。差別観の克服が必要です。
 
人間の暴力に支配される、か弱い人間と、か弱い動物の不幸が、同じ悲痛である事実に鈍感であり続けることは、私たちの心に、イデオロギーを居座らせることになり、心が報われない以上、私たちの体も、環境も、世界も、報われることはないでしょう。

私達は、植物が知っているほどに、私達が植物と相互依存の関係にあり、自然に生かされている事実に気がついていません。
もっと知っていれば、同じ「生かすための働きかけ」によって生かされている命を、傲慢な差別観によって勝手に支配し、暴力によって断つことなど――動物の場合、無理やり生まさせられて、殺される――思いもよらないでしょう。

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悲しみの行方

自分のために犠牲になる命にたいして
多くの人は悲しまないではいられない
 
しかしその悲しみが悔悟ではなかったら
懺悔と感謝の意味は無い
 
我々の自由意志が
我々のための一切の犠牲を否定できるその時に
神の子は我々のなかに甦る
 
 

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想像(=観察)、理解、そして癒し

・・どれくらいの人が、否定的な暗闇の世界を見る勇気を持っていると思いますか。あまり多くはありません。
どれくらいの数の人が暗闇の世界に住んでいると思いますか。生命の影の部分から逃避しないで下さい。
なぜならば、生命のより暗い側面の苦痛が感じられ、察知され、理解されたとき、多くの癒しがなされる必要があるのですから。・・
 
(EARTH Pleiadian Keys to the Living Library    by Barbara Marciniak)
 

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言霊のままに

誰かが笑った
笑い声の
音の粒子の
丸型は
人型になり
丸い地球に降った
 
人型は
元々 丸かったことを 忘れている
 
時に 
忘れていることを忘れ
四角い頭を忘れ
自分たちの本来の丸さを 楽しみ笑えるが
無心は長続きしない
 
人型は
元々 笑い声だったことを 忘れている
 
そのため言霊は
闇に引き降ろされ
歪曲し 矮小化し
霊の響きを失わせて行く
 
人型は
元々 誰の声の一部なのか 忘れている
 
どのようにして辿れるだろうか
 
我を忘れ
我を思い出し
我を知りなおし
丸いままに 
笑いのままに
笑いの主の 言霊のままにあれ
 
 

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