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長いことありがとね。

5年近くお世話になったこのブログ。


しばらくはこのまま放置しちゃうと思うけど、


mixiに引っ越すね。




年が明けてからずっと、めまぐるしい心の変化を体験していて、


毎日がジェットコースターみたいな感じ。


でも、そこを通過しなくちゃいけないんだなぁってのは分かってるから。



30年もかけて、無意識のうちに構築してた「心の闇」の存在に気付いて、


その空間の巨大さに圧倒されてる。



私の中に、こんなに膨大な「怒り」と「悲しみ」があったんだ・・・って。



AC(アダルトチルドレン)で共依存の私。



どこまで回復できるのか分からないけど、


回復までの過程でどれほどの痛みを伴うのかも分からないけど、


自分を救出したいから、取り組むよ。



そんなわけで、


ようやくスタート地点に立った感じ。




無事に自分を救出できた時には、


またここに救出劇を披露するかもしれないし、しないかもしれない。




私の吐き出し先でいてくれてありがとう。


私を見守っていてくれてありがとう。



お世話になりました。

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AC(アダルトチルドレン)登場

実は、展開された問題は何も片付いてはいない。

相変わらず、展開されたまま、そこにある。



どうして今頃「反抗期」が出現したのか。

どうして今頃「離婚劇」が繰り広げられたのか。



もし、説明が必要なのだとしたら、多分、


「AC(アダルトチルドレン)の自分を何とかしたいから」


なんだろうなと、思う。


※私はスクールカウンセラーの先生からACであると認定されています。



アダルトチルドレン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


アダルトチルドレンとは、機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持っている人のことを指す。Adult Childrenの頭文字を取り、単にACともいう。学術的な言葉ではないため、論者により定義が異なる場合がある。

<主な現象と注目点>
条件付きの愛情
本来、親は子供に無条件で愛情を注ぐものであるが、親の愛情が無条件の愛ではなく、何らかの付帯義務を負わせる「条件付きの愛」であることが問題となる。これが継続的に行使される家庭では、子供は親の愛を受けるために、常に親の意向に従わなければならず、親との関係維持のために生きるようになり、この時点で親子関係は不健全であるといえる。主に幼少期からこうした手段が用いられ始め、子供の精神を支配する手段として愛情を制限する。

この手段は子供が成人する段階になっても継続され、引き続き成人した子供(Adult Children)の精神を支配する。実はこの状況は非常に多くの家庭に存在しており、子供は常に不健全な状況にさらされている。しかし、第三者からは一見してこのような家庭は何ら問題のない普通の家庭として認識される場合が非常に多く、「条件付きの愛」はしつけや教育と称される家庭の病理性の深さを象徴する現象であり、最も基本的な精神的虐待である。しかし現実に、無条件の愛を常に実行できるかというと、これは極めて難しく、健全な家庭を目指すには「条件付きの愛」を減らし、可能な限り無条件の愛を与える方法を親自身が訓練・勉強する必要があるだろう。

虐待について
家庭内環境(家庭問題)において、身体的虐待は暴力や近親姦などで顕在化しやすいが、親から子への愛情の不足や心理的虐待は第三者からは非常に察知しづらい面が問題とされる。特に精神的虐待を行っている親当人は自身の子供に対する言動が、虐待であることに気づいていないケースが多い。よって肝心の幼少期・成長期に問題を発見することは非常に困難である。よって成人し自立した後、年齢を問わずACの苦しみの出現によって、精神的疾病にまで発展することもある。

精神的虐待は、しつけか虐待かの境界線が重要な注目点である。その判断は、あくまで親の処置を子供がどのように受け取っているか、という立場で点検する。特に親の側が良かれと思い対処したことが、子供にとっては強要と解釈されるケースを注目する。強要と受け取られた場合、場合によって子供の心に萎縮をまねき、結果として精神的虐待となる。この意思疎通のズレが問題とされる。

共依存
ACの精神的虐待の象徴的特徴として、共依存 (co-dependency)があげられる。

典型的な例として、親が強力に子供の精神を支配する行動が、子供の方も支配されたいという特異な感情を生み出し、親も子供も支配し支配されることに奇妙な安心感を見出して、支配を通して相互依存するという現象がある。これは子供にとって支配に反抗するより支配を受け入れる方が家庭内で波風を起こさなくて済むため、平穏な環境でいるためのサバイバル手段と解釈されている。

通常、子供はある年齢に達すると親の支配から脱しようと試みるのが自然な形態であるが、この相互依存関係が強い場合親子関係は成人してもなお、支配の相互関係という不健全な状態が続く。

よりわかりやすい表現で表せば、子離れせずに子供を人生の目的とし続ける親とそれを受け入れ続けざるを得ない精神構造を埋め込まれた子供、ということになる。これがひどい場合は親が死亡するまで関係を健全化することができず、極端な例として母親が死ぬまでともに暮らす、つまり一生結婚の機会を奪われることや、親同士が認識しただけのお見合いを強制され、世間体を重視した愛のない結婚生活を送る場合もある。

<ACの特徴的な心理パターン>
・正しいと思われることにも疑いを持つ。
・物事を最後までやりぬくことが困難。
・本音を言えるような場面で嘘をつく。習慣的に嘘をついてしまう。
・自分を情け容赦なく批判する。自己処罰癖、自罰傾向がある。
・自分のことを深刻に考え過ぎる。
・様々なことをリラックスして楽しむことや遊ぶことが出来ない。
・他人と親密な(心の通った)関係が持てない。
・環境の変化に過剰反応する。
・常に他人から肯定され、受け入れられることを求めている。
・他人からの承認、賛同、称賛を必要とする。
・自分は他人とは違っていると感じている。
・過剰に責任を持ったり、逆に、過剰に無責任になったりする。
・従うことに価値がない場面でも、従いがちである。
・衝動的で、ひとつのことに閉じこもる。
・衝動的であるためトラブルが多い。
・離人感、自分が自分でなくなるような感覚。
・身体性が希薄。
・他人への依存。
・自立的な判断と思考の欠如・周囲の期待に合わせようとする。
・自分を殺して違う自分に成り代わり、期待されている自分を演技してしまう。
・ストレートに「嫌です」が言えない。
・甘えと愛情、依存としがみつきの区別がつかない。
・妄想を持つことがある
・喜怒哀楽の表現が不得手で感情の波が激しい。
・無力感を訴え、心身症に陥りやすい。
・自分の判断に自信が持てない。
・傷つきやすく、閉じこもりがち。
・孤独感、自己疎外感が強い。
・自分にはどうにも出来ないことに過剰反応してしまう。
・世話やきに熱中しやすい。

<ACの習慣化された思考>
・先取り不安と時間感覚の障害 - まだ起きていない悪い未来への不安に縛られてしまう。また「自分の将来に待っているのは悪い未来ばかり」としか思えない。
・見捨てられ不安 - 良い子の自分でいないと、好きな人から嫌われてしまい、愛してもらえないと思い込む。
・マインド・リーディング(Mind Reading)- 相手の言動や表情から「自分は嫌われている」「私がこの人を不快にさせてしまった」など、悪い答えばかりを引き出してしまう読心術。
・承認欲求と愛されたい願望 -「認められたい」「愛されたい」という他者への過度の欲求で、自分自身を混乱させてしまう。
・テスティング(Testing)- 相手を困らせたり不快がらせる言動をわざとして、自分への愛情度を測る「試し行動」。
・親密感と距離感の問題 - 他者との関係が、くっつき過ぎか離れ過ぎかのどちらかになってしまい、適度な距離感が実感できず、維持出来ない。
・対人恐怖 - むしろ相手との関係が親密になってゆく過程で出てくる問題で、表面的な関係では極度な対人緊張として感じる。
・自他境界の問題(Personal Boundary Problems)- 他者の感情や行動上の問題に、自ら巻き込まれてしまう。あるいは逆に自分の感情や行動へ相手を巻き込んでしまう。
・白黒思考 - オール・オア・ナッシング(All or Nothing)で、自分の中にいつも二者択一の選択肢しかない。灰色(中間)の選択肢もあると考えられない.
・完璧主義(Perfectionism)- 白黒思考と似た考え方で、「全ての準備」 や「成功への約束」が整わないと、何もしない完璧主義者になりやすい。過剰に自責的な一方で無責任とも言える。
・パワーゲーム思考 - 人間関係を「優・劣」「上・下」「勝ち・負け」の尺度で見てしまう。しかも多くの場合、自分が「劣」「下」「負け」側になっている。
・自己主張の問題 - 嫌なことを「イヤ」と相手に言えなかったり、正当な欲求や要求を「自分のわがまま」だと思い込んでしまい、言葉にして伝えることが出来ない。
・責任感の問題 -「この場をつまらなくさせているのは自分がいるからだ」など、過剰で不要な責任を感じてしまう反面 、果たす必要がある責任を放棄してしまう。
・自分の感覚や感情への不確実感 - 「好きだ」「嫌だ」と感じた自分の感覚や怒りなどの自分の感情に、「そう感じた通りで正しい」という実感が持ちにくい。
・怒りの感情と、その表現の仕方(伝え方)の問題
・淋しさの感情と、その感情とのつきあい方の問題
・問題自体の否認やコントロール欲求の強さ



これ読んでも、「だから何なの?そんなの誰にでもある、ありふれたことじゃん。」って思う人もいるだろうね。


現に、ACの自分を抱えてても、日常生活に支障ない時も多い。

だけど、去年の暮れから「自分と向き合え!周囲と向き合え!」って、メッセージ届いてるから、向き合おうと思ってる。

けど、結構しんどいね。




私が感じている「問題」。

1、今の自分が、かつての母の姿に重なってしまう。

2、今のハルカが、かつての自分の姿に重なってしまう。

3、悩む生徒へのアドバイスの言葉が、自分自身への指摘のように感じられてしまう。

4、クリアしてきたと思っていた人間関係上の問題が再発している。

5、家庭で弱音を吐けず、「母」「娘」「妻」の役割を演じてしまう。

6、日々を楽しめていない。




そんなわけで、先日、夫に「私が感じるしんどさ」を伝えた。

分かったことは、夫は「私に特有の世界があることを理解できない」ということだった。


さらに、母親に「私がACであること」について話してみた。

分かったことは、母は「ACが何なのか理解できない」ということだった。



もちろん、いずれにおいても、私の説明不足ということもあると思う。

また日を改めて伝えてみようとは思っている。


ただ、両者共に、「私がACであることを前面に出したがゆえに、ACである私を受け入れることに困惑している」ことは伝わってくる。


きっとこれは、今まで「息子・男性」だと思って接してきたのに、ある日突然「実は心は女の子なんだよ」と告白されるようなものなのかもしれない。





昨日、通勤途中にふと不謹慎なことを思った。


体に障がいがある人のことは、見てすぐ分かる。

でも、心に障がいがある人のことは、見てもすぐに分からない。

思考が途中で停止してしまったり、感じることを抑圧してしまったり、

私は何かが欠落してるんだよなぁ・・・。

ってことは、私は心に障がいがあるんだなぁ・・・と。




なかなか素晴らしいハンディを背負って生きているわけだ。私は。

目には見えないハンディを背負うことを決意して生まれてきたわけか。私の魂は。



これから先、どんな人生を繰り広げようとしているんだろうな、私の魂は。




35歳にしてようやく、「自分の異質さ」を自覚できました。


とりあえず、13日(土)に、スクールカウンセラーの先生のお宅へ訪問して告白してきます。

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愛をありがとう。 ケータイ投稿記事

前回のブログの内容を受けて、友人や仲間達からめちゃくちゃ長いメールをいただきました。

そのメールに込められた「愛」の大きさを感じて、

読みながら更に大泣きしてました。


すぐ目の前に、そのメールの送り手である友人や仲間達がいて、ギュッと抱きしめられているような感覚があって、


本当に「愛されている」ことを実感してました。

どれだけ感謝したらいいのか、感謝しきれないくらいの「愛」でした。


本当に本当に本当に…

ありがとう(T_T)




報告になりますが、

18日(月)、年甲斐もなく「家出」をしました。


朝、ずっとまともに会話してなかった母に対し、

「私、離婚しようと思う」

と言い残して家を出ました。



夫と子供と両親を家に残し、先々のことも考えずに単身で家を出るという無責任で最悪の事態を、


自分が前に進むにはそれが最善なんだと言い聞かせて、


眠れない夜を過ごして、

ありったけの涙を流して、


「私が動かなければ変わらない」


という覚悟を決めての行動でした。



丸一日、全く仕事が手に付かない状態でした。






夕方、手に付かない仕事を切り上げて、


車に乗ったとたんに涙があふれて、涙で前が見えないほどにしんどくて、


でも、「このしんどさを越えなくちゃ成長できないんだ」の一心で、


車を走らせました。





19時半頃に、予約していたビジネスホテルに着いて、

キーを受け取って、

部屋のドアを開けた時、


頭の先から足の先までスーッと何かが流れて行って、



「私、ここで何してんだ??」


という不思議な感覚に襲われました。



「我に返る」


ってやつでしょうね。(笑)





久しぶりにテレビを付けて、出来合いのお惣菜を夕飯として食べながら、


「開放感」を感じました。



正直、

それで充分でした。



でも、「儀式」には一連の流れが必要なように、

私の成長にも、一連の流れを実行しなければならない感じがしたので、


夫に電話をして「今日は帰らない。離婚について考えている。」ことを伝え、


その電話を切ってすぐに、母から涙ながらの電話がかかってきて、


日中、私のブログを読んだ妹が母と色々話し合ったようで、

母なりに過去の清算をしたいと思ったようでした。


でも私は、その母の苦しさを知りつつも、話しの途中で一方的に電話を切りました。


そして、

私を心配して「会いに行くから!」とメールをくれた高校時代の友人と会うために、部屋を出ました。





久しぶりに会った友人は、変わらない笑顔で私を見ていてくれて、


それだけで本当に救われました。



友人の前で、泣きながら話すだけ話し、

私が離婚したいのは「夫を我が家のしがらみから解放させたい」という部分もあることに気付き、

私の「儀式」も、終盤に向かいつつあることを感じました。







私が解放されることで、


母の苦しさから母を解放し、


家族のしがらみから夫を解放し、


子供達の未来を救いたい。



そんな想いが、私を動かしていました。





友人と別れて部屋に戻り、

ベッドに横になりながらウトウトしていた時に、


「バイバイ」


という母の声がしました。


「母が死んだ」

と、とっさに感じたのですが、


母は家で泣いているかもしれないけど死ぬはずはなく、


しばらくその意味を考えていて、


私の中の「母殺しの儀式が終わった」ということかもしれない、と思い至りました。








翌朝は、妹からの長文メールで起こされました。


数日間に渡る睡眠不足と、行動に移すために溜め込んでいたエネルギーを発散させたことで、体は疲労でイマイチでしたが、


気持ちはかなりスッキリしていました。





通常通りに仕事をこなし、


家に帰宅し、


子供達に歓声と笑顔で迎えられました。



不自由な父の体を支えながら、目を真っ赤に腫らした母がいて、


「すまなかったな」


そう言ってまた泣きじゃくる母を、


「ずっと大変だったね」

と言って抱きしめました。


母の体の小ささを感じました。




母が作った夕飯を食べながら、


母の苦労話をききました。


私も、子供だった頃に感じていた数々を、両親に伝えました。





母の心も、だいぶ解放されたように感じました。



夫とも話しました。


「離婚が最善の解決策だとは思わないし、何よりも離婚する理由が見当たらない。」


夫は冷静でした。



私が家庭の息苦しさから逃れるために、無理やり、離婚する理由を見つけようとしていたことにも気付かされました。



「悲しみを増やすことが、そえちゃんの求めることなら離婚も仕方ない。ボクは強いから、離婚して一人になっても、ちゃんと幸せを見つけて生きていける自信があるよ。でも、そえちゃんにはそれができないと思うよ。いつまでも、離婚したことを引きずると思う。」



伝えたいと思うことがちゃんとあるなら、それは「言葉」という制約を越えて伝わっていく。



私と夫が選んだ「結婚」という形は、「制約を越えること」なんだと実感した会話でした。






端から見たら、

きっと馬鹿げた「家出騒動」だったに違いありません。



周りの人々にたくさん心配されながら、

迷惑もかけながら、



…それでも、

私には必要な出来事だったと思っています。




35歳の反抗期。


一晩の家出で済みました。



この経験のおかげで、


翌日からの「何もかも投げ出したい女子高生」たちの悩みにも、的確に(?)アドバイスできるようになりました。


悩みの根底にある「抑圧された感情」にたどり着くまで彼女たちの話に付き合い、核心にぶつかると「涙」となって流れていくのです。


その後には、ハッとするような笑顔が出てきます。




人生は素晴らしい経験を与えてくれます。





私は、成長するために生きています。



いつもありがとう☆

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キラキラの笑顔。 ケータイ投稿記事

冬休みが終わって、生徒達が学校に戻ってきた。


生徒達がいる学校が、


私はやっぱり好きだなぁと思う。




早速、私のいる部屋に顔を出しに来てくれた子もいて、


そのキラキラした笑顔に私が癒された。




冬休み中の出来事や、

久しぶりのクラスの雰囲気や、

好きな人のことなんかを、

色んな表情を見せながら話してくれる。






「生きてる」っていいなぁって、思う。






私もね、

まだ生きてる。




分裂しそうな想いも抱えながら、

逃げ出したい気持ちも抱えながら、


それでも生きてる。



しかも、笑うこともできる。






そういえば今朝、「虫」の夢を見た。


籠の中にいる虫。


物音に驚いて、籠から飛び出すのに、


また籠の中に戻っていく虫。




別な籠にも、虫がいる。

でも、私が水をあげすぎて水浸しになって動かない。

その中の一匹だけを手にとって部屋に行く私。



部屋の中にも、別な虫がいた。





虫は、自分の心の中の「見たくない部分」の象徴なんだよって、カウンセラーの先生から聞いたことがある。



私の中の、たくさんの虫。






生徒達には、


私みたいに、


自分の中で迷子にならずに、


大人らしい大人になってほしいと思う。



自分のことをちゃんと理解できる大人。


心と言動が一致してる大人。


伸び伸びと自分を表現できる大人。





私も、

生徒にちゃんと「物事について」お話できる大人になるぞ〜!


って、今さらだけど。






今日は、会議で帰宅時間が遅かった。


帰宅したら、ハルカとゆうげんが迎えてくれた。


嬉しくてぎゅっとした。


二人いっぺんに、今日の出来事を話し始めて、何が何だか分からなかったけど、


やっぱり子供達のキラキラした瞳は美しい。




子供に救われるママ、私。



ありがとうね。



ママも眠いな。




おやすみなさい。

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一人の時間をいただきました。 ケータイ投稿記事

朝起きて、瞑想。

「仕事をする私」
「家庭を持つ私」
「娘としての私」
「姉としての私」
「妻としての私」
「母親としての私」
「リーダーとしての私」
「人々に評価される私」


「私」を全部捨ててしまいたい。

全部脱ぎ捨てたい。


全部捨てたら、「何者でもない私」が残るんだろうか…



「私の核心」



それを探したいと思った。



意識を体の中に戻し、上から下まで点検したら、

胸の中に、


小さな真珠みたいなのを見つけた。



小さな真珠は寝ていた。


「たたき起こせ!」


という声なき声がしたので、



小さな真珠を揺さぶってみた。



小さな真珠は浮上した。


ぷかぷかと漂っていた。





私の中心にあった小さな真珠が起きた。










今日は、一人の時間をたくさん作った。


家事も放棄した。

母親業も放棄した。

娘業も放棄した。


ひたすら一人で瞑想した。



修行僧の気分だった。






「何も分からない」



それだけは分かった。





そして、たくさん書いた。


たくさん言葉が降りてきた。


それらをたくさん疑った。






目を閉じていても、生きていくことはできる。


心を閉ざしていても、生きていける。


ただ、私はそれを望んでいない。




誰の真似でもない、「私」を確立したい。



反射的でなく、意識的に生きたい。




誰にも、何にも縛られずに、自由でありたい。




そんな心で生きていきたい。







きっと、


いつもいつも、


同じようなところでつまずいてる。



そして、


いつもいつも、


同じような結論に達している。




ぐるぐると、


螺旋階段を登ってる。




前回のつまずきよりは、


今回の方が少し段数が高い。


と、思いたい。





夕飯の時には、


両親に言葉のダメージを与えた。


大した攻撃じゃないけど。


私は今、


特に母親と決別したいと思っている。



母親の感情に巻き込まれないように、


母親は私とは違う存在(別人格)なんだと、


自分に分からせようとしている。




母も、


たくさんの感情を抑圧して生きている。




でも、私は母を救わない。







私を育ててくれたことに対しての感謝はあるけど、


母の抑圧は私に解決できるものではないから。



そこまで手を差し伸べることが、恩返しだとは思えないから。









パパ。


終日子供達と遊んでてくれてありがとう。


私のことも、一人にしてくれてありがとう。






こんな文章を読んで「相変わらずのそえちゃんだ」と思ってくれるあなたにも、ありがとう。

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開設日: 2005/8/3(水)


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