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教皇の演説が批判を受けているそうである。たぶん,批判するほうも演説の全文を読んではいないだろう。教皇の学識からいって,聖戦の概念を直接批判するようなことは無いとは思うが,私も講演の記事を読んだわけではないので同レベルなので,教皇の演説そのものについてのコメントは差し控えたい。ただし,その立場と地位の重みからいって,誤解を招きかねない部分があるならそこはもっと慎重であったべきかもしれない...
さて,ムスリムにとって信仰上の「聖戦」のあり方はある時期から大きく変化した言うことである。
初期の文字通りの戦闘をすることから,内面の信仰のために奮闘努力することへの変化である。
この変化がいつ頃から起こるか,正確な出展は忘れたが,イスラーム神秘思想の興隆後からでなかったか?と記憶している。もともと外面的な信仰している行動(=六信五行)を重視していたイスラム教だが,やはりそれでは飽き足らず,神との合一や聖者崇拝等の信仰の重心の変化が起きて来る。それには,当然ダル・エル・サラーム(平和の家=イスラーム信仰世界)が限界点に達してきて,さらなる地理的拡大を望めなくなったこともひとつはあるだろう。
キリスト教の信仰はこれとは逆のベクトルの働く部分があり,修道制は内面の奮闘努力から13Cの托鉢修道会の誕生(=現世の信仰のあり方を正そうとする精神)とゴシックの大聖堂建立の精神(=1都市の信者を1箇所に収容できる教会を欲する精神)が誕生するのだが,このイスラーム世界とキリスト教世界の逆のベクトルに向かう動きを語るにはまだ,多くのページを費やす必要があるだろう。
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