第20軍団兵によるブログ

日常をローマ史ネタふりに使うブログ,なはずが最近は半導体がらみが主流なネタに...

西欧中世

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さあ、暫定税率時間切れ(揮発油系に限る...)

さあ、暫定税率時間切れまで後数分である。私もガソリンを買い控えている一人で、この書き込みをするしばらく前に駆け込みでガソリンを入れに行った口である。なじみの店でまずエマーソンの携帯ガソリンタンク(20㍑入り)を満タンにした後で、車にも30㍑強注油し、さらに車を揺すってタンク内の気泡を抜いてさらにもう少し入れるというせせこましさで超満タンにした。
おかげでエマーソンのガソリンに手を付けたのは(普段乗らないせいも大きいが...)6月14日である。

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鶏とジャガイモのオーブン焼き

今日の昼ご飯は久々に少し手の込んだ手料理を作ることにした。
鶏の胸肉(なんと大特価1枚?100-)を買ってきて、観音開きしてステーキ用に配合されている塩こしょう(岩塩、胡椒、セージ、タイムが配合済み)を両面にすり込む。
 皮と反対側にローズマリー、ニンニクのみじん切りを振り、肉をくるりと巻いた後爪楊枝等で広がらない様に止める。
 ジャガイモは1cmていどに薄切りにして塩胡椒しておく。

 バター10gをいつものステーキ皿で溶かし、肉を皮目から焼き始めジャガイモも一緒に入れる。
 全体に焼き色がつくようになる頃には、ジャガイモには火が通っているのでここで取り出す。
 200℃に予熱した電子レンジに入れ、そのまま10分間加熱。
 加熱後アルミホイルに包んで5分ほど肉を休ませる。この間にジャガイモや、あればその他の付け合わせをステーキ皿に盛りつける。
 最後に鶏肉を盛りつけ、レモン汁をかけて食べる。

 

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眼鏡について...

私は幸い仕事中、しかも遠くにある小さな物を見るときだけかければ十分なのであるが、この前廃液ラインの検査の際、保護眼鏡からこれに代える事をを怠っていたため実を言うと嘘っぱちのシールが貼られていたのに気づかなかったなんていう失敗があった。
さて、眼鏡である。映画『薔薇の名前』でバスカヴィルのウィリアムが眼鏡をかけたとき、「あれがガラスの目玉だぞ!!」とささやかれていたが、西欧では14C頃には知識階級に確実に広まり始めていた。当時の知識人の大きな一角はドメニコ会、フランチェスコ会などの托鉢修道会であり、彼らの会則は個人的な持ち物の所有を禁じているが、眼鏡のような究極の"私物"とどう折り合いをつけていたのかは興味のある所である。(勿論眼鏡のレンズの研磨技術がそこまで達していたと仮定してだが...)
近世になると眼鏡は実用品としては勿論、幸運の持ち物としての意味もあり持つ人間が増えてきたが、それでも大変高価な物で庶民にはそう買えるものではなく、この階層では主として目を酷使する専門職に留まっていた。面白いのは「教会博士」の称号を持つ神学者がしばしば眼鏡をかけたり、近くに眼鏡を置く姿で描かれ始めたことである(ヒッポのアウグスティヌスが特に有名)。とはいえ、聖ヒエロニムスのように背景も含めて定番の図像が定まった人物は例外で、それほど変化はないようだ。

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夜中に起き出して

今日は定時に帰ることが出来た。会社の食堂で夕ご飯を食べて、7時過ぎには帰ってきたのだが、その後にやったことは爆睡である。そしてさっき目が覚めたのであるが、この後も風呂に入ってまた寝る予定である。普段の睡眠不足を解消するめったにない機会を有効に活用したいものである...
夜は早めに寝て、夜中にまた何かを始めるといえば、修道生活がそれである。
後1時間もすれば中世の修道士たちは起き出して朝課が始まる時間である。
勿論、早く日が落ちて、夜が長い冬季だから出来る芸当であるが、夏場は結構大変だったことが想像に難くない。祈りの最中に当然居眠りする修道士も出るのだが、それには眠れなくするような罰ゲームがついてくる。

参考文献:『修道制』D.ノウルズ,平凡社,1972

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ジハード-信仰のための奮闘努力-

教皇の演説が批判を受けているそうである。たぶん,批判するほうも演説の全文を読んではいないだろう。教皇の学識からいって,聖戦の概念を直接批判するようなことは無いとは思うが,私も講演の記事を読んだわけではないので同レベルなので,教皇の演説そのものについてのコメントは差し控えたい。ただし,その立場と地位の重みからいって,誤解を招きかねない部分があるならそこはもっと慎重であったべきかもしれない...
さて,ムスリムにとって信仰上の「聖戦」のあり方はある時期から大きく変化した言うことである。
初期の文字通りの戦闘をすることから,内面の信仰のために奮闘努力することへの変化である。
この変化がいつ頃から起こるか,正確な出展は忘れたが,イスラーム神秘思想の興隆後からでなかったか?と記憶している。もともと外面的な信仰している行動(=六信五行)を重視していたイスラム教だが,やはりそれでは飽き足らず,神との合一や聖者崇拝等の信仰の重心の変化が起きて来る。それには,当然ダル・エル・サラーム(平和の家=イスラーム信仰世界)が限界点に達してきて,さらなる地理的拡大を望めなくなったこともひとつはあるだろう。
キリスト教の信仰はこれとは逆のベクトルの働く部分があり,修道制は内面の奮闘努力から13Cの托鉢修道会の誕生(=現世の信仰のあり方を正そうとする精神)とゴシックの大聖堂建立の精神(=1都市の信者を1箇所に収容できる教会を欲する精神)が誕生するのだが,このイスラーム世界とキリスト教世界の逆のベクトルに向かう動きを語るにはまだ,多くのページを費やす必要があるだろう。

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開設日: 2005/3/6(日)


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