第20軍団兵によるブログ

日常をローマ史ネタふりに使うブログ,なはずが最近は半導体がらみが主流なネタに...

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線量計なくして作業はなし

「代表なくして課税なし」とはアメリカ独立運動のなかのスローガンである。

さて、東電は原発の作業員にたいして個人線量計を渡さずに作業させているという報道があった。
とんでもない話で、事実なら復旧作業も原子炉の冷却作業を拒否してもさしつかえないし。それで関東地方が汚染されてもそれはそれで仕方ないこと。なぜなら現場の作業員こそもっとも守らなければならない人々で、この人々がいなければ復旧はありえず、この人々がいったい何分間、あるいは何日間現地で仕事ができるかを決定できるかを決めるのが線量計だからである。

 こういった環境での線量オーバーした人は現場(手を動かす係)から下がってバックアップ(考える係)に移れば良いだけだが、その入替りタイミングが分からない現状では実際作業などできないだろう。そしてぶっつけ本番の作業をさせられて責任だけ取らされるのであれば、文字どおりに命がけで作業する事自体がおかしい。
 それならば炉からの放射線による被害は今まで発電所からの電気を受けていた関東地方の全員がかぶるべきである。

最近、「現場力」なる怪しげな日本社会礼賛の言葉がはやり始めたが、この言葉、本当の意味することは管理部門・設計部門の無能を現場の場当たり主義のつじつま合わせでその場をしのいでいることを意味している。いずれ破綻するのだが、その責任は何もしなかった管理部門がとるのではなく、何かをした現場に責任を取らせることなのである。

以前たいへん「できる」品質課長の言葉を思い出す。
「理屈に合わない事を言い出す顧客の言うことは聞かなくて良い。それは言わされているだけだから、突き返すように」

原発で悪戦苦闘しているみなさん、あなた方の代わりはほとんどいないので、怪我と無駄な被爆にはくれぐれも御注意ください。医療系のしょぼい線量しか扱っていない者からせめて送ることができる言葉です。

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いままでの歴史の中で、かくも多くの人が、かくも多くのことを、かくも少ない人に委ねたことはいまだかつてなかった

バトルオブブリテンの後、チャーチルの放った演説の有名な一部である。
戦闘機パイロット達の奮闘に感謝した演説で有名だが、この言葉をそろそろ危険の終わりが見えてきた2).観のある福島の原子炉でこれまで次々と発生してくる事故に対して次々に対応していった現地のエンジニア達。そして現地対策本部で知恵を絞っている上級職の方々に送りたい。
いろいろな故障がまあ、次々と発生していく中、たぶん懐中電灯で図面と現状を比較して次々と安定させるか小康状態にもっていく。しかも彼らは線量計もしくは時間を切られている中での事である。
私も現在フィールドエンジニアをやっているが、とても及びがつかないが、極力彼らの様な能力を身につけるべく、日々努力するように努めたい。

※1.”英国本土決戦”に参加した戦闘機パイロットは約1500人だったと記憶している。
※2.バケツにホースをつっこんで海水を注ぎ込む話=使用済みの燃料集合体の保管槽に水を入れるという話になってきたのでこういったコメントをしている。

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どうやら我々はできそうだ!!

さて、前回の記事で大量の補給品を輸送する点が問題なことを主張した。
その後、経済産業省等が活発な動きが始まったようである。
その経済産業省の記者会見ではオブラートに包んだ言い方をしているので、私ははっきり書くが、被災地以外の人間が不安だから程度の理由で余計な燃料や、物品を購入することは被災し、凍えている人から毛布や食料を略奪するに等しい行動だと思う。恥を知れといいたい。
特に生産の上流の地方である我々西日本の人間がこういった行動をとるのはほとんど犯罪的だと思う。
また、今日スーパーに昼ご飯を確保しにいって気づいたのだが、どの大手パン屋も東北シフトに移っているようである。そうであればよくある包装済みのパンを買うことも、わずかとはいえ被災地の足を引っ張るのではないかと思い、日持ちのしない弁当にした。また、社用車に入れる燃料は現在満タンまで入れるのではなく、半分にしている。燃料タンクは30㍑強入るので、給油15㍑ならば約13キログラム程度軽くなる事で燃費の改善が考えられるからである。別に自分が特別だとも思っていないが、寄付のほかに不要な物を買わない、あるいは他に代替ができるようであればそれを買うことで、被災地で必要な物が少しでも増えればと思ってのことである。

さて、第2次大戦の北アフリカ戦線から、先のイラク戦争まで機械化部隊の足が止まるのはたいていの場合燃料不足、それも補給部隊がついて行けなくなったという例で覆い尽くされているといって良い。これはどういった事態なのだろうか?そして、今回の事態とどのように繋がっていくのだろうか?
きわめて縮めて記述すると、確か第2次大戦当時のデータだったと思うが、200㎞程度からトラック輸送の効率が悪化する。意外と短い気がするが補給端末駅等、物流拠点へタンクローリは戻ってこなければならないからである。中間物流拠点を設置して、そこから往復させる体制を組むのが急務であるのだが、どうやら経済産業省はその王道の体制を引くようである。現在報道の映像を見る限り、かなり重い車両であるこの手の特殊車両を同じ道を往復させるのは渋滞等の「いきはよいよい、帰りは〜♪」の事態に巻き込まれかねない。であるから、今日出発した燃料列車が到着する予定の様に大きな物流拠点から主要ガソリンスタンドまでの経路は往路用と復路用の2経路を設定してやる必要があるだろう。
そして、現在の状況を見るとおそらく一番のネックになるのがもっとも末端の消費先になると思う。これには少し規制をゆるめてやって、一般道であるならドラム缶等、大型容器に搭載しての運搬を許可する等、いささかの工夫がいるように思える。

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われわれには出来る!!

悲観的な報道が多いのであえて楽観的な記述をしたいと思う。

現在、約45万人の人々が東北地方で避難していると報道されている。これは一見膨大な数に思えるが、これだけの人々に物品を送り続け、支えることは可能だろうか?
...数だけでいえば、出来る。
状況だけでいえば、いくつか固まった場所に人がいて、そこに物品を送り続けなければならないという形は、軍事作戦上の補給に極めて近いと言えると思う。
かつて、1944年4月から12月にかけて日本軍は中国本土からインドシナへの連絡線を確保すべく大陸打通作戦と後に呼ばれる一連の作戦を実施した。この時の兵力は40万人、そして人間よりも多く食べる馬が7万頭動員された。詳しくはWeb等を参照いただくとして。結果的に作戦は成功したとされる.
【なお当時の日本軍の常として時間が経過するにつれて補給状況は悪化するのだが...】

では、当時と現在の状況を少し比較して何が有利で何が不利なのか?少し考えてみたいと思う。
不利な点として挙げなくてはいけないのは。
1.どこにいるかは想像がつくが、何人いるか何が必要か?がはっきりしない。
2.どこに届けるべきかは分かっているが、そこに行く経路の道路に破損、がれきが残っている等の障害がある。
3.鉄道が海岸近くを通っていて危険(ただし鉄道貨物輸送が物流に占める割合は5%程度とのこと)また、大量輸送に適した手段である。海路をとるとして港湾が損傷(あるいは港が無事でも埠頭の荷揚げ施設、倉庫等付帯施設が損傷)している可能性が高い。あるいは余震による津波の被害を輸送船が受ける可能性がある。
4.軍隊は一応均一な年齢層で、一応健康な人間で構成されるが、被災者はその点ばらばらでである(昭和19年頃にはかなり崩れていたが、さすがに子供や年寄りはいない)
5.季節がまだ春先

有利な点として挙げられるのは。
1.戦場ではないので余震を除いて、航空阻止などの妨害がない。
2.基本的に物品を届ける先が動かない。また、その場所が地図上に明記されている(※補給戦の最も困難な点は補給先がどんどん前進していく事だとはよく知られている事実である)
3.中部・関西など生産拠点と陸路・海路で直接接続されている。そして西日本の生産施設は無傷な事。
4.そもそもの生産力が当時と現在では桁違い。
5.現地で消費する物は弾薬などの重量物・危険物はあまりない。
6.かなり南の地域で春->夏に季節が移っていく。


そろそろ力尽きてきたので筆を置くことにするが、基礎条件で不利な点が少なく、かつ不利な点は動かしようがない事態ではなく改善して行く方にシフトさせていく事が可能な事に気付かれると思う。
詳細な検討はまた後日行いたい。

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日系移民について

 ブラジル日系移民の開始から100周年ということで、先日まで結構ニュースになっていた。
私たちの住んでいる地域は多くの北米移民を出した地域で有名で、また、今はセミコンテクノパークとなっていて、以前私が勤務していた地域もこれまた北米移民で有名な地域なので、結構興味深くニュースを聞いていた。
 特に私の現在の住んでいる地域は当時まだ独立国だったハワイへ第1回官約移民を出した地域で、その後も九州一の大河が氾濫するなどのイベントがあるたびに、移民団を形成してアメリカへ移民を送り出している土地である。私が学生時代に移民の地域的分布を少し調べたことがあるのだが、私の地域では川の流域に多く分布するという結果が出たと記憶している。
 これに対して熊本県の半導体産業のメッカ周辺では、白川周囲では少なく、そこから上の大地になっている地域に多く分布しており、かつ移民を行う経緯も移民団方式ではなく、長男を除く親戚の誰か1人が移民した後、兄弟姉妹を呼び寄せるという形を取っていたことを記憶している。
 要するにかつて言われていたように貧しいがための移民というのは必ずしも一般的ではなく、むしろ少しお金のある者が多く、また、移民するのに至る方法も地域により様々であったと言うことを言いたかったのである。

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