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(*以下は『私の英国史』で紹介されているフランシス・ベーコン著『ヘンリー7世の生涯』からの引用です。
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彼は尊大な精神の持ち主で、自己の意思と自己の流儀を尊重した、われとわが身を頼む者の常として、
実際に自ら統治しようとしたのである。もし、彼が一市民であったなら、傲慢だと言われたかもしれぬ、が、
彼の場合、それは賢明なる君主として、他者との距離を保つことを意味したに過ぎぬ。
事実、誰に対してもそうであり、彼の権力や秘密に、少しでも近付くことを許さなかった。
誰の指図も受けぬという訳である。
后すら(王に数人の子供をもたらしたにもかかわらず、いや、そのうえ王冠までもたらしたのだが、王の方では
それを認めようとせず)王をどうすることもできなかった。母親に対する王の敬愛の情は並々ならぬもので
あったが、その言葉にはほとんど耳を貸そうとしなかった。
海外の友好国に対しては、誠実かつ公正ではあった。が、その態度は決して開放的ではなかった。
相手が自分の真実を探ろうとしている時、彼は常に相手方を明るみの中に立たせ、自分を暗がりの中に置くよう
に注意していた、といって、決してよそよそしいというわけではなく、交渉に際しては表面上あくまで相互理解
を深めようという姿勢を崩さなかった。
王は貴族たちを厳しく押さえつけ、むしろ聖職者や法律家を好んで登用した、彼らの方がはるかに王に従順
だったからであるが、彼らは民衆というものには貴族ほどの関心は持たなかった。
これらのことは彼の絶対性を強める役には立ったが、安全性を強める役には立たなかった。
思うに、それが彼の治世を厄介なものにした原因の一つであると信ぜざるをえない。
彼はまた、自分の使っている連中がいかに巧妙に立ち回っているかなどということを全く意に介しなかった。
というのは、王は自分が絶大な勢力圏を手中に収めていると信じていたのである。
従って一旦登用した以上、その地位をどこまでも保証した。事実、不思議な事だが、彼が気心の知れぬ君主で、
この上なく疑い深く、そしてその治世中陰謀や紛争が蔓延していたにもかかわらず、24年の統治期間中、
彼は評議府の重職や側近をけして左遷したり解任したりしなかった、ただ1人の例外として侍従長スタンレーが
いるだけである。
王に対する一般の臣下の態度に関し、彼は次のように考えていた。
臣下の心をその君主に無理なく結びつけておく3つの感情――すなわち愛、畏れ、尊敬――の中、彼は最後の
ものを高く評価していた。2番目のものも決して悪くない、が、1番目となると、後の2つの方がよほどまし
だとして軽視していた。
君主としての彼は、生真面目で堅苦しく、あらゆる事柄に絶え間なく思いを巡らし、密かに周囲を視察していた。
何事につけ自ら記録や覚書を残す習慣があり、それも特に個人に関する物が多かった。
例えば、誰を起用し、誰に褒美をやるか、誰について調査し、誰を警戒せねばならぬかということ、あるいは、
それぞれの貴族に対する民衆の支持の強弱、勢力ある党派間の対立関係についてである。
それは(いわば)自分の思惑の日記とでも称すべきものであった。それについては今日もなおある愉快な話が
語り伝えられている、というのは、彼の飼っていた猿が(側近の誰かにけしかけられたのだといわれてはいるが)
その最も重要な記録をずたずたに千切ってしまったことがあり、そのような暗い記録を快からず思っていた
延臣たちは、この事を知って手を打って喜んだという。
実際、王は不安と猜疑に苛まれていた。あれこれとあまりに多くのことを考え、その結果、いつもそれらの
考えが共立し得なくなってしまい、あちら立てればこちらが立たずということになってしまうのである。
そればかりか、時には、それらの考えを、それなりの釣り合いをもって比較考量しないこともあった。
確かに、彼にとって大きな災いとなった(ヨーク公を騙るパーキン・ウォーベックの命を助け、生かしておく
べきだったという)風評も(元は)彼自身が育てたものであった。
彼としては恐らく自分が、妻の権利に頼って王位を保っているのではないという根拠をいやが上にも示した
かったのであろう。
彼の世俗の楽しみについては何も解っていない。しかし、彼がナポリの王女の調査に関してメアシーン、スタイル
両者に送った指示を見ると、王女の美しさに関しては随分と質問しているようである。
宴会の時などは、大抵の王侯たちと同様にちょっと顔を出すだけで、世俗の楽しみには殆ど目を向けなかった。
これは疑問の余地のないことだが、彼の場合、あらゆる人間(そしてほとんどあらゆる王たち)の場合と同様に、
彼の運命が彼の性向を支配し、同時にまた彼の性質が彼の運命を支配した。
その治世は、平穏というよりはむしろ隆盛を誇っていたというべきで、その業績は彼に対する信頼を深めたが、
相次ぐ内憂がその性向を傷つけた。彼の才智は、自ずと危険をくぐり抜けねばならぬ機会が度重なるに従って、
すこぶる手の込んだものとなり、どちらかというと危険が身に迫り身動き出来ぬようになって、そこから脱出
することに巧みであって、あらかじめそれを防止し、除去するようには働かなかった。
これは、彼が先見の明に欠けていたということなのか、意思の強さを示すものなのか、あるいはまた猜疑心から
生じた迷いなのか、それとも一体なんであったのか。
いずれにせよ、これだけは確信できよう、彼の運命に永遠について回った内憂は(それも元を尋ねれば彼自身
から生じたものとしか考えられないもので)、彼の性向、習癖、やり口といったものに何らかの重大な欠点が
なければ起こらなかったはずである、それらの欠点を、王は無数の煩瑣な対応策によって補うのが精いっぱい
であった。
彼は見栄えのする人物で、背丈は並よりやや高く、四肢はしっかりしていたが痩せぎすであった。
顔立ちは立派で、どこか聖職者のごとき趣があった。
また特によそよそしい訳でも、陰険でもなく、かといって人の心をとらえるようなところもないし、愛嬌のある
方でもなかった、が、気立てのよさを感じさせる顔とはいえよう。
しかし、絵描きにとっては扱いにくいものだった、というのは彼の顔は喋っている時が一番よかったからである。
(※以上原文ママ)
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ハリィの見た目に関しては褒めるのに必死ですねっていう感じだNE!
あと性格とか誰かに似てると思ったらルイだよ!ルイ11世だよ!
次回も引っ張るよ!次はリチャード3世擁護でおなじみのジェイン・オースティンさんの毒舌だよ
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