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(*以下は『私の英国史』で紹介されているジェイン・オースティンによるヘンリー7世評の引用になります)
この国王は即位後ただちに、ヨーク家のエリザベス王女と結婚した。
この縁組によって、王は自らの王位継承権がエリザベスのそれに劣るものと考えていることをはっきり証明
してしまったものの、実際には全く逆であるかのごとく装っていた。
この結婚から、王は2人の息子と2人の娘をもうけたが、上の娘はスコットランド王のもとに嫁ぎ、史上第一流
の人物の祖母になるという幸せを享受した。この女性については、いずれもっと詳しく話す機会があると思う。
末娘のメアリーは、最初、フランス王に、ついでサフォーク公に嫁ぎ、娘を1人もうけたが、この娘がのちに
ジェイン・グレイの母となった。このジェインは、はとこの美しいスコットランド王妃より身分は劣るが、
それにしても、優しく若く、人々が狩りに興じている間にギリシア語を読んでいたことで有名である。
前に述べたランバート・シムナルやパーキン・ウォーベックが出現したのが、このヘンリー7世の治世の時
である。ウォーベックは晒し台の見世物にされ、ビューリィ寺院に保護されたが、ウォリック伯と共に斬首刑に
処された。一方、シムナルは王宮の料理係として召し抱えられた。
国王が死に、息子のヘンリーが後を継いだが、このヘンリーの唯一の長所は、娘のエリザベスほど酷い人間
ではないということだけである。
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ハリィの項はナポリ王女の調査指示を除いてこれでおしまいです。
ジェイン・オースティンさんはどんだけエリザベス1世が嫌いなんだぜ?
この人の贔屓はどうやらスコットランド女王メアリー・ステュアートらしいです。興味ないから知らんけど。
ていうかジェイン・オースティンって小説家のジェイン・オースティンのことじゃなかろうな。
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