直心是道場
お釈迦さまの時代、インドの先進的な都市ヴェーサーリーに 維摩(大乗仏教の代表的な経典『維摩経』の主人公)という大富豪が住んでいた。彼は学識すぐれた在家信者であった ある時、光厳童子(童子とは修行者、または菩薩の意)が修行に適した静寂の地に道場を求めて、喧騒の街を出ようとして城門にきたら、そこで、折から城門に入ろうとしている維摩居士に出会った。 そこで光厳童子が 「どこからお帰りになられたのですか」 と尋ねると、 居士は 「今、道場から帰るところです」 との事だったので、 「それは耳寄りな話です.実は私は閑寂な道場を探しているのですが、 居士が行かれた道場はどこにあるのですか、是非教えてください」 というと、 居士は 「道場は外に求むるに及ばぬ.直心是道場、虚仮なきが故に」 と喝破されたという. *維摩(維摩詰)
「維摩経」の主人公として想定された人物で、釈迦の時代に毘舎離城に住んだ、
*光厳童子
学識に優れた富裕な居士(在家の仏教信者)である。
後の、光厳天皇(こうごんてんのう )南北朝時代の北朝第1代天皇とされている。
*********************************是は・・我が連盟の一人の方が・・自宅の倉庫を改築して道場にされた際に その方が、石原先生にお願いして書いていただいた言葉です。 この道場については・・賛否両論あり 賛 「自分で道場まで作って熱心な方です」 否 「我が道場で稽古しているのに、道場を作るなど・・と・・何様のつもりだろう」 と この賛否があった事を考えると 先生のこの言葉も両方に受け取れるような気がします 賛 「例え倉庫を改築したと言っても、そこに素直な心があれば立派な道場ですよ」 否 「態々道場など建てなくても・・素直な心さえあれば・・何処でも道場ですよ」 **************************************
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