活人剣&殺人剣

剣道と釣りと温泉をこよなく愛する中年広場(http://blogs.yahoo.co.jp/kawagarasu1956の続編)

武蔵先生五輪書

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火之巻そのニ

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一 枕をおさゆると云ふ事
枕をおさゆるとは、頭をあげさせずと云心なり、兵法勝負の道に限って人に我身をまわさして跡につく事悪し、いかにもして敵を自由にまわしたき事なり、然るによって敵も左様に思ひ我も其心あれども、人のすることをうけがはずしては叶ひがたし、兵法に敵の打ところを止め、つくところを抑へ、ふむ所をもぎはなしなどする事なり、枕を抑ゆると云ふは我が実の道を得て敵にかゝり合う時、敵何事にても思ふきざしをせぬ内に我是を知りて、敵のうつと云ふ其のうの字の頭を抑へて、後をさせざる心、是枕を抑ゆる心なり、縦令へば敵のかゝると云ふかの字を抑へ、とぶと云ふとの字の頭を抑へ、きると云ふきの字を抑ふる、みな以て同じ心なり、敵我にわざをなす事に付て、役に立ざる事をば敵に任せ、役にたつほどの事をばおさへて敵にさせぬやうにする所兵法の専なり、是も敵のすることをおさえんゝゝゝゝとする心後手なり、先我は何事にても道に任せてわざをなすうちに、敵もわざをせんと思ふ頭を抑へて、何事も役にたゝせず、敵をこなす所、是兵法の達者、鍛錬の故なり、枕を抑ふる事能くゝゝ吟味有べきなり
 

此処の大変大事ところです
武蔵先生曰く
「敵と戦う時、敵の思う兆しが現れない内に、こちらはそれを察知して、
敵の「打つ」というその「う」の字の頭を抑えて、その後をさせないこと
これが枕を抑えるという意味である。 
たとえば、敵の「かかる」という「か」の字を抑え
「飛ぶ」という「と」の字の頭を抑へ
「切る」という「き」の字の頭を抑える。
これは、すべて同じ意味である。
敵の動きを察知し、相手の動作の頭を抑え思うようにさせないことである
役に立たないことは敵に任せ、役立ちそうな所を押さえる、何もさせないことである
但し、抑えようと思うこと事態後手に回ることで、自分は理により技を仕掛け
相手に役立つ事を何もさせないというのが、鍛錬の成果と言える」

 
私は稽古において、この「枕をおさゆると云ふ事」を常に念頭において
稽古しています。(出来る出来ないに関わらず)
 例えば、相手が打とうとする兆しが見えれば(実際は感に頼るところではありますが)
相手の剣先を「すーっ」という感じで軽く抑える(強くは駄目です)
 又、相手が打つ気満々で間合に入ろうとするところは、「さっ」と小さく下がる
入ってきた時では遅い、遅いし危ない・・あくまでも兆しで動く事が肝心です

 これは、五輪之書を読んで実践しているのではなく、経験で行っていたことが
たまたま武蔵先生の考えに合っていたということです。
 武蔵先生も仰っている通り・・・・・・
「抑えようと思うこと事態後手に回ること」

実際に、出てきたら剣先を抑えてやろう、気を逸らしてやろうと考えていては
到底出来ませんし、返ってそこを付け込まれることにもなります。
ひたすら修練を積んでいくしかないところでしょう

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火之巻 その一

久々の五輪之書ですが・・・面倒なので訳は省いて原文と、要旨の勝手な解釈のみを書きました
(手抜きを言わないで下さい・・実際はチャンと自分なりに訳しては居ますが・・
   一寸自信がないので勘弁です)

火之巻
 二刀一流の兵法、戦の事を火に思ひ取って戦ふ、勝負の事を火の巻として此巻に書顕すなり、先づ世間の人毎に兵法の理を小さく思ひなして、或は指先にて手首五寸三寸の利をしり、或は扇を取て肱より先の先後の勝を弁へ、又は竹刀などにて僅かの早き利を覚え、手をきかせ習ひ、足をきかせ習ひ少しの利の早き所を専らとする事なり、我兵法に於て数度の勝負に一命をかけて打合ひ、生死二つの理を分け刀の道を覚え、敵の打太刀の強弱を知り、刀の刃胸の道をわきまへ、敵を打果す所の鍛錬を得るに、小さき事弱き事思ひよらざる所なり、ことに六具固めてなどの利に小さき事思ひ出ることにあらず、されば命をはかりの打あひに於て一人して五人十人とも戦ひ、其勝つ道をたしかにみること我道の兵法なり、然るによって一人して十人にかち、千人を以て万人に勝つ道理何の差別あらんや、よくゝゝ吟味あるべし、去ながら常々の稽古のとき千人万人をあつめて此道為習ふ事なる事にあらず、独り太刀をとっても其敵々の智略をはかり、敵の強弱手たてを知り、兵法の智徳を以て万人に勝つ所を極め、此道の達者となり、我兵法の直道世界に於て誰か得ん、又は何れか極めむと慥に思ひ取て、朝鍛夕錬して研きをほせて後独り自由を得、おのづから奇特を得、通力不思議有るところ是れ兵として法を行ふ息なり

 
勝手な解釈ですが・・・・・・・
真に相手を倒す為に、生死の分かれ目となる原因究明や刀の扱い方を、朝な夕なに一生懸命鍛錬を積めば、神の力としか思えないような不思議な力が生じる、これが兵法を修行する本来の目的である。・・これは小手先の鍛錬や、竹刀で打った、打たれた勝ち負けに一喜一憂するのではなく、真に相手との命のやり取りを考えて鍛錬せよということではないでしょうか 


一 場の次第と云ふ事
場の位を見分くる所、場において日を負うと云ふ事有り、日を後方になして構ふるなり、若し所により日を後方にすることならざるときは、右の脇へ日をなすやうにすべし、座敷にてもあかりをうしろ右脇となすこと同前なり、後方の場つまらざるやうに左の場をくつろげ、右の場をつめて構へたき事なり、夜にても敵の見ゆる所にては、火を後方に負ひ、あかりを右脇にすること同前と心得て構ゆべきものなり、敵を瞰下すと云ふて少しも高き所にかまゆる様に心得べし、座敷にては上座を高き所と思ふべし、扨戦になりて敵を追まわすこと我左の方へ追廻す心、難所を敵の後ろにさせ、何れにても難所へ追掛ること肝要なり、難所にて敵に場を見せずと云ひて、敵に顔をふらせず油断なくせりつむる心なり、座敷にても敷居、鴨居、戸障子、椽など、又柱などの方へ追詰むるにても、場を見せずと云ふこと同前なり、何れも敵を追かくる方足場のわるき所、又は脇に構ひの有る所、何れも場の得を用ゐて、場の勝をうるといふ心専にして、能くゝゝ吟味して鍛錬あるべきものなり、兵法の道を行ふものは、常に其道に心をつけて、座敷に居ても其座の損得を知り、座の道具に付けても其利を得、又外面にても山を見て、其山の利を知り、川を見ては其徳を覚え、沼ふけまでも兵法の利をを受る心肝要なり
 
 
勝手な解釈ですが・・・・・・・
闘いの場所は常に自分に有利な場所を選びなさい。明かりを背にし、後ろや左側を広く取り相手を見下ろす場所を選び、相手を動きにくい場所へ追い込む事が大切です。また武器にしてもその利点を知り、山を見て状況を把握し、川をみて効果を知り、沼における戦い方を理解することが大切です

と言うことらしいが・・・

当然、現代の試合では山や川や・・ましてや沼などで戦う事はありえ無し、試合場の高低もありえないが
自分の後ろを広く取る事は当選であり 又、正眼の構え(中段)は左自然体で有る以上、左側に余裕を持たすことも大切な事になると思う。実際壁際で構えてみて左側が開いているのと、左側が壁になるのとでは、こんなに感じが違うものかと驚きました。
流石は武蔵先生ですが、ただ現在では其れがどれほど有効化は???私には解りません



一 三つの先と云ふ事
三つの先、一つは我方より敵へ掛る先、之をけんの先と云ふなり、又一つは敵より我方にかゝる時の先、是はたいの先と云ふなり、又一つは我もかゝり敵もかゝり合う時の先、体々の先と云ふ是三つの先なり、何れの戦初めにも此三つの先より外はなし、先の次第を以てはや勝事を得るものなれば、先と云ふ事兵法の第一なり、此先の仔細様々ありといへども、其時の理を利とし、敵の心を見、我兵法の智恵を以て勝事なれば、細やかに書分る事にあらず、
第一懸の先、我かゝらんと思ふ時静にして居り、俄かに早くかゝる先、上を強く早くし、底をのこす心の先、又我心を如何に強くしても足は常の足に少し早く敵のわきへ寄ると早く揉み立つる先、又心をはなって、初中後同じ事に敵を挫ぐ心にて、底までつよき心に勝、是れ何れも懸の先なり
第二待の先、敵我方へかゝりくる時少しも介意ず弱きやうに見せて、敵ちかくなりてつんと強くはなれて飛つくやうに見せて、敵のたるみを見て、直につよく勝つ事、これ一つの先、又敵かゝり来る時、我もなほ強くなって出る時、敵のかゝる拍子のかはる間を受け、そのまゝ勝を得る事是待の先の利なり
第三体々の先、敵早くかゝるには我静につよくかゝり、敵近くなりてつんと思ひ切る身にして敵の余裕の見ゆる時、直につよく勝つ、又敵静にかゝる時、我身浮きやかに少し早くかゝりて、敵近くなりて一揉み揉み、敵の色にしたがひ、強く勝つ事是体々の先なり、此儀こまかに書分けがたし、此書付を以て大略工夫あるべし、此の三つの先、時にしたがひ理にしたがひ、何時にても我方よりかゝる事にはあらざれども、同じくは我方より計りて敵を廻はしたき事なり、いづれも先の事兵法の智力を以て勝つ事を得る心、よくゝゝ鍛錬あるべし


その三つのせんとは・・・
ここは大切なところなのでよぉ〜く考えよう

懸(けん)の先・待(たい)の先・体々(たいたい)の先の以上三つの先です
懸の先=自分から相手に懸かっていく先
待の先=相手が懸かってくる時の先
体々の先=双方とも懸かる先

「先」については色々な説明があり混乱をするところではありますが、武蔵はあくまでも
実践を念頭に置いた説明となってますので、
近代剣道では「えぇ〜?」という言い回しありますが、とにかく勝敗は「先」にありとの教えです。

ちなみに、近年一番良く聞く「先」は
先の先(先々の先)・対の先(先・先前の先)・後の先(待の先・先後の先)
これも、色々と諸説有るので迷うところではありますが

私は・・・・

先の先(先々の先)とは、相手の心の動きを察知し打ち出す先
対の先(先・先前の先)とは、相手の動作(動き)をいち早く捕らえる先
後の先(待の先・先後の先)とは、相手の技を応じて打つ先

と・・・思っています

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五輪書お勉強5

ブログは5000字までとは知らなかった・・・
で続きです

一 縁のあたりと云ふ事

我打出す時、敵打留めん、はりのけんとする時、我打ち一つにして、あたまをも打ち、手をも打ち、足をも打つ。太刀の道一つを以て、何れなりとも打つ所、是縁の打なり。 此打ち、能く打ならふべし。何時も出合ふ打ちなり。再々打合て分別あるべき事なり。

勝手に編訳・・だんだん自信がなくなってきたぞ〜大分疲れて思考が停止寸前

一 縁の当りという事

自分が打ち出す時に、敵が打留めよう、張りのけようとする時、こちらは打ち一つで、頭をも打ち、手をも打ち、足をも打つ。太刀筋は一つで、どこでも打てる、これが縁の打ちである。この打ちを、よく打ち習うことである。どんな場合でも使える打ちである。何度も打ち合って練習し、理解することである。

勝手に解釈
頭でも手でも足でも一つの太刀筋で打つとな?・・・
相手が受け止めよう・張りのけようとした時・・面と受ければ胴、胴と受ければ面
小手を張りのけようなら面と打つ。同じ太刀筋で変化する
縁=仏教用語で・・結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。原因を助成して
結果をじさせる条件や事情
から・・条件や事情
相手の事情や状態により同じ太刀筋で変化する
・・此処も良くわかりません・降参

一 石火の當りと云ふ事

石火の當りは、敵の太刀と我太刀と着合ふほどにて、我太刀少しも上げずして、如何にも強く打なり。是は足もつよく、身もつよく、手もつよく、三所をもつて早く打べきなり。
此打度々打習はずしては打がたし。よくよく鍛練すれば、つよく當るものなり。

勝手に編訳(ますます自信がなくなりつつ有り・・?
「石火の機」て言うのが有ったと思うのだが何となく違うような気も・・

一 石火の当りという事

石火の当りは、敵の太刀と我が太刀とが触れ合うほど接近した状態で、我が太刀は少しも上げずに、いかにも強く打つことである。これは、足も強く、身も強く、手も強く、三箇所をもって早く打つべきである。この打ちは、良く習わなければ、打つことはできない。よくよく鍛練すれば、強く当たるようになるものである。

無理やり解釈・・
石と石がぶつかり火花が出るような強く鋭い打ちと言うことかな。
この辺は実際に武蔵先生に指導願わないと文だけでは読み取ることは困難です
「石火の機」石を打つと火花がパッと出る、間髪を容れずと同じ隙間の無いこと
瞬速の間のことでしょう。
刀が触れ合うような間合いでは大きく打つことなどできない・・これ道理

一 紅葉の打と云ふ事

紅葉の打ち、敵の太刀を打落し、太刀とりはなす心なり。
敵前に太刀を構へ、打たん、はらん、受けんと思ふ時、我打つ心は、無念無相の打ちにても、又石火の打ちにても、敵の太刀をつよく打ち、其儘後をはねる心にて、切先下りに打てば、敵の太刀必ず落つるものなり。此打ち鍛練すれば、打ちおとすことやすし。能々稽古あるべし。

勝手に編訳'
紅葉(こうようor もみじ)

一 紅葉の打ちという事

紅葉の打ちは、敵の太刀を打ち落し、太刀を手からとり放つことである。
敵が前に太刀を構え、打とう、張ろう、受けようと思う時、こちらの打つ心は、無念無相の打ちでも、また石火の打ちでも、敵の太刀を強く打ち、そのまま後を撥ねるという心持で、切先下りに打てば、敵の太刀は必ず落ちるものである。この打ちを鍛練すれば、敵の太刀を打ち落とすことは容易である。よくよく稽古あるべし

無理やり解釈・・
もみじ でも こうよう でも良いではないか、刀を打ち落とすことなのだぁ〜
これ私は(自分で言うのも変ですが)旨いと思う
ここで重要なのは そのまま後を撥ね上げるようにが鍵です
ようは鞭のように使うのがコツです。強く打ちつけては落ちません・
鞭のように鋭く、そして跳ね返る感じが大事・・
さらに言えば、受けようと思う時ではなく、そこに一瞬の間を置くと尚効果的です
武蔵先生ゴメンナサイ・・・勝手に変えてしまった


一 太刀にかはる身と云ふ事

身にかはる太刀とも云べし。總じて、敵を打つに、太刀も身も、一度には打たざるものなり。敵の打つ縁により、身をば先に打つ身になり、太刀は身に介意はず打つところなり。
若くは、身は揺るがず、太刀にて打事はあれども、大かたは身を先へ打ち、太刀を後より打つものなり。よくよく吟味して打習ふべきなり。

勝手に編訳
あとどの位「水之巻」が続くのだろう・・
エ・・まだ半分ぐらい・・もう疲れてきたぞぉ〜

一 太刀に替わる身という事

身に替わる太刀とも云える。総じて、敵を打つ時、太刀と身体は、一度には打たないものである。敵が打ってくる状況によって、身体の方を先に打つ体勢で、太刀は身体にかまわず打つのである。
場合によっては、身体は動かず、太刀で打つことはあっても、ほとんどの場合、身体を先へ打ち込み、太刀を後から打つものである。よくよく研究して打ち習うべきである。

無理やり解釈
武蔵先生これは私が良く生徒に言っている言葉です・・・ありがとぉ〜お(涙!!)
良くぞ此処に記してくれました。・・間違っていなかった

これは体始動の打ちです。・・多分・・踏み込み足を手の始動より少し速める気持ちで打ち
込むと、一拍子の打ちができる。正面素振りの際振りかぶって前に出るのではなく
足を前に出すと同時に手を振りかぶり振り下ろす。どうしても手が先に動きたがるので
気持ち足を先行させる気持ちがコツです

ここまでは昨日12:00過ぎまでかけて・・Wordに打込んで物を転記しました。
今日はもう出来ません・・・体力の限界・・睡眠時間4時間強〜で朝稽古・・・
・・・今日調子が良かったのは・・睡眠不足の御かげ・・・・

何とか4/28の合宿で中学校に配布したいと頑張っていますが・・無理かも・・・

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五輪書お勉強4

今日こそは水之巻を片付けてしまおう、と意気込んで・・では・・

一 有構無構の教への事

有構無構と云ふは、元來太刀を構ふるといふ事あるべき事にあらず、然ども、五方に置く事あれば、構へとも成るべし、太刀は、敵の縁により、所により、形氣に隨ひ、何れの方におきたりとも、其敵切りよき樣に持つ心なり。
上段も、時に隨ひ少し下る心なれば、中段となり、中段も、をりにより少し上れば、上段となる。下段も、折にふれ少し上れば中段となる。兩脇のかまへも、位により、少し中へ出せば、中段下段ともなる心なり。然るによつて、構はありて構はなきといふ理なり。
先づ太刀を取ては、何れにしてなりとも、敵を切ると云ふ心なり。若し敵のきる太刀を受る、張る、當る、ねばる、さはるなど云ふ事あれども、みな敵を切る縁なりと心得べし。
受ると思ひ、張ると思ひ、當ると思ひ、ねばると思ひ、さはると思ふによつて、切る事不足なるべし。何事も切る縁と思ふ事肝要なり。能々吟味すべし。
兵法大きにして、人數立てと云ふも、みな合戰に勝つ縁なり。能々工夫すべし。

ここも良く聞くところです(勝手に編訳しますが、不安)

一 有構無構の教えの事

有構無構(うかうむかう)というのは、元来は太刀を構えるということではない、しかし、太刀を五つの方に置き換えれば、構えともなる、太刀は、敵の状況、場所により、気風によって、何れの方に太刀を構えてとしても、その敵を切りやすいように太刀を持つ、という意味である。
上段も、少し太刀が下るれば、中段となり、中段も、場合により少し太刀が上れば、上段となる。下段も、少し太刀が上れば、中段となる。両脇の構えも、状態により、少し中へ出せば、中段・下段ともなる、ということである。これによって、構えはあって構えはない、というわけである。
まず、太刀を手に取ってば、どのようにしてでも敵を切る、という心が必要。もし仮に、敵の切ってくる太刀を、受ける、張る、当る、粘る、触る、など状況であっても、それはすべて敵を切るためのものだと心得るべきである。
受けると思い、張ると思い、当ると思い、粘ると思い、触ると思うと、そのことによって、切ることが不十分になる。何ごとも敵を切るためのものにすぎないと思うことが肝要である。よくよく吟味すべし。
大規模の兵法のばあい、「人数立て」というのも、みな合戦に勝つためのものである。よくよく工夫すべきである。

武蔵先生なんて乱暴な・・切る為に構えと心がけよ(時代が時代のなので)
今風では、打つために構えよ、構えるために構えるな・・かな?
相手を打つ為に構えるのだから、打ち易いように構えましょうと
実際命のやり取りになると格好なんか構ってられませんものね

受ける、張るは打つためのものであって、受けることが目的ではない・・
受ける刀は即打つ刀となる・・か・・

一 敵を打つに一拍子の打ちの事

敵を打つ拍子に、一拍子と云ひて、敵我あたる程の位を得て、敵のわきまへぬ内に心に得て、我身もうごかさず、心も付ず、如何にも早く直に打つ拍子なり。敵の太刀ひかん、はづさん、うたんと思ふ心のなき内を打つ拍子、是れ一つ拍子なり。
此拍子能く習ひ得て、間の拍子を早く打つ事鍛練すべし。

勝手に編訳〜(これも何か聞いた覚えだあるダョ〜)

一 敵を打つに一つ拍子の打ちの事

敵を打つ拍子に、一拍子というものがある。敵と自分の距離は打って当るほどの位置の場合、敵の心の準備ができない内に、自分は心を準備して、身体も動かさず、心も居付かさず、できるだけ早く真っ直ぐに打つ拍子である。太刀を引こう、外そう、打とうと思う心を、敵がまだ起さない内に打つ拍子、これが一つ拍子である。
この拍子をよく習得し、間の拍子を早く打つことを、鍛練すべきである。

間の拍子を早く打つ・・此処が問題・・間・・間・・?

如何無理やり解釈しようか〜
間=引こう、外そうと心が働き一瞬の心が止まったところ(居付きの瞬間)
自分は心を居付かさず打つ・・これでど〜だぁ〜

一 二の越し拍子の事

二の越しの拍子、我打たんとするとき、敵早く引き、早く張り退くるやうなる時は、我打つと見せて、敵の張り手たるむ所を打ち、引てたるむ處を打つ、是、二の越しの打なり。此書付ばかりにては、中々打得がたかるべし。教へ受けては、忽ち合點のゆく所なり

勝手に編訳〜

一 二の越しの拍子の事

二の越しの拍子とは、自分が打とうとする時、敵が早く引き、早く張り退けるような時、自分が打つと見せかけて、敵の張り手が弛むところを打ち、引いて弛むところを打つ。これが二の越しの打ちである。
この文書を読んだだけでは、この二の越しの拍子で打つことはなかなかできないはずである。教えを受ければ、たちまち合点のゆくところである

読んだだけでは出来ないだろうから・て・・武蔵先生教えを受けろって・・だ・・誰に・・?
先生そんな・・ここまで来て解らんだろうから教えを受けろとは・・
あんまりだぁ〜

越し?・・・二の越し・・?が良く解らん
越し・・○○越しに・・? なんとなく腰の方がしっくり来るけどな?
二枚腰・・粘り強い腰・・拍子には合わないな〜
二残しとしているものもあるみたいだし・・ななとなくフェイントをかけて打つともとれるよな
皆さん勝手に解釈して下さい


一 無念無相の打ちと云ふ事

敵も打ち出さんとし、我も打ち出さんと思ふ時、身も打つ身になり、心も打つ心になつて、手は何時となく空になり、唯だ心の命ずるまゝ、知らず知らず打つ事、是れ無念無相とて、一大事の打なり。
此の打ち、度々出合ふ打なり。能々習ひ得て鍛練あるべき儀なり。

勝手に編訳(これはもう有名・・武蔵先生が言ってたのかぁ〜)

一 無念無相の打ちという事

敵も打ち出そうとし、自分も打ち出そうと思う時、体も打つ状態になり心も打つ心になって、手は自然と空になり、ただ心の命ずるまま、知らず知らず打つこと、これが無念無相といって、重要な打ちである。
この打ちは度々出合う打ちである。よくよく習得して鍛練あるべきことである。

これは無理やり解釈することも無い、読んで字の如しですが
無念夢想・・無心・・これについては説明のしようが無い・・
この境地になるまで頑張るしかない・・かな・・


一 流水の打と云ふ事

流水の打と云ふは、敵合ひになりて競合ふ時、敵早くひかん、早くはづさん、早く太刀をはりのけんとする時、我身も心も大きになつて、太刀を我身のあとより、如何程もゆるゆると、よどみの有るやうに、大きにつよく打事なり。
此打ち、習ひ得ては、慥〔たしか〕に打ちよきものなり。敵の位を見分くる事肝要なり。

勝手に編訳

一 流水の打ちという事

流水の打ちというのは、敵合いになって競り合う時に、敵が早く引こう、早く外そう、早く太刀を張りのけようとする時、こちらは身も心も大きくなって、太刀を我が身の後から、いかほどもゆるゆると淀みのあるように、大きく強く打つことである。
この打ちを習得すれば、たしかに打ちやすいものである。ただし敵の位を見分けることが肝要であ。

勝手に解釈です
敵合いなってとは、五分の状態で競り合うこと・・鍔迫り合い?
いかほどもゆるゆると淀みあるように・・?・淀み無くではない?
敵の位(くらい)?て何?・・技量
此処は良くわかりません・・勝手にも何もお手上げだぁ
ここも自分なりに解釈願います

=この後は・・・五輪書お勉強5に続く・・・=

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五輪書お勉強その3

さぁ〜てドンドン行きます。今日はのってるよぉ〜

一 太刀の持ち樣の事
太刀の取り樣は、大ゆび人さしゆびを浮ける心にもち、丈高指はしめずゆるまず、藥指小指にて十分しむる心にして持なり。手の内にはくつろぎの有る事あしし。 
太刀を持と云て持たる心ばかりにては惡し。敵を切る物なりと思ひて、太刀を取るべし。
敵を切る時も、手の内に變りなく、手の竦まざるやうに持べし。若し敵の太刀をはる事、受る事、あたる事、おさゆる事ありとも、大ゆび人さし指ばかりを、少し變ふる心にて、兎にも角にも切ると思ひて、太刀を取るべし。 
試しものなど切る時の手の内も、兵法にて切時の手の内も、人を切ると云ふ手の内に變る事なし。
總じて、太刀にても手にても、いつくと云事を嫌ふ。いつくは死ぬる手なり。いつかざるは生くる手なり。能々心得べきものなり。

勝手に解釈〜

一 太刀の持ち方の事
太刀の持ち方は、親指と人指し指は浮かせた感じで持ち、中指は締めず緩めず、薬指と小指で十分締める気持で持つのである。持った手の内に遊びがあるのではいけない。
太刀を持つといっても、ただ持っているだけという気持ではいけない。敵を切ると思って、太刀を取るべきである。
敵を切る時も、太刀を持った手の内に変化はなく、手の竦(すく)まないように持つべきである。もし敵の太刀を、張る、受ける、当る、抑えるということがあっても、親指と人指し指だけを少し変える感じで、何が何でも切るのだと思って、太刀を取るべきである。
試し斬りで切る時の手の内も、実戦で切る時の手の内も、人を切るという手の内に変りはない。
総じて、太刀でも手でも、居着くということを嫌う。居着くのは死ぬ手である。居着かないのは生きる手である。よくよく心得えておくべきである。

'''注意・・・持った手の内に遊びが有ってはいけない・・・
武蔵先生は二刀流・・・右も左も刀を持っています・・ですから両手とも私たちの左手と同じと考えましょう・・・多分 '''

一 足づかひの事
足のはこびやうの事、爪先を少しうけて、踵〔きびす〕を強くふむべし。足の使ひやう、時によりて大小遲速はありとも、常にあゆむが如し。足に飛足、浮足、ふみすゆる足とて、是三つ、嫌ふ足なり。
此道の大事に、陰陽の足と云ふことあり。是れ肝要なり。陰陽の足とは、片足ばかり動かさぬ物なり。きる時、引く時、受る時までも、陰陽とて、右左々々とふむ足なり。返すがへす、片足ふむことあるべからず。能々吟味すべきものなり。

勝手に解釈〜

一 足づかいの事
足の運び方のことでは、爪先を少し浮かせて、踵〔かかと〕を強く踏むべきである。足の使い方、時によって、大きい小さい、遅い速いはあっても、ふだん歩くのと同じようにする。飛足(飛び上る足)、浮足(爪先立ちの足)、踏み据える足(動かない足)というのがあるが、この三つは、嫌う足である。
この道の大事なことに、「陰陽の足」ということがある。これが肝要である。陰陽の足とは、片足だけ動かすようなことはしないものである。切る時、引く時、受る時でさえも、陰陽といって、右、左、右、左と踏む足である。決して片足を踏むことはあってはならない。よくよく吟味すべきである。

ここら辺も注意がいるかな・・・
爪先を浮かせて、踵を強く踏む・・現代の剣道ではありえません・・・
武蔵先生は実際の切りあいを想定して書いています。実戦では平らな場所ばかりではありません、確り踵を強く踏んで転倒しないよう注意しなと・・転倒即死ですから'''

'''「陰陽の足」これも武蔵先生は二刀流です・両手に刀を持っています。
手に左右の別が無い以上、足にも左右の別はありません。'''

無理やり解釈〜じゃぁ〜武蔵先生

無理やり当てはめるならば、踏み込んだときに左足が残ってはいけません。
早く引き付けましょう。左足が残ると体に崩れが生じ、隙となります


一 五方の構の事
五方の構は、上段中段下段、右の脇に構ふる事、左の脇に構ふる事、是れ五方なり。
構五つに分つと云へども、皆人を切らん為なり。身の構へ五つより外はなし。何れの構へなりとも、構ふると思はず、切る事なりと思ふべし。 構の大小は、ことにより利にしたがふべし。上中下は體の構へなり。兩脇はゆうの構なり。
右左の構は、上のつまりて、脇一方つまりたる所などの構へなり。右左は所によりて分別有り。
此道の大事に曰く、構へのきはまりは中段と心得べし。中段は構への本意なり。
兵法大きにして見よ。中段は大將の坐なり、大將についでは、後四段の構なり。能く吟味すべし

勝手に解釈〜(この辺は二刀流の構えの説明です)二刀流を勉強しない限り解りません

一 五方の構えの事
五方の構えとは、上段・中段・下段、右の脇に構える、左の脇に構える、以上の五つである。
構えを五つに分けるとはいえ、どれも人を切るためのものである。身体の構えは、この五つより外はない。何れの構えであっても、構えると思わず、切ることだと思うべきである。
構えの大きい小さいは、状況によって、有利なほうに構えれば良い。上段・中段・下段は基本の構えである。左右両脇の方は応用の構えである。
右左の構えは、上の方が狭かったり、脇の一方狭い所などでの構えである。右左は場所によって違いがある。
大切なのは、構えの極まりは中段と心得えるべし。中段は構えの基本です。
兵法を大きくして見よ。中段は大将の坐である。その大将についで、後の四段の構えがある。よく研究すべきである。

でたぁ〜・無理やり解釈〜

構えるときは相手に対しての構えでなくてはならない、常に気迫をもって構える事が大事で、格好つけてもしょうがないよ・・・・伝・伝・・・
構えにも色々あるが、やはり中段(正眼)は王道で、その他の構えは中段が変化したものですよ、故に確りと中段が構えられるように勉強しましょう

一 太刀の道と云ふ事
太刀の道を知ると云は常に我差す刀を指二つにて振るときも、道筋よく知りては自由に振るものなり、太刀を早く振らんとするによって太刀の道逆ふて振りがたし、太刀はふり能き程に静にふる心なり、或は扇或は小刀など使ふやうに早く振らんと思ふ事悪しゝ、其れは小刀きざみと云ふて人の切れざるものなり、太刀を提げてはあげよき道へ上げ、横にふりては横にもどりよき道へもどし、如何にも大きに肱を延べて強くふること是太刀の道なり、我が兵法の五つの表を遣ひ覚ゆれば太刀の道定りて振りよき所なり、能々鍛錬すべし

勝手に解釈〜

一 太刀の道という事
刀の道を知るというのは、常に自分が差す刀を指二つで振るときでさえ、刀の道筋を良く知っていれば、自由自在に振れるということである。
太刀を早く振ろうとすると、かえって太刀の道が逆らって、振れないものである。太刀は振りよい程に靜かに振るという感じにする。扇や小刀などを扱うように、太刀を早く振ろうと思うのはよくない。それは「小刀きざみ」といって、人など切れないものである。
太刀を堤げては、上げやすい道へ上げ、横に振るには、横に戻りやすい道へ戻し、できるだけ大きく肱〔ひじ〕を延ばして、強く振ること、これが太刀を振る方法である。
我が兵法の五つの表のやり方を習得できれば、太刀の軌道が定まって振りやすくなるものである。よくよく鍛練すべきである。

無理やり解釈〜

刀に逆らって振っては駄目・力まず刃筋正しく振りなさい・・かな?


ここからは二天一流を学びたい方・・各自、勝手に解釈〜願います

一 五つの表、第一の次第の事
第一の構は中段なり。太刀先を敵の顔に付て、敵に行逢ふ時、敵の太刀打かくる時、右へ太刀をはづして乘り、又敵打かゝる時、切先返しにて打ち、おとしたる太刀、其のまゝおき、又敵の打かゝる時、下より敵の手はる、是れ第一なり。
總別、此五つの表、書付ばかりにては、合點なりがたし。五つの表の分は、手に取て、太刀の道稽古する所なり。
此五つの太刀筋にて、我太刀の道をも知り、如何やうにも敵の打太刀知るゝところなり。二刀の太刀の構へ、五つより外にあらずとする所なり。吟味すべきなり。

一 表、第二の次第の事
第二の太刀は、上段に構へ、敵打かくる所、一度に敵を打つなり。敵を打はづしたる太刀、其まゝ置て、又敵のうつ所を、下より掬ひ上げて打つ。今一つうつも同じ事なり。
此表の内に於ては、樣々の心持、いろいろの拍子、此表の内を以て、一流の鍛練をすれば、五つの太刀の道こまやかに知て、如何やうにも勝つところ有り。稽古すべきなり。

一 表、第三の次第の事
第三の構、太刀を下段に持ち、堤さげたる心にて、敵の打ちかくる所を、下より手を張るなり。手を張る處を、又敵其の張る太刀を打落さんとする所を、越す拍子にて、敵打ちたる後、二の腕を横に切る心なり。下段にて敵の打つ所を一度に打ちとむる事なり。
下段の構へを運ぶに、早き時も遲き時も出合ふものなり。太刀を取りて鍛練あるべきなり

一 表、第四の次第の事
第四の構、左の脇に横に構へて、敵の打かくる手を下より張るべし。下より張るを、敵打落さんとする其の手を張る心にて、その儘太刀を受け、我肩の上へ筋かひに切るべし。是れ太刀の道なり。又敵の打ちかゝる時も、太刀の道をうけて勝つなり。能々吟味あるべし。


第五の次第の事の最後の方だけちょっと気になるので、見てみます

一 表、第五の次第の事
第五の次第、太刀の構へ、我右の脇に横に構へて、敵打かゝる所の位を受け、我が太刀下の横より筋かひに上段に振上げ、上より直に切るべし。是も太刀の道、能くしらしめんためなり。此表にて振りつけぬれば、重き太刀も自由にふらるゝなり。此五つの表に於て、細かに書付ることあたはず。我家の太刀一通りの道を知り、

又大形拍子をも覺へ、敵の太刀を見分る事、先此五つにて、不斷手をからす處なり。敵と戰ふ中にも、此太刀筋をからして、敵の心を受け、いろいろの拍子にて、如何やうにも勝つ所なり。能々分別すべし。

このあたりがちょっと気になるので・・勝手に解釈〜

また大たいの拍子も覚え、敵の太刀を見分けるようになるには、まずこの五つの表で、たえず手を休めず練習してください。敵と戦う最中にも、この太刀筋で、敵の心に応じて、いろいろの拍子で、いかようにも勝てるのである。よ〜く理解してくださ

・・・・あぁ〜疲れた・・・今日はここまで・・先は長いです・・
お付き合いくださいました皆さん・・ご苦労さまでした・・・ありがとうぉ〜

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