黒猫の究美 -浮世絵談義 虎之巻-

シカゴ ウェストンコレクション 初代歌川豊国 「時世粧百姿図」 総解説 全6回予定、毎週金曜日更新。
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「シカゴ ウェストンコレクション 肉筆浮世絵−美の競艶」
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「シカゴ ウェストンコレクション 肉筆浮世絵−美の競艶」 より
初代歌川豊国 「時世粧百姿図」 解説 その六

◆76-21局長屋
 一間しかない狭い個室に、女郎が一人づつ常駐して、客をとるような形式の店を局見世という。吉原内では最下層にあたり、ショータイムの時間制で客をとる形態は現在の風俗に近い。また、同形態の店は吉原にできる以前
から岡場所に存在し、それらを図画上で区別することは難しいという。本図は、局見世を描いたほかの作品と同様、これから風呂へ行き、身支度にとりかかる女たちの様子を描いている。
 手拭いを肩にひっかけて左側の角を右へ曲がろうとする女に、部屋の上り框から身を乗り出して何やら声をかける朋輩。その右隣の部屋からも、房楊枝を手に入口の土間に立った女が、前を通り過ぎようとする禿風の背の低い
女に何か話しかけている。この禿風の女性は見た目通りの小娘のようだが、局見世の中には、セーラー服おばさんよろしく、年齢不相応な少女の格好に扮した女郎もいたというから驚く。
 通路はすべて板張りになっており、一見舞台であるかのような錯覚を受けるが、初代歌川国貞の三枚続「三ヶ月お仙つぼね見世之圖」(文化12)を見ると、どうやら局女郎たちの見世が並ぶ前の通りはすべて板張りとなっていたようだ

 ○局女郎(aしの字髷?、手柄髷、島田髷、稚児髷?)

◆76-22辻君
 川岸の材木場と思しきに場所に現れたのは二人の夜鷹(よだか・街娼婦のこと。辻君とも)。
 中央の幹から枝を伸ばした春柳の葉には二匹の蝙蝠が戯れており、樹の根元には墓石や沓脱石(くつぬぎいし・縁側で履物などを据える石)のような石材が大小立て寄せられている。夜鷹とその客を当て込んだものか、右下には食べ物屋台の屋根が見える。
 ○辻君(aつぶし島田、つぶし島田に手拭の吹き流し)

◆76-23船饅頭
 船饅頭とは、船上で客をとる下級娼婦の一種。船に客をのせたあと、一定のルートを廻って元の場所に帰ってくる。
 左肩に手拭いをひっかけ、苫船(とまぶね・屋根型にむしろを掛けた船)の船尾に立って秋の夜風にあたる女。夜空には糸三日月がかかっている。
 背景の左側にある浅草米蔵の倉庫から視線を右に移したところに吾妻橋(大川橋)が架かっており、その橋の上には高く掲げた毛槍と陣笠をかぶった大名行列のような小さなシルエットが描かれている。
 ○船饅頭(aつぶし島田)

◆76-24妓楼の内証
 張見世を右手にみて、妓楼の大きな暖簾をくぐると、左手が壁、右手が上り口になっており、縦に広い土間を挟んだ向い正面が台所。帳場兼居間の内証があるのは、上り口の廊下を左へ渡った台所の向かいあたりである

 袖なし羽織を着た妓楼の女将は、縁起棚を背にして長火鉢と銭箱の間の更紗模様の座布団に腰を降ろし、長キセルを弄りながら坊主禿に自分の肩を揉ませており、その目の前には、反物の包を開けてみている二人の
女と一人の振袖新造が立っている。こちらに半分背を向ける恰好で、引き染めの反物を熱心に見ている年嵩の女は、黒繻子の帯を前結びにしており、遣り手だろうか。反物を持っているもう一人の女は若い娘で、蛸唐草模様の蓋物を手に移動しようとしている振袖新造へに何やら声をかけている。娘の扮装は一般の町娘風であることから、将来名代の花魁になることを見込まれた引っ込み禿なのであろう。
 内証の周囲には仕切りがないため、絵の中では上半分に障子をはめた腰屏風で結界を作っている。地袋の上に設けた縁起棚の両脇には、金の鍍金(メッキ)で作られた一対の燈明台、その左脇におかめ面があり、縁起棚を挟む左右の柱には、白い折り鶴と赤い猿ぼぼが吊提げられている。その隣は二段の棚の下段に帳場箪笥を納めてあり、上段には「湖月集」(源氏物語の注釈書)を収めたけんどん箱(巻数の多い本を横積みに収める専用の箱。形は岡持ちに似ており、はめ込み式の蓋がつく)や掛軸、真田紐を掛けた道具類の桐箱などが並んでいる。
 また、女将の左側に据えられた長火鉢の上にどっしりと置かれた広島薬缶と、向かい合うように並べられた名札付きの四つの急須は、妓楼の女将と遊女たちの立場関係を表しているようで面白い。
 ○妓楼の女将(a丸髷/b前帯)/禿(a坊主)/遣り手?(a丸髷/b前帯)/引っ込み禿(a結綿)/振袖新造(aつぶし島田/b前帯)

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「シカゴ ウェストンコレクション 肉筆浮世絵−美の競艶」 より
初代歌川豊国 「時世粧百姿図」 解説 その五

◆76-17客の見送り
 江戸を出て最初の宿場である品川は、飯盛女の枠で遊女を置くことが黙認された半官許の遊里としても栄え、北国と呼ばれた吉原に対して、南、南国、南駅などと呼ばれた。
 本図は、沖に面した妓楼の裏手から船客を送り出したところか。遠ざかる船を見送って一息つく遊女たち。左側には芸者と、姉女郎たちの煙管と火入れを抱えた禿が描かれており、三人の遊女の衣装からは、吉原とは異なる品川の遊里独特の色の好みを見ることができる。
 品川の妓楼の二階には、海を一望できる「見通し」と呼ばれる広い座敷があり、そこでは、近くで水揚げされた新鮮な肴が提供された。
 ○遊女(a島田、勝山髷、結い綿)/芸者(a潰し島田)/禿(a若衆髷)

◆76-18二階の遊女部屋
 こちらも同じ品川だが、描かれているのは76-17よりも格の低い遊女たちである。
 出格子の間から潮風が吹き込む部屋の中では、壁の柱にもたれた女が端唄を口ずさみ、右下では湯から上がった三人の女が茹で蟹を貪っている。黒い盆の上に盛られた極彩色の菱蟹(ひしがに・ワタリガニ)が、博物譜のように生々しくリアルだ。
 窓辺に腰掛ける女の脇にさりげなく置かれた一ッ引小抽斗の煙草入れは、品川と川崎の間に位置する大森の麦藁細工だろうか。左側では、嵐絞りの浴衣を着た女が頬杖をついて沖の方を眺めており、六月に近所の牛頭天王(ごずてんのう)の祭礼で配られたものらしい「天王」と書かれた団扇を肘の下に敷いている。
 ○端唄を口ずさむ女(a天神髷)/菱蟹を食う女(a手柄髷、輪なし天神、潰し島田)/窓辺に腰かける女(a潰し島田)/頬杖をつく女(a潰し島田) 

◆76−19深川の寄場
 深川の子供屋の二階を描く。
 子供屋とは茶屋に派遣される私娼(これを子供という)を抱えた置屋のこと。76-15(解説 その四」を参照のこと)の場面が舞台ならば、こちらはその楽屋裏ということになる。いましも、一人の子供が身支度を整えて二階の段梯子を降りようとしているが、着物の褄をきちんと合わせずにぞろりと絡げていたり、長襦袢の襟はキリリと詰めているのに、表着の襟を大きく開けて、わざと肌着の緋色を見せているところに常(ただ)の芸者とは異なる私娼としての性(さが)が現れているのだろうか。
 部屋にいる浴衣姿の女たちを左上から順に見ていくと、一見ヒョウ柄にも見える三浦絞りの浴衣を着た女は、鏡台の脇で文に目を通しており、真ん中の荒磯模様の浴衣を着た女は、入れ墨(いれぼくろ・○○命のアレ)でも消そうとしているのか、二の腕に据えた灸の熱さに顔をしかめている。入口に近い鏡台の前で、顔に白粉を塗っている吹き寄せ模様の浴衣を着た女は一番の古株らしく、前頭部が禿げかかっている。これを見て思うに、一定の年齢に達して前髪を切るのはこのハゲを予防するためではないだろうか。傍らには、耳盥(みみだらい)の中に入ったうがい碗と房楊枝(歯ブラシ)が描かれている。床から這い起きて、茶碗に湯薬(ゆやく・煎じ薬)を注いでいるのは鳥屋(とや・梅毒)に罹った女。白く痩せた女の横顔が凄まじい。
 左の壁には、口紅のついた手拭いと錦の胸守(肌の上に直接掛け、お守りなどを入れおく)が下がっており、右向うに材木場がのぞく格子の両框(りょうかまち)にはそれぞれ、「日掛 八幡(富岡八幡宮)」「日掛 成田山(深川不動堂)」と書かれた銭筒と日掛け箱が掛っている。日掛けとは、日に決まった額を各々が出し合い積み立てるもので、溜まった金子で手拭い(御手洗に吊るす)や提灯などをあつらえ、それぞれの社寺に寄進するのだろう。当地におけるの信仰の一端が伺える。
 ○文を読む女(a天神髷)/灸をすえる女(aつぶし島田)/白粉を塗る女(aしの字髷?)/部屋を出る女(aつぶし島田/b角出し)/病床の女(aつぶし島田)

◆76-20音羽の呼出し
 玄関内部のつくりが、以前に『葛飾一門肉筆画雑感Ⅱ』で取り上げた蹄斎北馬(ていさいほくば)の美人風俗画帖『おんな十二態のうち』の一図と酷似することから、雑司ヶ谷護国寺門前の音羽町にあった料理屋において、子供屋から派遣された呼出しの遊女とその禿らを描いたものと思われる。
 廊下の入口にかかった暖簾(のれん)を潜って出てきたのは、胴抜きと呼ばれる衣(身ごろ部分を別布で仕立てたもので、主に間着や打掛の下重ねに用いる。額仕立てともいう)をひっかけ片袖を張った遊女。その姿は、部屋着姿の吉原の花魁と変わらないように見えるが、島田崩しという髪型に吉原の遊女には見られない地方性を感じる。これに続いて出てくるのは文遣いの坊主禿。
 暖簾の右側には二枚の戸板が立ててあり、その前の畳床に揃いの黒紋付を着た二人の禿が控えているが、何かの番でもしているのだろうか、片方はすでに眠りこけており、畳床の前の板張りには、三味線箱や遊女の名札を束ねたもの、食事の済んだ台の物などが雑然と並べられている。
 柿暖簾(かきのれん・柿茶に染めた店の暖簾)に白抜きで「葭田屋(よしだや)」とあるのは、音羽町九丁目にあった料理屋吉田屋のことだろうか。天保13年以降に書かれたとされる石塚豊芥子(いしずかほうかいし・1799-1862)の稿本『岡場所遊郭考』によると、音羽町の九丁目に「紅屋」「伊勢屋」という二軒の子供屋があり、料理屋は九丁目の「吉田屋」のほか八丁目に「住吉屋」「三河屋」の二軒があったようだ。護国寺門前として栄えたこの岡場所は、寛政の改革時に廃絶を免れたが、天保の改革にあたって取払いとなっている。
 ○遊女(a島田崩し)/文遣いの禿(a裂前髪の坊主頭)/座っている二人の禿(a禿島田)

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挙の「幽霊図」後日記と『山田家蔵品目録』。
 前回の話を書き終わってから、ふと何気なく「応挙 幽霊図 反魂香図」で検索をかけてみたところ、自分の記事と同じ解釈が書かれた二件のページを見つけた。しばらく呆気にとられていたが、思えば、これほど簡単な謎を誰も解いていないという方が不思議なのだから仕方がない。
 参考までに、見つけたページのURLを貼っておく。最初のリンクは特に必見。

1)mixiコミュニティ「応挙が描く、美しい幽霊」
 
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=44357&id=535939
 うち、[44]のコメント。
2)Yahoo! JAPAN知恵袋「オバケには、なぜ?足が無いのでしょうか?」
 
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13136972888
 ベストアンサーの回答。

 探せばほかにもあるかもしれないが、私が発見したのはこれだけで、後はもう今のところ探す気にはならない。
 しかし、最初に「応挙 幽霊図」や「応挙 反魂香」で検索をかけた時には、検索結果の後列にあったものか、これらのページは出てこなかった。応挙の「幽霊図」について言及し、まとめたサイトも多数ったが、虚実一体の「反魂香図」について明確に触れているものは、ほぼないという印象を受けた。

にゅーすちゃんねる【話題】外国人が疑問「日本の幽霊」
http://newsch2.blog.fc2.com/blog-entry-3756.html

 そもそもこの「反魂香」というもの自体、「幽霊」と比べてはなはだイメージしにくく、説明立てが必要であるし、驚きやインパクトは「幽霊」の方がはるかに大きい。人間の心をキャッチするものは当時も今も変わらず、それが「反魂香図」に対する正しい理解を狭める要因となっているのだろうか。
 時と場所を選ばず、自在に出現可能な死者の霊に対して、生前の面影は反魂香という道具立てを要するうえに、煙を焚かなければ出現させることは不可能である。
正しい解釈が遅れをとり、誤った理解ばかりが世間に普及して、なかなか払拭されないという状況は、以前に拙稿「歌麿の大作『深川の雪』に関する一考察 Ⅲ」で触れた「筆禍の直接的な原因となった作品」の話と同じである。
 虚実一体型「反魂香図」の解釈は、いまだ煙に紛れて多くの人の間に知れ渡ることは少ない。以津真天という怪鳥の いつまで。いつまで。という、うらめしげな啼き声が、頭のどこからともなく響いてくるようだ。

 さて、前回の記事で応挙の「幽霊図」には、久渡寺本、バークレー本、全生庵本という代表格三本が存在していることを述べたが、実はこれらとは別のもう一本の「幽霊図」が、『京都山田家蔵品目録』というカタログに掲載されているという話があるのをご存知だろうか。
 今回この後日記を書くに当たり、話の真偽を確かめるべく、問題の『京都山田家蔵品目録』とやらを実際に入手してみる気になった。当初は、なにぶん古そうなものでもあり、さぞかし値も張るのだろうと思っていたが、いざ「日本の古本屋」でその相場を調べると、下は八百円から上は三千円までと以外に安い(購入したものに至っては、たったのワンコインだった)。

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 目録はB4判ほどの大きさで、タテ約26センチ余り、ヨコ約19センチ、本の厚さは7ミリほど。表紙には「目録」とのみ書かれた題箋が貼付されており、外見だけでは何の目録なのか判らない。木版の表紙を付け、束紐で大和綴じにしたデザインは、当時の一般的な売立目録の装丁である。
 パラフィン紙を一枚めくった扉には、「京都山田家蔵品目録」ではなく「京都 山田家蔵品入札」とあり、次頁の見開きに入札会の開催概要が載っている。

  期日 昭和十年十一月 廿四日(日)
                        廿五日(月) 三日間下見
                       廿六日(火)

             同                      廿七日(水)入開札並売立

  会場 東京市芝区新橋七丁目
             株式会社 東京美術倶楽部

 さらに、札元として東京(三名)・京都(一名)・大阪(一名)三都の計五名を記している。この見開き以降のページに、入札目録の図版141件(ほぼモノクロ)と476件の売立目録が掲載されており(奥付なし)、肝心の「幽霊図」は、入札目録の49番目にある(頁数の割り当てなし)。

イメージ 2

 四九 応挙 お雪のまぼろし 淡彩 共表具 竪 五尺一寸三分
                                                              巾 一尺一寸二分

 作品のサイズはタテ約156センチ×ヨコ約34センチ。「共表具」の意味が今一つ判らないが、わざわざ断っているということからすると、ひょっとして描き表装(絵を囲む表具そのものにデザインを施したもの)なのだろうか。
 この写真を見てもお分かりの通り、山田家本にはバークレイ本と同じ位置に全く同様の形式で落款が入っている(これについては、拙稿『応挙の幽霊図。 』を参照のこと)。最初に見たとき、女性の口元がわずかに開いているように見えたが、これはおそらく、口元に施された薄紅の陰影が濃いために、モノクロの加減で黒っぽく見えてしまっているのだろう。唇の輪郭は久渡寺本と同様、空気を含んだような線で極めて丁寧に描かれているが、切れ長に引かれた左目の線はやや控えめに抑えられている。
 久渡寺本とバークレー本は、姉妹のように似ているが、この山田家本は、そのどちらともあまり似ていない。バークレー本があくまで久渡寺本を手本とした写しの域を超えていないのに対し、山田家本には一個の独立性があり、構図こそ同じであれ、すくなくとも久渡寺本を直接手本として描いたものではなさそうだ。
 またこうしてみると、全生庵の模写は、久渡寺本と山田家本、一体どちらを元にして描かれたものなかという疑問も湧いてくるが、何れにしても、このすばらしい山田家本が戦火で烏有に帰していないことを願いつつ、この稿を終わりとする。

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