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「詩集アフリカとその言葉達」より転載
http://tjhira.ld.infoseek.co.jp/nakaoka.htm
〜序文〜
中岡慎太郎と坂本龍馬の暗殺事件については、以前から書いておきたかった。何故なら常に坂本龍馬よりも、中岡慎太郎の扱いがぞんざいだったからだ。龍馬暗殺については、ある程度の説を私は持っている。最初に言ってしまうが、この事件は、「龍馬暗殺」というよりも、「中岡暗殺」の方が色濃いのである。ゆえ に、中岡の無念さも、特に取り上げたいという心情になる。
ただ、その証拠ともいえる証言や、各、物書きさんの説を検証してゆく過程で、文章としてのまとまりが困難になる恐れがある。
故に、こういう連載方式なら、その日その日に、掻い摘んで書き込んだとしても、日々、全体的に直してゆくという事が、気軽に出来ると考えた。だから、これ を読んで戴いている方々は、時に、全体を読み直さなくてはならなくなる場合もある事と思う。前半に書いていたものが、いきなり中盤に現れたりして、書き直 されたりしているかもしれないからだ。
追々、新しい証拠が出てきて、説自体を訂正していく事もあるだろう。
以下、私の書き込む説は、あくまでも素人の考えた説に過ぎないが、巷で同じように龍馬暗殺を唱えている物書きさんの説を踏まえつつも、更に核心へと迫っていくものであるという自信はある。
中岡慎太郎と龍馬暗殺
まず、中岡慎太郎とはどういう人物だったのか。簡潔に述べさせてもらうと・・・。
天保九年(一八三八)四月十三日、高知県安芸郡北川郷の大庄屋、中岡家の長男として生まれた。身分は大庄屋であるが、幕末に於いて倒幕派の志士として活躍する。ちなみに龍馬は、土佐藩郷士。この郷士というのは、武士社会では下級の位の武士である。商売も許されていたので、ある程度は龍馬も裕福であった。が、商売もできるので、上級武士(上士)からは、蔑まされていた。後に二人とも、土佐藩を脱藩する。
犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩の仲を取り持ち、龍馬とともに、当時、誰もが無理だと思っていた薩長同盟を結ばせた男である。そのきっかけは中岡の方が先に作ったともいえる。後、龍馬が亀山社中を経て海援隊を組織し、中岡も陸援隊を組織統率する。
大政奉還の時もしかり、尽力した。ただ、中岡は龍馬と違い、武力によって倒幕せしめる強硬派であったが、龍馬に説得され、次第に考えを和らげていく。その矢先だった。慶応三年(一八六七)十一月十五日、龍馬と共に、京都の近江屋にて暗殺される。
墓は同じく、龍馬と共に京都、東山にある。
その全体像ともいえる話の流れは、漫画『お〜い!竜馬』がお薦めである。こちらは、一貫して「竜馬」という字を使っている。ある意味、「薩長同盟」が、ク ライマックスだったとも言えるが、後半に進む程、史実に忠実なのが見てとれる。特に暗殺の場面は、「絵の力」を、思い知らされた。
「無駄という時間のない人」 (学研)歴史群像より
中岡の家で、行儀見習奉公した祖母から、慎太郎の話しを聞かされて成長した古老は、次のように語っている。
「中岡先生は、ひと時も無駄という時間のない人であった。例えば、秋の刈り入れの時、夕方に所用から烏ヶ森を越えて中岡先生が帰って来ると、百姓達が稲の 取り入れに追われている。先生はそれを見ながら家に帰り着くと、稲ざす(天秤棒)を持って、すっと手伝いに行くといった人であった」
「『時勢論』に於ける中岡の先見」 (学研)歴史群像より
文久三年、九月五日、慎太郎は、土佐を脱藩し、三条実美と面会する。倒幕の為の行動を起こす為である。
薩長和解を龍馬に語り、西郷や長州藩の同志を説き、桂小五郎にも面会するなど、精力的に東奔西走していた慶応元年十一月二十六日夜、『時勢論』を書き上げる。
何の為の攘夷か、何の為の倒幕か、例を古今に求め、薩長の天下を予言した一篇となっている。
「今から後、国を盛んにするのは、必ず薩摩と長州である。自分が思うに、天下が近日のうちに、この二藩の命に従うようになるのは、ちょうど鏡にかけて見るようなものである」
と、早くも王政復古後の薩長藩閥政権を、断言している。
そして、慶応二年十月二十六日夜に、『ひそかに示す知己の論』を書く。
この中では、三十八年後の日露戦争や、七十五年後の日米開戦までをも予測しているかのような、驚くべき内容をしたためている。
「今時、恐るべきはロシアである。虎狼のような心を包み隠し、数年この方、大兵を養い、国費を蓄え、石炭を用意し、諸国との交易を心にもかけず、もし彼の政策を以って立たしめるならば、必ずや突如として侵略し、その恐れがあるのは、我が国を以って甚だしいとす」
「只、ロシアだけでなく、中国がこれに次ぐ。英国やフランスも危ない。ロシアだけでなく、アメリカも同様に恐るべき所がある」
当時、慎太郎が、ここまで世界事情を予見していた事は、驚愕に値する。
国内的には、慎太郎曰く、過去のあらゆる歴史を紐解いても、無血革命など、有り得ない。戦わずして、革命が成功した例など皆無なのだ! となる。奇しく も、龍馬が存命していた時は、大政奉還で無血革命が成功し、龍馬死後、勝海舟にして、江戸城無血開城を取り計らったかに見えたが、王政復古の大号令しか り、戊辰戦争しかり、結局、慎太郎の言うように、血が流された。
これから、暗殺事件の謎を追うにあたり、予め断っておかなければならない事に、私のように「中岡暗殺」といっても、資料が結局「龍馬暗殺」しかないことを、了承願いたい。話しは「龍馬暗殺」で進まざるを得ない。
それと、第一級資料として、『坂本龍馬関係資料』というものがあり、私は手に入れてないのが、弱みでもある。
以下、事件を描いた推理本で、ネックになるものを、一つずつ拾い出し、検証してみる。そして重要な所には、後になって確認する時、分かり易いように、青字にしておく。
ただし、その証拠や、証言といったものが、後になって、デマであったとする事実もあるらしいが、それにしても、私の説は、それらを結ぶ一本の太い糸に成り得るものではある。
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大きな字なので 読みやすかったです^^
ありがとうございます♪ぽちっぽちっ!
2009/12/10(木) 午前 0:48