新千暖荘

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第7回「文芸思潮」エッセイ賞社会批評奨励賞 「牛の瞳」 池山弘徳

「牛の瞳」               

 幼いころ、私の家には二つの家があった。一つは人間の住む藁屋根、一つは牛の住む瓦屋根であった。牛小屋の方が堅固な構造であったから、台風の時は牛小屋に避難した。二階建ての牛小屋には、梯子を使って昇った。そこには藁がぎっしり積まれ、子供にとっては格好の「かくれんぼ」の場所でもあった。

 夏場は牛の餌は充足されていたが、冬場は緑の餌がなくなった。そこで、竹柴狩り、蓮華刺しは子供の仕事であった。兄たちは、藁切り機で裁断をした。その刃を研ぐのは父の仕事であった。

 牛は、牛小屋にいないときは、庭の西洋梨の器に繋がれていた。牛が、ボタ、ボタ、大量に排糞する様子は、面白くて仕方がなかった。四本足の牛は、蠅や虻の攻撃にはしっぽを使った。しなやかな箒は右に左に鞭のように揺れた。

 さらに、牛の鳴き声はおかしかった。牛は「モウモウ」とは鳴かない。「ン、モー」と鳴く。このンの音素が、のんびりした昼下がりによく似合った。麦藁帽子をかぶった私はシルクのように柔らかい牛の下首を撫でながら「ン、モー」を牛と唱和した。

 しかし、私が一番に興味を持ったのは、牛の瞳であった。青い玻璃宮のような澄んだ瞳には、色々なものが写った。青い空、ゆっくりと流れる雲、点在する菜の花、自転車、荷車、藁屋根。私は、実物よりも、牛の瞳に言語を覚えた。つまり、ジャック・ラカンの理論による鏡像段階を終え、原初抑圧、象徴界に至る時期が、牛の瞳と共にあったことになる。そして、牛の瞳に学んだのは、体感としての優しさだった。

 獣医者が来た時もあった。牛のお尻に鉗子を差し込んで、医師は「坊や、見てみろ」と言った。それが、種付けの手段であることはおぼろげながら理解していた。その暗黒に感じたのは、子宮や性に対する原初の不安であり、茫洋たる闇であった。

 時が、少し経つと、耕運機が田園の見られるようになった。その頃、馬喰がバイクに乗ってやってきた。父と馬喰は談笑しながら、鳥打ち帽子の下で、「もぞもぞ」を始めた。父の口元の笑いと眼差しの厳しさは、今でも脳裏に残っている。帽子の陰で価格交渉があったのだろう。しばらくすると牛小屋には、誰もいなくなった。断言する。牛のいた時間彼女は決して畜生ではなかった。家族を支える縁の下の生き物であった。

 時が経ち、平成二十二年四月二十日、宮崎県に口蹄疫が発生した。最終的に二十八万八千三百頭の牛と豚が亡くなった。

 マスコミ報道に流れる家畜、畜生、畜産、の活字には嗚咽にも似た不快感を禁じえなかった。画一性、合理性が上からの言語ならば言霊を信じる文学の言葉には、心が有ってもよい。家畜排泄物法、家畜伝染病予防法の家畜、畜生という表現を改めることはできないのだろうか。インドでは、牛は神である。仏教の畜生道という言葉をいつまでも保存する必要性は何もなかろう。ペットが愛玩動物を呼ばれるのにそれより人間にとり重要な存在である牛や豚が、何故に畜生とよばれなければならないのか。

 八月十二日、薄曇りの中、カシオペア座の近く北東の空に、ペルセウス座流星群が舞った。「微かな微粒子の秘めたるエナジー」。見事に狂おしく燃えつき消えていくさまに、心が激しく揺れ動いた。口蹄疫は人類に対する獣類の反逆だったのだと。

 口蹄疫は、早急に且つ本質を見抜いて対処しなければならない。国際化の中での検疫及び入管体制、瑞穂の国の藁をも含む稲作のあり方、生物多様性の視点、飼育方法の衛生上の課題、国立家畜衛生研究所でしかウイルスを扱えない中での研究開発の問題等。人間の心と科学の総力を賭けた真摯な営み以外には解決の方法はない。

 口蹄疫の口蹄疫がようやく収斂に向かったころ、地元放送局は、特設番組を組んでいた。その番組をみて、詩を書いた。

 

 「静かに」

風吹き渡る 空っぽの牛舎

 

農夫が語る

「食べられることもなく

死んでいった牛達

見届けるのが使命と思い

最後まで、最後まで、見送りました」

 

農夫が語る

「みんな一言の泣き声も出さず

静かに、静かに、死んで行きました」

 

牛の綺麗な青い瞳の眼差しに写った

最後の人たちの

美しい真実の言葉

静かに死んだ牛の沈黙のみが

何かを語る

 

死ぬことで 守る命

死ぬことで 守る矜持

死ぬことで 死ぬことで

殺処分された牛豚

 

口蹄疫ウイルスと戦うために

自己を犠牲にして

静かに 静かに

死んでいった者達

 

牛の瞳 みほとけのこころ

人間は もう

牛や豚を 畜生と呼んではいけません

     家畜と呼んではいけません

 

人間と動物が同じ生き物であると、ひたすら書き続けた宮沢賢治。動物が人間のように自由自在に話をする安房直子の世界。この作家達が日本の文化にどれだけ豊饒な世界をもたらしたことだろうか。宮沢賢治や安房直子が一度でも、牛や豚を畜生と考えたことがあるだろうか。

 口蹄疫がもたらした悲惨な光景を決して風化させてはならないと同時に、牛や豚を畜生と呼称することを人間はなくしていかなければならないのです。畜産ではなく養牛、養豚と呼称して表記すべきなのです。

 

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眼にて云ふ 宮沢賢治

  眼にて云ふ (疾中)              宮沢賢治

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。

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ピー缶  池山弘徳 第4回文芸思潮エッセイ賞 入選作

      ピー缶                 池山弘徳
 感覚の中で、嗅覚は特別に不思議である。激しい悪臭でない限り、感じる事もあれば感じないこともある。ただ、臭いを感知したとき、時として人間の原初を思い出させる機能があるような気がする。
 マルセル・プルーストは「ふと口にした紅茶のマドレーヌ」の味と香りから「失われた時を求めて」という膨大な物語を記述した。香りが、過去の時間へ引き戻したに違いないのだ。
 ある日、私は小林市のリサイクルショップで、缶入りピースのあき缶を見つけた。二十世紀デザインの旗手、レイモンド・ローウィの手による金の鳩と白いPeaceの文字、紫紺の円柱蓋を開けると、甘い香りに鼻腔は満たされた。
光り輝くスチール缶は、密封や防湿性だけでなく香りを閉じこめる機能も保有していたのだ。その香りは、リサイクルショップから一昨年他界した兄の過去へと記憶を蘇らせた。
 若き日の兄、高田馬場の古びた下宿、鉄が鉄を切る小気味よい音を、クルクルッとたてながら得意満面で「たばこはピー缶でなければ。この香りがいいのだよな」と言った。
 そして、私にも吸えと命じた。確かに、その香りにはクラクラする陶酔感があった。しかし、一瞬ほのかな甘みがしたものの、タール28mg、ニコチン2.3mgのビースの強さにすぐ強烈に噎せ返った。六歳年上の兄は私にとって兄弟である以上に、父親であり人生の逆らえない存在であったが、ピー缶には従うことができなかった。
 兄が、ピースを愛用したのには、ほかにも理由かあった。かれは、その人生を賭けて太宰治を愛した。高校時代、太宰の小説の話を小学生の私によく話してくれた。おかげで仏は中学校一年生で太宰をほぼ読破し、頭脳の中は、道化と自殺で埋め尽くされていた。兄の生涯も「高貴と堕落」そのものであった。
 その彼が名作「女生徒」の中で、「両切りの煙草でないと、なんだか、不潔な感じがする」と書いているのである。また、剣を翳している三島由紀夫の写真には、ダンディズムの象徴のようなロココ調の室内に紙煙草の十本入りピースが、配置されていた。兄は、それらを気取っていたのである。
 早稲田界隈の青春を彷徨し続けた兄は学生になった時は、早稲田大学文学部最年長であった。その醸し出す不思議な雰囲気のためか馬場下町の三畳の狭い下宿には、連日級友が押し掛けた。様々な学生の集まりであった。「泥棒」という同人雑誌を作ると言うのが大義名分であったが、話題は、文学に限らず政治、恋愛、映画、教授評価と多岐にわたった。
 喧嘩、泥酔、失恋、逮捕、男色、転向、留学、青春が繰り広げられた。あるときなどは大学構内が中核派に襲われ、革マル派が塀から、ぞろぞろと落ちてくる日もあった。「生の過剰がもたらす危うい観念の死」を隣り合わせに、皆生きていた。
その中の一人、盾の会会員Hは、三島由紀夫市ヶ谷自衛隊自決の翌日、逗子の海辺で割腹した。
「三島由紀夫は死んだ。俺はいいだももを殺る」と手紙に書いたK氏は、高校教師になった後、静かに自死した。今は、沖合に太平洋を望む静岡県の高台に眠っている。
 歴史の表舞台に全共闘運動が展開されていた時代に、所謂右翼という人々が純粋にまた真剣に生きていたということを知ったのも、兄貴の世界からであった。
 事件があると一言「OOは死んだ」といった。その夜はそれしか話をしなかった。その重さは、第三者には決して理解できない悲嘆が感じられた。兄は、これらの青春の負の記憶を鎮魂するかのように生きた気がする。
 郷里宮崎に帰ってからも、世間的な幸福とは無縁な一生だった。知的な職業には、一切就かなかった。土方や防水工で生計を立てていた。主食は麦飯。生涯独身であった。
兄には、当時一人だけ年上の頼りにする大学生がいた。早稲田大学社会学部のSさんであった。兄は、必ず「Sさん、Sさん」と繰り返して呼んでいた。Sさんは卒業後、現代の消費資本主義を唾棄し、沖縄県西表島に移住し、農業を営んでいた。
 兄貴の一年忌が過ぎた頃、Sさんより一通の葉書がきた。「夏のお盆に墓参りに行く」と書いてあった。生前兄達が、誇りにし、選挙応援していた鹿児島県の元県会議員を同行したSさんに、約三十年ぶりに宮崎駅で会った。会った瞬問「アッ」と驚いた。若いときの雰囲気とほとんど変わらなかったのである。
 実家で、焼酎「霧島」を飲みほろ酔いかげんになった後、兄貴の慕参りに行った。Sさんは、西表島から持参したアルコール分40度の泡盛を墓石に注ぎながら、「健二、来たぞ」と叫んだ、私は、そっとピースの空き缶を供え、蓋を開いた。
すると田舎の集合墓地は、アルコールとタバコの香りに包まれ、兄貴に相応しい頽廃の世界になった。
 線香を立て、手を合わせた。冥福など祈らなかった。ただ太宰治の「斜陽」の一節「ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ」を借用して、「デカダン、デカダン、シュルシュルシュ。デカダン、デカダン、シユルシュルシュ」と唱えた。
 兄貴の供養ができたと思った。灼熱の真夏、森林に囲まれた墓地の油蝉が一匹、ジーツと鳴き始めた。  
 
池山弘徳
        いけやま ひろのり
1951 宮崎県宮崎市生まれ
      67 宮崎県立大宮高校へ入学。三年間高校野球に没頭。この年、夏の甲子園      に1年生として参加。                 
 70   70 同高校卒業。このころより、現代詩に親しむ。蛍雪時代、ユリイカ、現代詩手     帖、詩芸術に投稿                                    71 明治大学法学部法律学科入学。全共闘解体、あさま山荘事件、三島         由紀夫自決等の時代的事件に衝撃を受ける。
2002 宮崎県民芸術祭「みやざきの文学」 随筆の部、入選
  04 第19回国民文化祭・ふくおか、現代詩大会、福岡県詩人会奨励賞受賞
  05 宮崎県民芸術祭「みやざきの文学」  随筆の部、入選
好きな作家・詩人
 石垣りん、占野弘、自石かずこ、山村暮鳥、富松良夫、山田詠美、吉本ばなな、川端康成、吉本隆明

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第26回国民文化祭・京都2011「現代詩フェスティバル」第26回国民文化祭京都府実行委員会会長賞 池山弘徳

           「五月の誓い」

柔らかな 薄ももいろの そよ風が

きみどり牧草絨毯の 上を ウェーブしながら

山の頂から 海へ向けて 流れておりますが

この黒土の下には 共同殺処分された 牛さん達の

死体が うち重なり うち重なり 眠っているのです


それでも 消石灰が 根雪のように撒かれた

ブルー シートの 中から

母牛の 膨らんだ 腹から

子牛達が 次から 次から 立ち上かっているのです

子牛達は 夢見ています あの牛舎へ 帰ることを

農夫と農婦が 日向言葉で語ろう場所へ


農夫と農婦は 頭をかかえています

畜産再生と 息子と娘の学費と 畜産飼料の購入価格と

頭を かかえても たたいても 横にふっても

あまりいい知恵はでてきません

電卓が壊れています

電卓は壊れていません が 予算が足りません


農夫は 途方に暮れ

牛舎を ふらり ふらり 歩きます

すると そこでは 子牛達が

よろり よろり 立ち上がっています

そろり そろり と歩いています

殺処分された九十八頭分の子牛達が

鳴いています。 鳴いています。


天には 五月の青空が 失語症のように

静かに 澄みわたっています


ポストに 郵便屋さんが 手紙を届けました

「よみがえってください。

私達の命にかえて

ウイルスは日向の国より外を汚染することは

ありませんでした

それは誇りです 九十八頭の口蹄疫と戦った牛達より」

そう 書かれていました


農婦は手紙をよみます 何度もよみます

隣家の垂直孟宗竹

八匹の鯉のぼりが ひらひらしています

パタ パタ グィ グィ 泳いでいます


農夫と農婦は 決心しました

「もう一度 べぶ飼おう べぶ養おう 二人で」

鯉幟の瞳がみつめる 太平洋の遥か彼方に

希望が 炎のように メラ メラ 揺らぎつづいています


(注)日向(宮崎県)の方言で牛をべぶと呼びます

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