ソウル退屈日記

(臨時営業中)旧ロンドン退屈日記、前横濱退屈日記

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ゲンとの再会

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 2月18日(土)
 引きこもっているソウルのアパートにあるDVDやビデオを適当に選んで見ていたら、かなり前に子供のために録画したある日本映画を見つけた。かねてから愛読してきた漫画を原作としたものだが、映画化されていたことすら記憶になく(むろん録画したことも忘れていた)、余り期待せずに見てみることにした。
 そもそもその漫画に出会ったのは、先日採り上げた手塚治虫と同様、家の近くにあった図書館に収蔵されていたものをたまたま手に取ったことがきっかけだった。曖昧な記憶では、文民社版の手塚治虫作品集のように大判の本だったような気がするのだが、インターネットで検索してみてもあいにく見つからないので私の記憶違いかも知れない。ともかく私はそこで手にした中沢啓治という人の「はだしのゲン」という漫画作品を家に持ち帰って貪るように読んだのだった。
 私が読んだ本には現在手に入る汐文社版全10巻のうち第4巻までの所謂「戦前編」(厳密には戦後の部分も含まれている)しか収録されておらず、放射能の影響で髪の毛の抜けた主人公ゲンの頭に再びわずかに毛が生えはじめ、菊田一夫作のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」を歌うところで終っていたと記憶している。最後のひとコマには広島の廃墟跡を歩いていく主人公ゲンの影が長く伸び、前向きに生きていこうと決意する意気込みとは対照的に、彼の歌う「メエメエ子山羊もないてます」という牧歌的な歌詞がユーモラスであるのと同時に物哀しくもあって実に印象的だった(なかなかうまく写真に撮れないのだが、一応写真を掲げておいた)。
 映画版「はだしのゲン」は、父親役を三国連太郎、母親役を左幸子という、名匠・内田吐夢の代表作のひとつ「飢餓海峡」で運命的な関係を演じた二人が再び重要な役どころを務めてはいるものの、残念ながら主人公であるゲン役の少年の印象が極めて稀薄で全く頭に残らない。原子爆弾という最大の主題を別とすれば、原作はこのゲンという少年の単細胞的でありながら、数々の困難に遭遇してもユーモア感覚を失うことなく前進していく積極的な性格によって成り立っていると言ってもいいものなので、その要素が欠けているだけで作品の魅力が大いにそがれてしまっていると言わざるを得ない。
 この映画で描かれる原爆を落とされた広島の街の光景はなまなましく、おそらく昨今の規制の多い製作状況からすると同じような映像は二度と作られることはないと思われる程だが、この作品が原爆の悲惨さを伝えるものであるのは言うまでもないものの、自らの家族を始めとして多くの死者を目の当りにしながらも逞しく生きていくゲンという少年の生き様を描くものでもあり、その点で大いに不満が残る出来となっている。この映画版には続篇が2作あってDVDでも入手可能だが、2作目以降の一般的な評価は更に悪いこともあってわざわざ見る気にはなれないでいる。
 この映画を見た唯一の長所をあげるとすれば、すぐに原作を読みたくなったということかも知れない。そこで私は早速アパートに置いてあった原作本全10巻を駆け足で覗いてみたのだが、上記の「戦前編」の出来については今さら贅言を要しないものの、舞台が戦後に移った後半部分は物語の起伏にも乏しく、これまで数多く語られてきた敗戦後の混乱話のひとつでしかなくなってしまっていると言ってもいい。加えて作者の政治的なメッセージが直截に出て来て鼻白む部分も少くなく、やはり個人的には上に触れた広島の廃墟を歌をうたいながらゲンが遠く向こうを歩いていく場面で終えて欲しかったと思わないではいられない。

 最後に、「はだしのゲン」のような地味な作品が、当初「週刊少年ジャンプ」に連載されていたことは特筆してもいいことだろう。当時の編集者の強い支持によるもののようだが、中学校を終る頃にはどの週刊漫画雑誌も読む気がなくなってしまった私からすると、何ともうらやましい時代だったと言っていい。

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