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義経伝説

北海道から東京経由で岩手県奥州市に来ています。

来てから気付いたのですが、近くの平泉は、藤原三代の本拠地であるとともに、源義経終焉の地とされています。
私の前世記憶シリーズには、源平合戦の頃は登場しませんが、北海道の平取町の義経神社の後ここに来たのも何かの縁かもしれません。
実際、平泉から三陸海岸にかけて、義経伝説と義経神社が点在しており、蝦夷地に逃げたとの伝説の裏付けになっています。
アイヌの伝説では、ホンガンカムイの名でそれらしき武将が登場しますが、九郎判官義経との呼び名があったことを考えると、確かにホンガン(ハンガン)の名前は符合するのです。
ホンガンカムイ、知識や戦術を教えた功労者との姿と、アイヌの宝を奪って逃走したとの姿の双方の伝承があるようですが、後者は、チンギスハン伝説につながるもので、更に興味深いものがあります。
もともと、元の成立については正史が存在せず、元朝秘史なる書物で推測するしかないのですが、チンギスハンが騎馬による集団戦術で大陸を席巻したことを考えると、この点も義経と符合して面白いのです。
また、チンギスハンに付き添っていたと言われるスブタイが、弁慶であったとの説もあります。
実際、北海道からは、アイヌのものとは異なる鎌倉風の鉄製カブトも発見されていますから、義経本人かどうかはわかりませんが、その当時に蝦夷地に渡った鎌倉武士がいたことは、おそらく真実だったと思われます。

とまあ、義経はよいのですが、どうも私、北海道とは相性が悪い?ようで、苫小牧の最終夜にはラップ音がしたり、枕の使用法の説明書きのラミネートされた紙が突然飛んで行ったりしたので気になっていたのですが、今日は微妙に頭痛がしますから、釧路に続いて何か背負ってきたようです。
支笏湖からだったのか、平取からのホンガンカムイさま御一行の誰かなのか、二風谷からのアイヌの人たちなのか、よくはわかりません。
今夜、丁重に供養して差し上げたいと思います。

画像は、昨日飛行機で素通りした時の岩手県奥州市上空です。
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私の親戚の近くに、「弁慶松」という松の木があります。
いわれは奥州へ義経と弁慶がいく途中、そこの長者の家にたちより
援助を申し込んだそうです。しかし断られたため、弁慶が怒って
長者の家の近くにあった松の木に向かって、矢を討ったそうです。
本当かどうかはわかりませんが、昔からその地方で言い伝えられて
いるそうです。

2010/11/6(土) 午後 6:41 レイピー

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レイピーさま、都からの逃避行もですが、義経、死んだと言われる後も伝説がたくさんあることを知りました。
実際、当時の有名な武将であった、義経の叔父で伝説的な弓の名手、鎮西八郎為朝も、流罪にあった伊豆を占領して追討されて切腹自殺したことになっていますが、滝沢馬琴の椿説弓張月で琉球に逃れて、琉球王朝を築いたとの説が語られていますし、為朝、義経ともに、首が持ち帰られた時は、朽ち果てていて本当に当人のものだったかわからなかったとの当時の記録があります。

2010/11/6(土) 午後 10:58 [ mityuera ]

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