私流DV観
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今日の那須は、小春日和とでも言うのか、妙に暖かな1日でしたが、昼過ぎには雨がぱらつき、これから冷える模様です。 |
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今日の那須は、小春日和とでも言うのか、妙に暖かな1日でしたが、昼過ぎには雨がぱらつき、これから冷える模様です。 |
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浦和滞在も明日で終わって帰宅します。
今日の仕事は、結構大変でした。 まあ、そのために来ているわけで、役に立ったから、よしとしましょう。 さて、今日は変な話題です。 大震災で、結婚する人が増えたというのは喜ばしいことです。 人間、生物としてみれば、子孫を残すことは、本能であり使命でもあるわけですから、昨今の晩婚化、非婚化は異常なのです。 大体、将来に不安があるから結婚できないとか、子供を作れないなんてのは、卑怯な言い訳で、それなら自分で不安をなくすための努力をするべきであるのに、社会のせいにするのは間違いです。 世界的に見て、日本ほど恵まれている国は少ないのです。 ただ、北欧的社会保障を今の日本に要求することがお門違いなのです。 元々の社会システムが、日本は低負担低福祉であったのに対し、北欧モデルは、高負担高福祉だった違いがあるのですから、今すぐ転換できるものではありません。 低福祉の分、日本は家族(子孫)が高齢者を支えていて成り立つ社会構造になっていたのですから、子孫は日本の社会に必要なものなのです。 それから、人生設計といいますが、私自身、その場その場では行き当たりばったりでありながら、大変計画的に人生を送ってきました。 ソウルメイトの妻と出会って、縁ができたら結婚しようと即決しましたし、結果的に交際1年後には結婚し、その1年後長男、その2年後に長女、そのまた2年後に次女が生まれ、3人の子供に恵まれた2年後、つまり結婚7年後には家を建てていました。 そして、3人の子供達を大学まで卒業させ、独立(いまだにややすねをかじられていますが)させました。 ですから、50歳には夫婦だけの世帯に戻り、身軽になっていたわけです。 家内も若かったからこそ3人の出産と子育てが可能だったといいますが、女性は30歳過ぎてからの出産は体力的に辛いし、いろいろと障害も起こりやすくなるのです。 産婦人科が高齢出産を敬遠するのは、その分リスクが飛躍的に高くなるためで、無理からぬことなのです。 では、若い方がいいかと言えば、そうでもないと思います。 精神年齢が高すぎるため、男性のモデルとしての私は成り立たないそうですが、男性は若すぎると精神的に自立しきれずに家庭を維持することが難しいようです。 ですから、23歳を超えてある程度成人としての覚悟ができてからが理想です。 女性のモデルとしては、家内と同じ21歳ぐらいで(理想的には23歳までに)結婚し、27歳までに最終出産を終えているのが、母子の心身の健康のためにもよいようです。 夫婦円満の秘訣なんて書きましたが、根底は生活がきちんと成り立っていることです。 愛情があれば、なんてのはちゃんちゃらおかしい理屈で、衣食住が足りなくては、愛情なんて高度の感情が成立することは難しいのです。 定年間近になっても扶養家族が居るようでは、老後に向かっての生活に余裕が持てません。 若い頃は無理が利きますが、熟年になっての無理は禁物です。 私自身、家を建ててから子供3人が大学を卒業するまでの18年間は、本当によく働きましたし、不思議なぐらいその分の収入も付いてきました。 第二というか、根底ではない条件としては、お互いの認識です。 労り合ってといいますが、それ以上にお互いの欠点を正直に指摘しあう勇気と、お互いの長所を生かして補いあう気持ちを持つことです。 当然、衝突もありますし、相容れない部分も出てくるものです。 我が家の場合、私は大阪出身で、都会で高度の教育を受けた少々過度の合理主義者であったのに対し、家内は福島の田舎(ただいま全村避難中)の農家の娘で、高卒の学歴しかなかったのです。 しかし、彼女にはそれを補って余りある生活力と、単純な知識ではない生活のための知恵がありました。 ですから、お互いにカルチャーギャップを感じながらも、お互いに学び合い、よいところを生かし合って30年後の今の平穏かつ円満な夫婦生活があるのです。 昨年娘の結婚式の時、妻は30年前の自分の結婚式の時と同じ明るい笑い声を連発していました。 30年たって、昔と同じ妻の笑い声が聞けること、私にはそれ以上の幸せはなかったと思います。 その娘の結婚式の最後に、突然指名されてスピーチをさせられました。 本来夫の父親がやるそうですが、彼の母親離婚して父親がいなかったため、私にお鉢が回ってきたようです。 そういえば、娘が、もしかしたら頼むかもよと言っていたのですが、その後話がなかったので、やらなくてよいものと思い込んでいたのです。 実は、私の結婚式の時も父が行方不明だったため、父親代わりを頼んだ人が最後のスピーチをしてくれました。 その時のことを思い出し、自分たちの30年も振り返って、本当に大変な30年ではあったが、その30年がかけがえのない財産であったこと、今こうやっていられることは素晴らしいことであることを話し、今出発点に立ったばかりの若い二人にはまだいろいろ足りないことがあるので、皆さん応援をよろしくお願いしますとうまくごまかしました。 後から聞いたら、娘の友達は結構感動してくれたとか、実はいい加減なスピーチだったのですが、裏を返せば、とっさにそれだけのスピーチができるだけの人生経験が私にはあったわけです。 正直、昨年亡くなった母には、大変な苦労をさせられましたし、そのために何度夫婦の危機が訪れたかわかりません。 しかし、その危機を越えるにもその経験は役立ちましたし、危機を越えてきた自体が更にかけがえのない貴重な経験ともなったのです。 たとえば、夫婦となったら、相手の欠点には半分目をつぶることと言われます。 結婚式のスピーチによく出てくる言葉ですが、私は両親の経験から既にそのことを学んでいましたから言われなくても身についていたのです。 最終的には、夫婦はお互いが自分の反映であり、お互いの経験を自分のものとしつつ、ともに生きていくものであると考えることです。 その前提として、お互いに尊敬し、尊重しあえることが必要です。 これらのことが夫婦円満の秘訣と言えそうです。 だまされたと思って真似してください。 [[img(http://www.blogmura.com/img/originalimg/0000049074.jpg)]]
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暑い。とにかく暑い。
昨日は、その中でも暑く35度を超えた埼玉県のさいたま市で仕事だったのですが、炎天下で仕事をしている人たちは、ドリンクを1リットル飲んでも1キロ減ったとか、殺人的でした。 今朝、親孝行についてテレビで特集番組をしていました。 それで、ふと考えました。 親孝行って、何だったんだろう。 私の場合、小さいころは、両親の期待に応えることが使命だったように思われます。 小学校1年生の時、担任の先生に、「お前は何のために勉強してるの。」と聞かれて、「母が喜ぶから。」と答えてしまって更に怒られたのですが、子ども心にはこれが正しかったと今でも思います。 幸い勉強はむしろ好きだったので、それほど苦労はしなかったし、まあ、お互いの利害も一致していたと考えられますが。 ただ、自我が芽生えると、自分のために勉強をすることを理解した反面、疑問を感じるようにもなったのです。 両親は、いったい何のために生きているのだろう。彼らの幸せは何なのだろうと。 この疑問は、永久に解けないでしょう。 父は既にこの世にはいないと思われますし、母は結局心をとざしたまま、生きながらにしてあちらの世界に行ってしまいましたから。 世間一般の認識では、一流の大学に現役で合格した私は彼女の自慢の種であり、大学を卒業後ずっと仕送りを続けているという有名な孝行息子だったわけですが、私自身はそうは思っていません。 大学は、自分が行きたかったから行っただけであり、卒業後の仕送りは、むしろ母と距離を保ち、彼女の気に入らない妻と自分の家庭を守るために必要だったのです。 ですから、親孝行のためには、前提として、お互い意思の疎通ができるだけの信頼が必要だと思います。 私は、他人を羨ましいと思ったことはほとんどありません。 他人が幸福なら、自分もそうなればよいだけなのですから。 ただ、両親に関してだけは、もう少し何とかできることがあったはずではなかったかなと、今でも思うことはあります。 私の決断は、今考えても正しかったと思います。 何もしなかったわけではありません。離婚調停の場でも、両親の間に立って話し合いました。 当時大学4年生ながら、私には両親よりも精神的なゆとりがありました。 ですから、彼らの結婚生活を冷静に見て、その問題点を指摘することもできたのです。 彼らに足らなかったのは、本当の意味での愛情であり、お互いを尊敬し、尊重していこうとする行為だったのです。 でも、そのことを息子から指摘されたことは、彼らには耐えがたい屈辱であり、受け入れがたい恥辱でもあったようです。 その結果私が得たものは、両親の憎しみだけだったのです。 彼らは、自分たちの結婚生活が破たんした責任を、私になすりつけたのです。 流石に、この時だけは悲しい気持ちになりました。 その後父が失踪し、離婚は成立したのですが、父と離婚した後、母は大変危険な存在に変わっていたのです。 何しろ、自分の不幸は、すべて夫の仕業であり、私は憎むべき夫と同類の男性であり、私自身の存在が不幸の一因だとすら理不尽にも逆恨みしてきたのですから、お互いの利害のためにも、金を渡して遠ざけたわけです。 ですから私は、彼らの幸福よりも、自分と妻の幸福を選択したことは確かです。 20年後、老いた母が妹の家庭を破壊した後、我が家にやってきました。 彼女の介護は大変でしたが、この介護も、彼女にとっては最大の恥辱だったのです。 それまで、「子供の世話になるぐらいなら死んでやる。」と言いふらしていた彼女が、どうしようもなくなって息子と、その妻を頼ることになったのですから。 この時の経験から、私は、介護は家族がしない方がよいと考えます。 お互いに素直に受け入れる環境にあるとは限らないことが第一ですが、家族だと逆に許せないこともあるのです。 人間、呆けると訳が分からなくなる反面、それまで隠されていた悪意が顔を出すことがあるのです。 その悪意や、恨みを前にして、冷静でいられるほど、人間は強くないのです。 ここまでして介護しているのに、それに対し感謝はおろか、嫌な顔を、いや、ぞっとするほど悪意のこもった顔をされた時、私の中の自動防衛システムが発動し、反射的に攻撃していました。 これ、鎌倉時代の武芸者だった前世記憶の賜物らしいのですが、殺気に対して自動的に防御しつつ攻撃してしまうのです。 妹も、妻も、彼女に悪意をこもった顔をされた時、つい手を出す私と同じ経験をしたと言います。 わかりやすく言えば、3人とも、老人虐待を通り越して、母を殺しかねなかったのです。 介護していた親を虐待したり殺したりする事件がありますが、私自身、やりかねなかっただけに、加害者の心情が理解できます。 介護していると、長年世話になった親に対してさえ、殺意を覚えることがあるといいます。 ましてや、DVの加害者であったり、長年たかりまくられたりした親だったらどう思うでしょう。 親孝行には、その前提となる親子の人間関係が大切なのです。 親孝行に何かをしようと考えるより、電話でもして話をして、相互の意思の疎通を図ることから始めることでしょう。 親の立場でも、親孝行してもらおうなんて甘いことは考えないで、とにかく相互の意思の疎通を続けることです。 結局私は、親孝行ができたのでしょうか、できなかったのでしょうか。 娘にはこう答えました。 「一番の親孝行は、自分自身が幸せになることだ。」 この点は、何とか満たせたでしょう。 画像は、くつろぎの夏目です。もうすっかりなじんでいます。
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金沢出張から戻って来ました。 |
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私は、友人はいるかと問われれば、「いない。」と答えるか、「必要と思ったことがない。」と答えるか、「妻と子供かも。」と答えるか、その時の気分で選択するように思います。実際、物心ついて以来、遊び仲間、趣味が同一であった者、クラブ活動で一緒だった者、としては思い当たりますが、それがいわゆる「友人」だったのか、よくわかりません。大学の時も、「君子の交わりは水の如し。」を実現したような関係の者はいましたが、果たして「友人」といえる関係だったのか、自分でもよくわかりません。当時、同時に他称「恋人」の女性もいましたが、彼女に対して知識を注ぎ込み、私に依存させる師弟関係に似た関係ではありましたが、恋愛感情があったかといわれると疑問でしたし、彼女の希望によりプラトニックラブを貫いたことが余計関係をおかしくしたように思います。唯一友人に近かったかなと思えるのは、大学の同期の女性で、お互いの知性を認め合い、尊敬しあう大変快適な仲でしたが、残念なことに、第一に私の家庭の事情、第二は彼女と磨き合うことに私の方が自信が持てなくなったこと(平たく言うと、彼女が全てに優秀過ぎ、自信過剰なぐらいある面尊大であった私ですら臆した。)により長続きさせることができませんでした。妻とは、客観的には恋愛結婚ですから、プロセスとしての友人関係がありそうに思われるでしょうが、実際は不思議な成り行きだったのです。大学の時の恋人と似ていますが、偶然の積み重ねで付き合うことになった時彼女、「結婚を前提としたお付き合いをお願いします。」と単刀直入に申し入れてきて、私は、彼女が将来の妻であることを幻視の能力で予知していたため、受け入れたのです。ですから、彼女には偶然の積み重ねとしか思えないできごとも、私には必然であり、二人の間にあまりロマンチックな恋愛期間はなく、デートして話し合って婚約に直行したような感じでした。不思議に思われるかも知れませんが、友人を必要としないことは、私には当然のことであり、快適でもあるのです。冷たく感じられるかもしれませんが、頼られれば、ちゃんと対応していますから、相手にとっては私は友人の一人とみなされているのだろうと思います。ただ、私が誰にも精神的に依存することはないだけなのです。これは、元はといえば不幸な家庭環境がもたらしたものでもありますから、他人には勧めませんが、人間所詮は一人と考え、そのことを受け入れる強さがあれば、大抵のことは平気です。 |
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開設日: 2006/7/7(金)