田舎暮らしライター・山本一典の田舎雑記

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(今朝は思い切り朝寝坊)福島には第一原発があるから東京電力の管轄、と勘
違いしている人がたまにいる。もちろん、福島は東北の一部なので、私らが契
約しているのも東北電力だ。しかし、東電の原発および送電線などの関連施設
が県内にあるため、該当する自治体の住民には「原子力立地給付金」なるもの
が配られていた。わが家の通帳で確認したら年に4200円。まあ、ボタモチ
くらいしか買えないが、一種の迷惑料みたいなものだろう。しかし、これを受
け取っていた以上、私らも原発立地を承知したことになるわけで、結果的にも
のすごく高くついてしまった。
 写真は最近、田村市の広報とともに配られてきたものである。最初に「旧都
路村住民の皆さまへ」と書いてある通り、田村市全域を対象にしたものではな
い。今まで給付金を払ってきた都路にはイチエフの廃炉決定で中止しますよ、
という通知だ。差出人が「福島県」になっているので、国→県→社団法人とい
う金の流れになっていたのだろう。しかも、その社団法人の電話番号は東京に
なっている。何ともわかりにくい仕組みだ。おそらく廃炉が未定の第二原発に
立地する富岡町や楢葉町は、引き続きこれが支払われるはずである。
 ともかく、これで都路も原発立地でなくなったわけだが、田村市は都路で起
きている問題を市全体の問題と解釈しているらしい。これ以上は選挙が終わる
まで書けないけれど、「だったら合併のときになぜ給付金をすべての市民に配
る仕組みにしなかったのか」という疑問を呈することはできる。いま頃になっ
て「旧都路村」という告知を受け取る身にもなってほしい。たかが4200円
だが、そこにはいろんな矛盾が透けて見えるのである。

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 ちょっと村史を眺めていたら、意外な事実を発見。明治22年に岩井沢村と
古道村が合併して都路村になったとき、学区も合併して1学区となり、校名も
都路尋常小学校になったというのだ。当時の修業証書も村史に載っているのだ
が(=写真)、平民と記されているところが微笑ましい。つまり、尋常ではな
いにせよ、都路小学校は先祖返りしたことになる。ただ、当時は今と違って古
道を本校、岩井沢、道ノ内、大久保を分教場としていた。いずれも寺子屋から
スタートしているから、岩井沢小の前身は長岩寺にあったというわけ。
 当時の尋常小学校は4年の義務教育だが、都路では3年以内の簡易小学校か
らスタート。それが4年になり、さらに補修を含めて6年になるのは明治26
年のこと。このときから古道、岩井沢、大久保の3小学校が分離独立したと村
史には綴られている。気になる児童数だが、古道小は101名。現在よりもやや
多いが、農繁期の夏は出席児童が半数にも満たなかった。なので先生はたっ
たの1名。それが冬になると急増するので、指導者を雇ったらしい。当時は岩
井沢小だけでも90名の児童がいたというから、今より子どもはかなり多かっ
たのだろう。
 たった4年だけだが、過去にも都路小学校は存在した。それが昔に戻っただ
けという見方もできるが、後年には前記の3校以外に馬洗戸に季節分校も設置
されている。当時はスクールバスなんかないから、教育問題も簡単に片付けら
れなかったに違いない。私が移住してきたときに3校あった都路村の小学校だ
が、馬洗戸の分校も見た記憶がある。そして今、都路の小学校はたったの1校
になってしまった。この学舎をいつまで存続させられるのか、そう遠くない将
来にそういう論議も起こってくるに違いない。

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年度末の気分

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 いよいよ平成29年度も終わりに近づいてきた。個人事業主の私にとって特
別な意味があるわけではないのだが、やはりこの時期は心が落ち着かない。1
0年ほど前から定住・二地域が民間から行政主導になり、担当者の転勤などで
様相が一変するからだ。それがわかるのは4月からだが、やはり事前の調査は
不可欠。というわけで、人脈を駆使して概要を探っている。やはり次年度は大
きな変化があるらしく、気持ちを一新して取り組まねばならない。
 娘と同居していたときは、学校の先生の異動というのもあった。3月末に離
任式が行われ、いつものことながら先生と生徒の涙のお別れとなる。それを見
ているPTAももらい泣きする人が多く、これも年度末の風物詩だ。名前が古
道小から都路小に変わるだけだが、今年は近くの学校も最後の年。昨日が卒業
式だった。この学校にお世話になった私にとっても感慨深い。記憶した校歌の
メロディと歌詞も過去のものになってしまうからである。
 仕事の話に戻れば、4月は慣らし運転のようなもの。しかし、すぐにゴール
デンウィークがやってくるので、どうしても日程的にはきつくなる。いくら祝
日が多くても、月刊誌は毎月、必ず発売日がやってくるからだ。本当は梅や桜
をゆっくり愛でたいところだが、気が付いたら仕事に忙殺されていることもし
ばしば。その序章がそろそろやってくる。娘の学生生活もあと1年。だからと
いって私の仕事に変化が出るわけではないが、1つの節目には違いない。子育
て卒業に向けての第一歩でもある。

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 先日の部落総会で、区長の改選があった。うちの地域では2年おきと決まっ
ているが、その場で決まるような話ではない。「事務局に案があったらお願い
します」とお定まりの発議があり、ではと役員案の紙が配られる。つまり、区
長は事前の話し合いで決まっているのだ。ここは2つの部落が合併して第7行
政区というのが正式名だが、行政の下部組織みたいで私にはしっくりこない。
まだ自治会とか町内会の方がマシな呼び名だと思う。
 で、新しい区長は以前に都路の行政局長を務めて退職したIさんが就任。退
任したKさんも同じ経歴だから、公務員の役職→定年退職→区長が既定路線に
なっているようだ。でも、私が移住してきたばかりの頃は違った。隣家のKさ
んが12年も務めていたのだが、彼はもともと農家で、消防団長なども務めた
人物。叙勲もされたくらいだが、当時の区長は葬儀委員長も兼任しており、見
るからに激務だった。どうして持ち回りでやらないのか、とよそ者ながら不思
議に思ったものだ。
 それは現在のシステムに変わったのも、震災の影響が大きい。2代前の区長
は床屋さんだったが、その頃はまだ旧部落ごとの持ち回りという意識の方が強
かった。しかし、ご存じの通り都路は避難指示が出た地域で、住民が6割程度
しか戻っていない。自営業者は大変な苦労を強いられており、区長どころの話
ではないのだ。だから元公務員という新しい流れができたのだろう。SNSに
よると、二本松市東和地域では私も知っている10年目の移住者が区長になっ
たとか。地元の風習を熟知していないととても務まる役職ではないけれど、そ
れも新しい動きと言えるかもしれない。田舎も徐々に変化している。

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婆ちゃんの1周忌

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 この連休中、群馬の義母の1周忌が行われた。午後2時半頃に家を出発し、
寺で坊さんが説教のあとにお経。さらに自宅近くの屋敷墓に戻り、みんなで線
香を上げた。群馬県では農地の隣でも墓地をつくることが認められており、義
父が亡くなったときに先祖の墓を1カ所に集めたのだ。共同墓地しかない福島
とは違う風景である。普段ならそのまま坊さんも法要と称する飲み会に参列す
るのだが、この日はお通夜が入ったそうで、お別れとなった。
 1周忌となればそれほど緊張する場面でもなく、献杯の音頭は何と私に回っ
てきた。別にスピーチも要らないというので、「故人を偲びつつ皆さまのご健
勝を祈って献杯」と簡単なものである(笑)。次から次へとご馳走が運ばれて
きて、地酒の「谷川岳」もいっぱい。法事とはいえすごい宴会で、それを婆ち
ゃんが嬉しそうに眺めていた。でも、まだ明るいうちに会場を出発。
 自宅に戻ると、隣の家のトモちゃんがとんでもない高級酒を3本も下げてや
ってきた。通販で取り寄せているそうだが、群馬でも全国の銘酒が飲めるので
ある。そのうち姿を現したのは2軒先のモトやん。こちらも新潟県の地酒をぶ
ら下げてきた。「おめえらが呼んでくれねえから寂しくて来た」のはいいのだ
けど、もう飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。久しぶりに痛飲してしまった。
ょっとやり過ぎの感はあったけど、こういう席が嫌いでなかった婆ちゃん。笑
って見ていてくれたかな?

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帰還と賠償の因果関係

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(群馬の報告は改めてするとして)この春に避難解除される4町村の帰還率が
低いことは、さまざまなメディアで報道されている。私がテレビで観た数値は
川俣町山木屋が43%、浪江町が17%、飯舘村が32%、富岡町が16%。
実際にどうなるかはフタを開けてみないとわからないし、解除されてもすぐに
帰れない人だっているだろう。問題は最終的にどの辺に落ち着くかだが、どの
アンケートを見ても楽観視できる状況にはないようだ。
 その原因として放射線への不安がよく指摘される。60代以上の人が怖がる
のはちょっと首をひねるが、小さな子どもさんのいる家庭が感じるのは当然の
こと。それが帰還の障害になることは間違いない。でも、それだけではないだ
ろう。避難区域の人たちは6年以上も故郷を離れ、その間に新しい仕事に就い
たり、賠償金で新居を建てた人が少なくない。だから故郷に戻らないと判断し
た人も少なくないのだ。
 ただ、先日のテレビを観てちょっとびっくりしたのが東電社長の廣瀬さんが
常務時代「帰還を促さないような賠償になりますとコミュニティが戻らなくな
ります、というご心配をずいぶんいただいております」と発言していたこと。
東電の幹部としてふさわしい発言だったかどうかはともかく、現実にはそうな
った。その典型が葛尾村で、帰還率はたったの11%。隣村の住民ながら「葛
尾はどうなってしまうのだろう」と心配になるほどだ。国や東電が加害者であ
る以上、賠償するのは当然の話だが、それでコミュニティが危機的な状況にな
るのも皮肉な現象。やっぱりお金は恐ろしい、と改めて感じるのである。

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糖質制限の論理

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 テレビの影響もあるのだろうが、日本人の味覚が変わってしまったような気
がする。野菜や果物を食べるとすぐ「甘くて美味しい」という半面、お菓子を
口にすると「上品な甘さ」と褒めちぎる人が本当に増えた。私は果物はほとん
ど口にしないが、農村では「糖度が15%ある」と自慢げに語る人が少なくな
い。これっていいことなの? というのが素朴な疑問だ。甘さというのは栄養
学では、炭水化物から食物繊維を除いた糖質のこと。いまビールが盛んに「糖
質0」戦争をしている通り、糖質の摂りすぎに警鐘を鳴らす医学関係者は少な
くない。とくに江部先生はその代表格だと思うが、「糖質制限は認知症につな
がる」と主張する専門家もいるから話は複雑だ。
 糖質制限自体のメカニズムは、それほど難しくない。縄文時代の主食は魚や
貝や木の実で、たんぱく質と脂質が80%、炭水化物が20%。ところが、農
耕が始まってから炭水化物の摂取が飛躍的に増えた。とりわけ精米、精製小麦
粉、清涼飲料水の糖類といった精製糖質は、インスリンを出す膵臓に多大な負
担をかける。その結果、糖尿病などの疾病を引き起こすことになるのだ。これ
は新聞で読んだ知識だが、茶わん1杯のご飯は角砂糖で17個分もの糖質を含
んでいるという。それにあんこをかけるなど、とんでもない話である。
 恥ずかしながら、私も血糖値はやや高い。だから7年ほど前に糖質制限は徹
底的に調べたのだが、学説が定まっていないリスクも考えて、半糖質制限を始
めた。具体的にいうと、朝は玄米食、昼のみ炭水化物を含んだ麺類、夜はおか
ずだけという食生活が基本。少なくとも血糖値に関してはこの6年間、ほぼ完
全にコントロールできている。もちろん、お菓子などの間食は一切しないし、
砂糖入りの缶コーヒーも口にしない。砂糖はなるべくラカントを使っている。
その代わり、カロリーは気にしないし、酒も蒸留酒を中心に飲んでいる。人間
の寿命が2倍に伸びているのだから、認知症と糖質制限の因果関係なんて調べ
ようもないはずだが、ケーキを食べながら酒を飲むような愚かな真似だけは絶
対にしない。何が正しいかは、最後は自分で決めるしかないのだ。
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 厚生省の発表によると、日本人の平均寿命がまた延びた。2015年のデー
タだが、男性が80・75歳、女性が86・99歳。5年に1度行われる国勢
調査に基づくものだが、前回の10年前に比べて男性が1・20歳、女性が0
・69歳も上回ったという。主要7カ国では男女ともにもっとも高い数値で、
まさに長寿大国・日本を証明した格好だ。
 それにしてもどうして日本人はこんなに長生きになったのだろう。最初の調
査が行われた1891〜1898年は平均で男性が42・8歳、女性が44・
3歳で、第二次世界大戦以降は延び続けているらしい。やはり戦争がないのが
最大の理由みたいだ。もちろん、昔に比べて栄養状態は飛躍的によくなってい
る。一時は餓死する若者のニュースが駆け巡ったこともあったが、少なくとも
いまの高齢者で食べるのに困っている人は少ない。2倍近くも平均寿命が延び
るには、この2つの要因がなければ無理だろう。
 さらに、医学の進歩も挙げられる。長寿社会で2人に1人はガンになる時代
だが、それが必ずしも死に結びつかなくなってきた。私も昨年、父親が誤嚥性
肺炎になり、胃ろうの問題と直面することになってしまったが、人間はなかな
か簡単に死ぬことができない時代になったのも事実。それが幸せなのはどうか
は別として、日本社会全体としては高齢化社会がますます進むことになる。こ
のデータもいつかは歯止めがかかるはずだが、50・60代はぺーぺーといわ
れず時代がしばらく続きそうだ。

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女の腕まくり

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 わが家が阿武隈山系の旧・都路村に越してきたのは、確か2001年の3月
27日。この日のことは忘れもしない。まさかの大雪に見舞われ、路上に30
cm以上の雪が積もっていた。しかも、都路に入ったのは夕方の7時頃で、道
路状況は最悪。まだ冬道に慣れていなかったので、カーブでブレーキを踏んで
しまったらハンドルを取られてしまった。そのまま沢へドボン。携帯が通じる
場所だったから地元の人にヘルプを求めたのだが、「沢に落として車に傷をつ
けなかったのは山本さんくらいだ」と皮肉を言われたっけ(笑)。でも、妻と
娘も同乗していたので、もし対向車がいたらと思うと今でもぞっとする。
 このとき地元の爺ちゃんに初めて聞いたのが「春雪と女の腕まくりにはたま
げんな」という言い伝え。どちらもすぐに収まるから驚くな、という意味であ
る。実際、3月の春雪は湿っていて、数日で融けてしまう。劇的な景色の変化
に、目を丸くすることもしばしばだ。屋根の雨樋付近と家の周りと駐車場の除
雪はするが、あとは放っておいてもいいくらい。その春雪が昨日、阿武隈山系
域を襲った。いわき方面でもちらついたみたいなので、珍しい現象ではある。
天気予報で覚悟はできていたが、予想以上に降ったようだ。
 春雪はすぐ融けるが、気を付けるべきは朝晩の運転である。溶けた水が凍る
ので、かなり滑りやすくなるのだ。表面だけが凍る路面をブラックアイスバー
ンというが、目視では確認できないことが多い。だから基本はブレーキを踏ま
ないこと。私はもうすっかり慣れたが、シフトダウンによるエンジンブレーキ
を基本にする。ただ、前にノロノロ運転の車がいると、どうしてもブレーキを
踏みたくなるもの。これがいちばん危険なので、無理してでも車間距離を開け
た方がいい。まあ、1週間も経てば元通り。まさに女の腕まくりだ。

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福島の魚はいま

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 イチエフの事故で明らかになった日本人の民族性の1つは、差別や偏見に対
する認識があまりにも鈍いということだ。NHKの番組に出演した女性芸能人
が「福島の米は買わない。周りも買っていないから」と発言してちょっとした
騒ぎになったが、福島の米が全袋検査をしていることなどさんざん全国ニュー
スになったこと。野菜や山菜なら検査から漏れることも理論上はあるかもしれ
ないが、米の安全性が日本一高いことは確か。しかし、芸能人でも母親になれ
ば何を発言してもかまわないと勘違いしているのか、こういう日本人が多いこ
とに唖然とする。
 全袋検査の米ですらこの有り様だから、福島の魚は食べられないと勘違いし
ている人も少なくないだろう。もちろん、福島県沖でとれた海産物はモニタリ
ング検査を続けており、国の基準値である1kgあたり100ベクレルを上回
る検体は2016年以降出ていない。試験操業を開始した2012年6月に販
売できるのはたったの3種類だったが、今では97にも拡大している。県漁連
は万が一がないように、国より厳しい50ベクレルという基準値を自ら設定。
安全性が確認されていないのはスズキなど12種類を残すのみとなった。
 暖流と寒流がぶつかるいわき市沖のヒラメなどは「常磐もの」と呼ばれ、震
災前は市場で高い評価を受けていた。しかし、スーパーや土産物屋でも福島県
産の海産物が並ぶ光景はあまり目にしない。残念ながら他県産ばかりだ。安全
性を訴える努力はしているが、それはまだ消費者に届いていないのが実情なの
だろう。やはり出荷制限がなくなり、全面操業開始になるのがいちばん効果が
ある。操業禁止エリアも10km圏にまで狭まり、その道筋は徐々に見えてき
た。「常磐もの」復活まで、もうちょっとの我慢だ。

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