銘文に刻まれた三代の名
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古事記、祟神天皇 ー ー 〔将軍の派遣〕 またこの御世に、大ビ古 の命 は 高志の道に遣し、その子 建沼河別 の 命 は東の方 十二道 に遣して、その服わぬ人どもを和平さしめ、− − −
辛亥銘鉄剣、〔銘文、冒頭〕 辛亥年 七月中 記 乎獲居臣 上祖 名 意冨比[土危] 其児 多加利足尼
辛亥の年 七月中、記す ヲワケの臣 上祖 (かむつおや) の 名は オホヒコ 其の児 タカリの 足尼 (すくね) 辛亥銘鉄剣に刻まれてある名、タカリノスクネ が、古事記に記されてある 建沼河 (タケヌナカワ) ー〔別(ワケ)〕 という名になることも有り得るのではないか と、前回私は考えました。 そして、鉄剣銘文の、タカリノスクネ の次に出てくる テオカリワケ という名は、後世に、トリ という、東国の兵の代名詞のようになった、その名 ではないかという考えも持っています。 ですから、銘文の、オオヒコ、タカリノスクネ、は、古事記に於いて、東国に足跡が残っている筈の 大和朝廷の系統に結び付く名であり、次 (三代目) の テオカリワケ は、東国に生まれ、根ざした者 という風に想像しています。 (三代目は江戸に生まれ、生まれながらの将軍となった・・・その 徳川家光 のようです)。 記紀に於いて、オオヒコ の命 は、祟神天皇 の御世の人で、それから 垂人天皇 を置いて、次の景行天皇 (つまり、三代目) の御世に、倭建命 が活躍します。 三重まで辿り着き、遂に客死したとされる 倭建命 の、数箇所にある という陵の名は 白鳥の陵 と名付けられました。 白鳥の陵・・・シラトリのミササギ、それは トリ、即ち、(東国の) 兵達の、最も高貴な存在という意味で、白鳥 と名付けた、その陵である という解釈が私の頭には浮かんできて、 鉄剣の銘文の、オオヒコ から数えて 三代目 の テオカリ (トリ) が、記紀の、祟神天皇 から数えて 三代目 の 景行天皇 の時代に、東国で集団を率いていた という、そういう様子が、日本にはあったのではないか と、そういう想像に発展して行くのです。 |


