重陽の節句を祝う

書庫、「気分転換」に‘神経衰弱’というゲームを転載しました。

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ドナルド・キーンさんに教わる三島由紀夫

私は、三島由紀夫 さんの書いたものが 非常に好きです。 特に 『豊穣の海』 を読んでからは、もう、他の一切の小説に、関心を抱くことが出来なくなり、只、その四部作をのみ、飽かず繰り返し読むことが、私の読書の全て となりました。 

以前に、このブログに書いたものの中から、次の記事 (2日分) を、今日は、再掲させて頂きます。

・・・・・・・・・


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20世紀のクロニクル (2010,6,7) → http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/41490940.html

読売新聞に、日本贔屓のアメリカ人 ドナルド・キーン さん の ‘私と20世紀のクロニクル’ と題した自叙伝が毎週土曜日に連載されていたことがあります。

たしか、そこで読んだことだったと思いますが、

作家の 三島由紀夫 氏 は、ノーベル文学賞 にノミネートされながら、その賞の行方が 川端康成 氏 になってしまった時、非常に残念がっていた、

そのノーベル文学賞は、受賞した者と、しなかった者双方のその後に、大きな意味をもたらした、

  と、そのようなことが書かれてありました。


三島由紀夫 氏 と 川端康成 氏 の双方のその後 と云えば、私の世代以上の人ならば誰も きっと、あの 自殺 した というニュースを聞いた時の衝撃を思い出します。

川端康成 氏 の自殺の、当時は謎とされていた原因についての私なりの憶測を、前に、書いたことがあります。→ http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/13010893.html

私も、人生を50年以上経て、その幾多の苦難を知った今にして、若い時には思いもしなかったことを、色々考え付くことがあります。


三島由紀夫 氏 は、ノーベル賞 を逃した時に非常に残念がっていた、ー ー ー ドナルド・キーンさんがそのことをどう考えていたのか、それを ちょっと 読み取ることは出来ませんでしたが、

  (私は、始め、その名誉のことばかり考えていました)。

三島由紀夫 氏 の文学者としての名誉に何の不足も無かった筈 と、私は思っていますから、実は、ノーベル賞を受賞出来なかったことが、それ程に辛く苦々しいことであった という風にドナルド・キーンさんが書いている文章を読んだ時は、些か意外だ と私は思いました。

が、最近、ふと、気付きました。

 人の世の中、お金が重要な役目をする ということに、です。

三島由紀夫 氏 が お金に困っていた とは、到底思えませんが、氏の生き方が破格なものであったことは確かで、きっと、尋常な勘定で済むような訳にはいかない生活をしていたのではないかとは、少し勘繰れば分かる と思います。

お金はいくらあってもあり過ぎることはなかった でしょう。

ノーベル賞には結構な賞金も付く、らしいですが、その後の その看板料金とでもいうようなものの額が付いた時には、おそらくその原稿料は桁違いに上がったかもしれません。(実際のことは知りません)。

その打算をはたらかせた時、(氏は) 返す返すも残念に思えてならなかった ー ー ー。

お金に困った人間が怖ろしくも見事な、と云うか、兎に角 思い切った最期の手段をとる事件をニュースで知ることがあります。

氏の壮絶な死に方は、得ることが出来たかもしれないお金の、その喪失した額に見合う程のものだったような気がするのですが、



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ こんなことを思う私は、相当に、考え方が オバサン です。




20世紀のクロニクル、続き。 (2010,6.9) → http://blogs.yahoo.co.jp/mizunoene17/41499870.html

三島由紀夫 氏 に自決 を促したものは お金 の問題だったのではないか という、些か、いえ、かなり 興醒めな意見を、前回に書きましたが、

それも やはり、‘私と20世紀のクロニクル’ の何処かに書いてあったことだったと思いますが、

生前、氏の戯曲のニューヨーク公演の準備が進められている時、公演の主催者側の その資金集めが滞ってしまっている間、氏は待ちきれずにメキシコへ出掛けて行ってしまった ー ー ー と、そんなことを読んだことが、私の頭の片隅にはあって、

三島由紀夫 氏 は、お金が足りない状況に対しては忍耐力に欠けるところがあったのではないか などと思われ、そういうことからも、そういう風な発想が浮かんだのです。

1970年11月25日の 三島由紀夫 氏 の 自決 について書いてあるその ‘私と20世紀のクロニクル’ の (39) 回は、
ノーベル文学賞の順番が日本にまわってきたのは、1968年のことだった。
という書き出しです。

そして、(40) 回に 川端康成 氏 の 自殺 のことが書かれてあって、(41) 回には、次のような文章があります。
三島はノーベル文学賞の順番が回ってくる地理的要因から考えて、次の日本人の受賞までに少なくとも二十年はかかることを知っていた。彼は、それまで待てなかった。

ノーベル文学賞によって得られるものの中で、氏が最も期待していたものが‘お金’であったのではないか と憶測した時、氏が待ち切れなかったもの、それ 即ち ‘お金’ だった という解釈が、無理なく出来ると思います。


唐突な例えになりますが、私自身も、スーパーのレジに並んで順番を待つことは、なかなか我慢しずらいのです。 

自分が欲しいと思っているもの、それが必要 と思っているものが手に入るまで、暫く我慢しなければならない と感じた時の苦々しい気持ちなら、私も痛い程 分かります。


・・・・・・、

以上のことは、馬鹿馬鹿しいなりに、云ってみたかった ので、ここ に書きました。













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映画、『東京タワー』を観て泣きました

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昨日、『東京タワー』を観てきました。

 私は母を「オカン」とは呼んだことがありませんが、この思い出を、「オカン」として書いてみます。


私が七つになる年の、桜の花のほころぶ前に、これから通うことになっている小学校に続く道を、私はオカンに手を引かれて歩いていました。

その日は、春の嵐が吹き荒れる生憎の天気でしたが、新入生の身体検査が行われることになっていたのです。

強風に襲われた瞬間に、私はフワーッと、道の真ん中の方に吹き飛ばされそうになりました。

咄嗟に、私の手を握るオカンの手の力が数倍の威力になりました。

風が私を遠くに連れて行こうとすると、
 オカンは物凄い力で、私を引き戻そうとします。

風とオカンにもてあそばれて、私の身体は右往左往してしまいます。

オカンは面白そうに笑いました。
 それで、私も声を出して笑いました。 可笑しくて堪らなくなってきました。 幸せなひと時でした。

幸せを運んで来た春の嵐、
  幸せを身体に伝えて来た、力一杯のオカンの手。



この世にオカンのいない子どもはいないのですが、力一杯握ってくれるオカンの手を知らない子どもがいます。

『東京タワー』を観て、きょとんとして、涙を出さない人もいるだろう、と思いました。

私は泣きながら、そんな子どもが可哀想だと、何故か考えてばかりいました。

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