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美男美女をあえて登場させないという手法を映画監督はよく用いる。
観客をストーリーに集中させるためである。
よっぽど脚本に自信があるときなんかはそういった手法をとる。
映画 『狼たちの午後』にはメインテーマ曲もエンドロールさえもない。
当時の映画の主流というものを僕は知らない。僕は批評家ではない。
すばらしい批評家に対する賞をバンバン新設すれば、批評家はもうちょっと静かに批評するようになるかもしれない。(今、世界経済を翻弄している、格付け会社のそのまた格付け会社って発想自体が僕にはそもそも滑稽に見える)
この映画はまず3人の男が街の小さな銀行を襲うところから始まる。すぐに一人が脱落する。「やっぱり、できない」「もうすでに支店長に銃を向けている」「でも・・・」「じ・ゃ・あ・行け」
「アイム ソーリー」「車は置いていけよ」「何で帰ればいいんだよ」「地下鉄で帰れよ」。
ここからおよそ1時間と30分くらい物語は銀行の中と銀行の向かい側の理髪店(現地捜査本部に利用されている)までの限られた世界の中で展開される。
ただし、この事件はその外の大きな社会のいろいろな問題をその限られた世界の中に引き寄せてしまう。
そして何よりも(若干の気の迷いはあるが)紳士的な主犯格のソニーが役者だった。もちろん映画だから役者が演じているし、アル・パチーノである。劇場型の事件である。
集まった事件報道のカメラが映し出したのは事件の生みの親は社会であるという事実でしかなかった。
銀行内の電話が鳴る。テレビのインタビューの申し込みである。「今君は生中継されてるんだ」。
「動機は何だね」
「何の?」
「銀行強盗のさ」
「ああ、・・・・・まあ、銀行には金があるからさ」
「なぜ盗むんだ?」
「なぜって・・・・」
「仕事はなんだい?給料は?」
「なんでそんなこと言わなきゃいけないんだ」「おい、銀行の出納係で月にいくら貰ってる?(人質の一人に尋ねる)週給115ドルでどうやって生活すればいいんだ」
ソニーが入り口から出てくる、集まった大勢の野次馬から歓声が上がる。「ファッキン ガンズ ダウン!」彼は叫ぶ。彼は社会に不満を持つテレビの前のお茶の間の大多数の支持を得ている。刑事部長が慌てて警官達の銃を下ろさせる。「なあ、ソニー、望みは何でもきこう」腐敗した政府に失望しきった世間からは再び歓声が上がる。
「妻をここによんでくれ」
「ああ、約束しよう」
よばれてきたのは男だった。彼は同性愛者だった。事件現場には同性愛者の人権団体までもが押し寄せる。社会の中の今まで追いやられていた部分だけが一気にそこに集まりだす。
格差、差別、貧困、汚職、腐敗、・・・・・・。
ソニーは銀行内から本妻に電話をかける。本妻は女である。「愛って何だ?」ソニーはそう言う。
ひとつの事件が社会に与える影響が云々の議論そのものに疑問符がつく。事件とはある意味で社会そのものであると、そういった空気みたいなものが出来上がる。
「何か食べ物を」とソニー。
「ピザで言いか」と刑事部長。
「それからビール」
「ア、アルコールはやめておけ。な。コーラでいいな」
しばらくしてピザ屋のお兄ちゃんが到着する。
「勘定をしてくれ、いくらだ」ソニーは大量の5ドル札を持って中からでてくる。「勘定は済んでる」と刑事部長。彼は無視する。「チップだ。とっとけ」ズボンのポケットに札束を入れてやる。大歓声が起こる。
「そうだみんなにもやろう」ソニーは突然思いつく。通りを埋め尽くすたくさんの野次馬に向かって大量の5ドル札を投げる「なあ、本物だぜ」。
とたんに現場は大混乱に陥る。我先にと、風に舞うお札を掴もうとしている。報道カメラが余すことなく状況を伝える。
ソニーは寂しそうな目で少しの間その光景を見ている。
映画の冒頭に『この話は実際の事件に基づく』と出ていた。ちなみにこの映画はアカデミー賞の脚本賞を受賞した。
・・・・・・・事件現場までの道のりは予想に反して長いものになった。
でもその道のりの長さはべつに事件そのものの根深さみたいなものとは関係なさそうだった。
僕は全然根深いとは思っていなかった。
黙って歩いていられるほどにはまだ太陽は傾いてはいなかった。
散歩中の犬に僕だけが吠えられた。
「ねえ、オレの年賀状届いた?」とチュッパチャップが他の二人に聞いた。
「うん、届いたよ」と他の二人が頷く。
「ねえ、オレのは?」と二人が順番に聞き返す。「届いたよ」とチュッパチャップ。
そこに僕は口を挟む「携帯メールで済ましちゃうんじゃないのかい?最近はさ」。
これだから大人はやんなっちゃうんだよねというあらかじめ申し合わせていたような感じの3人の顔が返ってきた。僕は3人の後ろを歩いていた。
「年賀状だからいいんじゃん」と代表して教授が僕に言った。言い諭された感がすごくあった。
そういう考え方が子供たちの中にちゃんとあること自体がすごく新鮮だった。
そもそも新年のあいさつ自体をあまりしないだらしない僕なので余計にそう思った。
こうやって一緒に歩いてみて気づいたことがあった。
例えばA地点からB地点まで向かうときに、普通に大人たちが当たり前のように使う道を子供たちは使わないと言うことだった。
だから見慣れた町を歩いているのになんだかいつもと違った町にいるような気持ちにときどきなった。
つづく
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