おやじの独り言

一小悪は即日忽ちに身を滅ぼす事は無かれども、その心万事に渉る故小を積んで大となる 沢庵禅師

なんとなく、歎異抄・・・

[ リスト | 詳細 ]

ふと思い立って、歎異抄の意訳を紹介しています

本文は、登録者のみの公開とさせて頂きます

記事検索
検索

全1ページ

[1]

5月20日、親鸞聖人のお誕生日

勤務先から永年勤続の賞がいただけることになりまして。そしてそれにはJTBの旅行券も付いている、と。
まあ、折角の機会なので、鹿児島にいる両親も一緒に、思い出の地の旅をしようかと。
そして、5月20日。
癌の治療中の父の病気平癒をお願いしたお寺に、お礼のお参りをしてからその後どこに行こうか、と。
 
我が家の宗旨と言うのは、浄土真宗本願寺派との事。薩摩藩ではキリスト教よりも強く弾圧された門徒で、しかも寺を構えていたという話。
まあ、薩摩藩の場合、隠し念仏って言うようにひっそりと信仰されてたわけで、寺と言うよりは、講元のような存在だったのでしょうか。
 
そんな事も思い出し、父も疲れ気味だったんで、『一回、総本山の西本願寺に行ってみようか』と。
 
 
イメージ 1
 
 
そんなわけで行って見ますと、今年は親鸞聖人の750年忌でお祭り状態の様子。
 
 
イメージ 2
 
 
しかも、750年忌だけではなく、5月20日は親鸞聖人の誕生日という事で、特別な法要がある、と。
 
恐らく、門徒であった我が先祖。『一向宗、門徒は禁教』という薩摩藩で、まさに命がけで信仰を続けてきた我が先祖は、本願寺を訪れた事は無かっただろうと。
 
そう思えば、この偶然も何かのお導きか、と。
 
勝手に中に入って、法要に参加する事に。
 
イメージ 3
 
管長さんとかが現れて、雅楽が演奏され、読経が続く・・・
 
気持ちよく寝てしまったのは、決して私だけではないはず(^^;)
 
ちなみに、私の後ろで本格的なビデオ撮影のクルーがいて、一部始終を撮影されてました。
放送されるのか、DVDにでもされるのか。
 
 
右下に、私が出演してる可能性アリです(^^;)
 
イメージ 4
 
世の中安穏なれ 
 そのお言葉を実現する為に、今何が必要か・・・
 
 
 
 
 
 
とりあえず、これか。
 
イメージ 1
 
(*あくまでも個人の感想です)
←にほんブログ村にてランキング挑戦中。
←バナーを応援クリックよろしく。
 
さて、アフリエイト。CLUBTで探してみますと、こんなT-シャツを発見。
 
 
もう消えてくれないかな、日本の為に。
 
 
被災地の皆さん頑張って下さい!!
行方不明者の捜索、及び復興支援にあたっている、自衛隊、海上保安庁、消防、警察、その他有志の方々の安全をお祈りいたします。
原発で命がけで作業に当たってる方も、どうかご安全に!!
 
正しい解決方法は、環境が変わればそれに応じて変わらなければならない。
政治家に求められるものが何か、この本を読むとちょっと見方が変わります。↓

 

閉じる コメント(2)

閉じる トラックバック(0) ※トラックバックはブログ開設者の承認後に公開されます。

11月28日は・・・

イメージ 1

ちょっと前に、親鸞上人の言葉を伝えた弟子の唯円の著書『歎異抄』を紹介しました。
まあ、内容的に、宗教論争になるのが本意ではないので、ファン限定公開ですが・・・

なぜこんな事を書くかと言うと・・・


今日は、親鸞上人の命日だそうで・・・

東本願寺では、この写真にある『坂東曲(ばんどうぶし)』が行われたのだとか。


それで、この記事を書いてみようと思ったのです。



親鸞上人の最後の言葉が伝わっています。
教祖となった上人が臨終に臨む時・・・枕もとに集まった弟子に向かって残した言葉は・・・




























『・・・死にとうない』

で、あったとか。
『人は煩悩と離れる事など出来ない。あるがままに行きよ』
そういう上人の言葉が聞えてくるような気がいたします。



合掌。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(0)

「添え文」

昔、お気に入りだった掲示板から、勝手に引用を始めた『歎異抄』
とうとう最後の添え文を残すのみです。

法然上人が他力本願の教えを広げ、その教えが急速に広がったのでしょう。

『どんな罪人であろうと、救う』
と発願された阿弥陀如来のお力にすがって、念仏せよ。
そうすれば、身分の差に関係無く極楽浄土に行く事が出来る


この教えは、当時の人に、驚きと熱狂をもって迎えられたのかも知れません。

当然、それを快く思わないものもいる・・・・

法然上人、親鸞上人ともに罪をきせられてしまいます。
その経緯が添え文に記されています。


そして、戦国時代、一向宗を率いて国を治めた本願寺蓮如が最後に加筆しています。

『この本は、わが教団の最大の聖教である。心のある者以外に見せる事はまかりならん』と。

そりゃそうです。歎異抄に書かれている内容を読めば・・・

旗指物を振りかざして一向一揆など、ありえねぇ
って事になりますから。
私の中で、一つどうしても納得できない事があるとすると・・・


『どんな悪人でも救う』という阿弥陀仏の本願

それはどうなのよ?と思うのです。言ってる事は分からんでもないが・・・

凶悪な犯罪者でも、救うのか?救う必要ないだろ?

でも、最近気がついたことがあります・・・



どんな罪人も『救う』とは言っているが・・・
   『罪を許す』とは一言も言っていない・・・


この辺が答えなのかも知れませんね。

私の解釈です。
救われる=許されるでは無い。救われるものは、罪を背負ったまま救われるのです。
罪はあくまで罪のまま。ただ救われる・・・その罪が消えるわけではない。
罪が許されて、消えるまでは・・・
恐らく相当の隔たりがあることでしょう。


以上、投稿後に加筆しました(^^)




歎異抄に倣って、この記事は他見を許さず・・・
この添え文以外は、お気に入り登録してくださっている方にのみ公開とします。
この記事に関して、宗教論争をするつもりはありません。
従って、せっかくコメントいただいても削除させていただく可能性があること、ご理解下さい



「添え文」

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=552019920&tid=a1z0adbfmc055a1a1db&sid=552019920&mid=148
####################

後鳥羽院の治世、法然聖人は他力本願念仏宗を興す。
興福寺の僧侶、これを敵み、御上に奏上す。
曰く「念仏宗の門徒どもに不穏の動きあり。」

無実なれども風聞によって罰せられた者は次の通り。
一・法然聖人および弟子七人は流罪。また、御弟子より四名が死罪に処せられる。
法然聖人は土佐の国番田というところへ流罪。罪を受けるにあたっての俗名は藤井元彦。齢七十六。
親鸞は越後へ流される。おなじく俗名藤井善信。三十五歳である。

浄円房は備後。
澄西禅光房は伯耆。
好覚房は伊豆。
行空法本房は佐渡。
幸西成覚房および善恵房の二人も同じく遠流。

これらのお沙汰は、無動寺の善題大僧正が承り、申し伝える役割を仰せつかった。
遠流を受けた者は、以上八名にのぼるという。

またさらに死罪に処せられた者は次の通り。
一番 西意善綽房
二番 性願房
三番 住蓮房
四番 安楽房

二位の法印尊長、之を沙汰す。

親鸞はこの時、俗名を名乗ることを強いられる。
しかれども、僧にあらずも俗にあらずとの意を込めて、「禿」を姓にし、俗名として届け出た。
ついには、親鸞の申し出は受理され、いまだに外記庁には、その文書が保存されているという。

流罪以後の署名は「愚禿親鸞」と書かれるのが常である。




このことは、念仏門のモノ、我が教団にとって最大の聖教と心得るべし。
善機を持たぬもの、左右無きものにこのことを教えることまかりならぬ。

            (蓮如の署名捺印)

####################

閉じる コメント(4)

閉じる トラックバック(1)

全1ページ

[1]


.

もあい。
人気度

ヘルプ

Yahoo Image

  今日 全体
訪問者 21 781790
ブログリンク 0 204
コメント 0 33934
トラックバック 0 3527
検索 検索
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

イイッ!!(^^)

標準グループ

勉強になります(^^)

熱い思い

休止中?(^^;)

ブログバナー

開設日: 2005/2/1(火)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.