【南京の闇】100人斬り裁判、批判している対象がずれているような気がしてならない
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「南京事件」関連で、もう一つ書こうか、どうしようか迷っていたら、前の記事に、「やっぱり」と思えるような批判(コメント)を書いてきた人がいるので、これは「応援なのであろう」と受け止めて、書くことにする。
コメントを書かれた方は、中国のいうことをそのまま受け売りして、日本を攻撃しているとの主張のようだが、私がそうではないことは、このブログの記事を連続してお読み頂ければ(あるいは、少なくとも南京事件の関連で書いたことだけでもお読み頂ければ)わかることだろう、と思う。
ともかく、南京事件について何か書くと、「日本攻撃」としかとらえられない、このような見方こそが「日本を矮小化」していると考える。
この間から、「Will」という雑誌の2007年12月増刊号の南京虐殺問題特集号を使いながら、書いている。 ちなみに、この雑誌(花田紀凱氏「責任編集」)は、その後、南京虐殺の特集号は出していないようである。
先の記事に書いたように、秦郁彦氏の説について矛盾したとりあげかた(一方では、「大虐殺なかった」派に入れ、一方では、「4万人の虐殺」説は、一番「危ない」議論だと批判する)をしたので、さすがに、大きな顔をして、次の南京虐殺特集号を出すだけの気持ちにはなれないのだろうか?
最近というか、その後の、この雑誌のバックナンバーを見ると、民主党政権批判(このことについては、私も民主党批判をしているのであるが)とか、昨年の3月以降はどうやら、「原発批判」も始めたらしい。
この「原発批判」については、私は(内容を読まないので書くのもなんだが)評価したいと思うが、どう考えても、部数を伸ばすことを優先して編集しているように思えてならない、この雑誌の編集路線で「原発批判」に乗り移ったのか(?)と思うと、少々、複雑な気持ちがしないでもない。
さて、話を「Will」の2007年12月増刊号に戻す。
これが、この雑誌の目次だ。左のほうを見ると「百人斬り」という文字が見える。
この二つの文章が代表的なものだが、どうもこれらの文章の論調に違和感を覚える。 「百人斬り」とは何かということについて、上記の文章なども引用しながら、説明したい。
<東京日日新聞が南京戦最中の昭和12年(1937年――引用者注)11月30日から12月13日にかけて4回にわけて報道した「百人斬り競争」は、大隊副官と歩兵砲の小隊長の2人の少尉のどちらが先に中国兵を100人斬るかの競争をし、紫金山において106対105の記録を作ったという武勇伝である。
南京戦当時、「百人斬り競争」に類した創作の武勇伝は多く新聞に連載され、「百人斬り競争」も「ヨタ記事」「戦争は高座じゃない」と批判されたが、戦意高揚記事としてもてはやされた。>
<昭和23年(1948年――引用者注)1月28日
雨花台 向井敏明少尉、野田毅少尉は、田中軍吉大尉と共にBC級戦犯として南京郊外の雨花台で処刑された。(略)両少尉はたった一度の公判の3時間の審理で、東京日日新聞の「百人斬り競争」の記事のみを証拠として、死刑判決を受けたのである。>
これは、上記の最初の文章(筆者は稲田朋美・衆議院議員・弁護士)からの引用である。
この事件について、平成15年(2003年)4月28日に、東京地裁に対して裁判が起こされた。
原告は、向井少尉の長女と次女(この人が、「Will」のもう一つの原稿を書いている)、野田少尉の妹にあたる人。 被告は、本多勝一氏、朝日新聞、毎日新聞、柏書房で、主張は名誉棄損の損害賠償請求であった。 毎日新聞は、「百人斬り競争」の記事を載せた東京日日新聞が毎日新聞にあたるため。また、本多勝一氏、朝日新聞、柏書房は、「百人斬り競争」について、その後も報じ続けたことが理由である(毎日新聞についても、その後、報じ続けたことも理由としてあげられているのかもしれない)。
稲田弁護士は、この事件の代理人をもつとめていた。
この裁判の主張は、「百人斬り競争」が虚偽(なかったこと)であるにも関わらず、それらを文章(新聞記事、書籍)にした(している)ことが、遺族の人格権を侵害しているというものである。
この裁判は、結局、東京地裁では、新聞記事に出た写真を撮影したカメラマン(証言時、91歳)が唯一の証人として採用され、「百人斬り競争」について「100%信じていない」と証言したと、稲田氏は記している。その他、陳述書を書いた人は多数いた(向井少尉の部下、二人の少尉と同じ連隊にいた人等)が、証人としては採用されなかった。
しかし、この裁判は、東京地裁、東京高裁いずれも敗訴し、最高裁も上告棄却であった。
高裁判決の一部について、稲田氏の文章の中に引用がある。
それは、やや長いので、そこからさらに一部、引用する。 「同記事(東京日日新聞記事−−引用者注)の『百人斬り』の戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的である。
しかしながら、その競争の内実が本件日日記事の内容とは異なるものであったとしても、次の諸点に照らせば、両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実を否定することができず、本件日日記事の『百人斬り競争』を新聞記者の創作記事であり、全くの虚偽であると認めることはできない」
ちょっと、引用ばかりなので読みにくいかと思う。
私は、子供のころ、「私は貝になりたい」という、たしかテレビドラマを見た記憶がある。
フランキー堺が主人公を演じていたと思うが、BC級戦犯に対する裁判で、無実の罪を着せられた主人公が、死刑に処せられた話であったと思う。 涙なしでは見ることのできない、ドラマだった。
詳しい筋は覚えていない。ネットのどこかに出ているのだろうけれど。
当時の戦犯に対する裁判には、誤審がかなりあったのだろうと思う。
この二人の少尉も、本当に「百人斬り」をやったのであろうかと言えば、それは大いに疑問である。 そもそも、日本刀を振り回して闘うような白兵戦の場が、どれだけあったのか。 また、もとの新聞記事では、「さすがに刃こぼれした日本刀を片手に対面した」などと書かれているようだが、日本刀はそんなに何人も斬ることができるものではないだろう。 だが、問題は、彼らがこのような戦意高揚記事に、4回にもわけて掲載されたということは、彼らがこのような記事になることについて、了承していたのではないかと感じさせられる。
つまり、「百人斬り競争」が本当にあったことではなかったとしても、彼らは、その時点で、そのように報道されることについて、忌避しなかったこと、むしろ一定の協力をしたのではないかという印象を受ける。
やってもいない、あるいはその全体が真実であるとは全く思えないような「百人斬り競争」の記事によって、戦犯とされ、死刑に処せられたことは気の毒であると思う。
だが、その責任を、「南京大虐殺」批判の論調の一部として、あたかも中国(または中国の見解を支持する者)に対する批判のように展開するのは、責任追及の方向性がずれているのではないかと感じる。
責任を追及するのであれば、それはまずは、東京日日新聞の記事を書いた記者、ならびに東京日日新聞(その後身が毎日新聞であれば、毎日新聞になるのであろう)、さらには、そのような戦意高揚記事が掲載されることを推奨した、当時の新聞記事検閲官(戦中の日本にあって、新聞が全面的に検閲の対象であったことは明らかである)あるいは、その検閲基準を定めたもの、さらには、そのような戦意高揚記事を喜んで読んだかもしれない新聞読者等であろう。
ところが、東京日日新聞(毎日新聞)までは批判しても、当時の戦時体制に対する批判にまで、彼らの視野は達していないようである。
もちろん、法的には、裁判の対象とするのは難しいであろうが、少なくとも考え方として、このようなものをもっていないと、「百人斬り競争」という意識的な誤報に対する批判が、いつのまにか、「南京虐殺」批判に対する逆の批判になってしまう、というおかしな構図を感じる。
「百人斬り競争」のような記事が戦意高揚記事として喜んで迎えられるような社会は、「南京虐殺」と称される事件が生み出された背景と、決して無関係ではないような気がする。
なぜ、戦意高揚記事の犠牲者となったであろう方のことを問題にする場合に、戦意高揚体制そのものを批判の対象としないのか、残念な気がしてならない。
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