【自殺対策】その真意を誤解していたのかもしれない『GKB47』と『AKB48』
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時々、自分がこのブログに書いた記事の内容について後悔(あるいは疑問)を感じることがある。
今年の2月7日と、2月8日に書いた二つの記事について、今、そのように感じている。
2月7日の記事が、<【一時帰国】国会中継、GKB47に超党派の批判> http://blogs.yahoo.co.jp/mochimoma/15198239.html というタイトルである。
内容は、『自殺対策強化月間』である3月(春先は、自殺が多い)のキャッチフレーズとして、『あなたもGKB47宣言』というものが決められていたことに関するもの。
『GKB』とは、『ゲートキーパー・ベーシック』の略。
これについて、国会の質問でとりあげられ、『AKB48』をもじった、興味本位の内容として批判され、その後、撤回されたというのが、その趣旨である。
『GKB47』というのは、自殺を防止するためには、周囲の気づき、あるいはサポートその他の社会的な地域の仕組みが必要ということで、そのような体制、あるいは窓口を全都道府県に構築していこうという意味なのだろうと思う。
この時点で、私は、『AKB48』のパロディのような言葉を使用するのであるから、『不適切』というような発想(ある意味、常識的で『普通』の発想でしかない)でもって、このニュースに対して対応してしまった。
しかし、今は、ちょっと(というか、『かなり』)違った気持である。
最近、身近なところで、『自殺』を経験した。
そういう『立場』で、このニュースをとらえると、あるいはこのキャッチフレーズを提案した人、採用した人たちには別の思いがあったのかもしれないと感じる。
日本では、『自殺対策基本法』という法律が2006年に施行されている。
少し長いが、この法律の第1条と第2条を引用してみたい。
**************************************** 第一条 (目的)この法律は、近年、我が国において自殺による死亡者数が高い水準で推移していることにかんがみ、自殺対策に関し、基本理念を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、自殺対策の基本となる事項を定めること等により、自殺対策を総合的に推進して、自殺の防止を図り、あわせて自殺者の親族等に対する支援の充実を図り、もって国民が健康で生きがいを持って暮らすことのできる社会の実現に寄与することを目的とする。
第二条 (基本理念)自殺対策は、自殺が個人的な問題としてのみとらえられるべきものではなく、その背景に様々な社会的な要因があることを踏まえ、社会的な取組として実施されなければならない。
2 自殺対策は、自殺が多様かつ複合的な原因及び背景を有するものであることを踏まえ、単に精神保健的観点からのみならず、自殺の実態に即して実施されるようにしなければならない。 3 自殺対策は、自殺の事前予防、自殺発生の危機への対応及び自殺が発生した後又は自殺が未遂に終わった後の事後対応の各段階に応じた効果的な施策として実施されなければならない。
4 自殺対策は、国、地方公共団体、医療機関、事業主、学校、自殺の防止等に関する活動を行う民間の団体その他の関係する者の相互の密接な連携の下に実施されなければならない。
**************************************** 法律であるから、ある意味では、『冷たい感じ』を受ける、整然としたきれいな言葉が並べられている。
しかし、現実はどうであろう。
ここに書かれているように、『自殺』は社会全体が対処しなければならない問題としてとらえられているのだろうか? 身近に起こった『自殺』について、真剣なとらえ返しがなされているのだろうか?
逆に、『自殺』が『自殺』ではなかったとして、隠ぺいされているようなこともあるのではなかろうか? この法律に書かれているのは、ひょっとして、『美しい理想』に過ぎないのではなかろうか?
このような疑問を、この問題の現場で対応にあたっている人たちが考えたとしても不思議はないような気がする。
仮にそうであるとすれば、あの『GKB47』というのは、むしろ『無関心な世間』に対する、一種の挑戦的なキャッチフレーズなのではなかろうか?
つまり、あのようなキャッチフレーズを投げかけられると、条件反射的に、『何それ、AKB48のパロディじゃないの。そんなの、<不謹慎>よ』
という言葉しか発することのできない世間(世論)に対する批判をこめたメッセージではなかったのかという気がしないでもない。 このキャッチフレーズを決めたいきさつについては、以前、郵便料金の詐欺の疑い(冤罪)をかけられて、(その後、大変、珍しいことに)復活した村木さんという女性のかたが、答弁に立っていた。
私は、前の記事で、このことを『官僚的な答弁』ということで批判してしまったのだが、あるいは彼女にも、本音では、もっと言いたいことがあったのかもしれない。
たとえば(これは、全くの推測、想像であるが)、『この問題の、世の中全般の無関心を打破するためには、このくらい、インパクトのあるキャッチフレーズのほうが、好ましいと考えました』など…。
もちろん、これらは、私の想像にすぎない。 だが、立場が変わると見えてくるものもあるという気がする。 今となっては、遅すぎるのだが…。 |


