【一時帰国】山形からの新幹線は雪で一部、不通
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これは、日曜日の山形最後の日の話の続き。
12時半に山形駅の西口で待ち合わせをしていたが、そこで、娘夫婦、娘のだんなの両親、それにカミサンと合流してそば屋に向かった。 娘のだんなの運転する、バンというのだろうか、大型の車に乗ってである。
山形はそばが有名だ。
これは、二人前のもの(カミサンと二人で食べた)。
二種類のそばにてんぷらがつく。 そばは、おいしいことはおいしかったが、実は、今回日本に帰ってすぐ、友人につれられて神田のそば屋に行っているので、それほど久しぶりではない(もっとも、舌触りはこちらのほうが、ずっと素朴というか、ごつごつとした感じがした)。
おまけに畳の座敷で食べたので、久しぶりに畳にすわって、足が少々、しびれてしまった(もともと、昔から股関節がおかしいのか、うまくあぐらがかけない)。
そばを食べ終えてから、山形駅に再び、車で行く。
考えてみると、だれも帰りの新幹線の切符を買っていなかった。 あわてて、切符の状況を調べると、本日、これからの列車は軒並み、指定券が売り切れているようだ。
結局、山形始発の列車の自由席をねらうことにする。
山形新幹線の東京行きの列車は、この時間帯は1時間に1、2本しか出ていないらしい。
そのうち、隣駅の新庄駅始発の列車と、ここ山形始発の列車が交互に出ている。 どちらも自由席はある(ただし、2両くらいしかない)が、座れる確率の高い山形駅始発に並ぶのが、一番、座れる確度の高い方法のようであった。
そこで、この時は、2時過ぎであったが3時6分の山形始発の自由席に並ぶことに決めた。
(飛行機で大阪に帰る予定の新郎のご両親等と別れて)新幹線のホームは吹きさらしで寒いかもしれないので、私が先に行列に並んで、順番をとることにする。 これが、自由席に並んでいる人々の様子。 ホームで並ぶ場所は寒いが、ホームには、別に暖房のきいた待合室もある。 行列に並ぶ人の数は次第に多くなる。 私は、この列の数人目くらいに並んでいたので、絶対に座れることは間違いない。 ただ、カミサンも早く来たほうがいいなと思っていたら、私が30分くらい並んだところで、やってきた。 そして、構内放送は聞いたかという。
(こちらでは、まだその放送はやっていなかった。) それによれば、新庄と山形の駅の間は雪のため不通になり、新庄発の列車は運休になったという。
つまり、その分の指定席の券をもっていた乗客は、すべて山形駅発の列車の自由席にひりかえることにならざるを得ない。
だから、すごく大勢の人が、列に並ぶことになるだろうということで、カミサンはあわててやってきたようである。 この話を、彼女は比較的大きな声で私に話した。
中国であれば、周りの人が直接、彼女に確認するくらいのところだろう。
日本であるから、それはしないが、
「今の話だと、……ということになりますね」 などと交互に話しながら、ざわめき出した。 その直後、このホームでも、同じ内容の話があった。
その結果、3時6分発の列車は、予定を柔軟に変更したのか、予想よりも早い時間に車両がホームに滑り込んだ。 だから、思っていたよりも早い時間に、あたたかい車内の席にすわることができた。 ただし、自由席は当然、満員になり席がなくて通路に立っている人の数も半端ではなかった。
これほど混んでいる、日本の列車に乗るのも久しぶりだった。 車内で、飲もうと酒類とつまみは買い込んであった。
ただし、すぐ横に人がぎっしり立っているので、車内でパソコンで使用して(どっちにしても公衆無線サービスは、山形新幹線の車内では使用できないが)記事を書く気分にはあまりなれなかった。 これは、米沢駅で停車したときの様子。
ともかく、この列車、ちゃんと東京まで行けるのか、少し不安であった。 ところが、雪が深いのは、米沢と福島の間までで、福島駅の近くになると、うそみたいに雪が消えてしまう。
そして、福島以降は東京まで、何事もなかったかのように順調に列車は走った。
最後に、山形駅で買った河北新報の記事を紹介しておきたい。
この日は、日曜日だったせいか、本紙に別刷りのものが付いていた。
宮城県石巻市の小学生が、震災の被災者で仮設住宅に住んでいる人たち向けに、昨年の12月に創刊した、手作りの新聞のことが報じられていた。 これは、「父の仕事に学ぶ」と題して、新聞の配達店を営んでいる父親の職業について、息子が書いた作文。 どうせ、新聞社が新聞の意義について、子供を使って自画自賛しているのだろうとクールに見ることも可能だが、ここには、一定のリアリティが感じられる。 さらに、これは、仙台の英雄である伊達政宗の漫画。
これも、郷土の歴史を学ぶ上で、必須の知識だという気がする。 地方は、単なる中央のローカル版ではない。
それぞれの地域の歴史、あるいは文化が存在している。 それは一つの国家のなかの地方についても言えることだと感じた。 東京などでは、3・11の震災、あるいは福島の事故について記憶がうすれつつあるような印象も受ける。
例えば、ある雑誌(週刊誌)の今週号の、編集後記には、次のような文章が載っていた。
<▲東京を歩いていると、あまりに早く「普通」の生活が戻ってきたことに驚くことがあります。…>
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