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[第二日(承前)]──「鷹巣」駅に着いたのは20:15であった。かなり疲れていたので早くホテルに入ろうと駅前に出たみたのだが、思い描いていたようなホテルのネオンサインは見えず、改札まで戻って駅員さんに尋ねると、「あ? ホテルならすぐ前にあるでしょう?」。そこでもう一度確認するようによく見ると、今にも消えそうな薄暗い照明の「○○ホテル」という看板があった。ウーンと少し躊躇したものの、まぁこんなものだろうと思い返してチェックイン。朝食付きで6,100円。昨夜はもっとキレイな部屋で4,400円だったのだが…。しかし、これもまた旅のハプニングの一つである。
部屋に入って、これ以上狭くは取れないだろうというバス・トイレのスペースで、トランクスとソックスと長袖Tシャツの洗濯。
ちなみにこの旅の間にリュックに詰めて持ち運んだ荷物を記しておくと、まず衣類は──身に着けている分も入れて──七部丈パンツ2枚、トランクスとソックス各3枚、長袖Tシャツ2枚・半袖Tシャツ1枚・半袖前あきシャツ1枚・フード付きナイロンパーカー1枚・タオル2枚…以上のみ。これだけではリュックの半分にも満たないのだが、そのほかに東北各県の分県地図五県分(福島はナシ)、時刻表、文庫本3冊──柳田國男『雪国の春』、河東碧梧桐『三千里(上・下)』、メモ用の手帳、折りたたみ傘、といったところで、全部を合わせてもそれほど大きくないリュックに八分目といった分量である。
その代償として下着とソックスは毎晩、Tシャツは二日に一回という割合でホテルで洗濯をしなければならない。一晩では完全に乾かないのでどうしても下着類は最低3日分は必要なのだ。もっとも日程後半の二泊三日の間は洗濯なしで済むわけだから大した手間でもない。荷物はできるだけ少なくするのが一人旅のコツである。その時々の感興や、列車の時刻表に合わせた臨機応変の身軽な行動こそが、一人旅の醍醐味だからである。
洗濯を済ませて窮屈な湯船で入浴。それでも汗を流せばそれなりにサッパリする。自宅にメールを入れ、知人に電話をかけて、あまり快適でないベッドで眠りについたのは23:00ごろであったろうか。
ちなみにこの日の所用金は──バス代300円、賢治記念館入館料500円、記念品900円、IGR運賃630円、タクシー(往復)3,000円、お供え3,000円、食事代900円、飲料300円、ホテル代6,100円。(JR運賃は青春18切符、5日分11,500円)
[第三日(承前)]──小さなベッドで目を覚ましたのが6時。申し訳程度に付けられた窓を開けてみると激しい雨。これまでの数多くの夏の旅で雨に降られたことは一度もないが、どうやら今日一日、傘をさしての行動になることを覚悟した。
とりあえずシャワーを浴び、階下のレジ台ほどのフロントの横の、普段は喫茶店として使われているらしいスペースの席に着く。客は筆者一人であった。もっとも、朝も早いので他の泊まり客はまだベッドの中なのかもしれない。昨夜、朝食の種類を尋ねられて和食を選んでいたのだが、まぁ一汁三菜くらいのメニューかな、と高をくくっていたところ──中年のおじさんが運んできたお盆をみてビックリ。何と六菜もの惣菜が付き、味噌汁も野菜たっぷりで美味しそう。さらに食後には薫り高いコーヒーまで。このホテルに対する印象がいっぺんに覆ってしまった。
部屋に戻り素早く荷物を整理してホテルを出たのが07:15頃。雨は小降りになっていた。駅まではほんの数十メートルなのでリュックから傘を取り出すほどのこともない。
秋田内陸縦貫鉄道の駅舎はJR東北奥羽本線とは別になっているが、改札を抜けてホームに出ればその区別はない。昔はJRの路線だったのであろうから当然である。改札から一番遠いホームの端で二両連結の車両がひっそりと佇んでいた。乗客はほとんどが高校生。あとはお年寄りと中高年の人がチラホラ。ほとんどが女性である。つまり、車を運転しない人たち、ということになるのだろう。07:30、ゆっくりと発車した列車は、街中を離れてしばらくはのどかな田園風景の中を走っていたが、やがて周囲は、車窓の間近まで杉林の迫るロケーションに変わった。いかにも僻遠のローカル線といった雰囲気が漂う。雨は小降りだが、時々激しい吹き降りになる。
筆者がこれから訪れようとしているのは「上杉(かみすぎ)」という駅の近くにある──と思われる──禅宗のお寺である。方丈(禅宗の住職をこう呼ぶ)とは十年来の付き合いになる。とはいえ、親しく対面したことは一度もなく、手紙あるいは電話での交際のみ。方丈は詩人でもあり、檀家あての「はがき禅」と称する寺だよりを長年にわたって書き続けておられ、それをまとめて一本にする編集の任を筆者が勤めさせていただいたのである。これまで数年おきに三冊を発刊した。
電話でお話しした印象では、朴訥で篤実、いかにもみちのくの人といった感じの方だが、こうしてお寺に訪ねることは事前にお知らせはしていない。旅程によっては素通りする可能性もあり、訪ずれるにしても一人の参詣人として本堂を拝ませてもらうだけになるかもしれない、と思ったからである。事実、上杉駅へと向かうこの期に及んでもまだ、筆者の気持ちは定まっていなかった。いずれにしろ、さほど大仰でなく、さり気なく立ち寄るという形にしたかったのである。とはいえ、アポもなく突然訪うことになれば先方にとっては大迷惑ではあろうが、そこはお寺のこと、急な来訪者には慣れておられるだろう──というのが当方の勝手な思惑であった。
上杉の一つ手前に「合川(あいかわ)」という駅がある。その地名は筆者が編集した方丈の本の中に合川高校という名が度々出てくるので、筆者には馴染みであった。鷹巣から乗り込んでいた高校生たちは全員がこの駅で降りていった。駅のホームには高校生たちの手描きであろうか、「乗って残そう内陸線」と書かれた大きな看板ポスターが掲げられてあった。全国各地のローカル線とおなじくこの路線もまた、その存続が危機に瀕しているのであろう。ちなみに秋田内陸縦貫鉄道は第三セクターではなくて完全な民営の路線らしい。
やがて列車は上杉に到着。ホームに降り立ったのは筆者一人。ありがたいことに雨は上がっていた。このあたりは線路の一方には山肌が迫っているものの、もう一方は広く開けた平野になっている。ホームからは、車いすに配慮してのことであろう、木で作られた手すり付きのスロープを通って駅前の広場へと出るようになっている。まだ真新しいところを見ると最近取り付けられたようだ。車いすを利用する人が、わざわざ不便な列車に乗るとも思えないのだが、しかしまぁそれが社会福祉的発想というものなのだろう──というと、いわずもがなの憎まれ口になるのでこれ以上はやめておこう。
駅前には地区の人のための集会所といった感じの、かなり立派な建物があったが、もちろん早朝のこととて玄関は閉ざされていた。さて、お寺はどのあたりにあるか、どなたかに尋ねようと思っていると、駅前から続く道端に一人の年配の男性の姿が見えた。近寄って訊いて見ると、「私もこの辺の者ではないから、そこのウチで訊いてあげよう」とのこと。「いえ、それは結構です、他の方に尋ねてみますので」という筆者の遠慮にかまわず、その方は少し横道に逸れた大きな家の玄関を開けて「奥さん、奥さん」と声をかけてくれた。水道か電気、あるいは土木関係の工事に来ている人のようだ。
家の中から表れたのは小ざっぱりとした年配の女性。「あぁ、T寺ならそこの路を右に真っ直ぐ行ったところです」と丁寧に教えてくれる。「わかりました。どうもありがとございます」と、親切なおじさんと奥さんの両方に会釈して行こうとすると、「これからお寺に行かれるのでしたら電話しておきましょうか」と奥さん。この家もT寺の檀家なのだろう。「いえ、お参りだけで済ませるかもしれませんので、けっこうです。ありがとうございます」と答えたが、あとでわかったところによると、やはりお寺に電話してくださったのであった。
このあたりの家はどこも大きな裕福そうな構えである。どの家も道路に面して弊が設えられているが、その塀が家の周囲を取りかこんでいるのではなく、隣の家とは仕切りがなく、その代わりにかなり広い畑が作られているのである。ユニークな造作だと感じられた。途中、田舎によくある「よろず屋」といった風情の商店があったので、熨斗袋を買うために入っていった。広い土間のような場所に食品から雑貨・日用品までの商品が並んでいる。「ごめんなさい」と声をかけると中年の男性が出てきて対応してくれた。それほど流行っている商店とも見えないのだが、物腰に何となく余裕の感じられる人である。
一枚20円なりの熨斗袋のみの買い物では済まないような気もしたが、他に必要なものもない。お茶を、とも思ったが、それとて百数十円の商品である。入れ忘れのないように商店を出たところですぐに熨斗袋に5000円を封入。てしばらく行くと、ある家の塀の中から見事な大木が二本、曇り空に向かって枝を伸ばしていた。木の種類はわからないが──特別珍しい種類の木でもないのだろうが、こういったことにはからっきし疎い筆者なのである──何しろ古い神社にでもありそうな風格を具えた大木であった。
その大木を見返り見返りしながら歩いていると、前方右側に寺の本堂の大きな屋根が見えてきた。禅宗らしい勾配の急な屋根である。このときになっても筆者は、参拝のみしてお供えを賽銭箱に入れておくか、それとも挨拶をしていくか、まだ決めかねていたのであった。
(つづく)
*今回はあまりに煩瑣な叙述になったようです。次回からは少しスピードアップいたします。
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