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伝説のプロ野球選手 水野 雄仁

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今でも1982年の夏の甲子園は鮮明に覚えています。
この年の優勝候補は、早稲田実業=荒木。 三番手あたりに池田=畠山といったところ。
両高校とも順調に勝ち上がり、迎えた準々優勝で対戦。 前評判・人気からして早稲田実業有利と報じられる中、勝負は池田のワンサイドゲーム。荒木は水野に満塁ホームランを浴びノックアウト。 
池田は決勝でも古豪・広島商業相手に12点をあげ優勝し、金属バット時代の先駆けとなりました。
水野は後に、「池田の紅白戦は、畠山さんと僕が投げるのだから、荒木さんの速球なんて誰も速いと思わなかった。畠山さんの方が格下に扱われ許せなかった」 と語っています。
 
この年は中堅手だった水野ですが、翌年のセンバツでは投手としてマウンドにあがり、強引でグイグイ押す投球で見事優勝しました。(夏春連覇) 
とにかく空前の池田ブーム・・・。 民間放送どころかNHKまでもが特集を組み、池田の練習試合では、プロ野球並みの観客を動員した程です。
池田高校の練習は、いきなり打撃練習を3時間行い、打撃守備の時に肩を作るというもの。守備練習は残り30分のみ。 蔦監督は「キャッチボールなんて時間の無駄」 と言い放ち、その練習方法は打撃8割練習と言われました。 また、当時は筋肉が硬くなるとの理由からタブー視されていたウエートトレーニングを積極的に導入したのも池田高校です。
 
史上初の三連覇は確実と言われた1983年の夏の甲子園では、3回戦における広島商業戦で頭部にデッドボールを食らい、以後、不安定な投球の中、準決勝ではPL学園(KKコンビ)に 7ー0 で敗れましたが、とにかく池田高校=水野は凄いピッチャーでした。 
 
反面、バッティングも良く、甲子園では毎試合にヒットを打つ等 「やまびこ打線」 の中核として大活躍。
打撃センスを活かして、打者に転向していたら、1000安打、150本塁打あたりの成績は残していたと思います。
 
ドラフト1位で巨人軍に入団したのはよかったのですが、沖縄キャンプでのホテルで手荷物がもとで右手を痛めるアクシデント。これが重傷で手術までうけることに・・・。
結果、あれだけ甲子園を沸かせたヒーローでしたが、シーズン最高10勝どまりの平凡な成績の中、わずか11年で引退となりました。
 
やはり水野は、腕を痛めた時点で、打者転向すべきだったと思います。
 
 通算成績 39勝29敗17セーブ 通算防御率3.10
 オールスター出場1回
 

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