人格と品格

あの人が?と、びっくりした人も多いはず

津波

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どう表現すれば・・・

昨年2011年暮、親類だという方からメールをいただきビックリしたオレは横浜にお招きして話をした。日本CI協会の勝又が己の経歴の粉飾のため日本CI協会のビルに招き、しばらく前のマクロビオティック誌にその写真を紹介された如一の最初の妻の長女の三男だ。http://www.ci-kyokai.jp/go/macro_select/macro_select201101.html

初めて「従兄弟」なる人物に会う緊張も打ち解けた頃、彼の口からはショッキングな事実を聞いた。オレとは全く違う人生を歩んだ彼は非常に誠実だ。しかもその道では中堅の会社の取締役でもある。彼の言から察するに、俺たちの祖父如一はオオラカなのか、いい加減なのか、出鱈目なのか欧米流なのか?どう表現してよいかわからない。

2番目の妻は子供を産んだことが無いという!しかし子供は長男を俺の父良介とし以下5人の子が有ると戸籍謄本にはある。やはり、という思いと共にここには書かないショッキングな事実を知った。複数の女に子供を産ませたのだ。白人との間にも子を作ったのは前に書いた。爺さんよくやるよ。そして全ての子を2番目の妻の子として届け出ている。誕生日と届出の日がずれているのはそういう理由だったのか。まともな届出は最初の妻との子だけだ。父はそして叔父たちの心境はいかばかりのものだったろうか・・・

今や日本に近い半島の北にある小国の体制を真似したのか、日本CI協会は世襲制のようだ。会長、社長ともに同じ性を名乗る。そういえば誰か言ってたな勝又は半島人みたいな顔をしてるって。

その日本CI協会のhttp://www.ci-kyokai.jp/go/profile.html「如一の軌跡」にある京都で生まれたというのは、彼の出鱈目さからしてどちらともいえないといえなくもないが。曽祖父孫太郎が虚偽の届出をしたとも思えない。

 
事実、彼自身もcikyokaiがポストしたyoutubeでhttp://www.youtube.com/watch?v=n4UypBw2tr8&feature=youtu.be2:45分ころ京都に出てきたと言っているではないか。地元京都で生まれた人間が「出てきた」とは言わない、普通。

「京都で生まれた」ほうが「新宮で生まれた」よりとうりが良いのか、爺さんのカッコつけかわからないがジャッジメントは読者がしてください。facebookに貼り付けた謄本がオレが正しい事を裏付ける。読者には日本CI協会が編集をする前に聞いてもらいたい。またfacebookは日本語でもローマ字でもオレを見つけられるはずです。
 

改めて櫻澤如一は「孫太郎」と「よ川」の長男であり{(よかわ)と発音するのか(よせん)と発音するのか不明}。そして彼の表現を借りれば曾祖母は「捨てられた」という。彼自身、最初の妻が24才の時離婚している。

日本CI協会に、オーサワジャパンに勝又を訪門しオレの祖父、父の書類、写真等諸々を見たくとも叶わない。居留守は使う、電話がつながっても5秒で切る蛆虫故に。

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汚穢と蛆

尾籠な話で恐縮だが、子供の頃、学園と呼ばれた児童養護施設での強制作業に「汚穢汲み」がある。今では死語に近いこの言葉、読めない人も多いかも。「おわいくみ」と発音する。いま考えると子供にこの作業させるか?と考えるほど強制収容所並みの労働だ。敗戦後の千葉の田舎の施設には水洗便所など無く、糞尿は便壺に貯めそれを学園の「子供達」が汲み取り、所定の場所に捨てる作業だ。

このブログを読む殆どの人間が携わったことのない作業だと思う。テレビで加藤茶さんが軽妙に腰を振り、肩に担いだ天秤棒の両端の便桶を運ぶコミカルな所作を見たことがありますか?視聴者の笑いを誘うあれだ。あれを汚穢汲みという。バキュームカーなど無い時代だ。子供なので二人一組での作業だ。今思い出すと何十キロもあったんだろうな。辛い作業だ。でもみんな黙々と作業をしていた。

それを便壺が空になるまで延々と繰り返す。寮には50人ほどの児童が居ただろうか。結構な量だ。いまなら児童虐待だろう。10歳の頃にはやらされていたその作業中によくウジ虫を見た。便壺に住んでいれば人の目に触れることもないだろう。

勝又よ便壺に帰れ。

都会に出てきてから見たことがなかったが、立派な生態系の一部のウジ虫を勝又に準えるのはウジ虫に悪いかも知れない。

前回も書いたが勝又靖彦の名前を初めて見たのはマクロビオティック誌の里真の死亡記事だったか里真会長死去と協会葬のお知らせだったかは失念したが、いずれにせよ、その時期にこの男の名を知った。2000年の2月号だと思うが・・・

そしてオレにとってこの男がウジ虫以下の存在となるには理由がある。

里真の死亡記事から暫くして弁護士から遺言執行者就任通知と遺言のコピーが送付されてきた。

そしてその遺言を見て言葉を失った。

つづく。

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福音

そして里真は死んだ。 

練馬のシルバーシティ石神井で。 100歳まで生きた事でマクロビアン、マクロビオティックの福音となったのだ。

死亡届出は家屋管理人とある。淋しい死だなと思った。

彼女の死を知ったのはマクロビオティック誌でだ!義母とはいえ、それは無いだろうと思った。そのマクロビオティック誌は勝又の差し金か2099年!までオレに寄贈となっており(その事だけを捉えても人を馬鹿にしている) その誌上で里真の死を知ったのだ。もしその寄贈誌が無ければもっと後に里真の死を知ったことだろう。

喪主は勝又靖彦とある。死亡通知は来なかった。そこにあの男の目論見が見て取れる。
卑しい男だと思う。遺産の法廷闘争を心配したのか。時効狙いは見え見えだ。非常に貧しい心の持ち主だ。
 
金か名声か。一介の塩会社の社長よりグローバルにマクロビオティックを啓蒙する日本CIの方が彼が持つ黒い名誉欲を煽ったのか。それとも一挙両得か。他人は口当たりの良い甘言と作り笑いでごまかせても・・・

最近、こんなエピソードを聞いた。

如一が生前勝又に「お前、世のためになりたいか?」勝又が「ハイ」と答えると、如一は「じゃあ明日死ね」と言ったという。既に如一爺は彼の本質を見抜いていたのだ。そんな男が己が亡き後、日本CIのトップになるとは夢想だにしなかったであろう。

いまや日本CIは如一の遺産であるマクロビオティックで成り立ち、集金システムを稼働する。それは如一爺が意図したモノとはオレには思えない。

死亡記事を目にしたオレは勝又に抗議した。あたふたと勝又が100万の現金をもって近所の駅前喫茶に来たのはそれから1週間ほど経ってからだ。

つづく。










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如一の意志その2

そういえば、思い出したことがある。里真に呼ばれ渋谷大山町の日本CI協会のビルに赴いたときのこと。里真と会話をしていた時、一本の電話があり里真は不満顔で話をしていた。「貴方にはこないだも何十万、送ったじゃないの。いま丁度茂里が来てるので代わります」と言い受話器をよこした。オレが名を告げると沈黙した。電話の相手は里真の弁護士でオレへの調査、書類作成、書類送付とか切手代ということだった。彼はその時里真に金の無心をしていた。

里真に呼ばれるまでその類の書類は見たこともない。里真も早く遺留分放棄の結果を知りたくて騙されていたのだろう。ホントに如一亡き後の里真の周辺にはハイエナの如き輩が跋扈していたのだろう。

さて帰宅したオレは「あなたには少し行く(上げるので)遺留分の放棄をお願いする。心のふれあいなど皆無の里真の態度に腹を決め、遺留分を放棄する旨を伝えた上で金を要求した。里真は「金はない」と言い切った。根が人を疑う事が出来ないオレはその言葉を信じたモノか、またもや逡巡していると150万でどうかといわれた。ポルシェからマンション一戸分ほどの期待を持っていたが、金を提示されその後オレの口座に振り込まれたのを確認し今度は家裁に自ら赴き調停員の面前で署名押印した。しかし後日弁護士より送られてきた遺留分を放棄すると書いた書類は驚くべき事に加筆され修正されていた、事件番号さえ記入されていない。このことは里真の遺言とその他の書類とともに内容を記載する。

しかし里真の金は無いという話は大嘘だった。それは里真の死後に分かったことだ。



つづく。

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