ノリタケデザイン100年の歴史
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お茶を飲むといったら、ペットボトル・アルミ&スチール缶・紙コップ・100円ショップマグを使うのが習慣になっている人間でも、ウェッジウッドぐらいは知っている。250年くらい続いてきた企業も、この大不況の波には勝てなかったってことでしょうか。 幸い、日本のウォーターフォード・ウェッジウッド・ジャパンは影響なく営業しているそうなので、ファンの方はご安心ください。私にとっては、豚に真珠、ですなあ。 さて、ウェッジウッドは経営破綻しても、日本にはノリタケがある。ということで、京都文化博物館で開催されている『ノリタケデザイン100年の歴史』を観に行ってきました。 日本の洋食器の老舗といえば、この会社なわけで、いやはやスゴイものです。ディナーセットやケーキセット、フランクロイドライト・デザインのカップ&ソーサー、初期のジャポニズムやエジプト風デザインなどが華やかに煌びやかに並び、これはもう、食器ではないですね。宝飾品のカテゴリーに入れるべきではないでしょうか。 前記のように、ペットボトル・アルミ&スチール缶・紙コップ・100円ショップマグのなかで細々と生活している人間にとってみれば「あのー、こういうもんでケーキなんか食ってもいいんすかね?やっぱり、コンビニデザートじゃまずいっすよね?」などと若干引き気味になりながら、圧倒される一方でした。所詮食器やろ?なんか縁のないものだなあ。 ところが、そんな一見縁のなさそうな高級品の展示のなかで、いきなり私の関心を鷲づかみ!にしたものがありました。 それは創業時に使用されていた『セールスブック』あるいは『デザイン画帖』の展示でした。
当時の営業活動や商品企画に使われたものなのでしょうが、現物の商品を紙の上で手書きで精巧に表現しているわけで、いや単に精巧というだけでは言葉足らずだ、そこに描かれている皿や壷の絵だけで充分独立した美しさが表現されているのです、大げさにいえば実物の商品の存在なんかおかまいなしに。私なんかだと、実物の食器はどうでもいいけど、この帖面だけでもページを切り取って、額に入れてささやかながら部屋に飾りたい!と思ったほどです。 こんなもの営業マンから見せられたら、お客さんとしては感動しまくりですよ。一目見て「ほー、これは立派なものですな」なんて感動しながら、実際に現物が手元に届いたら「おお!さらにここまで……」と二重に感動!てなことになってたんじゃないでしょうか。 まあ時代や購買層が違うといえばそれまでかもしれませんが、当時のノリタケという会社のビジネスに対する熱い姿勢が、ものすごく伝わってきます。いいものを作りたい・いいものを伝えたい・いいものを売って利益を上げたい・いいものを買った人を満足させたい・そのためのセンスと努力のようなものが。 このノリタケという会社、1904年に創業されたそうですが、それ以前19世紀末に森村兄弟がアメリカに渡り日本の骨董品を販売する事業を始めたのをきっかけに、しだいに日本製の食器類の製造・輸出を行うようになり、一時はアメリカでトップシェアを誇り、第二次世界大戦中に輸出停止となった後、戦後に事業が復活した時には、再び注文が殺到したほどの人気があったそうです。そりゃ、あれだけの高品質な食器を、高品質な販売媒体で熱意をもってアピールすれば、そういうことにもなるやろうなあと、納得した次第です。 その歴史も面白く、当初ヨーロッパで流行していたジャポニズムを逆輸入するかたちでデザインの勉強をし、和風の骨董品ではなく洋風の実用食器を日本のみならず海外の市場で扱うようになり、現在でも洋食器の製造販売は行うも、企業のビジネスとしてはセラミック・マテリアル(コンデンサとか電子部品)や工業機材(研磨材や砥石とか)の開発に軸足を移しており、100年以上の間、様々なビジネスモデルに挑戦してきたようです(調べてみると、総売上高1,333億円のうち、食器事業の売上高は177億円に過ぎません。それだけでも凄いけど)。 そうそう、元をたどれば、TOTOとか日本碍子とか、今をときめく大企業もこの会社から枝分かれして生まれたわけで、こうしてみると本当に壮大な事業の歴史の流れを感じずにはいられません(ちなみに、TOTOの総売上高は5,010億円、日本碍子の総売上高は3,648億円。完全に抜かれちゃいました……)。 考えてみれば企業の歴史って、試行錯誤しながら、くっついたり離れたり、数知れない失敗を繰り返し、少ないけどビックリするような成功を収めながら、流れていってるわけで。特に時代が躍動している頃の新規事業なんていうのは、その時の新しい技術やデザインというのをなんとかビジネスとしてものにしたい!という熱意が実ったり、あるいは空回りしたままポシャッたり、そんなことの繰り返しだったんだろうなあ、それがあるから今があるし、そういう今があるから未来を切り開くことができたんだろうなあ、と思いました。 今だったら、あんな立派な手書きの『セールスブック』や『デザイン画帖』なんて作ってもしょうがない。CGも写真撮影も印刷も、高度かつ簡単なものがあるのだから、そういうものでお手軽に制作した方が効率的に決まってる。でも、あまりにお手軽になりすぎてしまって、その帖面や製品のなかに込められた情熱みたいなものを忘れてしまってるんじゃないかと、ちょっと反省したりして。 もう一回観に行こうかな。その美しさと情熱を味わうために。 |

