法医学者の悩み事

地味な仕事してますが、よろしくおねがいします

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

2009年6月14日

←2009年6月13日 | 2009年6月15日→

全1ページ

[1]

毎日新聞の報道から

現場から:行政解剖 /神奈川(6月12日 毎日新聞)

 「死ぬんなら東京都内で死ぬね」とある警察官。理由を聞くと「都内と県内の監察医の態勢は雲泥の差。費用も都内ならタダなのに県内は5万円」▼人が死んだ場合、検視・検案した上で犯罪性があるとなれば、警察が令状をとって「司法解剖」する。犯罪性はないが死因が判明しない異常死は必要なら「行政解剖」する。この行政解剖の費用が都内では公費で賄われるが、県内では遺族負担。解剖する監察医の数は東京は23区内だけでも常勤・非常勤あわせて58人に対し県内は4人という▼警察官は続ける。「病死と思って切ってみると、頭をぶつけて死んだ災害死だったってケースも聞く」。生命保険協会によると「一般的に病死も災害死も保険金は変わりませんが、火災や災害特約に入っていると変わってきます」▼個人的には自分が死んだ後に解明される死因なんてどうでもいい。ただ残された人が納得できる態勢だけは整えてほしい。【吉住遊】

>>>>>>>>>>>
都内で58名に監察医というと聞こえがいいが、常勤医は確か10名だったような。まあ、いない地域よりはましではあるが、ほかの国と比べると、非常勤だらけの監察医務院というのも、良い状態とはいえないだろう。

閉じる コメント(2)

閉じる トラックバック(0)

死因は何だろう?

三沢が死んだ…ノア試合中バックドロップで頭から落下、リングで昏倒(6月14日スポーツ報知)


 三沢が、死んだ―。日本のプロレス界を代表するプロレスラー・三沢光晴さんが、帰らぬ人となる痛ましいリング事故が起きた。13日に広島市中区基町の県立総合体育館(広島グリーンアリーナ)で行われたプロレス団体「ノア」広島大会の試合中に頭部を強打し、心肺停止に陥った。市内病院の集中治療室に搬送されたが、処置のかいなく搬送先の広島大学病院で亡くなった。46歳の若さだった。

 試合は午後8時10分頃始まり、事故が起きたのは試合開始25分過ぎだった。三沢さんは、メーンイベントの60分1本勝負のGHCタッグ選手権試合に若手の潮崎豪(27)と組んでタイトルに挑戦。王者組の斎藤彰俊(43)のバックドロップを受け、後頭部をマットに強打し、意識不明となった。

 浅子覚トレーナー(38)がリングに上がり、声を掛けたが、三沢さんは息をしていない状態で心臓が止まっていた。観客席に居合わせた医師がリングに駆け上がり、心臓マッサージ、自動体外式除細動器(AED)による蘇生が試みられたが三沢さんは全く動かなかった。この間リングサイドのファンから「ミサワ、ミサワ」とコールが上がり、搬送後も約2300人の観客で埋まった会場は騒然とした状態が続いていたという。

 複数の関係者によれば一時は心臓が動いたというが、搬送先の広島大学病院の集中治療室での懸命の救命措置のかいもなく、一度も意識が戻らぬまま午後10時10分に帰らぬ人となった。救急車に付き添った百田光雄副社長(60)が最期をみとったという。選手らは試合後、病院に駆け付け一時は解散。宿泊先の市内ホテルで待機していたが、14日午前0時前に再び病院に全員呼ばれて訃報(ふほう)を伝えられたという。まだ46歳。18日には47歳の誕生日を控えていた。

 広島県警は試合関係者らから事情を聞き、当時の状況を調べている。

 レスラー歴28年の三沢さんはレスリングの名門、足利工大付高出身で3年時に世界ジュニア選手権に出場、国体で優勝した。81年3月に故・ジャイアント馬場さんの全日本プロレスに入門し同年8月21日にデビュー。蝶野正洋、武藤敬司、05年7月11日に急死した橋本真也さんらと肩を並べるトップレスラーで、00年7月7日にプロレス団体のノアを旗揚げし、社長業との二足のワラジをはく激務をこなしてきた。2代目タイガーマスクとしても知られ、華麗な空中殺法や投げ技の「エメラルドフロウジョン」は代名詞。「プロレスの教科書」とも評されるほどレスリングの基本に忠実で「受け身の天才」とも言われてきた。

 岩石落としとも言われるプロレス技「バックドロップ」は後方から相手を抱え上げ真っ逆さまに後頭部を叩きつける技。死因は不明だが、基本とも言われるプロレス技で受け身に失敗したとも思えない。観客の一人は「お客さんもザワザワするぐらい変だった。(最初から)三沢らしからぬ精彩を欠いた動きだった」と試合時の三沢さんの様子を話していた。

 ◆三沢 光晴(みさわ・みつはる)1962年6月18日、北海道・夕張市生まれ。46歳。81年8月に全日本プロレスでデビュー。以後、2代目タイガーマスクへの変身を経て全日本のエースに君臨。2000年8月に全日本を退団しノアを旗揚げし社長に就任。06年9月にはグローバル・レスリング連盟初代会長に就任した。得意技はエルボー。185センチ、118キロ。血液型O。

 ◆プロレスリング・ノア 2000年6月に全日本プロレスを離脱した三沢光晴を中心に結成されたプロレス団体。三沢を含む約50人の全日本離脱者が集まり、日本プロレス史上最大規模の団体となる。同年8月のディファ有明での旗揚げ戦以降、有明コロシアム、東京ドーム、日本武道館などで興行を開催。近年では全日本や新日本プロレスなど他団体との交流も見られる。地方興行の観客動員の減少や、今年に入って地上波テレビ中継が打ち切られるなど、近年は人気の低迷が目立っている。団体名の由来は旧約聖書に登場する「ノアの箱舟」から。

>>>>>>>>>>>>>
死因は何だろう?
仮に硬膜下血腫や脳挫傷、頚椎損傷であれば、外傷性ということになるだろう。
試合の様子がおかしかったというのなら、何らかの病気だったこともあるかもしれない。クモ膜下出血だとすれば、死後CTをしたところで、死因が外傷によるものか、病気によるものか、判断は不可能だろう。頸部へ外力が作用した場合椎骨動脈損傷によるクモ膜下出血が起きる場合があるが、これと通常の病死のくも膜下出血の鑑別は困難だ。

死因はどのように判断されるのだろう。曖昧になって、あとで関係者が悩み続けることはないか、心配になってしまう。

>>>>>>>>
テレビでは死因は頚椎離断だったとされる。どのような方法で確認された死因なのかも知りたいところ。レントゲンをとって、はっきりと確認されたものなら、まだわかるが、レントゲンやCTでも頚椎損傷が見えない場合があるようなので、どのような方法で確認されたのかも、報道側は調べてもらいたいものだ。

頚椎損傷は、蘇生行為中に救命できる可能性は、ないわけではない病態でもある。今後の格闘技で発生する事故においての究明蘇生の在り方などについても教訓とすべきことがあるかもしれない。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
と、思っていたら以下のニュース。やはり死因はよくわかっていないのかも。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

三沢さんの死因に関して百田副社長「家族以外には不明」=ノア(6月14日 スポーツナビ)


 14日開催のプロレスリング・ノア博多スターレーン大会開始前に、同団体副社長の百田光雄が13日に急死した三沢光晴さんについてコメントした。

 まずシリーズ中での悲劇とあり、今大会を含め中止も検討されたのではという問いには「三沢社長は常に満身創痍でやっていた。選手全員と話して『決行するべきでは』となった。三沢社長も(中止は)望んでいない」と強行開催に至る経緯を語った。そして、死因に関しては「僕たちも医師から『不明』としか伝えられなかった。検査した結果、脳や頚ついにも損傷はないという話しを聞いた。ただ、医師からは『家族以外には死因は説明できない。たとえ会社の方にも説明はできないので、家族の方に説明します』と言われました。したがって会社の人間は、医師の方から一切死因に関しての説明は受けておりません」とコメントした。

 三沢さんがこのような事態になる予兆はあったのかについては、「基本的に我慢強くて泣き言は言わなかった」としながらも、「多少『肩がキツイ』と言っていた」とかすかな異変はあったようだ。
 なお、遺体はすでに東京に移送されており、葬儀は家族の意向により選手・近親者による密葬となる予定。ただ、ファンにはあらためてお別れを言う場を作りたいと語った。

閉じる コメント(0)

閉じる トラックバック(6)

全1ページ

[1]


.

人気度

ヘルプ

Yahoo Image

  今日 全体
訪問者 64 347386
ブログリンク 0 88
コメント 0 4053
トラックバック 0 97
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

開設日: 2006/2/27(月)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.