「大仏を建てたら戦争になっちゃって・・・」

京都東山・方広寺。豊臣秀吉開基。
奈良の東大寺よりも大きな大仏殿・大仏が京都に存在してたそうです。
慶長の伏見大地震により大仏は一回崩壊しましたが、秀吉没後秀吉の子、豊臣秀頼によって再建されました。
秀頼とその母親の淀殿は信仰心深く秀吉の意志を継ぐためにも、造営には莫大な費用がかけられたそうです。
 
奉行(再建工事の総責任者)は秀頼の傅役の片桐且元で、諸大名も費用を負担して徳川家康も自身の懐刀の中井正清を大工頭として送っています。開眼供養に関しては天海(後の大僧正で寛永寺の僧)を始め醍醐寺・高野山金剛峯寺の僧も関わっています。
これだけの面子が関わるというのはかなりの大事業で現在の都市部の大開発事業に匹敵するのではないかと思われます。
 
大仏殿造営事業というの本当に大変なもので莫大の金や人材をまとめる以外にも開眼供養・梵鐘銘文の起草・落慶法要など様々な行事もあって、これらを事細かく間違いなく行わないと大問題になったそうです。
 
実際ここに手抜かりがあったおかげで江戸幕府によって豊臣家が潰されたようなものだと思います。
 
多くの小説には徳川家康が南禅寺の金地院崇伝とつるんで梵鐘の銘文の不吉な文があると異議を唱えてその内容も幼稚じみてかなりの無理やり、戦争に持ち込んだと書いてあります。
世に有名な方広寺鐘銘事件です。この一件が大坂の冬の陣につながったとして見られてますが、実際はそんな
単純なものではなくもっと複雑なものでした。
 
徳川家康の宗教に対する感性があまりにも超人離れしていて、家康の感性とその分野に関する側近たちの実力の凄さに決して浅はかではないけれども豊臣家では到底太刀打ちができなかったのでしょう。
 
「大仏を建てたら戦争になっちゃって・・・」
 
その経過に関してはまた次回書き込みたいと思います。
 
 

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中井
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