2011年4月7日、奥山さんが召天なさいました。
享年41歳です。
奥山さんは、Pallavoloの設立メンバーで、8年もの長きに渡るチームメイトでした。
4月10日に、チームメイト揃って、お別れをしてきました。
また、バレーで親しくしていた他のチームにもお知らせしたところ、多数のご参列をいただきました。
奥山さんは、内緒で闘病していたので、知らせを受けた時、
あまりの衝撃に「言葉にできない、とはこのことだ!」と実感してしまいました。
チームメイトにお知らせの電話を重ねるにつれ、刻一刻と冷静になっていく自分がいて、
「奥様も、きっとこんな精神状態で電話をくれたんだろうなぁ」と思いました。
大変なことなのに、事実を淡々と伝えて、後のことを説明できるんです。
棺のなかの奥山さんは、普段着で、きれいなお顔で、いまにも「あー、よく寝た〜」と起き上がるんじゃないか、
頼むから、「冗談だよーん」と起き上がってくれ!と、詮無い事を祈らずにはいられませんでした。
奥様が仰るには、奥山さんは、生前こんな事を言ってたそうです。
「みんなとバレーをしたり、遊んでいるときは、病気の事を忘れられる。だって、誰も病気の事を言わないからね」
「心配されると、病気のことを考えて滅入ってしまうから、絶対にパラボの皆に知られたくない」
「死ぬときは、交通事故かなんかでぱっと死にたかったし、これはこれで、悪くないな」
私たち、誰も知らなかったから、
私たち、笑顔の思い出しかありません。
レシーブ失敗するから、「あー、もう」って笑って、
スパイク失敗するから、「どこに打ってんのよー」って笑って、
モンハンで3オチするから、「頼むよー」って笑って、
ガンダムでオイシイとこ取りするから、「ズルイ!」って笑って、
「また来週ね!」と笑ってバイバイしたのが最後です。
結婚式も3回行ったし、パラボで産まれた子供を3人抱いてくれたし。
いつだって、パラボの笑顔の中心にいてくれたのが、奥山さんでした。
最後の最後まで、練習に参加していた奥山さんですから、これからも元気にバレーを続けていかないといけません。
神様の添乗員をして、ひょっこり地上にやって来るかもしれないし。
神様とチームを組んで、練習試合を申し込んでくるかもしれないし。
いまだにちっとも信じられないし、チームの連絡網の宛先にうっかり入れてしまって涙ぐむような有様ですが、
できるだけ、元気だしていこうと思います。
節電で、体育館使えないのが、もどかしい。
ばーん!と一発スパイク打ったら・・・
涙ぐむかもしれないけど、みんなの気持ちにけりがつきそうな気がします。