この往復が続くと、人間は膿んでくるもので、結果、少々不自由でも、生活保護に甘んじると言う就労可能年齢の人が増えてしまうのである。
まず、高齢者の様に、先々、就業が出来ないと判断される受給者の場合は、ある程度の自由を与えてフリーハンドにして、全額、自己決済させることで社会との関係を維持させる。この生活で、もし、自己決済が不可能と判断される人だけを収容するような、官営の施設に保護する。ここから漏れるような人の場合は、自己責任でホームレス化してもそれは致し方ない。
次に、負の連鎖による一時期、制度を利用せざるを得ない若年層に対しては(35歳以下)は、スキルのある人や学歴を持っている人と、そうでない人に分けて、前者は、その負が終えるまでを支援し、後者の場合、夜間高校や通信制の高校、あるいは、専門学校や大学進学などに至る長期に渡る支援が必要不可欠と考えている。未来の納税者を育てると言う意味でも有効な方法である。
しかしながら、現在の制度は、全てに於いて中途半端で、ただ生きて行ければ良いとする一方的な独善が見え隠れしている。
この制度は、国民の権利であり、行政の押し付ける管理下に国民を置くものではない。報道などで、生活保護費を受け取って直ぐに、飲酒やパチンコなどに出入りする高齢者が映し出されるのだが、生活保護を受給した場合、僅かな娯楽すら認められないとする独善は、許されてよいものではない。
小生は、父の残したアパートを経営しているのだが、建物が古いこともあって、賃貸料が東京都内としてはかなり格安である。その為か10戸の内、3世帯が生活保護家庭で、区から、定期的に家賃が振り込まれている。2世帯が高齢者の一人暮らしで、1世帯が母子家庭である。この3世帯の生活に時折接する事があるのだが、かなり厳しい生活を余儀なくされている。
80代後半の女性の場合、一人暮らしだが、正に慎ましい生活をし、その為には、1円でも安い物品を買う為に、悪い足腰を庇いながら、公共交通機関を利用して遠くの店まで行っている。また日中は、図書館などを利用して、光熱費を抑え、ちょっとづつ貯めた資金で、年に2度、安いパッケージのツアーに行く事だけが楽しみとしている。
母子家庭の場合、子供がまだ乳児であること、そして本人が厄介な病気である事もあって、就労ができない。時折、近くの公園などで見かけるが、決して贅沢などとは程遠い生活をしていると感じる。大半の受給家庭が、倹しい生活を余儀なくされている。その中で精神的なゆとりを持つことすら許されないとすれば、人間として許されない強制であろう。
最初に述べたが、もし、年金制度が抜本的に改正されて無年金がなくなれば、この生活保護受給者は、一気に半分になる。更に、年金制度と一緒に医療保険制度を改革すれば、この保護費の総額は、最低見積もっても2兆円以下に抑えられるだろう。何も遮二無二、減額を論じる必要はない。
片山さつき氏だけではなく、自ら独力してきたから、現実に多くの所得や名誉、権力を得ているのだと自負心を持つことは、別に批判しないが、どんなに努力しても報われない人も少なからず存在し、それらの人々を差別するような発言は、卑劣でさえある。
人間は所得や、資産、あるいは権力の有無で存在価値が決まるわけではない。小生は自分なりに努力して来たが、それによる所得や財産を当然と考えた事はない。むしろ世の中に生かされ、そして自分が恵まれている環境にあることに常に感謝している。それこそ僥倖であるとさえ思っている。
だから、生活保護に陥っている人を差別的に見ることはしない。努力しないから、あるいは、年金を納めなかったから今があるのでは、とする勝者側の見方には辟易とさせられる。
不安定な職しか得られず、最低限の年金すら支払えなかった人を多く見ている。小生のアパートに住む老女は、小学校しか出ておらず、戦後の混乱期に中小企業の賄いとして今で言うアルバイトで生活して来た。年金制度が出来てからも、最低の賃金で働き、家賃を支払うと生活費が数万円しか残らないと言う極貧の環境で生活した人である。しかしその貧困に人間性を失う事無く、暮らし、結果、生活保護に至っている。この人に年金を支払わなかった事を非難できるのであろうか?
生活保護に至った結果、僅かな預貯金すら禁止され、数年前までエアコンすら付ける事ができなかったのである。これらの受給者に僅かな余裕すら持ってはならないと言える人間がいるとすれば、その人こそ、人間性の欠落した人格破綻者であろう。
河本氏の問題が、喧伝されてから、報道機関など、減額必至であるとか、あるいは、上記に挙げた、大阪西成区の高齢労働者の受給態度などを引き合いに出して、パチンコや飲酒、あるいは、喫煙にまで文句をつけているが、その程度の管理は、それこそ自己責任であり、社会が非難することではなるまい。不正受給と、生活態度の問題は次元の違う問題であり、重箱の隅を突きまくる、現在の報道姿勢はいただけない。
また、偽名で労働し、僅かな収入を得て、それを隠したからと言って、直ぐに不正受給だというのにも独善の押し付けが見られる。真の不正受給とは、町田市などの団地群に見られるので、その当たりを取材すべきだろう。
生活保護を受け、低家賃で都営住宅に住みながら、高級外車を乗り回し、別所帯と偽って、旦那は、暴力団員、いくつもの飲食店を経営、あるいは、同和関係者などは、その権力を大いに行使して、都営住宅に優先的に入居して、偽装離婚して妻を寡婦の母子家庭として生活保護を受けて、その実、同居しており、高級車を乗り回すなど当たり前の様になっている。これらこそ、不正受給であり、弱者がその社会的に阻害されている事を、僅かな抵抗とばかりに、先に述べたように偽名で働くなど、それらの比較すれば遥かに罪は軽いのである。
しかし、右翼団体やヤクザ、そして同和には行政は腰が引けており、それらが俎上に上がる事はない。しかも報道機関ですら、彼等を批判する事はない。まるで自らを安全圏に於いて、抵抗出来ない弱者だけを訴状にあげてスケープゴートにしているとしか思えないのである。
町田市の忠生やその周辺の都営住宅を取材するが良い、都営住宅に一千万円以上する高級外車が停まり、ブランド品に身を包んだ人間が大手を振って生活しているのを容易に見かけることが出来るのである。何故、小生がこれを知っているのか?それは、小生の知己が、この周辺で生活しているからだ。
この姿は、江戸川区の葛西や、江東区の砂町でも見ることが出来る。つまり、こう言うものこそ、不正受給であり、犯罪なのである。そこをスルーした、報道に正義などない。
国が面倒見てやっているとする、現在の生活保護制度には、何ら正義など存在しない。福祉政策の抜本的な改正と、公務員の意識改革が先に進まない限り、この手の論議は、ただの弱いもの虐めでしかないと断言して終わりにする。
不気味な社会が現れ始めていると感じる。