厚木ガーデニング生活

今年はガーデニングを頑張ってみようと思っています81022705b573a0efcda3efd56266a16f4fb36cf6

3丁目の夕日

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冬の楽しみ

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小学生の頃、冬の楽しみは何でしたか?

今のようにゲームも無く、外で遊ぶのがあたりまえの時代、雪が降ってくると田舎の子供達の密かな楽しみが始まります。
それは仕掛けを作ってスズメや山鳥を捕まえる事です。雪が降るといてもたってもいられなくなります。
材料はそこいらにあるもので作ります。藁(わら)と竹と葛(かずら)、それに網と凧糸と8番線(針金)、これに鋸(のこぎり)と鉈(なた)があれば手慣れた手つきで仕掛け作りが始まります。
これは「うちかぶせ」というスズメを捕まえる罠です。
これを田んぼの中にいくつか仕掛けておいて遠くから見ています。しばらくするとスズメが寄ってきて餌をついばみ始めます。すると仕掛けがはずれて網が勢いよく倒れてスズメが捕まるという仕掛けです。
もちろん捕まえたスズメは焼いて食べます。ちょっと可愛そうと思うかもしれませんが、これがけっこう美味しいしんです。

もう少し大きな山鳥を捕まえる罠が「くびしめ」です。これは山の中にいくつも仕掛けを作ります。
材料はさらにシンプルで凧糸とそこいらの木の枝です。餌は南天や柿です。
この仕掛けはちょっと可愛そうなんですが、餌につられて仕掛けを踏むと勢いよく上から枝が落ちてきて首が締まるというわけです。
この仕掛けでは山鳩やカッチョという鳥が捕まります。もちろん食べます。

子供達は学校から帰ると山の中の仕掛けを見て回ります。そうやって生き物を捕まえてそれを食べるのです。子供達はそうして命を学んでいったような気がします。

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ゴム動力飛行機 (3丁目の夕日シリーズ)

小学校の頃、「将来の夢は」と聞かれて1人か2人は、「パイロット」と答える子がいた。

大人がみんな力強くたくましくあった時代、夢の職業もたくさんあった。飛行機に憧れても乗ったことすらなく、近くで見た事もなかった。それでも空への憧れは強かった。
そんな少年達を夢中にさせるものが、ゴム動力飛行機だった。

あの頃は年の違う子供達が遊ぶのが普通で、年上の子が年下の子にいろいろと遊びを教えてくれた。
小学校低学年の子には、この模型を作るのはちょっと難しく、年上の子が一緒に作り方を教えてくれた。
竹ひごの曲げ方や、アルミ管の曲げ方、羽の紙の貼り方、どれもきちんとやらないとうまく飛ばない。
組上がっても、主翼の取付位置やゴムの張り方も経験がないと難しい。

そうして出来上がったゴム動力飛行機を飛ばす時、飛行機と共に夢が舞い上がる。
うまく飛ばない時は何回も修正して飛ばしてみる。年上の子の飛行機はさすがに良く飛ぶ。
どこをどうすると上手く飛ぶのか、年上の子が年下の子に教えながら直していく。
一つ一つ作り方のコツや飛ばし方のコツを学んでいく。
そうやっていろんな知識や経験を積んでいく事が大人に近づく事で、年上の子はみんな上手に飛ばす事ができた。

あの頃、自分の手で空を飛ばせる物を作った喜びは、空に憧れ続けた人達と同じだったかもしれない。
空を飛ぶ夢は、今、大型旅客機に乗る事とは違う。自分の手で作ったゴム動力飛行機が空を舞った時のほうが、はるかに感動が大きかった。

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テレビ (3丁目の夕日シリーズ)

テレビが我が家に来たのはいつだったろうか。 テレビは買うものではなく来るものだった・・・。

あの頃は時間がゆっくり過ぎていた。スイッチを入れても真空管が暖まるまでしばらく時間がかかった。絵が映っても上下に流れたり、斜めになったりでちょくちょく直さなければならなかった。
それでも映らなくなる時があり、そんな時はバンバンとテレビを叩くと不思議と直ったものだ。

ところで、違う番組を見るとき「チャンネル変えて」ですか「チャンネル回して」ですか?
東京とか大阪は別として、地方はNHKが2CHに民放が1つか2つであまり回す必要もなかったが・・。そのうえ東京で放映されてから1週間後に放送されていました。それで別段困る事はないが、都会の子が盆暮れに帰ってくると田舎をバカにするような発言がシャクにさわったものです。
当時テレビの値段はかなり高くて、とても大事にされていました。たいがいの家は見ない時にベルベットの布が掛けられていました。それに大きく見えるシートや、カラーに見えるシートなどが、今思うと?な物も流行っていました。

それでもテレビに映し出されるアメリカのドラマや、ヨーロッパの風景は高度経済成長の日本人をしても夢の世界でした。
夢を映し出す箱そのものがテレビでした。今はテレビの向こうには夢がありません。等身大になってしまったテレビには、自分と同じ悩みや苦しみが映し出されています。

夢がずっと遠い先にあった時代、その遠い先を映し出すテレビは、手の届かないものを映し出している時が一番幸せで輝いていたのかもしれません。

次回は、ゴム動力飛行機です。

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スーパー (3丁目の夕日シリーズ)

最近は郊外に大きな商業施設ができたり、大型のスーパーが開店したりしています。
でも、昭和30年代はちょっと違っていました。

個人商店がまだ元気だった昭和30年代、買い物といえば○○銀座とか○○商店街などの個人商店で買い物をするのが普通でした。だからスーパーといっても個人商店がいくつもはいっているような雰囲気です。でもちょっとオシャレを装っていつもハワイアンの音楽が流れていました。なぜハワイアン?と思われるかもしれませんが、当時の庶民の夢と憧れはハワイでした。
スーパーの入り口は必ず果物売場です。庶民にとって果物はちょっと特別な物で、家族の誰かが入院でもしない限り、高級リンゴやパイナップルを口にする事はありませんでした。そして、その横にはガラスのドームに吹き上げていたパイナップルとオレンジジュースの自動販売機がありました。エアコンの無い店内は果物や野菜、魚、お総菜の匂いが立ちこめています。
手にはビニールで編んだ買い物籠、牛肉やお刺身は特別な日の特別な食べ物、日頃の食べ物は慎ましやかなものでした。
500円札で十分買い物が出来た時代、100円もまだお札です。50円玉ももっと威厳がありました。それは買い物が特別な意味をまだ持っていた時代、ハレの日の特別な買い物、牛肉や果物をちょっと無理して買う晴れやかな気持ちです。

豊かになった今、特別な食べ物、特別な買い物、晴れやかな気持ちは無くなってしまいました。給料日の夕食がちょっと豪華になるあの日にもう戻る事は出来ないのでしょうか。

次回は、テレビです。

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薬 (3丁目の夕日シリーズ)

今は大変便利になってしまいました。ドラックストアーは夜遅くまでやっているし、夜間診療の病院もあります。
でも、昭和30年代は今とだいぶ違っていました。

まだ戦前の文化が色濃く残っていた昭和30年代、風邪をひいたりおなかが痛い時は、たいがいどこの家庭にもあった富山の入れ薬を飲んでいました。クスリのパッケージに内臓が見えている絵や、顔の周りにタオルを巻いているものがあり、一目で何の薬かわかります。字を読めない人にもわかるようにしているのです。
そして、年に何回か富山の薬売りが薬の補充にやって来るのが子供達の楽しみでした。よく紙風船やお箸をもらったものです。

どの家庭でも、軽い病気やけがは富山の入れ薬と漢方薬などの民間薬で直します。
子供達もちょっとした切り傷は、ヨモギの汁を付けていました。風邪をひいて中耳炎になった時は、雪の下の絞り汁を耳の中に入れられたり、おなかが痛い時はセンブリを飲まされたりしました。

そんな民間薬の中でも、一番すごいのがムカデで作る虫さされや切り傷の薬です。
たまに20cmぐらいの大きなムカデが出ると、急いで火箸で捕まえます。そして菜種油をいれた小瓶の中にこのムカデを入れるのです。するとムカデの吐く毒がしばらくすると薬になります。これを虫刺されや切り傷に付けていました。子供心にこれはちょっと怖かったです。

まだ小さかった頃、ケガをするとお母さんが傷をよく舐めてくれました。薬なんか付けなくてもたいがいの傷はそれで治ってしまいます。お母さんの唾が一番の薬だなんて言われていました。

次は、スーパーです。

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開設日: 2006/3/19(日)


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