『ふしぎなキリスト教』 (講談社現代新書)
|
ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) 職場の同僚から「面白かったから、読んでみるか?」と手渡された本書。私がクリスチャンであることをご存じの方。最近書店に立ち寄ることが皆無になって、こんな新書が流通しているなんて全く知らなかった。更に、新書大賞2012年第一位などという帯がついている。こんなテーマの書籍が第一位だなんて、驚いた。 やっぱり、定期的に書店に立ち寄らなければならない。無駄買い衝動買いの原因だけど、やっぱり立ち寄らなければいけないのだ。現代の文化から取り残されてしまう。これで書店に寄り道する理由が出来た。 ★ 本書を薦められて、正直言うとすぐに読み始める気にはなれなかった。大体書いてあることが想像ついたからだ。実際その想像は大して違わなかった。これまでに読んできた「キリスト教とは?」みたいな一般書と、掲載された情報に違いがなかったからだ。特に前半部分。 しかし、後半を読み始めて目が冴えた。なかなか面白い切り口を持っていたからだ。 本書のタイトルは、私の考えではちょっと違う。 「ふしぎなキリスト教」 ではなくて、 「日本人のための西洋文化入門」 のようであるべきだと思うのだ。 本書は3部構成になっている。 第1部 一神教を理解する−−−起源としてのユダヤ教 第2部 イエス・キリストとは何か 第3部 いかに「西洋」をつくったか 本書はキリスト教が何かを直接解説した本ではない。第3部のタイトルが示すように、「西洋」はいかにしてつくられたか、を解説している。そしてそこに「キリスト教」が強い影響を持っていた(いる)ことを、二人の社会学者が討論を通じて読者に感じさせるのが目的の本だ。 実際、本書のあとがきにこんな部分がある。 昔むかし、あるところに七人家族が暮らしていました。「戦後日本」と、表札が出ていました。 家族は両親と、「五人のきょうだい。「日本国憲法」「民主主義」「市場経済」「科学技術」「文化芸術」という名の、いい子たちでした。 この兄弟たちが、自分たちの本当の親「キリスト教」のもとを訪問する。つまり、本書は日本人が強く影響を受けた西洋文化のルーツをキリスト教までたどることを意図している。そうすることで「キリスト教」とは何かを伝えたいらしい。 著者たちは「キリスト教入門」として本書を作り上げたようだが、本書の構成、そしてこのたとえ話から私が感じるのは、日本人が如何に西洋世界を理解すべきかという筋道だ。 結局、キリスト教はそれを信仰しない限り理解できない。本書を読んでその思いを強くした。その反面、本書は西洋世界と日本の違いをしっかり示してくれた。西洋の政治・権力・勢力システムの概略。これが、私が本書を読んで得られた価値ある知識だ。 一般的な「イエス・キリスト観」なるものは存在しないと私は考えている。カトリック、プロテスタントの間では大きく異なっていると感じているし、プロテスタントの教会間でもかなりの差を感じる。本書が討論を進める中で前提とする「イエス・キリスト観」はそのうちの特殊な一例に過ぎない。第2部「イエス・キリストとは何か」で前提とされるキリスト像は、「ごく普通の人間イエス」の上に、後のパウロまでが「神の子キリスト」までの皮を被せた、というもの。 私にとって不思議なのは、この前提(根っこでキリストの神性を認めていない)にありながら、一神教の神は存在するといういわゆる「西洋」の思考・文化の前提をまた走らせていること。 こういうところが「日本人的」。でもだからこそ日本人には読んでわかった気になる一冊なのだろう。同時に日本人がキリスト教を教養としてわかろうとする際の限界線がこれなのだ。 このため、読み終えても私には、どこが「ふしぎな」のか、そして「キリスト教」とは何なのか、わかった気にはなれなかった。その意味では本書をお薦めしない。お勧め出来るとすれば、日本が受けた西洋的な文化の背景を、キリスト教文化の側面から読むことが出来ることだ。 ★ 新書サイズの分量で、気さくな社会学者二人の討論を通じて、西洋文化の背景を概観できる。「キリスト教って何?」な方には、確かにお勧めな一冊。本書でおよそプロテスタントのクリスチャンが知っていることを知ることが出来るだろう。ただし、本書読了後も?は?のままなのだけれど。 |


