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私の名は劉備。字は玄徳(げんとく)という。
漢の皇族・中山靖王劉勝(りゅうしょう)の末裔だ。
乱れた世を鎮め民を救わんと、関羽(雲長)・張飛(翼徳)の 2 人の豪傑と義兄弟の盟を結び、立ち上がった。
だが、己の非才ゆえに未だ夢を果たせずにいる……。
旗揚げ以来、各地を転戦し、私は同時代を生きる幾多の英雄と交わった。
文武に秀でた俊英、底知れぬ欲望の梟雄……あらゆる人物がいた。
そのなかでも、もっとも才智に長け、野望高く、かつ冷徹……そして、もっとも恐ろしい存在であったのが曹操という男だ。
暴虐極まりない将・呂布に、徐州を奪われたあとのことだ。
拠るべき地を失った我々は、仕方なく許都(きょと)の曹操のもとに身を寄せた。
曹操は私を援助してくれて、ついに呂布を滅ぼすことができた。
その後もしばらく、我ら義兄弟は曹操の厄介になった。
だが、曹操は私に「油断ならぬ男」と警戒心を抱いていたようだ。
そのころ私は帝(献帝)への拝謁がかない、系図が調べられた結果、帝より一つ上の世代に属する血筋であることが証明されていた。
そして、「皇叔(こうしゅく)」という称号を賜ったのだ。
帝の権力を奪わんとする曹操にとって、帝に近しい私は危険な存在に映ったのかも知れぬ。
ある日、曹操は強引に帝をお誘いして郊外の許田(きょでん)へ狩りに出た。
曹操はそこで、帝の御矢を取って獲物を射止め、手柄を独り占めにしたのだ。
これに憤慨した雲長や翼徳が曹操に斬りかかりそうになり、彼らを必死でなだめたことがあった。
するとやがて私のもとに、曹操に反感を抱く人々から、彼を排除しようという陰謀が持ちかけられた。
だが私は、曹操がそのような策略でたやすく倒れる男ではないことを知っていた。
今はその時ではない――そう言って彼らに、むしろ自重を促したものだ。
そんなある初夏の日、曹操に 2 人で酒を酌み交わそうと誘われた。
反曹操の企みがどこかから漏れたのかと驚いたが、曹操なる人物がいかほどの才と野望を秘めているのかを知る絶好の機会と考え、私はこれに快く応じた。
ちょうど梅の実がなる季節。暗い雲は出ていたが、雨は降っていなかった。
青梅を肴に温酒を酌み交わすと、曹操は天下の英雄について私に問うた。
「今の世で、誰が『英雄』と呼ぶにふさわしいか」と。
当時、最大の勢力を誇っていたのは河北地方の袁紹殿であり、他に南の劉表殿や孫策の勢力があったので、私は彼ら群雄の名を挙げた。
だが曹操は、「どれも英雄の器にあらず」と、ひとつひとつ根拠を挙げて否定した。
そこで私は、「では真の英雄と呼べるのは、誰とお考えか?」と逆に質問してみた。
おもむろに曹操は答えた。
「余と、君だ」と。
曹操は、私こそ自分に対抗しうる最大の敵だと思っていたのだ……!
私は思わず、手に持っていた箸を落としてしまった。
そのときだ。先ほどから薄暗かった曇り空の下、突如として雷鳴が轟いた。
そこで私は、落ちた箸を拾いもせず、机の下にもぐって震えてみせた。
「どうした玄徳?」と、曹操はあきれた顔をしている。
たしかに私は雷が苦手だったが、人前で醜態をさらすほどうろたえはしない。
私を警戒する曹操の手前、わざと臆病者を装ってみせたのだ。
むろん曹操は、かような小芝居で疑念を解くほど生やさしい男ではないが、苦し紛れの一策で、その場はどうにか切り抜けられた。
間もなく私の身を案じた雲長と翼徳が駆けつけてきた。
すると曹操は笑って 2 人に杯を下し、それで宴はお開きとなった。
このまま曹操のもとに身を置いていては、我らの身が危うい。
そう考えた我らは、黄巾賊の残党退治という名目で許都を離れた。
以後、曹操と刃を交えることになり、一時は義弟たちと離ればなれになったりもしたが、曹操に屈することなく、各地を放浪した末に自己の勢力を築くことができた。
我が好敵手・曹操。その器も野望も、今の世で最も大きい男かもしれぬ。
だが、私は漢王朝復興のため、長く戦乱に苦しみあえぐ民のため、曹操を倒して、天下の大乱を治めねばならぬ!
皆も私に力を貸してほしい!
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