明治天皇「高松、松山征伐せよ」 土佐藩に命令
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2012/01/26 山陽新聞
明治天皇「高松、松山征伐せよ」 土佐藩に命令
薩摩と長州に討幕の密勅が出された直後の慶応4(1868)年1月11日に、明治天皇が土佐藩の第16代藩主山内豊範に「(幕府を助ける)高松藩や伊予松山藩を征伐すべし」と命令した御沙汰書が見つかり、26日、高知市の歴史研究会が発表した。
所有していた高知県の男性が研究会に鑑定を依頼。鑑定した歴史研究家の松岡司さん(68)は「土佐藩にとって、明治維新の最重要文書。残っているとは驚きだ」と話している。
書状は縦22センチ、横110センチの切り紙。文書の内容は山内家がまとめた資料集などで知られていたが、原本は所在が分からなくなっていた。 明治天皇が土佐藩の第16代藩主山内豊範に「(幕府を助ける)高松藩や伊予松山藩を征伐すべし」と命令した御沙汰書=26日午後、高知市
2012/01/27 高知新聞
高知県内で「御沙汰書」発見
戊辰戦争の際に四国内の徳川方勢力追討を命じた明治天皇の御沙汰書など、土佐藩主に宛てた朝廷文書の原本4通がこのほど、県内で見つかった。いずれも所在不明だったもので、鑑定した松岡司・佐川町立青山文庫名誉館長は「内容は分かっていたが、原本であることに非常に驚いた。土佐の維新史を物語る超一級の史料だ」と評価している。
いずれも奉書紙に書かれ、汚れや破れがあるものの、原形を維持。県東部の収集家が購入していたもので、相談を受けた土佐歴史資料研究会のメンバーが松岡さんに鑑定を依頼。松岡さんは筆跡や料紙などから「本物」と判断した。 御沙汰書は、縦22センチ、横110センチ。慶応4(1868)年1月11日付で、「土佐少将」(16代藩主、山内豊範)宛て。徳川慶喜を助ける高松藩、松山藩、幕府直轄領の川之江を名指しして、追討せよとの勅旨を伝えている。その文面は「豊範公紀」などの記録に残っていたが、原本は不明だった。 ほかの文書は、孝明天皇が文久2(62)年に徳川将軍へ攘夷(じょうい)勅使を派遣したことに関するもので、同年と翌3年付。護衛に当たるなどした土佐藩の働きを賞して天皇の着物を与えるとする御沙汰書と、天皇に拝謁(はいえつ)して天盃(てんぱい)を頂くよう伝えた達書(たっしがき)が2通。 きょうから公開 同研究会は4通を所有者から借り受け、27日正午ごろから、高知市上町2丁目の市立龍馬の生まれたまち記念館で公開する(2月3日まで)。 http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=284681&nwIW=1&nwVt=knd 【写真】発見された幕末期の朝廷文書。指さしているのが、戊辰戦争時の御沙汰書
(高知市鷹匠町2丁目の山内神社)
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